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第24話 甘さに埋もれる不安

ルチアとシルヴィオは、海辺のレストランで遅めの昼食を摂っていた。

味良し、景色良し、店員の対応も良しの、文句の無い時間を満喫している。

案内されたのが窓辺の最も良い席であったことも、楽しい旅行気分を高めてくれた。

領主の家の令嬢とその婚約者であるとはわざわざ告げなかったが、どう見ても高い身分をうかがわせる身なりの彼らを、丁重に扱うのは店側としては当然の対応であったかもしれない。


海産物をふんだんに使った豪華なフルコースであるが、品目が多いわりに胃もたれしない工夫が見られ、女性のルチアでも綺麗に平らげられた。

後は、デザートの到着を待つのみである。


シルヴィオは窓の外のカモメを目で追っており、その頬が硝子に映る反転した彼の顔に触れそうだった。

その光景にふと、ルチアの記憶に前世でよく聴いた歌謡曲が蘇る。

このシルヴィオの仕草は、まるであの歌詞そのもの――彼女はそう思い至ったのだ。

思わず口ずさめば、シルヴィオが振り返った。


「珍しいですね、ルチア様がクラシック以外を口ずさむなんて」

「あら、シャワー中はたまに『勧進帳(かんじんちょう)』なんかも歌っているわよ?」


前世で長唄も嗜んだらしいルチアの多彩な教養には、正直言ってシルヴィオは気おくれする部分があった。

彼女の好む作品といえば、音楽にしても美術にしても歴史に残る名作ばかりで、流行り廃れの激しいジャンルに興味を示しているのを見たことがない。

それがいかにも、一流の完成度でなければ認めないといった厳格な感性をうかがわせ、ルチアに文化に関する話題を振るのをシルヴィオに躊躇わせる、ひとつの要因になっている。


