第25話 元婚約者の近況
モンテサント公爵家の別荘だけあって、そこは紛れもなく豪邸である。
屋敷に加え、広い庭と、その先の浜まで含めてが私有地で、ルチアたちは贅沢な夏期休暇を楽しむことができた。
勿論、連れて来た使用人たちが何不自由ないよう世話をしてくれる。
世間から切り離されたようにすら感じるこの閉じられた空間で、彼らは二人きりの時間を満喫した。
つけてきていたダミアーノの姿を到着日の次に見たのは、三日後のことだった。
その日は、ルチアたちは街へ出て観劇の予定だったのである。
私有地の中までは入り込んで来られないダミアーノにとって、これは好機と捉えられたのだろう。
ストーカーと呼んで差し支えない行為に及んでいるこの元婚約者が、ルチアたちの予定をあらかじめ調べていたかどうかまではわからない。
だが知っていたかのように迅速に、あるいは見張っていたかのように素早く、ダミアーノが動いていたのは紛れもない事実である。
彼らの馬車が私有地から出て十分と経たないうちに、最早家紋を隠しもしていないブランディ侯爵家の馬車が、その後に続いていたのだ。
「どうせ劇場で会ったら、偶然ですねなんて言うつもりなんでしょう」
劇場へ向かう馬車の中で、ルチアはつまらなさそうに言った。
「シルヴィオ様とのデートを邪魔しに来たって、お父様のお怒りは解けないのに」
モンテサント公爵は、婚約者であった娘を蔑ろにしたブランディ侯爵家に対し、まだ冷ややかな対応をしているらしい。
だがシルヴィオから見て、ダミアーノの目的はその怒りを解くことというより、ルチアを取り戻すことのように思える。
「ダミアーノ様は、ルチア様を想って――」
「ないわ」
即座に否定して、ルチアは嘆息した。
「あのいけ好かない男の目を見た? あれは狩人というよりは、釣り人の目だったわ」
ルチアの例えが、シルヴィオにはいまいちピンとこない。
「いい? あの男が一途に一人の女性を大切に想うことなんて無いの。その相手がヒロインででもなければね」
「それは、ゲームの中の設定なのでは?」
「まあ、そういう面はあるでしょうね。でも少なくとも今のところ、あの男が初期設定の性格と変わった様子はないわ」
シルヴィオは納得いかない様子で、黙ったまま難しい表情を浮かべた。
「あの男が変な動きをしていたって、以前ロレンツォから聞いていたから、少し調べてもらったのよ。そしたら理由がわかったわ」
ダミアーノがシルヴィオの身辺をうろついていたことについては、ルチアはシルヴィオに伝えていない。
心配をさせたくないし、何よりルチアが彼を守るつもりでいるからである。
「お父様のご機嫌を取るためにも、ブランディ侯爵家は跡継ぎを長男のダミアーノ様ではなく、次男にするって言ってるみたいね。更に、ダミアーノ様の新しい婚約者候補だけど――」
にやりとしたルチアの顔に、“ザマァ”と書いてある。
「二十以上年上の未亡人なんですって。ブランディ侯爵も考えたわよね。あの節操なしを受け入れてくれるだけの包容力と、その手綱を握れるだけの経験値のある女性。それに現当主である彼女のもとへ婿に入れば、侯爵家の跡を継がない彼も貴族のまま。素晴らしい案だと思うわ」
現在十八歳であるダミアーノの二十歳上となると、女性として見られないほど老いているわけではないであろうが、子供を望めるかどうかは問題になってくる。
「ああ、夫人には既に私たちと同世代のご子息がいらっしゃるそうよ?」
それは複雑な家庭環境になりそうだと、シルヴィオにも容易に想像できた。
「そうなれば、若くて美しい元婚約者が惜しくもなるわ」
自分の美しさを他人事のようにさらりと口にする様子は、まるで彼女の美貌が乙女ゲームの設定なのだと言わんばかりで、嫌味が無い。
「ではやっぱり、ダミアーノ様の目的はルチア様との復縁ということになるんですよね?」
「それが一番手っ取り早いと思っているんでしょうね」
侮られて不服であると言いたげに、ルチアは追ってきているブランディ侯爵家の馬車のほうを一瞥した。
「私の婚約者に戻ることができれば、彼にとっては万事解決。お父様のご機嫌も直り、跡継ぎの座も安泰、そして妻は美しい」
その条件を満たすことこそがダミアーノの目的で、彼が手に入れたいのは直接的にルチアというわけではないのだと、彼女は言いたいのだ。
「彼にとっては私じゃなくたっていいのよ。侯爵家を継げるだけの後ろ盾になる家柄で、彼の伴侶として充分に若くて、美男子を自負する彼が満足できるくらいに美しければね」
