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第12話 追い詰められた変質者

屋上から、レナートとシルヴィオの不穏な様子を見かけてすぐ。

ルチアとオルランドは、彼らのいる校舎裏へ駆け出した。


(何!?喧嘩!?どうして!?)


ルチアは内心でパニックを起こしていた。

レナートは神経質で繊細なキャラだが、決してキレたり暴力を振るったりする人柄ではない。

少なくとも、ゲームの設定上は。


(シルヴィオがいったい何をしたっていうの!?)


理由があるはずである。

それを考えたいのに、運動が苦手のルチアは息が上がって、あと少しで校舎裏という今、ゼエゼエと苦しい呼吸をしている。

オルランドが手を引いて先導してくれていることが、有難かった。


「大丈夫か、ルチア?」


ルチアを気遣って、オルランドが声をかけてくれた。


「ええ、だい、じょ、ぶ…!」


全く大丈夫そうではない呼吸の隙間から、ルチアは何とか答えた。


ようやく辿り着いた時には、レナートはシルヴィオの胸倉からは手を離していた。

しかしまだ解決はしていないのか、神経質そうな美貌を顰めて、壁に追い詰めたシルヴィオを睨んでいる。


「いったい何があったんだ?」


オルランドが声をかければ、レナートが振り返り、王族のオルランドに対し恭しく礼をする。

ルチアはまだ呼吸が整っておらず、肩を上下させながら涙目でシルヴィオのほうを見た。

もともと華奢なシルヴィオは、青ざめて幽霊のように見えた。


「…彼が、女生徒と密会をしている様子でしたので。婚約者がありながらそれはいかがなものかと。理由を…」


人見知りのレナートが、オルランドを前に話しにくそうに語る。

こんな彼がシルヴィオの胸倉を掴むほど憤るなんて、常ならば考えられないことである。


「君はルチアを裏切ったのか?」


途端に声を低くして、オルランドまでがシルヴィオに詰め寄る。


「ま、待ってくださいませ!」


その腕に縋り付くようにして、ルチアは止めに入った。


「まずは落ち着いて、お話を伺いましょう?」


頭に血が上っていたオルランドが、今にも掴みかからんばかりの勢いをなんとか抑える。

壁際で震えているシルヴィオの目から、涙が一筋溢れ出た。


「シルヴィオ様。説明してくださる?」


ルチアが優しく問いかけるが、シルヴィオはふるふると首を横に振って俯く。


「ごめんなさい…」

「…えっ?」


この状況で謝罪が聞こえて来るだなんて、普通なら嫌な意味でしか解釈しようがない。

しかしシルヴィオには謝罪癖があるので、ルチアはいったん落ち着こうとする。


「それは、レナート様のおっしゃるように、私に隠れて他の淑女とお会いになっていたという意味ですの?」

「それは…」


口ごもるシルヴィオに痺れを切らし、レナートが口を開いた。


「踏まれておいででしたよ。その女生徒に」


不機嫌極まりない声色で、レナートが告げる。

その意味を考えて、ルチアは青ざめた。


「ルチア様に踏まれていいのはぼくだけ、などと以前おっしゃっていましたね?」


再びレナートがシルヴィオに詰め寄る。

それをルチアは止めなかった。


「つまり貴方にとって、踏まれるということには()()()()意味合いがあるのでしょう?」


シルヴィオは答えられないでいる。

その態度が、後ろめたいことがあると言っているように見える。


「シルヴィオ様」


ルチアが口を挟んだ。


「心移りを責める気はございませんの。ただ、そういう場合は素直におっしゃってください。黙っていられるほうが、惨めですわ」


ルチアの顔に、公爵令嬢の仮面が貼り付いている。

それを見たシルヴィオが慌てて、ようやく顔色を変える。


「違います!違いますルチア様!ぼくが愛しているのはルチア様だけです!」


その必死の叫びに、嘘や誤魔化しは感じられないというのに、だったらこの状況にどう説明をつけていいのかわからない。

レナートが目撃したことを、シルヴィオは否定しないではないか。


「でしたら何故、他の淑女に踏まれてなんていらしたんですの?まさか、いじめられてでも――」


自分で発した言葉に、ルチアははっとする。

もし、シルヴィオが誰かにいじめられていたなら。

その延長上で、脅されて色々と行動を制限されていたとしたなら。

これまでの態度の変化に、辻褄が合うのではないか。


「シルヴィオ様」


冷静な声でその名を呼んで、ルチアはシルヴィオのほうへつかつかと歩み寄る。

何事かあると察したレナートは、さっと横へ退いてルチアに道を開けた。


「少々拝見いたしますわ」


シルヴィオの身体を強引に方向転換させ、ルチアは彼に後ろを向かせた。

その背に、確かに土足でつけられた足跡がある。


「…二十四センチくらいですわね。この足跡、左右に踏みにじったような付き方ですわ」


そこでルチアは、息を呑んだ。

後ろ向きにしたシルヴィオの首の付け根辺りに、痣のようなものがある。


「何ですの、これ…火傷痕ではございませんの!」


こんな場所は、余程注意して制服の隙間から覗き込まないと、誰も気づかないだろう。

それは、タバコを押し付けた火傷痕のように見えるのだ。

抵抗するシルヴィオを押さえて無理矢理に襟足あたりをよく観察すれば、その痕は複数見つかった。


ベルトロット伯爵家の人々は、おおむね善良である。

それをルチアは、ベルトロット邸を頻繁に訪れるようになって知った。