サブカルチャーの話なども振ってみたいと大いに思っている彼だが、ルチアが所謂“初カノ”であるシルヴィオは、格好をつけたい盛りである。

彼女は婚約者の趣味を馬鹿にするような女性ではないとは思うのだが、彼の興味のある分野は格好をつけられるようなものではなので、明かすのがなんとなく恥ずかしかった。


この世界における流行歌とは、古き良き時代のヨーロッパよろしく、新作歌劇のアリアであったりすることが多い。

酒場でダンスと共にもてはやされるスタイルの流行歌もあるが、そちらは専ら庶民の間で知られるもので、貴族令嬢であるルチアの耳に触れる機会を得ることは難しいだろう。

よって、ルチアが何かを口ずさんでいれば、それはシルヴィオの耳にはことごとく“クラシック”にしか聞こえないのだ。


そんな彼女が先程口ずさんだのは、意外なことに前世の日本で聴いたような、少し古い節回しの流行歌のようなのである。


ルチアはもう一度、先程と同じ曲を口ずさんだ。

ゆったりとした速度の、語り掛けるようなメロディは、やはり年代を感じる。


「なんという曲なんですか?」

「この曲、知らない? 結構有名だと思ったけど」


ルチアは興味深げにシルヴィオを見遣って、


「ジェネレーションギャップね」


と結論付けた。


現世においては勿論彼らは一歳違いの同世代だが、ルチアの前世の享年とシルヴィオのそれとは大きく違う。

更に、彼らは前世でお互いがどの年代を生きていたのかも、話したことがなかった。

わかっているのは、乙女ゲーム『愛憎のシレア学園』が存在した時期に、それぞれ日本に生きていたということだけである。


「まあ、これは私の母が好きだった曲だから、それほど大きく歳の差があったかどうかはわからないけれど」


ルチアがすっかり前世の視点に戻って話をしている様子であることに、シルヴィオは少し寂しくなった。

彼の前世は短い生涯だったので、見てきた世界も狭い。

ルチアのように勤勉でもなかった彼は、博学ではないし、世代に関する話をできるほどの知識も無い。


「失恋ソングよ。今更こんなものに、共感もできないわ」


ルチアはシルヴィオに優し気な眼差しを向けて、幸せそうに破顔する。

共感できないというなら、何故そんなものを口ずさんだのだろうかと、シルヴィオは考え込まずにはいられない。


彼女が前世の恋で深く傷ついたらしいこと、そのトラウマを引き摺っていることを知ってはいるが、その詳細についてシルヴィオは聞いたことがない。

何があったのかずっと気になってはいたが、トラウマになるほどの体験について軽い気持ちで触れる訳にもいかず、彼は胸の中にこの(わだかま)りを抱えたままでいた。

前世は前世と割り切ろうとしてはみるのだが、こうして彼女自身が前世を切り離せていないのを見ると、尋ねたい気持ちが溢れてきて止まらなくなる。


「どうしたの?」


シルヴィオは難しい表情をしてしまっていたのか、ルチアが心配げに問いかけた。


「いえ。ただ、ルチア様のことを、ぼくはまだ何も知らないんだなって」

「あんなに尾行していたのに? 私の行動パターンも、歩き方の癖も、好きなものも、私以上によく知ってくれていると思うけれど」


安心させようと微笑みかけるルチアの言葉に、しかしシルヴィオは素直に慰められることができなかった。

今世のルチアのことをわかっていればいいと、そう思おうとしてきた。

けれど彼女を形作っている前世のルチアが、彼女の中に色濃く残っている限り、それを知らなければルチアを理解したことにはならない気がするのだ。


ルチア自身、日々トラウマと闘っているのだということは、シルヴィオも傍にいて感じている。

だからこそ、彼にはこのことに踏み入る勇気が持てない。

そんなことをしてまたルチアが傷ついたら、彼女はもう立ち直れなくなるかもしれない。

いつか、彼女のほうから話してくれるであろうか。


「もっと知りたいんです。ルチア様が、大好きだから」


熱を込めてそう伝えるのが、今の彼の精一杯である。

そうして正直な気持ちを言葉にすれば、ルチアは頬を染めて喜色を浮かべる。


「私もあなたが大好きよ。私の全部、落ちた髪の毛まで一本残らず、あなたのものなんだから」


愛するルチアにそう言われて、シルヴィオは顔が熱くなるのを感じた。


蕩けそうに甘い言葉を紡ぐルチアの気持ちに、偽りはないのだろう。

彼女はいつだってシルヴィオに甘く、献身的なまでに寛容だ。

そのこと自体に危うさを感じないではないのだが、溺愛される心地良さを知れば知るほど、敢えて淡白な対応を望めるはずもなかった。


だが何か、大切なことを見て見ぬ振りをしているような感覚は、ずっとある。

それに目を向けるのを先延ばしにすればするほど、正体のわからない不安が増大していく。

その正体に、気づけないのか、気づきたくないのか。

しかし彼は――そしてもしかすると()()は――、それすらもわからないままでいたかった。

今のこの甘さを壊してしまうリスクを負ってまで、手に入れたいものがあるだろうか。


「愛してるわ」


うっとりと夢見るような翡翠色の瞳にシルヴィオを映すルチアの、その艶やかな唇から愛の言葉が零れ落ちる。

ここがレストランで、人目があるなんてことも忘れてしまいそうなほど、ぼんやりとシルヴィオの感覚が麻痺していく。

ただ見つめ合って、何もかもを忘れて、ルチアを愛しいと思う心だけの存在になって、もう何も考えたくなかった。


「ぼくもです、ルチア様」


テーブルの上に置かれたルチアの白い手を握ろうと、腕を伸ばした時――。


「デザートのティラミスでございます」


幸か不幸か、店員がデザートを運んできた。


「ごゆっくりどうぞ」


若い女性店員は、恋人たちの時間を邪魔してしまった自覚があるようで、気まずそうに苦笑しながら礼をして去って行った。


「美味しそうだわ」


甘いものに目が無い女性は多い。

ルチアもその例に漏れないことを、シルヴィオは知っている。

だから恨まないし、ましてや嫉妬などしない。


しないのだ、ティラミスに嫉妬など。

――そう自分に言い聞かせる努力を、確かにシルヴィオはした。


「嫌だ……ルチア様の笑顔を盗られた」


ティラミスを前にこれ以上なく表情を輝かせていたルチアが、その呟きを聞き取ってはっとしたようにシルヴィオのほうへ視線を戻す。


「ぼくのだったのに……ルチア様ぁ」


結局、暗灰色の瞳に涙を浮かべて、シルヴィオは恨み言の二つ三つを堪えられなかった。

あんなにもうっとりと彼に愛を囁いていたルチアであるが、デザートが来た途端に一瞬でそちらに目を奪われ、さも嬉しそうに輝くような笑顔を向けるのだ。


「ぼくとデザート、どっちが好きなんですか!?」

「あなたとデザートでは、比べる対象にすらならないでしょう!?」

「それはつまり、ぼくではティラミスの足元にも及ばないと…!?」

「どうしてそうなるのよっ!!」


海辺の静かなレストランを、バカップルが少しの間騒がせた。

幸いにもロレンツォの咳払いでほどなくして我に返った彼らは、少しだけ小声で続きをやった後、また仲睦まじい二人に戻っていた。

二章第二十四話をお読みくださり、ありがとうございます!


やっと予約投稿できたあぁあぁあ!という心の叫びを上げております。

ちょっと体調を崩しておりまして、何やかやと執筆が遅れ気味になっておりました。

しかし、いつもと違う改行や字下げをするなど朦朧としてやらかしたりはするものの、物語は元気な時とさほど変わらず頭の中で展開されていくのが……日頃から如何に衝動のままに書いているかという証拠ですね!

幸せを目指すルチアたちの奮闘記、今後とも見守って頂けますと幸いです!

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