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第17話 ヒロインの困惑

試験期間が終わって数日後のその日、ナナミ・ルアルディは上機嫌であった。

最近は、せっかく見つけた良い玩具(シルヴィオ)との接触を偶然妨げられることが多く、いじめ(趣味)を思うように楽しめていないが、まあ良しとする。

何せ、もっと楽しみなことが近づいているのだ。


試験結果が良ければ、お気に入りの数学教師カルロ・メルカダンテとデートができるはずなのである。

そしてナナミには、充分な得点を叩き出す自信があった。

カンニングは、前世から彼女の得意中の得意なのである。


「カルロ先生とのデート、何を着て行こうかな」


放課後に鼻歌交じりに廊下を歩いていたその時、丁度思い浮かべていたその人と出くわした。


「あ、カルロ先生!」


元気いっぱいに笑みを浮かべながら、小走りに駆け寄る。

いつもより少し硬い微笑を浮かべて、カルロの視線がナナミに向けられた。

その表情を、これから彼女をデートに誘うため、緊張しているのかもしれないと、ナナミは解釈した。


「ルアルディさん。試験、お疲れ様でした」

「ありがとうございます! もう採点は終わっているんですか?」

「ええ、一通りは」


期待を込めた眼差しで、ナナミはカルロの半月型の下縁眼鏡の奥にある、深緑の瞳を真っ直ぐに見つめる。

褒められることを信じて疑っていないのだ。


「よく頑張りましたね。予想以上に良い結果で驚きました」

「あたし、一生懸命頑張ったんです」


ナナミはわざとらしいほどのドヤ顔をして見せ、その後すぐ照れと恥じらいを綯い交ぜにした表情を浮かべる。


「それに、カルロ先生がとても丁寧に教えてくださったから」


僅かに頬を染めて、ナナミは上目遣いにカルロを見上げ直した。

計算し尽くした仕草である。

これでカルロは自分に見惚れて、その理知的な美貌がはにかむ――はずであったが、彼の表情は何かまだ硬い。

たかがデートに誘うだけで余程緊張しているのであろうと思うと、この年上の美男子が愛らしいとすら思われた。


「ルアルディさん。お話があります」


随分と改まった様子で、カルロは真剣な表情で切り出した。

こういう真面目過ぎる男性というのも、なかなか萌えるとナナミは思った。

勿論、ただし美男子(イケメン)に限る。


「はい、先生。何でしょうか?」


とぼけてみせるが、ナナミにはわかっている。

カルロは彼女と二人きりで出かけようと言い出すに決まって――。


「先日相談を受けた件で、僕のほうでも調べてみたのです」


憶測が外れて驚くと共に、ナナミは嫌な緊張に鼓動が速まるのを感じた。


持ち掛けた相談事、つまりルチアにいじめられているというのは、真っ赤な嘘だ。

繊細な話を打ち明けることでカルロともっと親密になり、またいじめられていると言って庇護欲を掻き立てようとしたのみである。


ルチアを選んだのは、もしいじめの事実は無いと知れても、彼女が身分に物を言わせて揉み消したと言い通せると踏んだからだ。

それに、親密にしているルチアなら、あちらにこのことを悟られて動きがあった際にも、打つ手はある。

更に言うなら、あの優等生は美人だが、悪役顔だと密かに思っていたのだ。

ナナミはぴったりの配役(キャスト)だと一人の時に笑っていたものである。


「あの…先生は、大丈夫でしたか?あれだけの身分の方なら、何でもできてしまいますから…」


カルロを気遣う素振りで、ナナミは彼を見遣る。

真実が露見したのではという自分の不安な表情を、別の懸念のためのものとしてカモフラージュするには、良い作戦のはずである。

しかも同時に、彼女の身分をちらつかせることで、“揉み消し”を想起させようという腹である。


「僕は大丈夫です。ここでは何ですから、よければ今から準備室へ来て頂けますか?」

「ええ…」


不安は残るが、カルロと二人きりになれるならば断わるという選択肢は無い。

上手く流して、その後でデートの誘いを引き出せばいい――と、頭の中はまだ彼と出掛けることでいっぱいである。


長身のカルロの背中に揺れる、赤い髪を見つめながら廊下を歩いた。

