第9話 数学教師カルロの攻略
放課後の補習が始まってから、一ヶ月が経つ。
初めは毎日だったのが、段々回数が減って、今では週二回になった。
カルロは相変わらず、ナナミに親切である。
要領の悪いナナミに、わかるまで根気強く教えてくれる。
カルロ先生、とファーストネームで呼んでも笑って許してくれる包容力もある。
――ナナミはそう、ルチアに語って聞かせた。
このルチアの苦手な編入生は、今日もニコニコ顔でルチアに話しかけて来る。
彼女らの気が合わないのは明らかだと言うのに、物好きなことである。
「それで、ルチア様のアドバイス通り、あたし頑張って勉強したんです。そしたら補習の回数が減って、それが寂しいってカルロ先生にお伝えしたら、先生は何ておっしゃったと思いますか?」
ルチアには、おおまかに検討がつく。
というのも、これは乙女ゲーム『愛憎のシレア学園』でカルロルートに入ると発生する、重要な初期イベントのひとつなのである。
だが、ここで下手に彼の発言内容を言い当てでもすれば、覗いていたとでも思われかねない。
「さあ、見当もつきませんわ」
だからルチアは、即座に当たり障りのない返答をした。
どうせナナミは、話したいことを勝手に話して満足するタイプなのだ。
「もし今学期の試験で良い結果を残せたら、ご褒美に素敵な場所へ連れて行ってくださるんですって!」
きゃっきゃとはしゃぐナナミの声が少し大きく、他の生徒たちに聞こえているのではないかと、ルチアはひやひやした。
これをきっかけにカルロが女生徒を垂らし込んでいるなどという噂にでもなってしまえば、彼は辞職に追い込まれかねない。
その辺りのことを、ナナミはわかっていないのだろう。
「ナナミ様、お声を小さくなさって。それは秘密になさったほうがよろしくてよ」
声を抑えて、ルチアがそっとナナミを窘める。
「噂になれば先生のお立場を危うくしますし、特別扱いされているナナミ様も嫉妬を買いますわ」
すると、ナナミが大仰に口元を押さえる。
「あら、あたしったら」
しかし押さえた手の向こうに、にやけた口元が隠し切れずに見えている。
「よかったですわね、ナナミ様。憧れのメルカダンテ先生と、素敵なお約束ができて。是非頑張ってくださいませね」
「はい!」
元気よく返事をしたナナミは、表情を輝かせて再び口を開く。
「聞いてくださいよぉ」
その後もナナミは、カルロのどこが良いだの、彼と何を話しただのと、勝手気ままにぺらぺらと話し続けた。
目の前にルチアがいることなんて、実はどうでもいいといった様子である。
ルチアは気の無い相槌を打ちながら、ひたすら聞き流していた。
乙女ゲーム『愛憎のシレア学園』において、隠しキャラであるカルロのルートには、唯一悪役令嬢が存在しない。
教師と生徒という立場や、身分差が大きな障害となるこのルートにおいて、他の令嬢の邪魔というイベントは無いのである。
その代わりのようにつけられている設定が、カルロは過去に恋人を亡くしているというものだ。
ゲームのヒロインは、それを知らずにカルロを慕う。
そして親しくなるにつれ、カルロのほうもひたむきなヒロインに恋心を抱くようになっていくが、心の傷となった過去の恋がその感情を否定する。
二度と恋などすまいと思い、亡くした恋人を永遠に想い続けようと決めていたカルロは、ヒロインに惹かれていく自分が許せずに苦しむ。
ベストエンドでは、ヒロインはそんな彼の傷を少しずつ癒し、彼の過去ごと愛すると情熱的に誓って、駆け落ちというかたちながらめでたく結ばれるのだ。
悪役令嬢はいないとはいえ、このルートにも死亡によるゲームオーバーというものは存在する。