そんな令嬢は、そうそういるものではない。
探してもルチアくらいしか見つからないのは、道理である。
「あの男は普段、獲物に狙いを定めて狩ることはしない。方々に餌を撒いて、釣れた魚のうち大きいものに手を付けて、飽きたら放流するのよ」
先程の例えの意味が、ここまでの話でシルヴィオにも少しはわかった気がした。
「今回は例外的な動きを見せているけど、それにしたって、今日明日を生きるために標的を狩るような、必死さはないわ。あくまで条件の良い魚を釣り上げるゲーム感覚なのよ。そこに愛や恋は無い」
ありがたいことにね――と、ルチアは小さく付け加えた。
嫌っている男に本気で好かれても、彼女としては困るだけなのである。
「それと比べるのも馬鹿馬鹿しいくらいに、あなたは――」
ルチアは、うっとりと翡翠色の瞳でシルヴィオを見つめる。
どこまでも甘い視線が、シルヴィオを賛美してすらいるように見えた。
好きな女性をストーカーして落とした奇異なる男シルヴィオは、確かに狩人でも釣り人でもない。
ならば何かといえば、差し詰め金魚の糞あたりではなかろうかと、彼本人には自虐的な発想すら浮かぶ。
ルチアが彼を貴いもののように想ってくれていることは疑わないが、世間の評価とはまた別のものであるだろう。
こんな眼差しで見つめさせていて良いものかと、彼は不安になる。
「私の理想の男性よ」
ルチアの理想とは、いったい何を指しているのであろうか。
最近シルヴィオにはわからなくなっていた。
彼のことを愛しているから、ルチアは彼のストーカー行為までを愛しく思ってくれるのか。
それとも、彼がストーカー行為という行き過ぎた愛情表現をする人物であるから、彼を愛してくれるのか。
「ルチア様は――」
上手く言葉にできないことが、彼にはもどかしかった。
そして同時に、言葉にしてしまえば、真実を暴いてしまえば、今のこの関係が終わってしまうような気がして、怖かった。
そんな中途半端な躊躇いが、さっぱり意味の分からない言葉になって、シルヴィオの口から溢れ出た。
「ぼくとストーカーと、どっちが好きですか?」
「へ……?」
聞き間違いをしたのかと、ルチアはシルヴィオの言葉を脳内で反芻し、切れ長の麗しい目をぱちくりと瞬かせた。
「ええと、ですからルチア様は……」
「あなたと、ストーカーと、どちらが好きか?」
咀嚼するようにゆっくりはっきりと、ルチアが先程のシルヴィオの問いを確認する。
自分の発言の滑稽さを嫌でも自覚し、シルヴィオは羞恥に頬を赤らめながら俯いた。
「何でもありません、忘れて下さい」
そうしていると、ルチアの細い指が優しくシルヴィオの銀の髪を梳いた。
以前から何度もそうされていることを考えれば、彼女はこうするのが結構好きなようである。
「あなたより好きなものなんて、この世にそうそう無いわよ」
甘い表情をして言い切るルチアに、シルヴィオは多幸感を与えられる。
なのに同時に、そこにまたあの言い知れぬ不安が混じる。
あまり深く考えたくないと、彼は思った。
自分の髪に触れるルチアの指の心地よさに、今は夢見心地で心を委ねていたかった。
間もなく、馬車が止まった。
劇場の前に降り立った彼らは、腕を組んで真っすぐに玄関ホールへ進む。
煌びやかなシャンデリアに照らされる、大理石の床を歩いていると――。
「これは、ルチア様ではございませんか! こんなところでお会いできるなんて!」
予想通り、ダミアーノが声をかけてきた。
前回もそうであったが、ルチアにだけ彼は声をかける。
隣にいるシルヴィオには、何も言わない。
そのことを無礼であると憤る性格のシルヴィオでもなく、また家柄もダミアーノのほうが上であるので、彼はただ黙っていることで対応している。
それより何より、ルチアもシルヴィオもまた笑いを堪えるのに忙しかった。
真っ白なスーツと真っ白なシャツに身を包んだ彼の、胸元には薄青いシルクのハンカチと、赤い薔薇の一輪。
足元にまで目を遣れば、どこでこんなものを見つけてきたのか、革靴までもが白い。
観劇に相応しいきちんとした服装ではあるが、この配色、この小物遣い、そして本人の佇まいといった彼の風貌全てが、ナルシストのお手本のようであった。
「ごきげんよう、ダミアーノ様。まだ我が家の領内にいらしたんですのね」
早く出て行って欲しいというルチアの願望のこもった挨拶も、この男はそうは捉えない。
「未練がましい男とお思いでしょう。ですが、オレの心の真実の在り処はどこなのか、気づいてしまったのです」
