第14話 転生悪役令嬢のトラウマ
初めて編み上げたマフラーを手に、彼女は微笑んだ。
時期は十月、渡すにはまだ早い。
編み物なんて初めてするので、どのくらいかかるかわからず、少し早めに始め過ぎたのだ。
それだけ、浮かれていた。
初めての恋人だった。
それも、恋愛経験の無かった彼女が、大人になってから勇気を出してお付き合いした相手である。
社会人である彼女に対し、彼はまだ学生ということで、デート費用などは彼女のほうが持つ場合が多かった。
遠距離恋愛だったが、いつも彼女のほうが彼に会いに行く形であった。
学生の彼に無理をさせたくないと、彼女は心から思っていたし、それを不満に思ったことはなかった。
マフラーを贈ろうと思いついたのも、そういう事情からである。
誕生日には少し高価なものを贈ったので、クリスマスにまでまた高価なものを贈れば、同じような価格帯のものを返せないであろう彼に気を遣わせるだろうと思ったのだ。
その点、手編みのマフラーなら良い素材を使っても原価は抑えられるし、心がこもっているので手抜きでもない。
彼のことを想うが故の、渾身のチョイスだった。
その頃は、彼は試験のために忙しい様子だった。
彼女はなかなか連絡の取れない寂しさを、彼に贈るマフラーを編むことで紛らした。
時々連絡が取れれば、それはもう甘い言葉をくれたので、頑張っている忙しい彼が少しでも暖かく冬を過ごせるようにと、心から願いを込めて編んでいった。
慣れない編針を必死に動かし、失敗する度に解いて編み直し、初めての編み物はすんなりとはいかなかったし、時には夢中で徹夜していたこともあった。
けれど彼女は、彼にマフラーを編んでいることを言わなかった。
プレゼントの中身というのは、開ける時まで秘密にしてこそ、中身を知ってもらったときの喜びが増すものだと思っていたのだ。
クリスマスは忙しくて会えないかもしれないと言われていた。
彼女は素直に信じていたし、仕方がないと思っていた。
贈り物は、郵送でもいい。
心のこもった手紙を添えて、忙しい彼にはどうか同じような手間暇をかけることはせず、勉強に集中してほしいと伝えようと。
聞き分けの良い彼女のつもりでいた。
連絡が取れる頻度が減っていたので、次に連絡が取れたら住所を尋ねようと思っていた。
彼は実家暮らしで、家族には恋人がいると伝えていないのでバレると恥ずかしいと、思春期のようなことを口にしていた。
だから、彼女は今まで彼の家を知らなかったのだが、クリスマスプレゼントばかりはどうしても受け取ってほしかった。
それに、ちょうどマフラーを編み始める時、クリスマスプレゼントを受け取ってくれると約束もしたのだ。
完成したマフラーをもう一度眺めた。
売り物ほど出来は良くないが、身に着けるのが恥ずかしいほど歪ではない。
巻いてしまえば粗も目立たないくらいに、なかなか上手く出来上がっていた。
間に合うようなら、プレゼントの中身はバレてしまうが、サイズを訊いてセーターも編んでも良い。
失敗したら笑って話して、来年までに練習をしよう。
彼女はそんなことを考えつつ、小さな電子端末を手に取った。
文明の利器は、遠距離恋愛の彼らの味方だと思っていた。
どんなに離れていても、言葉を交わすことができるのだ。
長く会えない期間が続くと、この小さな端末ひとつに繋がれているという心細さは付きまとったが、それでも画面に表示される彼の言葉の数々が、彼女を幸福にしてくれた。
膝にマフラーを乗せたまま、いつも使っていたチャットアプリを開いた。
彼女はあまりのことに、夢ではないかと思った。
彼のアカウントが消えている。
誤操作で消してしまったのかもしれないと思った。
そんな話は聞いたこともないが、自分の目で見たものが信じ難かったのである。
通話に使っていた別のアプリを開き、そこへメッセージを打ち込んだ。
こちらはアカウントが消えていない。
その社会ではアプリ上でのやり取りが一般化していたため、彼女は彼の電話番号も知らなかった。
その時になって、そのことに対する不信感が初めて芽生えた。
ずっと自分ばかりが資金面の負担をしていたことも、突然気になり始めた。
きっとそのうち、返事が来る。
説明してもらえる。
大丈夫。
何も告げずに、消えるなんてことをする人がいるとは、聞いたことが無い。
その時の彼女はそう思って、なんとか不安と闘おうとしていた。
場面が移り変わる。
ああ、自分は夢を見ているのだと、彼女は気づいた。
視界に映っているのは、もっと大きな端末だった。
そこへ文字を打ち込んで、検索をかける。
もう一か月も音沙汰の無い彼に何が起こったのか、まだ見当もつかないままに、彼女は待っていた。
しかしこの電子機器が示して来る、情報の海から掬い上げたある文章に、とんでもないことが書いてある。
しかも、似たようなものがいくつも見つかった。
どうやらいるらしいのだ。恋人に別れも告げずに突然消えることを、ひとつの別れの手段だと思っている人間が。
真面目な彼女は、そんなことを思いつきもしなかった。
仮にも一瞬でも恋人だったのなら、ありがとうとさようならくらい告げるのは最低限の礼儀ではないのか。
彼女は信じたくなかった。
彼がそんな人間だったなんて。
だからまだ、きっと何かがあって忙しいだけと思おうとする、苦しい心を消せなかった。
同時に頭では理解しているのだ。十中八九、いやもっと高い確率で、彼は彼女の存在を無視する形で捨てたのだと。
場面が移り変わる。
やはりこれは夢の中だ。
冬の街をふらついている。
