第15話 ヒロインの断罪方法
春が過ぎるのは早い。
青々と茂る草木を照らす日差しは日に日に強まり、あっという間に初夏である。
様々な問題を抱えているルチアであったが、最も優先すべきと判断したのは、婚約者がいじめられているという件である。
シルヴィオは相変わらず、この件について自ら口を割ろうとしなかった。
これにはルチアは苛立ち、何度もシルヴィオを問い詰めたのだが、それも虚しく彼は謝り倒すのみである。
余程言えないような弱みを握られているのだろう。
シルヴィオをいじめているのが誰なのか、ルチアには既に察しがついていた。
髪の特徴と靴のサイズがわかっているのだから、それに当てはまる数人の女生徒の素行を調査するくらい、公爵令嬢ルチア・ヴェルディアナ・モンテサントにはわけのないことである。
特に昼休みが主にいじめの行われている時間帯と考えられたので、その時間の行動が頻繁に掴めなくなる生徒が怪しい。
ルチアには協力者もいた。
いじめの現場および痕跡の目撃者であるオルランドとレナート、そしてルチアの味方を自称するロベルタとその婚約者のアドルフォである。
オルランドは、いじめの内容が傷害罪に当たることにまで及んでいるため、この件は公の機関に委ねるべきだと提案したのだが、ルチアはそれを良しとしなかった。
シルヴィオが握られている弱みが明るみに出れば、彼の将来が脅かされる可能性もある。
その判断がつかないうちは、自分たちの手で情報を集めたいというのが彼女の願いだった。
また、いじめの被害者であるということが貴族社会に知れれば、その印象は今後一生ついて回る。
自らの手で報復しなければルチア自身の怒りに治まりがつかないということであれば、友人たちはそのような馬鹿な真似はやめるようにと諭したであろう。
しかし彼女の主張はあくまでシルヴィオを守るためというものであり、これに反論する者はいなかった。
ルチア本人および友人たちの巧妙な調査の結果、調査されている数名の女生徒には勘づかせることなく、彼らはひとりの容疑者に辿り着いた。
彼女の名はナナミ・ルアルディ。
ルチアの友人として振る舞いたがる、編入生である。
昼休みに行方が掴めなくなることがあるという点以外にも、彼女がタバコを所持していたこともわかった。
シルヴィオにつけられた火傷痕のことを考えれば、ナナミで間違いないと思われる。
乙女ゲーム『愛憎のシレア学園』ではヒロインであるはずの彼女だが、この件に関しては悪役のようだ。
「それでルチア、どうするんだ?」
問いかけたのはオルランドである。
ルチア、オルランド、レナート、ロベルタ、アドルフォの五人は、昼休みの屋上に集まって話をしている。
「現場を押さえるのが最も簡単な方法でしょうけれど、その場で握られた弱みを暴かれたら、きっとシルヴィオ様が傷ついてしまいますわ。あれほど隠しておいでですもの」
ルチアが婚約者を溺愛しているのは今更言うまでもないのだが、彼の心情第一のこの言には友人達は少々呆れた。
傷跡を負わせるようないじめにまで至っていることを考えれば、そんな悠長なことを言っている場合ではないのだ。
「しかしルチア様、彼の安全確保が最優先ではありませんか?」
アドルフォがそう言えば、皆首を縦に振って同意を示した。
「その点につきましては、既に手を打ってございますのよ」
ルチアがロベルタに目配せすれば、ロベルタは眼鏡の奥で目を細めて、口を開く。
「ナナミ様はお昼は人気者なんですの。ここしばらくは、教室から出ていらっしゃいませんわ」
愉快気に述べたロベルタの言葉に、皆が理解した。
つまりは、ルチアとロベルタでナナミの側を教室に引き留め、シルヴィオに接触させないようにしているのである。
これなら、いじめの件には触れずに彼を守ることができる。
「ルチア様がどうしてもシルヴィオ様の弱みを暴きたくないということは、よくわかりました。ですが、どのようになさるおつもりですか?」
問いかけたレナートに、ルチアは上品に微笑みかけた。
「感情的な報復行為は看過しかねるぞ」
諌めるオルランドにも、ルチアは頷いて微笑む。
「取引をしようと思いますの」
ルチアはそう切り出した。