憂いを帯びた表情で瞼を伏しがちにして、ダミアーノが哀れを誘う声色で言う。
芝居がかった臭い台詞に鼻を摘まみたいのを我慢しながら、ルチアは公爵令嬢の仮面に営業スマイルを浮かべた。
いくら女性に関しては節操のない好色男とはいえ、ダミアーノも貴族の子息としての立ち回りをある程度は心得ているはずだ。
あまり露骨に無礼な態度を取って、それを元に付け入られるわけにもいかない。
表面上は、ルチアは申し分のない淑女として振舞うしかない。
「まあ、心の真実の在り処だなんて、詩人のようですわね。それはそうと、本日の演目の内容はご存じでして?」
気のない様子で流して、話題を転換するルチア。
心情を態度に示せないならば、言葉にその気配を混ぜ込むしかない。
しかしダミアーノの図太い神経が折れる音は聞こえない。
「それが、不勉強ながら存じないのです。ふらりと立ち寄ったもので」
嘘ばっかり――というルチアとシルヴィオの心の声が、この時実はハモっていたのだが、それは実際に口に出してはいないので、本人たちも気づかない。
「気まぐれにお立ち寄りになったにしては、随分と拘った衣装をお召しですわね」
「お褒めに預かり光栄です」
勿論、ルチアは褒めていない。
むしろ、馬鹿にしているのである。
だがこの男は筋金入りのナルシルトらしく、そんなこととは露ほども思ってもみないようである。
「悲恋の物語なんですのよ。主人公の少女は、美しいけれど貧しい村娘なんですの。初恋の相手である貴公子の寵愛を受けていたものの、彼にとってそういった女性は他にも複数いたと知って、悲しみのあまり――」
そこまで語って、ルチアははっとしたように、わざとらしく口元に手を当てる。
「あら、いけない。これ以上は、後のお楽しみにとっておきませんと」
そしてにこりと上品に微笑みかけたルチアは、内心で手ごたえを感じていた。
ダミアーノの美貌が僅かに苦そうに歪んでいる。
意図してそういった内容の演目を選んだわけではなかったが、偶然にもダミアーノにとっては耳が痛いであろう物語だったので、ルチアはそれを利用して彼の不快を誘うことにしたのだ。
「では、私たちはこれで失礼させて頂きますわ。早めに席へ着いて、婚約者と二人でゆったりとした時間を過ごしたいんですの」
きちんと礼をしたルチアだが、見せびらかすようにシルヴィオの腕にするりと細腕を絡ませた。
礼を返すダミアーノが苦笑いを浮かべているのを見て、ルチアは内心で“勝った”と独り言ちるのであった。
その日の公演は素晴らしく、終了と共に惜しみのない拍手喝采が送られ、それは長く鳴りやまなかった。
物語の中で、悲嘆に暮れた主人公の少女は湖に身を投げて命を落としてしまう。
それから数年後、その畔に咲く花に生まれ変わった彼女は、通りかかる家族――かつて愛した貴公子と、その妻と子供の姿を見かけるのだ。
幸せそうな彼の心の中に、自分の記憶など欠片も残っていないのだろうと、花になって声も出せない少女は嘆く。
だが最後に、貴公子が幼い娘の名を呼んだ時に知るのだ。
それは、死んだ少女と同じ名だった。
彼を愛して死んだ少女のことを、彼は悼んでいてくれたのだ。
途端に少女の中に彼への愛が溢れ、儚い夢をありがとうと、彼女は届かぬ感謝の念を抱く。
花が幼い娘の手に摘み取られるところで、物語は終わりを迎える。
叶わぬ恋の残酷さ、そして僅かな救い。
何より少女の健気な想いに、観客は涙した。
物語の中では少女は貴公子を恨まないが、観客たちにとっては、彼こそこの少女を苦しめた悪として映った。
脚本や演技への賛美に交じって、この貴公子を様々に罵る声が飛び交う終幕後の劇場を、ダミアーノは不愉快な気持ちで後にした。
二章第二十五話をお読みくださり、ありがとうございます!
ここまで週四回、決まった時間に投稿してきたのですが、最近体調が優れないため、今週は木曜日6時の一回だけお休みさせて頂きたいと思います。
いまいちなコンディションで書いていても、どうにも文章がおかしくなってきたり、誤字脱字が増えるもので、数日は構想を温めるだけにしたいと思います。
毎度楽しみにお待ちくださっている方には恐縮なのですが、何卒ご理解頂けますと幸いです。
次回投稿は21日の0時の予定です!
書きたいことがまだまだありまして、このままいくと二章は一章より長くなりそうな気配がありますが、今後とも広い心でお付き合いいただけますととってもとっても嬉しいです!