彼のために編んだマフラーを首に巻いて。
なんだ、暖かいではないか――そう思うと、悲しいながら安心することができた。
彼に捨てられてしまった彼女の愛情を、彼女自身だけは労わってやりたかったのだ。
この頃の彼女はどうかしていた。
彼からいつか連絡が来るかもしれない、自分が愛したのは挨拶すらできないような人ではないと、一生懸命に思おうとする時間が日に何時間かはあった。
一方で、彼は捨てるつもりの彼女に対し挨拶する僅かな時間も惜しむほど、憐れみの欠片も無い自分勝手な人間だったのだと、そして彼女のことをそれだけどうでもいいと思っていたのに、言葉の上では愛情があるような素振りをして騙していたのだと、恨みに思う時間がより長くなっていった。
状況がわからないという状況が、彼女にとっては拷問だった。
終わりならば終わりと、どんなに短くとも一言伝えてさえくれれば、こうはならなかっただろう。
可能性と可能性の間を思考が行き来し、愛情と憎しみが無茶苦茶に湧き出してくるばかりだった彼女は、精神的に破綻をきたしていた。
仕事もろくろくできないほどのノイローゼになり、辞めていったん無職になった。
夜も碌に眠れなかった。
悪夢ばかり見た。
それだけ、彼の存在は彼女にとって大きかったのだ。
生涯で唯一、恋人だと思った人だった。
場面が移り変わる。
走馬灯というにはゆっくりしすぎているが、この件に関するダイジェストのような夢だった。
テレビを見ている。
ニュース番組だ。
画面に映し出された男の顔に、驚いた。
結婚詐欺の被告人としてそこに映っているのは、彼女の前から何も言わずに消えた、あの男である。
どういう心境かは知らないが、自首だという。
彼女は納得した。
詐欺師だったのなら、一度だって一瞬だって、彼が彼女を愛したことはなかったのだろう。
挨拶も礼儀も何も、あちらにすれば恋人のつもりなどなかったのだ。
彼女は現金を騙し取られたということはなかったので、それだけは救いと言えた。
あの消え方はおおかた、あまりお金を持っていなさそうだとでも思って、ターゲットから外したのだろうと考えられた。
初めてのキスをあんな男に捧げてしまったことが、悔やまれた。
それも時間が経てばどうでもよくなっていくだろうと、ぼんやりとした希望に賭けることしかできなかった。
心の一部が死んだように、素敵な異性にときめくことすらなくなり、恋などはまったくできなくなっていたが。
壊死したように動かない自分の恋心が、有難かった。
誰も好きになれないということは、最早都合が良いとすら言えるだろう。
結婚詐欺師などに本気になるほど見る目の無いことを実証してしまった自分が、恋愛なんていうジャンルで勝負して生きていく必要はない。
人には向き不向きがある。
絶対に騙されない方法が唯一あるとすれば、それは、初めから誰にも期待しないことである。
もう異性に愛されたいなんて思わない。
それが、彼女の出した結論だった。
必ず立ち直って、独り強く生きて見せる。
彼女はそれだけを心に誓った。
テレビのニュースが次の話題に移った。
静かにリモコンの電源ボタンを押す。
どうしてこんな夢を、今更。
――目覚めたルチアは、真っ先にそう思った。
転生し、心から愛せる人に出会って、もう前世の嫌な記憶のことなどそう何度も思い出さなくなっていた。
だがトラウマというものは、心の奥深くに刻み込まれて、簡単には人を解放してくれないものらしい。
その傷を与えた本人が、転生して別人として生きているはいえ、ルチアの前に現れてしまったのだ。
不運な遭遇のせいで、古傷が開いたのかもしれない。
だが、今はそれどころではない。
ルチアの前には、問題が山積みなのだ。
まず、婚約者のシルヴィオをいじめている誰かのこと。
そして、シルヴィオとルチアに都合の悪い噂を流している誰かのこと。
更には、ダミアーノが勘違いをもとに動いていたらしいことも、ロレンツォから報告を受けて知った。
先日カルロに呼び出されてされた話から、ナナミもどうやら悪意を持っている。
幸せになるために、障害は皆排除せねばならない。
ルチアは今度こそ幸せになるのだ。
今度こそ。
その想いの根底にあるのは、やはりあの頃の悪夢なのだろう。
蹲っていたあの男が手首を掴んで顔を上げた時、目が合った。
その奥にいるのは、忘れもしない前世のトラウマだと確信した。
彼女の前世の名前を呼んだこと、そしてその呼び方が同じだったことからも、疑いようがなかった。
今更、昔恋したどこぞの詐欺師を、どうこう思う訳では無い。
愛しくもなければ、既に憎くもない。
恐れているのは状況だけだ。
だからシルヴィオとの間で、全てが上手くいくよう手を尽くすのみである。
それでもほんの少し、まだ憐れだった。
編み上がったマフラーを手に絶望の底へ叩き落とされた、もっと純粋だったあの頃の自分が。
策を弄する器用さもなく、少しやり返してやることも、幸せになることも出来ずにただ死んでいった“キョウコ”が。
彼女は愚かだった。
けれどその心は、きっと今より美しかった。
二章第十四話をお読み下さり、ありがとうございます!
もし私の連載中のもう一つのほうの作品もお読みくださっている方がいらっしゃいましたら、この作者しつこいなと思われたかもしれません。
さよなら言わずに消える恋人ばっかり作中に出現する理由……そんな個人的なお話は、読者の皆様の大半にとっては、とてもどうでもいいことと思います!ので!
是非とも異世界の創作として、お楽しみ頂けましたら幸いです。




