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第28話 悪役令嬢のお返し

彼はなかなかの俳優のはずよ――と、ルチアはバルバラに胸を張った。

そうして示されたシルヴィオは、馬車の中でジーノに力づくで叩き起こされて間もなく、その時まだ寝ぼけ(まなこ)を擦っていた。


ルチアもシルヴィオも、前世の記憶と人格を引き継いだままに、別の人間としての今世を生きている。

それを表に出さないよう隠さねばならない場面を乗り切ってきたと同時に、貴族子女に求められる社交のための演技力も、必要に応じで備えていた。

彼らはその本性はさておいても、人前では完璧な公爵令嬢と伯爵家子息として振舞える。


茶番を演じるならば、配役(キャスト)は貴族子女にすれば、それなりに観客を騙せる可能性はあったのではないか。

その点を考慮せず、街娘を重要な役に抜擢したダミアーノの人選には、ルチアはほとほと呆れていた。

聞けば、バルバラはこの地域に住む小さな商家の娘であるという。

貴族令嬢でも、女優でもない。

そんな彼女に一芝居打たせて、上手くいくと思ったダミアーノは、案外世間知らずなのであろうか。

それとも、今後愛人にすることまで見越して、容姿の美しいバルバラに目を付けただけなのか。


バルバラは、“綺麗なお姉さん”という言葉がそのまま似合うような、なかなかの美人である。

涼やかな目元、高く整った鼻筋、薄目の唇など、ともすれば冷たい印象を与えそうな顔立ちを、温かみのある色合いの瑞々しい肌が上手く中和している。

すらりとした細身の長身で、亜麻色の髪、飴色の瞳を持つ。

華やかさにこそ欠けるが、そんな彼女に手を出す機会が転がっていたとして、あのダミアーノが放っておくとは思えない。


ルチアは、バルバラにこれ以上の演技を求めるつもりはない。

彼女にはただ、これから起こることを見ていてもらい、場合によっては出てきて正直に振舞ってほしいと伝えている。


「わたくしたちの出る幕ではございませんでしたね。お坊っちゃまをお起こしするくらいしか、お役に立てませんでした」


馬車の中、体格の良いベルトロット家の使用人、ジーノが言う。


「いいんですのよ。今回あの場にはバルバラ様お一人でしたけれど、それは行ってみなければわからないことでしたもの」


最悪の場合というものは、常に想定して動くべきである。

少なくともルチアは、そう考えている。

女性一人を相手に屈強な使用人を引き連れていく必要は実際のところなかったが、出発前は、ダミアーノが荒っぽい手段に出てこないとは言い切れなかったのだ。

それにルチアは、“パレード”気分を味わえて、非常に満足している。


別荘へ着いて、シルヴィオは念のため、医者の診察を受けた。

いわく、相当な量の睡眠薬を盛られていたのであろうということである。

このことで怒り心頭のルチアの恐ろしい迫力を前に、シルヴィオに薬を盛ったのが自分でなくてよかったと、バルバラは心底安堵した。


「そちらの調べはつきましたかしら?」


出発前にルチアが用を頼んでおいた使用人は、首を縦に振った。


「はい、領内ことごとくお調べいたしました」


手渡された報告書を、ルチアは満足げな微笑みと共に受け取った。


再び彼らが出発したのは、睡眠薬を盛られていたシルヴィオの体調が回復した、数時間後である。

向かう先は、ダミアーノの滞在先。

モンテサント公爵家の領内にいる限り、彼に逃げ場は無いのである。




オリオ湖上ホテル。

ここもルチアの叔父の経営であるというのに、ダミアーノは知らないで宿泊しているのであろうか。

上級貴族向けの高級ホテルなど、そう数があるものでもない。

ましてそれを経営する財力のある家といえば、領主の関係者であることが多い。


ルチアが名乗り、ダミアーノを訪ねて来たと告げれば、従業員は急いで来客を知らせに行き、戻ってきて案内した。

部屋を訪ねれば、彼は笑顔で出迎えた。


「まさかルチア様が訪ねていらっしゃるなんて」

「急にダミアーノ様にお会いしたくなりましたのよ」


挨拶の後、白々しいやり取りが交わされる。

滞在先を告げていないルチアがここを探し当てた方法について、ダミアーノは何も問わないし、ルチアも何も言わない。


「もしお時間がございましたら、お茶でもご一緒しませんこと? 美しい景色の見える喫茶店を存じておりましてよ」

「是非ご一緒させてください。ルチア様からお誘い頂けるなんて、今日のオレは世界一幸運かもしれませんね」


ダミアーノのウィンクが炸裂した。

笑顔が引きつりそうなのを堪えて、ルチアは公爵令嬢の仮面の上で、にこりと微笑み返した。


数十分後には彼らは湖にほど近い喫茶店にいた。

