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第21話 ヒロインによる攻略の行き詰まり

シレア学園に通う者たちにとって、試験が終わり夏期休暇が近いこの時期、誰もの気が少なからず緩む。

学園に漂う空気は平和そのもので、廊下で会話を交わす若き紳士淑女たちは、一様に開放的な表情をしている。

しかし、そんな中でも例外というものがあるのは、世の常である。


「どうしてですか、カルロ先生!?お約束したじゃありませんか!」


不躾なくらいに執拗に訴えかけるナナミに、カルロは何度も同じことを繰り返し述べていた。

そこそこ人目のある廊下で休み時間に騒がれて、正直に言えば迷惑な話である。

露骨に聞き耳を立てる野次馬こそいないが、通りかかった誰もが何かあったと思うだろう。

だがこの件に関しては、約束を反故にしたカルロの側に非があるので、邪慳(じゃけん)にすることもできない。


「申し訳ありません。昨日もお伝えした通り、個人的な事情で時間が取れなくなってしまいました。どうかご了承ください」


カルロがナナミを見る眼差しは、以前までと比べて一歩引いたような、どこか冷たさのあるものだった。

ナナミにはその理由が思い当たらない。

彼の期待通り、試験では良い結果を残した。

その際のカンニングも、バレている様子は無い。

それに、ルチア絡みの茶番についても、カルロはナナミの言い分を信じているはずなのである。


「あたし、とても楽しみにして頑張ったのに…。カルロ先生の嘘つき…」


ナナミは眦に涙を浮かべて、悲痛な表情をして見せる。

こうすれば同情と罪悪感を誘えるはずだ。


「僕の都合で、非常に申し訳ありません。ですが、どうしても都合できないことには変わりありません。心苦しいのですが、どうか仕方の無いことと理解してください」


けれど、カルロの主張は一貫しており、情に流されてナナミの希望に応えるような返事をすることはなかった。


「それでは、僕は授業の準備がありますので」

「あ、待って…!」


背を向けて歩み出したカルロが、ナナミの声に振り返ることはなかった。

取り付く島もない。


ナナミは両手の拳を握りしめて奥歯を噛んだ。

カルロとは、試験で良い結果を出せたら、二人きりで出かける約束をしていたというのに。

彼はそれを、やはり無かったことにしてほしいと言って来たのだ。

そればかりか、試験結果が良かったことを理由に、これ以上補習も必要無いであろうと、カルロはナナミにだけ行っていた補習までも終わりにしようと言い出した。


少なからず特別な感情を期待する程度には親しい間柄だと思っていたのに、彼の態度はここ最近で急変した。

恋人でもできたのか、それとも別の理由か。

いずれにせよ、ナナミには度し難い。


カルロが受け持つ数学の授業中、その視線が頻繁に一人の女生徒の上で留まっていることに、ナナミは気づいていた。

ルチア・ヴェルディアナ・モンテサントは、カルロの前でナナミに対していじめの事実を認め、詫びたはずである。

そんな事実は無いのであるが、カルロはそれを信じたはずだ。

なのに、何故彼の眼差しは、今になって不可解なほどの熱量を持って、彼女の上に注がれるのか。


(あの女、まだ何か企んでるわね)


仲良しごっこは終わった。

ナナミはあれ以来、ルチアとは会話していない。

新たな友人役には、流行好きの軽い付き合いのできる女生徒を選んで、日常の面倒は上手くやり過ごせている。


身分が相当上の相手では、分が悪いのはわかっている。

だが、ナナミは黙って負け犬人生を送る気はない。

彼女の順調だった学園生活をすっかり台無しにしたのは、間違いなくあの公爵令嬢ルチアだろう。

詳しくはわからないことも多いが、何より女の勘がそう告げている。


(何よ…!ヒロミちゃんとよろしくしてるくせに、他人の好きな人に色目を使って!)


ルチアがカルロに色目を使ったかどうかは、ナナミにとって知りようの無いことである。

それでも、あの美貌にあのスタイルが武器になることは、誰にだってわかる。

最も扱いやすい武器を持つ女が、それを活かさないなんて、ナナミには考えられないのだ。

彼女の前世が、そうであったように。


(どうせ、あたしに嫌がらせするために、カルロ先生に媚びたんでしょう!婚約者をいじめられた復讐のつもり?馬っ鹿みたい)


心の中で悪態をつきながら、ナナミはずんずん廊下を進んでいく。

教室に戻るだけだというのに、カルロから色好い返事をもらえないままに負けて引き返すその道のりが、至極不愉快に感じた。


(カルロ先生もカルロ先生よ!あんな可愛げの無い女に、騙される!?真面目もそこまでいけば考え物だわ!)


自分のことは棚に上げて、ナナミは忌々し気に舌打ちした。


(このまま引き下がってなんてやるもんか!見てなさいよ)


戦争を始めるなら、歴然とした戦力差のある状態がいい。

勿論、自分の側が明らかに強く、一方的に相手を甚振(いたぶ)り倒せるのが理想だ。

ルチアと闘わねばならないなら、この状況はそんな理想とは程遠い。

それでもナナミにだって、守りたい安寧の一つや二つはある。


ガラリと乱暴に教室の扉を開けた。

不愉快な公爵令嬢が他の令嬢と談笑している姿が、真っ先に視界に入る。


「――すると、重さとはエネルギーであると考えられるということですの?」

「そうですわ。日常で認知できるほどの現象は観測できませんけれど、なべて重量のあるものの影響で空間が曲がって――」


小難しい話を嬉しそうに繰り広げる、鼻持ちならない優等生。

こんな女のどこが良いというのか。

男はいつだって、少し馬鹿で褒め上手の女が好きなものではないのか。


「あら、マリエッタ様。その髪飾り、舞台女優のカーラ・レボラがしていたものの色違いですわね」

「まあ、ナナミ様。流石よく見ておいでですのね。そうなんですの。これは、先日の舞台鑑賞の際に――」


ナナミは新しい友人役と、女子学生らしい会話を交わす。

こうしていれば、ルチアに対し侮蔑と優越感を抱けた。


青春真っ盛りの少女時代に、夢も華も無い理論を延々と展開して喜んでいるなんて、全く憐れではないか。

美しく着飾って、愛らしく見せてこその女である。

所詮いつかは枯れる花なら、今をこそ見せ場と謳歌しない手はない。

物理だか何だかわからないが、世界のどこかで起こっている(あずか)り知らぬ現象をどうこう言って、日陰に地味な花を咲かせるような会話に満足しているなど、ナナミからすれば滑稽でしかない。

流行の色に塗った爪を撫でながら、理解不能の現象について興味深げに話し続けるルチアとロベルタを、ナナミは密かに嘲笑っていた。


ナナミにそれが相対性理論の一端だと理解するだけの知識があれば、あるいは彼女は敵の正体に近づけたかもしれなかった。

この世界ではまだ誰も提唱したことのないその理論を、一介の女子学生が楽しげに語らっているその情景は、ルチアが前世から知識を持ち込んだ証なのである。


だが残念なことに、ルチアもまた同じ転生者であるなどとは、ナナミは考えてみたこともなかった。

この時、代わりのように彼女の頭にぼんやりと浮かんだのは、敵の敵は味方になるかもしれないという、まだ具体性を伴わない発想のみなのである。

二章第二十一話をお読み下さり、ありがとうございます!

この物語はもうすぐ夏休みですが、私は寒くてすっかり風邪気味です。

皆様もご自愛くださいませ!

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