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第18話 ヒロインと悪役令嬢の取引

ナナミ・ルアルディとルチア・ヴェルディアナ・モンテサント。

乙女ゲーム『愛憎のシレア学園』のヒロインと悪役令嬢が、穏やかでない雰囲気の中、二人きりで対峙している。


これがゲームであれば、紛れもなくこのシーンは山場の一つだっただろう。

彼女らが生きているこの世界はゲームなどではなく現実で、そして彼女らの中身は前世の記憶を持つ転生者なのであるが、それでもやはりヒロインと悪役令嬢というのは相容れない存在なのかもしれない。

実際に今この状況は、この件の山場と呼べるだろう。


シレア学園の数学準備室という小さな空間で、ナナミはルチアの不可解な言動に怯えていた。

しかしそれを表面に出しはしない。

女同士の闘いというものは、ほとんどの場合拳では決まらない。

舐められたら負けの精神勝負なのである。


「ルチア様、どうしてあんなことをおっしゃったんですか?」


困ったように眉尻を下げながら、驚いていると言いたげな素振りでナナミは問いかける。

ルチアの出方を見るまでは、こちらからなるべく情報を出さないつもりでいるのだ。

低い可能性だが、もしルチアが実際にナナミに対して嫌がらせにあたる行為をしていたと思い込んでいるなら、それに乗ってしまっても良い。


「あら。ナナミ様は、私の酷い仕打ちに苦しんでいると、メルカダンテ先生にご相談なさったのでしょう?」

「そんな言い方をした訳では…」


ナナミがルチアの様子を窺えば、謝罪していた先程までのような申し訳なさげな表情は、既に消えている。

代わりのように彼女の美貌に浮かび上がっているのは、悪役顔の彼女に良く似合う、不敵な笑みだった。

これは、上記の思い込みの線は薄そうである。


「あたしはただ、お友達関係があまり上手くいっていないって、ご相談しただけです。ほら、あたし馬鹿だから、時々ルチア様のお話についていけなくて…」


しょんぼりとしおらしく、ナナミは肩を落として見せる。

しかしルチアは、相変わらずの不敵な笑みに、更に嘲笑を上乗せして滲ませる。


「隠し立てなさらなくてもよろしくてよ。メルカダンテ先生からお聞きしましたの」


美貌の公爵令嬢の上がった口角と、冷ややかな眼差しに背筋が凍る。


「私のことが怖いと、震えながらおっしゃったのでしょう?それはつまりいじめということかと問えば、ナナミ様が頷かれたと、そう伺っておりますわ」


カルロは全て話してしまったようである。

これでは、逃れようがない。


ルチアの様子を見るに、彼女が自分の言動を省みて本心から謝罪したとは、考えられない。

ならば何故――。


「ナナミ様は、メルカダンテ先生の気を引きたかったのでしょう?慕っておいでなんですものね。その乙女心は、理解できましてよ」


突如として表情を和らかく崩し、ルチアはナナミに微笑みかけた。


「ご協力して差し上げてもよろしくてよ?」


もしかすると本当に、友情から彼女は申し出ているのだろうか。

ナナミは緊張を解き、甘えるような視線を向けた。


「そうなんです、ルチア様!いじめられているなんて、嘘ついてごめんなさい!あたし、お友達のルチア様に本当に酷いことをしてしまったと思って、ずっと悩んでいたんです!」


