第10話 執事ロレンツォによる尾行
「前の馬車を追ってください。できればなるべく、気づかれないように」
モンテサント公爵家に仕える初老の執事、ロレンツォ・リゲティは、御者にそう伝えていくらかの小遣いを握らせた。
そして御者がにこりと頷くのを見届け、辻馬車に乗り込む。
前を走っているのは、ベルトロット伯爵家の馬車。
中に乗っているのは、子息のシルヴィオ・ベルトロットである。
今は公爵令嬢ルチア付きとなっているロレンツォがこんなことをしているのは、主人であるルチアから受けた命令を遂行するためである。
婚約者のシルヴィオの様子がおかしい。彼の事情を気づかれないよう調べたいので、協力して欲しい。
それが、ルチアの命令であり、頼みだった。
ロレンツォは内心で、直接聞き出すほうが確実で手っ取り早いと思っている。
シルヴィオは話したがらないようだが、ルチアが語気を強めて迫れば、彼はそのうち正直に話すのではないかと思うのだ。
しかしルチアは、どうやら婚約者の男としてのプライドを気遣っているようだった。
愛する女性に弱いところや格好悪いところを見せるのを嫌がる男は多い。
それを誰に聞くでもなくよく理解しているあたり、流石ルチアは前世で六十三歳まで生きただけある。
辻馬車は道の起伏に沿って揺れている。
今のところ、前の馬車に変わった様子はない。
ロレンツォは既に、このまま追っても何も起こらないような気がし始めていた。
それならばそれで良い。
ルチアの思考は極めて論理的である。
何か起こっているなら、それはルチアの目に入らない場所であるということから、彼女は可能性の高い時間帯を絞り込んだのだ。
中でも、シルヴィオがわざわざ一緒にいられないと言った昼休みと帰り道は、非常に怪しい。
ロレンツォが調べて帰り道に何かあるとわかれば、それに対策を考えればいい。
帰りに何かある可能性が潰れれば、次は昼休みを当たればいい。
つまりどちらにせよ、これが無駄足になるということはないのだ。
学園の中までは、ロレンツォが調べるわけにはいかない。
しかし帰途については、ここのところ放課後は着替えてからベルトロット邸を訪ねるのが日課になっているルチアより、ロレンツォのほうが適役である。
そういうわけでこの初老の執事は、ストーカーを尾行するという滑稽な任務を快諾したのだ。
「あれは…」
ベルトロット邸の近くまで来た時、ロレンツォは妙な影を見かけた。
不審な人物が、門の前の植え込みに身を潜めているのである。
シルヴィオの乗った馬車は、それに気付かず門を潜っていった。
モンテサント邸ほどではないがここも庭は広く、子息を歩かせるには距離があるのだ。
辻馬車は止まった。
流石に、門の中まで入っていくわけにはいかない。
ロレンツォは、御者に礼を言って帰らせた。
シルヴィオの帰宅を見届けた後は、程なくして訪ねて来るルチアと合流し、何食わぬ顔で彼女に同行し、モンテサント家の馬車で帰る手はずであった。
(接触すべきか、否か)
不審な人影は、辻馬車から降りてきたロレンツォに気づいているようだった。
隠れおおせているつもりらしいので、出るに出られなくなっているのであろう。
このままルチアが来るまで見張ってから、共に問い詰めるという選択肢もある。
しばし逡巡した後、ロレンツォは人影に向かって歩み出した。
「そちらで何をなさっているのですか?」
声をかければ、人影がびくりと跳ねる。
植え込みがガサリと音を発て、ストロベリーブロンドの髪の生えた頭が覗いた。
見覚えのある色である。
「もしや、ダミアーノ様ですか?」
その名を口にすれば、諦めたように人影は立ち上がった。
彼はルチアの元婚約者、ダミアーノ・ブランディその人である。
ロレンツォは内心で驚いていた。
ルチアからは、今回の件に関わっている可能性が高いのは、エルザ・パレストリーナか、もしくは彼女の息のかかったパレストリーナ家の使用人であろうと聞かされていたのだ。
ノーマークだったダミアーノの出現に、初老の執事は戸惑いを隠せない。
「ロレンツォか。こんなところで何をしているんだ?」
先にそれを問うたのはこちらだ、と言いたいのを、ロレンツォはぐっと呑み込む。
あくまで相手は侯爵家の子息なのである。
不審な行動をしていたくせに、ダミアーノは随分と偉そうである。
不味い所を見られたとは、思っていないのであろうか。
「わたくしは、ルチア様をお待ちしております。ダミアーノ様はいかがなさったのですか?」
「ルチア様がここを訪ねていらっしゃるのか」
自嘲気味な笑いを浮かべるダミアーノを、ロレンツォは意外に感じた。
