第22話 追われたい悪役令嬢
夏期休暇を利用して、海辺の別荘へ行こう――そう言い出したのは、ルチアである。
彼女が誘ったのは家族ではなく、婚約者のシルヴィオだった。
とはいっても、貴族子女という身分である彼らには、勿論二人きりでということは叶わない。
互いの家の許可を得た彼らは、使用人をぞろぞろと連れて出発することになった。
その別荘までは、馬車で二日ほどかかる。
その間、一泊か二泊は、宿泊施設を利用する予定である。
「ロレンツォ、あの馬車。気づいてる?」
「はい」
道中、ルチアが不審な馬車の追尾に気づいて指摘すると、執事のロレンツォは耳心地の良い低音ボイスで短く答える。
「いつから?」
「一時間ほど前からです」
モンテサント公爵家を出発したのが約二時間前である。
同じ馬車の中で、そのやり取りをそわそわとしながら聞いていたシルヴィオは、隣にいるルチアの手をそっと取って握った。
ルチアを安心させるため、というよりは、シルヴィオのほうが不安になってそうしたように見える動作である。
「大丈夫よ。あなたのことは、今度こそ私が守るわ」
「ルチア様、それ、逆がいいです」
そうは言ってみたものの、シルヴィオにはどうやってルチアを守れば良いのか、この時点でさっぱり思い浮かんでいなかった。
ルチアを尾行していいのは自分だけである――と、不審な馬車に乗る何者かに言ってやったとしても、全く格好がつかない。
「ねえ、あれ、紋章を隠してはいるけれど…」
ルチアの言いたいことを察したロレンツォが、追って来る馬車に目を凝らした。
「…そのようですね」
二人が何かを納得してしまったというのに、シルヴィオだけがそれが何なのかを察することができず、彼は肩を落とした。
それに気づいたルチアが、シルヴィオに向かって口を開く。
「あれ、ブランディ侯爵家の馬車だわ」
「えっ!?」
ブランディ侯爵家といえば、言わずもがなルチアの元婚約者、ダミアーノの家である。
「どこかで撒きたいところだけど…。こちらの行先を予想されていたら、例え撒いてもあまり意味がないわ」
「行先を変更しますか?」
「どうせなら、こちらから接触してみてもいいわね」
ブランディ侯爵家の馬車が何のためにつけてきているかわからないのに、ルチアは随分と余裕のある表情をして言う。
シルヴィオにしてみれば、こちらから接触するなんて、思いつきもしなかった。
理由もわからず尾行されているなんて、得体の知れない恐ろしさがある。
――そこまで考えて、彼はルチアに対してずっとそういうことをしてきたのだと、今になって気づいた。
「あの、ルチア様」
「なあに?」
「申し訳ありませんでした」
「何が?」
突然謝るシルヴィオを、ルチアは心底不思議そうに見つめている。
僅かに首を傾げる仕草が幼く見え、聡明そうな美貌に女性らしい身体つきといった、どちらかと言えば大人っぽい印象を与えるルチアの容貌と相まって、所謂ギャップ萌えでシルヴィオは悶えた。
「どうしたのよ?」
「婚約者が可愛いすぎて死にそうです」
「死なせないわよ!?」
言いながら、まんざらでもなさそうに赤面しながら、ルチアも思わず口元が緩む。
「それで、何を謝ってたの?」
改めて問われて、シルヴィオは馬車の座席に正座した。
「な、何その姿勢」
「誠意です」
そう言って、そのまま馬車の座席に手をついて、シルヴィオは綺麗な土下座をした。
「申し訳ありませんでした」
「だから、何が!?」
座席に額を擦り付けるようにして頭を下げるシルヴィオ。
銀色の髪が馬車に揺られながら、窓から差し込む夏の日差しに輝いている。
「何、そんなに謝ることって何!?まさか、浮気でもした!?それとも私、今から振られるの!?」
ルチアは軽い混乱状態に陥った。
黙って見守っているロレンツォにしても、滅多に見せない戸惑いをその表情に浮かべている。
「ルチア様をストーカーしていたことです」
ばっと顔を上げて、シルヴィオは暗灰色の瞳から真っ直ぐ真剣な眼差しを注いで告げる。
「はあっ!?!?」
ルチアは、全く理解できないものを見る目でシルヴィオを見ている。