悩んでなどいなかった。

悪役顔の令嬢をいじめっ子にキャスティングして、影で笑っていた。

しかし、嘘も方便である。


「でも、でも、ルチア様が優しくてよかった。これからもお友達でいてくださいね?」


目に涙を浮かべて、安堵したというように胸に手を置き、上目遣いにルチアを見上げた。

すると彼女の微笑が、急に真顔に変わった。


「私、あなたをお友達だと思ったことは、一度もございませんの」


狭い室内に、ルチアの冷淡な声が響く。

ナナミは返す言葉が見つからず、しばし沈黙が流れた。


ナナミも、ルチアのことを本当の意味で友人だと思ったことはない。

友人関係というものはナナミにとって、学園でのヒエラルキーを左右するツールのようなものなのである。

ルチアに真っ先に話しかけたのは、彼女が学級で注目される強い立場にあるであろうと、一目で判断したからだ。

その判断は間違ってはいなかったが、残念ながらルチアとは決定的に気が合わなかった。


「だったらどうして、協力するなんて言うの?」


ナナミは最早、令嬢らしい言葉遣いに気を配っている余裕を失くしていた。


「条件があるわ。あなたと取引をしたいの」


ルチアもまた、公爵令嬢の仮面を脱ぎ捨てた。

ナナミは砕けた言葉遣いになったルチアに驚きながらも、ここで負けてはならないと神経を張り詰める。


「断ったら?」

「メルカダンテ先生に真実を話すわ」

「でも、先生はあたしと仲がいいから、あたしを信用してくれるかも」

「証拠があっても?」

「証拠?」


有るものの証明はできても、無いものを証明することはできない。

いじめがないということを、ルチアはどうやって証明するつもりなのであろうか。


「あなたがシルヴィオ様をいじめている証拠よ」


絶句した。


「…あいつ、告げ口したの?」

「いいえ。シルヴィオ様はひた隠しにしていたけれど、私は証拠を持っているの」

「証拠って何よ?」


ナナミがシルイヴィオをいじめている証拠。

そんなものが本当に存在して、カルロにそれを見せられてしまったら、せっかく良い感じになっているのが台無しである。


「それを教えてあげるには、交換条件があるわ。あなたが握っているシルヴィオ様の弱みは何?それを教えてくれたら、私も証拠が何かを教えてあげる」


ナナミは、ルチアを値踏みするように見据えた。

交換条件と言いつつ、こちらが教えたところで白を切られては困る。

しかし、ルチアの翡翠色の瞳の凍るような視線を受けて、怯んでしまった。

悔しいが、あちらのほうが何枚か上手なのだろうと、この気迫だけで感じる。


「…落書きよ。あいつが描いてた下品な絵」

「それを今持っている?」


ナナミはここで、ひとつ楽観的な可能性に思い至った。

ルチアは、ナナミが彼女の婚約者をいじめていたことを怒っているに違いない。

しかし、その婚約者のことを嫌いになってしまったなら、その怒りはどうなるか。

シルヴィオに失望して彼のことがどうでもよくなれば、ナナミのしたことはこの場では不問になるのではないか。


「見せてあげる」


こんなものを見れば誰だって、百年の恋も冷める。

変態の変態による生々しく気持ちの悪い絵なのだ。

ナナミは嬉々としてその紙片をポケットから取り出した。


「…そう。シルヴィオ様ったら、これを隠したかったのね」


しかし、その絵を見たルチアは、涼しい顔をしている。


「あんた、これ見ても何も思わないわけ?」

「そうね。男性ってそういうものだと思っているし」

「はあ!?」

「シルヴィオ様は、自分を犠牲にして私を守ってくれていたのね」

「何言ってんの!?」


思っていた反応と全く違う。

ルチアは相変わらずナナミに冷たい視線を向けている。

ナナミには、この女が理解できなかった。


「約束通り、証拠が何かを教えてあげるわ」


ナナミは身構えた。


「あなたの靴の裏を調べれば、擦り減り方も全て一致するでしょうね。彼の制服のブレザーについていた、土の足跡と。私はあれを、粘着テープでしっかり取っておいたわ」

「そんなの…!」


今の靴を捨てて新調すれば、隠滅できる。


「ええ。その靴を処分されれば、これだけでは弱いわね。けれどもっと決定的なことがあるわ。目撃者がいるの」


どきりと心臓が嫌な音を発てる。


「でも、そんなの、ルチア様に口裏を合わせてるだけって言えば――」

「一人じゃないわ」


ナナミは言葉に詰まった。

目撃者が複数いるとなれば、分が悪い。


「あなた、彼にタバコで火傷を負わせたわね?」

「それは…」

「立派な犯罪よ?」

「……」


その場面を目撃されていたとすれば、非常に不味い。


「この件、メルカダンテ先生に伝えるだけではなくて、法廷に持ち込んでもいいんだけど」

「…要求は何?」


ルチアは、取引をしたいと言ったのだ。

ならば、彼女の要求を呑めば、最悪の事態は避けられるはずだ。


「それ、今ここで私に引き渡して頂戴。それの存在を一切口外しないで。そして、シルヴィオ様に二度と近づかないで」


ナナミの手の中にある紙片を指して、ルチアが言う。


「そうすれば、見逃してくれるの?」

「今後一切、あなたのシルヴィオ様に対するいじめについて口外しないであげるわ。訴訟も起こさない。目撃者に口止めもしてあげる」


ナナミは、手の中の紙片をルチアの前に突き出した。

気持ちの悪い落書きを眺める趣味は無い。

これは、単に玩具(シルヴィオ)を脅すための種にすぎない。

紙片ひとつで最悪の事態を避けられるなら、迷う必要はなかった。


「確認だけれど、あなたが握っている彼の弱みはこれだけ?」

「そうよ」


ルチアは紙片を受け取りながら、ナナミの目を注視した。

嘘を吐いても見抜かれるであろう、厳しい視線である。


「私が言ったこと、忘れないでね。もしまたシルヴィオ様に近づいたら――」

「あんな奴、どうでもいいわよ」


吐き捨てるようにナナミは言った。


「そう。さっき言った条件を守ってくれる限り、私があなたをいじめるいじめっ子ってことでいいわよ」


にこりと笑むルチアの表情に、温かみは欠片もなかった。


「わかったわ」


ナナミは奥歯を噛み締めながら、不機嫌を露わに席を立った。

そして振り返りもせず、数学準備室を出て行く。


お友達ごっこは終わりである。

二章第十八話をお読みくださり、ありがとうございます!

この物語に出て来る女性キャラは、みんな歪んでますね(笑)

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