当主であるシルヴィオの父には、事なかれ主義的な印象を持ったことがあるが、彼の母や弟、そして使用人たちに至るまで、共感能力が高く思いやりがある。

シルヴィオの周りの者たちは皆、虐待などするような人柄だとは思えない。


「どなたですの?あなたをこんな目に遭わせたのは」


ルチアは怒りに震えている。

にも拘らず、その顔には不敵な笑みが浮かんでいる。

首だけで振り返ったシルヴィオは、恐ろしいことになったと悟った。


「ルチア、いったい何を見つけたんだ?」


只ならぬ様子に戸惑いながら、オルランドが問いかける。


「あうっ、痛いですルチア様!」


ルチアはシルヴィオの首の後ろがオルランドとレナートによく見えるように、強引に首元を引っ張ってシルヴィオを彼らの前に突き出した。


「いじめられているんですわ。それ以外に火傷痕(これ)の説明がつきまして?」


二人は眉を顰めてその火傷痕を確認すると、先程までとは打って変わって、シルヴィオに同情の眼差しを向けた。


「許せませんわ。私の夫となるお方の身体にマーキングですって?どこの雌犬の仕業かしら。どうやって躾け直して差し上げましょう?ご自分が何をしたのか自覚して頂くために、お顔を焼いて差し上げてもよろしいのよ?」

「る、ルチア様、ぼくは大丈夫ですから、そんな恐ろしいことは――」

「あなたもあなたよ!どうして黙って傷つけられているの?あなたは私と結婚するのよ!?だったら、この身体は私のものでしょ!?勝手に火傷痕なんて作ってるんじゃないわよ!」


ルチアはシルヴィオをぎゅっと抱き寄せ――というより、その所有権を主張するためにがっちりホールドした。

真っ赤になって恥じらっているのはシルヴィオばかりではなく、その場にいた他の二人も同様である。

この身体は私のもの、という発言は、結構大胆だ。


「さあ、正直に話して頂戴。私のシルヴィオ様に手を出したのは誰なの!」


ほとんど押さえつけるようにルチアに抱き締められ、身動きの取れないシルヴィオだが、それでも首を横に振る。


「…ごめんなさい、ルチア様」

「この期に及んで、言えないっていうの!?」

「ごめんなさい、ごめんなさい…!」


それでもシルヴィオは、涙を流しながら謝罪の言葉を繰り返すばかりである。


「レナート様!」


突然ルチアに名前を呼ばれて、レナートはびくりとした。


「どんな女でしたの?ご覧になったのでしょう?正直におっしゃって!」


有無を言わせぬ圧をかけて、ルチアが凄むように問いかける。


「…茶色がかった長い黒髪の女生徒です。わたしが見た彼女は後ろ姿でしたので、それだけしか…」

「充分ですわ!」


ルチアは悪役令嬢らしく哄笑する。


「髪の特徴と靴のサイズがわかっているんですもの、当てはまる女生徒はすぐに絞り込めますわ。逃がしませんわよ!」


そして高笑いするルチアはまさに悪役。

品行方正を貫いていた彼女の豹変に、オルランドとレナートはドン引きしている。


百年の恋も冷める……訳ではなかった。

これも彼女の一面ではあったとしても、それ以外の彼女もまたルチアなのである。

信頼関係とは、一朝一夕で築き上げられるものではない。

彼らにルチアと過ごして来た時間の記憶がある限り、彼らにとってのルチアという存在は、その時間の重みと等価かそれ以上なのである。


「ルチア。相手が彼に傷を負わせているなら、これは立派な犯罪だ。きちんと裁判所で裁こう。間違っても、自分で復讐なんてするな」


オルランドが窘めるが、それでもルチアは鼻息荒く憤ったままである。

彼女の激情が収まるには時間が必要であろう。


その時、レナートが唐突に鼻歌を歌い始めた。

素晴らしく音楽的に歌い上げられるその旋律は、子守歌のような節回しで、自然と優しい気持ちにさせられる。

怒っていたルチアの肩が徐々に下がり、その呼吸が穏やかになっていく。

ようやく彼女は、シルヴィオを捕まえていた腕を離した。


この時のレナートに、まるで猛獣使いのようだという印象を抱いたのは、シルヴィオだけではない。

オルランドもまた、レナートだけがこの怒れる猛獣を飼いならせるのではないかと感じた。

猛獣とは言わずもがな、ルチアのことである。

淑女に対して失礼な考えであるので、誰も口にはしなかったが。


きりがつくまで歌い終えたレナートは、静かに微笑んだ。

ルチアは先程の言動を恥じるように、頬を赤らめた。


「…申し訳ございません。取り乱しましたわ」

「いえ、もとはと言えば、わたしが勘違いをしてしまったためにこうなったのですから」


レナートの勘違いも、仕方がないと言える。

彼は以前のシルヴィオの発言から、シルヴィオが婚約者に踏まれて喜ぶ変態だと知っていたのだから。


「冷静になることに致しますわ」


落ち着いたルチアの様子に、皆胸を撫で下ろした。

しかしそれも束の間。


「獲物を確実に仕留めるためにも」


荒ぶるルチアよりも、静かに爪を研ぎ澄ますルチアのほうが、余程危険かもしれない。

そのぞくりとする寒気は、女とは怖いものであると彼らに刷り込んでしまいかねないほどに、鋭利に迸った。

二章第十二話をお読み下さり、ありがとうございます!


直接的にいじめのシーンというわけではないので、前書きに何も書きませんでしたが……書くべきだったでしょうか?

踏まれていたから浮気を疑われるというふざけたことになっておりますが、彼らをきちんと幸せにしたいと思いますので、今後とも何卒よろしくお願いいたします。

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