不審な馬車を見つけた時より、余程困惑している様子である。
「きっと怖い思いをさせてしまっただろうと…自分がつけられて初めて気づいたんです」
「今!?!?」
翡翠色の瞳の縁まではっきり見えるほどに、ルチアは瞠目して驚いた。
「あなた、ストーカーが本来は相手に恐怖心を与えることだって、今の今までわかっていなかったの?」
「なんとなくはわかっていたのですが…実感したことはなかったというか、もっと軽く考えてしまっていたというか…」
ルチアが婚約前のシルヴィオのことを思い返してみれば、確かに、良くも悪くも彼には悪気が無いような様子があった。
「それで、今気づいたの?」
「はい」
「今初めて、真剣に謝ってくれたのね?」
「その…。ルチア様を不快にさせてしまったとわかった時は、それについて心から謝罪する気持ちはあったのですが…。追いかけられる怖さについては、わかっていなかったといいますか…」
クスリと上品に笑って、ルチアは馬車の座席に手をついたままのシルヴィオの頭を撫でた。
「あなたはまだ、大切なことがわかっていないみたいね?」
「えっ!?あの、ごめんなさい、謝りますから教えてください!ぼくは何をまだ、わかっていないのでしょうか!?」
涙目で上目遣いに見上げるシルヴィオを、ルチアは目を細めて愛おし気に見つめた。
「私、あなたに追われるのは嬉しいのよ」
そう言って、ルチアはシルヴィオの銀の髪を優しく梳く。
「で、でもルチア様、以前もお叱りに…」
「あの時は、私もまだ自分の気持ちに素直になれていなかったから…。その後、ちゃんと伝えたつもりだったんだけど。ほら、手紙にも書いたでしょう?」
手紙、と言って、ルチアは自分で恥ずかしくなって頬を赤らめた。
彼女が以前したためた渾身のラブレターは、思い出すだけで気恥ずかしい内容なのだ。
「じゃ、じゃあ、ルチア様は――」
シルヴィオは、僅かに青ざめながら後ろの馬車を振り返った。
「ダミアーノ様に追われれば、ダミアーノ様のことを好きになってしまわれますか?」
悲壮な表情を浮かべて、シルヴィオは真剣に問いかける。
「はあ!?!?」
「だって…!」
「だっても何も!どうしてそんな発想になるのか、意味がわからないんだけど!」
秀麗な眉を顰めてルチアが怒鳴れば、シルヴィオが身を縮めながら更に涙を溜める。
「ルチア様をもっと追いかけていないと、誰かに盗られてしまうのではないかと不安で…」
大きく嘆息して、ルチアはシルヴィオの頬に手を伸ばす。
「私が追われて嬉しいのは、あなただけよ。当たり前じゃない?私はあなたが好きなんだから」
顔を真っ赤にしてはにかみ笑いをするルチアに、つられてシルヴィオも微笑みを返した。
「ゴホンッ」
忙しく表情を変化させる彼らを黙って見守っていたロレンツォが、わざとらしい咳払いをする。
「あら、ごめんなさいロレンツォ」
「いえ。お邪魔して恐縮なのですが、方針を定めませんと、今後の予定が立てられませんので」
「そうね」
頷いたルチアが、姿勢を戻してロレンツォのほうに向き直ったので、シルヴィオも土下座のために上がり込んでいた座席から足を下ろし、きちんと座り直した。
「追ってきているのは、十中八九ダミアーノ様か、彼の腹心でしょう。あんな人のせいで、シルヴィオ様と立てた予定を壊されるのは、あまりにも癪だわ」
「では、このまま参りますか?」
「ええ。来るというなら、迎え撃つわよ」
悪役令嬢らしい不敵な笑みを浮かべているルチアの横顔を、シルヴィオは不安な気持ちで見つめていた。
彼女がこの表情をする時、彼は彼女が手の届かないところにいるような気がするのだ。
それは、言葉にするにはまだはっきりしない朧げな感覚で、シルヴィオ自身にもその正体が掴み切れていなかった。
二章第二十二話をお読み下さりありがとうございます!
すみません、投稿がいつもの時間より数分遅れました!
とはいっても、予約投稿を使っていてもタイムラグが発生しているのをよく見るので、あまり違いはないかもしれませんが…。
時間ぴったりにチェックしてくださった方がもしいらっしゃったら、ごめんなさい!!