テラス席に案内され、腰を下ろして静かにメニューを開く。

ルチアがここを選んだ理由は、人通りの少ない立地と、高めの価格設定により、他の客が入っている様子のないのを来がけに見かけたことである。

目当ての品もないことであるし、お茶が目的ではないので、大して吟味もせずにケーキと紅茶を注文した。


「ところでルチア様、何かあったのですか? 浮かないお顔をしていらっしゃるようにお見受け致しますが」


ダミアーノが心配する素振りを見せるが、それが彼の本心でないことを、ルチアはよくわかっている。

ルチアは浮かない顔などしていない。

彼女が訪ねてきた時点で、ダミアーノは彼の目論見が成功したと思ったのだろう。


「実は今朝から、シルヴィオ様のお姿が見えず、お探ししましたところ――」

「ルチア様っ!!!」


そこで店に駆け込んで来たシルヴィオが、涙目で二人の元へ急ぎ足で近づいてくる。


「違うんです、勘違いです!! 信じてください!!」


シルヴィオは伏してルチアの足元に縋った。

勿論演技である。


「まあ、みっともない。こんな場所でおやめになって?」


ルチアはシルヴィオに視線さえくれず、紅茶を啜った。


「シルヴィオ様、おやめください。あなたが礼節の無い紳士だと思われては、婚約者のルチア様にご迷惑がかかりますよ?」


ずっとシルヴィオをいないものとして扱い、声すらかけなかったダミアーノが、ここにきて勝ち誇ったように窘める。

ルチアは黙って紅茶を啜る。


「幸い客がオレたちだけだから良いようなものの、もし誰かが来てこんなところを見られたら――」


ダミアーノがシルヴィオを糾弾し続ける。

しかし、ここに他の客は来ない。

ダミアーノは知らないことだが、ルチアがあらかじめ、貸し切りにしておいたのだから。


「……申し訳ありません。こんな僕では、ルチア様の婚約者に相応しくありませんね」


涙を溢しながら、シルヴィオは自嘲気味に笑う。

ルチアの見立て通り、彼の演技力はなかなかのものである。


「ルチア様」


真っすぐな瞳、そしてキメ顔で、ダミアーノは立ち上がってルチアを見つめた。


「何があったかはわかりませんが、こうしてルチア様を傷つける男なんて、貴女の婚約者には相応しくありません。家柄だって、伯爵家では釣り合わないではありませんか。オレなら、ルチア様を幸せにできる」


できない、とルチアは即座に心の中で断言した。

だがそれを口には出さず、彼女は恐る恐るといった仕草で、ダミアーノに視線を合わせた。

ヘーゼルの瞳が熱を帯びてルチアを見ている。

その熱の正体が恋や愛でないことを知っている彼女にとっては、効果のないものであるが。


「オレは確かに、過去に過ちを犯しました。本当に後悔しているのです。そして今なら誓えます、同じ轍は二度と踏まないと!」


数歩歩み寄って、ダミアーノは椅子に腰掛けたままのルチアを真上から見下ろした。

手を伸ばせば届く距離であり、抱擁しようとすればそのままできるだろう。

ただしルチアの足元のスカートの裾には、シルヴィオが縋り付いたままではあるが。


「ルチア様、オレは失ってから気づいたのです。貴女はオレにとって、かけがえのない女性でした。今だってそうです。もう一度、貴女をお傍で守る権利を、オレに――」

「最初からそのつもりだったんですね!?」


バサバサッと植え込みを揺らす音がして、そこへ身を潜めていたバルバラが立ち上がった。

彼女は瞠目するダミアーノのほうへ、枝葉が絡まったままの亜麻色の髪を揺らして、ずんずんと歩み寄る。


「わたしを騙して、ルチア様と復縁ですって!? なんて男なの!! 最低!!」


バチン、と頬を張る音が響く。

次の瞬間、ダミアーノの美貌には、くっきりと手のひらの型が赤く浮き上がっていた。


「だ、誰だい君は?」

「まあ! まさか、わたしのことを知らない振りで通そうというおつもり!?」


バルバラは、せっかくの美人が台無しになるほど、鬼の形相でダミアーノに詰め寄る。

そのすぐ傍で、ルチアはこっそり不敵な笑みを浮かべていた。

二章第二十八話をお読みくださり、ありがとうございます!


12/24、作品紹介欄にて、いつも(火曜日12時)の数時間遅れで必ず当日中に更新する旨を記載しましたのに、実際には数時間どころの遅れではなくなり、日付のかわるギリギリの更新になってしまいましたことを、深くお詫び申し上げます。

お忙しい中、何度もチェックしてくださった方がいらっしゃいましたら、お手間を頂きまして本当に恐縮です。

お詫びと共に、ご愛読に心から感謝を申し上げます。

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