第23話 海辺の演技合戦
海辺の別荘へは、予定通りにきっかり二日で到着した。
道中、ブランディ侯爵家のものと思しき馬車は、ずっとつけてきていたが、ルチアたちは気づかぬ振りを通してそのまま追わせていた。
そこは王都の邸宅から離れているが、モンテサント公爵家の領内である。
トリスターノ王国の貴族は、少し変わった領地の治め方をしている。
名門貴族の当主とその子女はことごとく王都に邸宅を構え、基本的にそこで生活している。
領地が王都から離れている場合でも、軍事的に重要な場所に領地を持つ国境付近の貴族ででもなければ、当主は王都にいて王城にて何らかの役職を持ち、直接的な領地の管理は代理人に任せている。
ルチアはこれには首を傾げたものだが、おそらくこの世界が乙女ゲームの設定に沿っているためであろう。
シレア学園は全寮制ではない。
生徒たちが馬車で通ってきている、という設定がイベントの中に活きているのだ。
また、主人公が動ける範囲を王都に限定してゲームを進めるために、その狭い範囲内に全てのイベントの舞台を揃えておく必要もあったのだと考えられる。
おかげでルチアは、都会から少し離れた海辺の領地にある別荘で、夏期休暇を楽しめるわけである。
到着は昼過ぎ、一日で最も暑い時間帯に差し掛かろうという頃である。
馬車を降り立ったルチアとシルヴィオは、腕を組んで白い砂浜を歩いた。
少し距離を開けて、ロレンツォが彼らに付き従っている。
潮の香りが鼻腔をくすぐる。
寄せては返す波の穏やかな音と共に、水面の泡立つ輝きが押し寄せては引いていく。
愛する人と並んで歩きながらその風景を静かに見つめ、彼らは穏やかな幸福を噛み締めていた。
「綺麗な青ね」
「そうですね。ルチア様の瞳の美しさには敵いませんが」
「もう、あなたって時々そういうことを言うんだから」
甘い雰囲気を漂わせている彼らだが、こちらを窺う人影に既に気づいている。
その岩場は、モンテサント家の私有地のギリギリ外側である。
見晴らしの良い浜辺のことなので、数百メートル程度先の岩場の陰から覗いているその男は、全く隠れられていない。
ストロベリーブロンドの髪の生えた頭が、黒い岩からはみ出てこの上なく目立っているのだ。
シルヴィオなら、もう少し上手くやっただろう。
この尾行は二流以下だ。
「あら? あちらに、変わった色の岩が見えますわ。見に行ってみませんこと?」
ルチアが、隠れているその男に聞かせるように、わざとらしく言う。
「え、ええ……」
シルヴィオは、ぎくりとしながら頷いた。
彼女は迎え撃つとは言っていたが、この余裕綽々の婚約者がいったいどうするつもりなのか、彼は知らない。
綺麗な姿勢で紳士的にエスコートしながらも、内心は緊張で心臓が飛び出そうにバクバクと騒いでいた。
出るに出られず、動くに動けず。
岩場の陰にいるその人物は、近づいて来る二人をただじっと待ち構えるしかなかった。
岩場の近くまで来た時、ルチアはまたわざとらしく驚いたように声を上げる。
「まあ、あれはもしかして、岩ではなくて人の頭なのではなくて? どなたかが、岩に寄りかかって眠っていらしたのかもしれませんわ」
それは、解釈によっては助け舟のようにも聞こえる。
眠った振りをしてしまえば、そこにいた理由を言い訳できるだろう。
その人物が馬車から降りたのが、先程ルチアたちが降りたのとほぼ同時であることを彼らが知っているとは、彼はまだ思っていないのだ。
「では、起こしてしまっては申し訳ないのではありませんか?」
そこへ近づくほどに内心では臆病になり、シルヴィオは引き返したいという思いを込めて、ルチアの翡翠色の瞳に不安げな眼差しを向けた。
「そっと近づけば大丈夫ですわ」
しかしルチアは、諫めるように力強くシルヴィオを見返した。
これは、譲る気はなさそうである。