赤毛というのは前世ではダサいと思っていたが、彼を一目見た時にその考えを改めた。

冷静沈着に見えるインテリ系のカルロに映える、燃えるような赤毛はその内に秘められた情熱を想像させる、素晴らしいアクセントである。

つまり髪の色そのものより、結局美男子であるかどうかが重要なのだとわかった。


「どうぞ」


数学準備室の扉を開けて、カルロはナナミを中へ促した。


「はい、ありがとうございま――」


扉を開けてもらったことに礼を述べつつ、中に入ろうとしてナナミは足を止めてしまった。

予想もしなかった先客がいたからである。


「ルチア様…!?」

「ごきげんよう、ナナミ様」


いつもカルロが腰かけている椅子に、公爵令嬢ルチア・ヴェルディアナ・モンテサントが腰かけていた。

ナナミが入室すると、さっと立ち上がってルチアは淑女らしい美しい所作で礼をする。

このいかにも貴族といった振る舞いが、ナナミはいけ好かないと思っていた。


「座ってください、ルアルディさん」


カルロに席を勧められ、ナナミは他にどうすることもできずに示された椅子に座った。

自分が小刻みに震えているのがわかる。

傍から見れば青ざめてもいるかもしれない。


まさか、ルチアとカルロの両方と同時にこの話題をせねばならないとは、思っていなかったのだ。

片方ずつと話すなら、それぞれに都合の良いことを言って誤魔化せた。

しかしこうなっては主張を一本に絞るしかなく、どちらかとの関係は捨てるしかない。


(公爵家に睨まれるのは痛いけど…カルロ先生を諦めるのは辛いし…)


考えが甘かったと認めざるを得ない。

ナナミは、やらかしたと自覚した。


「あの、ルチア様…」


おずおずとルチアに声をかける。

彼女がこの件についてどんなふうに聞いているか、わからない。

もしカルロが相談内容を伏せてくれていたなら、まだ救いはあるかもしれない。


「ナナミ様。申し訳ございませんでした」

「…え?」


ルチアの口から謝罪が紡がれ、ナナミは困惑する。


「私の傲慢な振る舞いのために、ナナミ様がそうまでお心を痛められておいでだったなんて、考えが至りませんでしたの。反省しておりますわ」


ルチアはその場で頭を下げた。

ナナミには意味がわからない。

ルチアからの嫌がらせ行為に困っているなんて、ナナミの作り話なのだ。

彼女はいったい、何に対して反省しているというのか。


「ルアルディさん、許して差し上げてくださいますか?」


カルロまで意味のわからないことを言う。

否、彼の目にはいじめっ子のルチアが謝ったという情景が映っているに違いないのだから、この問いかけはおかしくはない。


「彼女は、高貴な身分故に甘やかされて育ち、ご友人に対しての振る舞い方がわからず、酷いことをしてしまったと省みておいでです。こうして謝罪してくださいましたし、今後ルアルディさんを困らせるようなことはなさらないでしょう」

「は、はあ…」


ルチアはカルロにそんなふうに言ったのか。

いったいどういうつもりなのか、不気味である。

ナナミがカルロの気を引こうとついた嘘を見抜いた上で、美しい友情のために、ナナミに話を合わせてくれているとでもいうのだろうか。


「あの、あたし…」


許します、という言葉がすんなり出て来ずに、口ごもる。

ルチアが一芝居打ってくれているとして、その心境がわからないまま下手な発言で機嫌を損ねて、本当のことをバラされてしまうのは怖い。


「僕がいては話しづらいこともおありでしょう。席を外しますから、お二人でよく話し合ってください」


まるでナナミの心が読めているかのようにそう言って、カルロは数学準備室を辞して行ってしまった。


「あ…」


どうしていいかわからないままに、ナナミはそれを見送る。

そしてルチアのほうを向き直った時、彼女の秀麗な口元が笑みを形作っているのを見て、ぞくりと背筋に悪寒が走った。

二章第十七話をお読み下さり、ありがとうございます!

今回はナナミ視点でした。この場面の続きは回を跨いでになりますが、またお付き合い頂けますと嬉しいです!

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