婚約者であった頃、ダミアーノはルチアに興味らしい興味を示して見せたことがなかったからである。
ルチアがここを訪ねてくるのは、学園で会えない分の時間を、婚約者と過ごすためである。
要するに、せっかく相思相愛のカップルなので、いちゃいちゃしたいのである。
「ルチア様は、オレを訪ねてきて下さったことなんてなかったのに」
ルチアは初めから、女性関係に節操のないダミアーノを嫌っていたので、ダミアーノに会うために訪ねていったことはない。
だがある意味、ダミアーノの素行について証拠を得るために彼を尾行などしていたので、追いかけてはいたとも言える。
「ルチア様をお訪ねにならなかったのは、ダミアーノ様も同じかと思いますが」
「冷めきっていたというのか」
「違うのですか?」
フンッと、ダミアーノは鼻を鳴らす。
女性の好感を得るためのチャラチャラとした笑みは消え、今のダミアーノは僅かに真摯に見えた。
「ルチア様ほどの女性はそうそういない。…婚約者だった。だから、時間が経てばどうせと、胡座をかいていた」
ロレンツォは確信する。
ルチアがこの男を捨てたのは、大正解であると。
手に入ることが確定している女に対し、餌を撒く必要を感じていなかったと、ダミアーノの発言はそう受け取れる。
ダミアーノなりのルチアへの未練はあるようだが、それはいずれ欲しい女だったというだけで、愛などではない。
逃した魚は大きいとでも思っているのだろうが、時既に遅すぎる。
「答えてくれ、ロレンツォ。ルチア様はオレを嵌めたのか?あの男と共謀していたのか?」
シルヴィオはほぼ関係のないことだが、ルチアがダミアーノを嵌めたということならば、事実とそう遠くない。
ただ、ルチアはダミアーノの素行を暴いただけであるので、嵌めたというのは少々被害妄想が過ぎる。
ダミアーノは実際にルチアに対する裏切り行為を繰り返していたのだから、自業自得である。
「ルチア様はいつも涼しい顔をしていらしたから、気づかなかったんだ。まさか、そんなに嫉妬深い女性だったなんて」
ダミアーノは、何か勘違いをしているようだ。
「伯爵家なんて、ルチア様には釣り合わないじゃないか。オレの浮気を知って傷心のところへ、つけ込んだに違いない」
勝手な筋書きを話し出したダミアーノに、ロレンツォは呆れてものも言えなくなった。
「思えばたいてい、舞踏会でも足を怪我したなどとおっしゃって、一緒に踊ってはくださらなかった。あれは、ルチア様なりにオレの気を引こうとしていらしたのかもしれないのに、オレはそれに気づかず真に受けて、他の女性とばかり踊っていた」
これをルチアが聞いていたなら、比喩ではなくひっくり返って驚いたかもしれない。
そしてロレンツォは、いずれにせよこの内容をルチアに報告せねばならない。
「あれは、オレを試しておいでだったんだ。彼女の傍にいるべきだった。そうすれば、今頃は――」
その程度の前提条件で何が変わるわけでもない。
今頃ダミアーノとルチアとの未来が健在であるためには、彼は一度でもルチア以外の女性と関係を持ってはいけなかった。
ルチアはなかなかに潔癖なのである。
「したたかな男だ。ルチア様は騙されているんだ」
ダミアーノは、ベルトロット邸を睨みつけた。
自分の女を盗られたとでも言いたげな表情であるが、ルチアの心がダミアーノのものだったことはただの一瞬もない。
そしてシルヴィオがルチアを騙して手玉に取ったと思っているあたり、彼女のことを全く理解していない何よりの証拠である。
「彼のことを調べようと思っていたが、オレはもう行くよ。ルチア様がいらっしゃるなら、オレは顔を見せないほうがいい。今、傷ついた女心に塩を塗る気は無いからな」
くるりと背を向け、ダミアーノは颯爽と去っていく。
全く会話にならなかった。
おかしいと指摘したいことはいくらでもあったが、何から手をつけて良いかもわからないほどに、ダミアーノの思い込みは酷いものだった。
ロレンツォは、僅かしか言葉を発しなかったというのに、どっと疲れが湧き出て来るのを感じた。
もうすぐ、ルチアの乗った馬車が到着するだろう。
憐れにも形の崩れた、手入れされていたであろう植え込みを、初老の執事は申し訳程度に整えてやった。
二章第十話をお読み下さり、ありがとうございます!
“尾行”とつくサブタイトルの多さに、自分で笑ってしまいました。
この物語、ストーカーばっかりですね。
現実世界ではやってはいけないことを散りばめていますが、物語の中だからこそと、お楽しみ頂けましたらとても嬉しいです!