「もし眠っていらっしゃらなければ、お話を伺いたいんですの。我がモンテサント家の領地ながら、私はこの辺りのことに詳しくございませんもの。色々と教えて頂きましょう?」
その色々の中に何が含まれているのか、ルチアがまたあの不敵な笑みを浮かべたので、シルヴィオは冷や汗が背筋を流れ落ちるのを感じた。
ルチアが泣いたり、落ち込んだりしているよりは、こうして悪役ぶって元気でいてくれるほうがいい。
しかしシルヴィオは、こんなルチアを見る度に、得体の知れない不安を拭えなかった。
ちらりと後ろに視線を遣れば、ロレンツォが何も言わず淡々とついてきている。
そのことに、シルヴィオは僅かに安心した。
学園の外ならば、優秀な執事がこうして見守っているので、ルチアにとって悪いことはそうそう起こらないだろう。
岩場に辿り着くに、さほど時間は要しなかった。
ストロベリーブロンドの頭は、あと数歩で岩の裏側に回り込めるというところまで来ても、動かないままそこにある。
見つかったからには仕方がないと、観念しているのであろうか。
ごく静かな歩調で岩場の裏に回り込めば、思っていた通りの人物――ダミアーノ・ブランディがそこにいた。
彼の姿を見た途端、ルチアの口角が笑いたそうにひくついたのを、シルヴィオは目撃した。
そんなシルヴィオもまた、同じ衝動に耐えている。
ダミアーノの姿勢と表情が、何とも笑いを誘うのだ。
岩に凭れ掛かって座りながら片膝を立て、その膝に片ひじをつき、更にその上に斜めに傾けた顎を乗せている。
もう片方の足は海に向かって投げだすように伸ばされ、ヘーゼルの瞳は伏しがちな睫毛と共に物憂げな雰囲気を醸し出して、そのつま先の延長上、海の果ての地平線へと向けられている。
潮風が吹き過ぎる瞬間、左右非対称に伸ばした前髪を彼はこれ見よがしに掻き上げた。
要するにこの男、ものすごく格好をつけている。
このポーズをわざわざ取って待っていたかと思うと、ルチアとシルヴィオの頬と腹筋を堪えた笑いが痛めつける。
乙女ゲームの攻略キャラだけあって美男子なので、絵になるにはなっているのだが、しかしこれはスチルではなく、現実に目の当たりにしている風景なのだ。
「ごきげんよう」
噴き出してしまわないよう細心の注意を払いながら、公爵令嬢の仮面を被ったルチアがダミアーノに声をかけた。
「まあ、ダミアーノ様!」
そして、すぐにルチアは驚いているふうを装う。
すると物憂げなポーズを解いて、彼は貴公子らしい所作で立ち上がった。
「これはこれは、ルチア様」
ダミアーノは挨拶にルチアの手の甲に接吻し――ルチアは避けようとしたが、手を引っ込めるのが間に合わなかった――、その整った顔立ちに、さも彼女と出会ったことを驚いていると言いたげな表情を浮かべる。
「こんなところでお会いできるなんて」
続いて甘いはにかみ笑いを浮かべ、上目遣いにルチアを見つめてきたダミアーノに、ルチアは内心で吐き気を催した。
他の令嬢が相手ならば、華やかな美男子である彼のこんな表情に、少なからずくらりと来たかもしれない。
しかし今彼が相手にしているのは、残念ながら彼を毛嫌いしているルチアなのだ。
女性を魅了する彼の熟練の技術も、彼女相手には逆効果である。
取られた手を解放されてすぐ、ルチアは即座にそれを背に回して、後ろに控えるロレンツォに向かって手首の先をひらひらと振った。
優秀な執事は彼女の意を汲み、こっそりその手の甲をハンカチで拭った。
「驚きましたわ。我がモンテサント公爵家の領地の海辺で、いったい何をなさっていらしたんですの?」
声色には棘を出していないが、問いかけるルチアのその言葉の内容には、充分に険がある。
不貞によって婚約を破談にされたくせに、その相手の家の領内へのこのこと何をしにきたのかと、普通の感覚の持ち主ならそんな呆れと嫌味を感じ取ったであろう。