ロベルタは楽しくて仕方がないというように笑っているが、他の者達は訝しげにルチアを見遣るばかりである。
「ナナミ様の欲しいもの、そして弱みを、私は存じておりますのよ」
不敵に笑うルチアに対し、アドルフォが物言いたげに口を開いて閉じる。
すると代わりのように、オルランドが口を開いた。
「同じやり方で返してはいけない。君までそんな行為に手を染めるのは――」
「あら、私は弱みを種に痛ぶり続けるようなやり方なんて、致しませんわ。お互いにとって利のある取引を持ちかけるつもりですの」
ルチアが何をしようとしているのか、その場の者達には測りかねた。
ただ一人ロベルタだけは、怜悧な眼差しに期待と高揚を浮かべている。
「私を信じてどうか任せてくださいませんこと?皆様のことは信頼しておりますが、婚約者が傷を負いながらも隠し通そうとする弱みを曝け出す危険のあることは、したくありませんの」
翡翠色の瞳が、真摯に真っ直ぐ全員の瞳を順に見据えた。
「シルヴィオ様は、私が守りますわ」
ルチアの強い意思と、シルヴィオへの愛情を感じ取った皆は、自然と深く頷いていた。
「こんなにもご協力くださった皆様には、心から感謝しております。後日是非、お礼をさせてくださいませ」
「礼なんかしてほしいわけじゃない。俺たちはルチアの幸せを願っているだけだ」
オルランドがそう言うと、ロベルタが僅かにクスリと笑った。
彼女だけはルチアに攻略されたわけではなく、友情半分と野次馬根性が半分で、ルチアの味方という立場を楽しんでいるのだ。
だからといって信用ならない友人かと言えば、そんなことはない。
手の内を明かしたルチアを裏切るような勝負にもならない勝ち方は、ロベルタのプライドが許さないということを、ルチアはよくわかっている。
「ありがとうございます。上手くいきましたら、必ずご報告致しますわ」
それを合図に、この場は解散となった。
屋上から校舎へ繋がる扉の内側へと、皆の後ろ姿が順々に消えていくのを、ロベルタはまだうっすらと微笑んだまま見送っている。
「あの、ロベルタ様」
おずおずと呼びかけるアドルフォは、もの言いたげである。
「あら、何ですの?」
とぼけてみせるロベルタは、内心では最近のアドルフォの察しの良さに感心していた。
屋上に二人きりになったのを見計らって、アドルフォが口を開く。
「覗き見は、あまり良い趣味だとは思いません」
「まあ、あたくしは偶然通りかかるだけですわ」
更に抗議しようと口を開いたアドルフォを、ロベルタは凍るようなアイスブルーの瞳で見据えた。
その視線に射竦められたアドルフォは、逞しい体躯をふるりと震わせて口を閉じる。
「偽りの無い素直さだけでは、守り通せないものもございますのよ。ルチア様がそうしようとなさっているように、大切な方をたばかって汚れ役を引き受けることも、時には必要ですわ」
ロベルタがアドルフォを前に本心を語っている。
彼女の冷徹なまでに全てを割り切ったような眼鏡の奥の瞳は、この上なく真摯だった。
婚約者として、友人として長く傍にいるが、彼は以前はこんな彼女の素顔を見たことがなかった。
ようやく信頼関係が成り始めようとしているのだと思えば、彼はそのことを嬉しく感じる。
「ルチア様は聡くていらっしゃるけれど、見た目以上に感情的なところがおありですわ。予期せぬ出来事に動揺なさって、足元を掬われそうな危うさがおありですのよ」
だから覗き見――否、見守るつもりなのだと。
ロベルタがそう言いたいことが、アドルフォにもわかった。
「その役は他の皆様には相応しくない。ルチア様を守るのはあたくしよ」
友情というよりは、闘志のような炎がロベルタの瞳に宿っている。
その苛烈さは尋常なものとは思えず、アドルフォの中に以前抱いた疑念が再発した。
「やはりロベルタ様は、ルチア様のことを…」
優しく目を細めて、アドルフォは婚約者に微笑みかけた。
「慕っておいでなのですね」
「違いますわ!」
脳筋だと侮らずに婚約者に本心を打ち明けるという選択をしたことを、ロベルタは呆れと共に後悔した。
二章第十五話をお読み下さり、感謝申し上げます!
アドルフォは婚約者がルチアを好きであってほしいのか、そうでないのか…(笑)