ある選択肢を誤ると、ヒロインとの仲を疑われたカルロが懲戒免職になり、雪げない汚名を背負ってやり直しがきかないほどに落ちぶれたカルロと共に、ヒロインは心中する。
またある選択肢を誤れば、カルロは亡くした恋人を裏切る前にと、彼女のところへ行くと書き残して自ら命を絶ち、ヒロインはその後追いをする。
残酷ないじめなどは無い分、精神的に結構重い展開が多いルートなのである。
『愛憎のシレア学園』にパラメーターは存在しないが、カルロ攻略においては、ヒロインがきちんと勉強し、補習の成果を示すことがひとつ重要な鍵である。
散歩に出かけるなどの、一見ヒーローと偶然出会えそうな予感のする楽しそうな選択肢を差し置いて、帰って勉強するというのが正解の選択肢であったりする。
プレイしたルチアの感想としては、結構地味で面倒なルートである。
カルロルートのメリーバッドエンドは、ルチアがこのゲームの中で嫌いなエンドのひとつだった。
他の誰かを愛する罪悪感を拭えず苦しむカルロのために、ヒロインは彼の亡くなった過去の恋人の代わりになることを選ぶ。
カルロはヒロインを亡くなった恋人の名で呼び、彼女の代わりとして愛し、口づけるところでストーリーが終わるのである。
スチルのカルロは目が病み切っていたし、ヒロインにとっても幸福な結末とは言い難い。
これを見た前世のルチアの感想は、後味が悪い以外の何者でもなかった。
ナナミは勉強が苦手だと公言していたが、今のところ上手くやっているようである。
試験結果のご褒美にカルロと二人で出かけることができれば、親密度は一気に上がる。
これは出掛けるとはいっても、課外授業的な意味合いでカルロがヒロインを誘い出すイベントであるが、そこで過去に亡くした恋人のことをちらりと語るはずなのである。
思いやり深いようには見えないナナミのことであるから、誤った選択肢――つまり発言をしてしまう可能性も大いにあるが、この時点ではまだ死亡に繋がるようなことは無い。
ナナミがカルロ攻略に失敗しようと、ルチアにとっては冷たいようだがどうでもいいことである。
けれど今しばらくは、ナナミにはカルロに熱を上げていてもらったほうが、転生悪役令嬢としては安心できるとルチアは考えている。
ゲームの設定が彼女らが今生きている世界でどう活きてくるかは測りきれないが、ヒロインという悪役令嬢にとっての障害が、なるべく無害なかたちで存在し続けてくれることをルチアは願っている。
そのためなら、少しくらいなら手を貸してもいいと、彼女は思っていた。
「ところでルチア様は、最近婚約者の方と上手くいっていないんですか?」
「…え?」
いきなり切り出されて、ルチアは一瞬呆ける。
「お昼、ご一緒していないみたいですし」
ナナミが心配する素振りをしつつも、一瞬にやりと嘲笑を浮かべたのを、ルチアは見逃さなかった。
これは優越感から来る蔑みだと、ルチアは解釈した。
より良い男をより上手くゲットすれば勝ち誇るのは、何もナナミに限ったことではない。
カルロとの仲が上手く進展しそうなナナミは、シルヴィオと距離ができつつあるルチアに勝っていると思っているのだろう。
「愛とは一緒に食事をすることではございませんわ。私はいくら婚約者と離れていても、お互いの心がお互いにあると信じておりますの」
穏やかに言いながら、ルチアは上品に余裕ある微笑みを浮かべる。
公爵令嬢の仮面を貼り付けてそうするしか、この転生悪役令嬢は作法を知らないのである。
ナナミが一瞬苦い表情をしたちょうどその時、始業を告げるチャイムが鳴った。
二章第九話をお読み下さり、ありがとうございます!
久しぶりのヒーロー攻略関連のお話でした。
他のヒーローたちも今後きちんと登場させていきますので、見守って頂けますと幸いです!