しかしダミアーノは、かなり精神が図太いらしい。
ルチアの言わんとすることなど全く察する様子もなく、瞼を伏しがちにまたもや物憂げな様子を演じて見せた。
「傷心旅行を……」
熱と悲しみを混ぜたような、切なげな眼差しがルチアに送られる。
夏の暑い日差しの下で、ルチアの白い肌にぞわりと鳥肌が立った。
ルチアたちをつけてきていたことは明かさず、ダミアーノなりの物語を演じるつもりのようである。
滑稽なのと気持ちが悪いのとで叫び出したいルチアだが、彼女は敵前でそんな醜態を晒すようなことはしない。
彼女もまた、気を許す僅かな数人に対している時を除いては、完璧な公爵令嬢を演じる女優なのである。
「まあ。おかわいそうに。好い関係だった淑女に、愛想をつかされてしまわれたのかしら?」
ルチアは白々しく同情して見せる。
勿論、ダミアーノの言う“傷心”が、ルチアとの婚約が破棄されたことを指していると、わかった上でのことである。
だがそこは、この若さで複数の女性に手を出して罪悪感も持たない、図々しいチャラ男ダミアーノである。
彼もまた、これくらいでは心が折れる様子がない。
「これはきっと、天がオレに与えた罰なのです。最も大切な女性を、その大切さに気付けずに傷つけてしまったオレへの……」
思い切り格好をつけて、ダミアーノは空を見上げた。
そのいけ好かないヘーゼルの瞳が流れる雲を追っている間に、ルチアは無防備になった顎にアッパーをかましてやりたい衝動を、なんとか耐えた。
「反省していらっしゃるなら、次に活かせばよろしいですわ。今度こそ、罰ではなくご褒美が頂けるような、真っ当な生活をなさいませ」
“ご褒美”、と言いながら、ルチアはシルヴィオの腕にしがみついて、その肩に頬を摺り寄せた。
ルチアだってヒーローたちを複数同時に攻略していた時期があり、褒められた生き方をしてきたと言えるわけではないが、今は敢えての棚上げである。
ダミアーノを窘めつつ、自分の婚約者を見せつける、嫌な女を演じるのだ。
「おっしゃる通りですね。オレの目を覚ましてくれる女性は、やはりルチア様のようです。けれど……もう、遅いのですね」
悲し気に、いじらしく、ダミアーノは涙を堪えるような素振りをしながらルチアとシルヴィオを見遣る。
正直言って、この派手な容姿の男には、似合わない仕草である。
そこで、徐にルチアはロレンツォに時間を尋ねる。
「あら、もうこんな時間。確かに遅くなってしまいましたわ。そろそろ昼食にしませんと」
ルチアは意地悪く、ダミアーノの言いたいことがわからなかったようにとぼけて見せた。
これは先程より露骨なのであるが、ダミアーノはその美貌に寂し気な微笑みを貼り付けたままで、ルチアの意図がわかっているのかどうかも読み取れない。
「では、私たちはこれで失礼させて頂きますわ。ダミアーノ様、我が家の領内でのご旅行、楽しんでくださいませ」
淑女らしく綺麗な所作で礼をしたルチアに倣って、シルヴィオも何も言わないままに礼をした。
そうして去っていく彼らは、背後からの突き刺さるような視線を感じていた。
「とんだ茶番だわ」
小声で呟いたルチアが何をしたかったのかは、シルヴィオにはわからない。
けれど、無言のまま尾行されているよりも、ほんの少し気持ちが楽になったような気はするのだった。
すみません投稿遅れましたああああ!!!
二章第二十三話も、お読み下さりありがとうございます!!
追記:いつもと違う改行スタイルで投稿していたことに気づき、数時間後に前回までのスタイルに合わせて訂正しました。怪訝に思われた方がいらっしゃいましたら、申し訳ございません! 訂正前のほうが本来、文章を書く際の正しいスタイルなのですが、個人的にこの物語は訂正後のスタイルでいくと決めておりますので、何卒ゆるい感覚で大目に見て頂けますと非常に非常に幸いです。




