第5話 ヒロインによる攻略状況
「ねえねえ、ルチア様。恋バナしましょう?」
懲りずに相変わらずルチアに話しかけてくるナナミがそう言い始めたのは、彼女が数学の授業後に呼び出されて、一週間が経った頃である。
「カルロ先生って格好いいですよね!」
ナナミは満面の笑みで、休み時間中の教室の中、恥ずかしげもなく黄色い声を上げている。
数学教師カルロ・メルカダンテは、乙女ゲーム『愛憎のシレア学園』の攻略対象の一人である。
彼のルートは、オルランド、アドルフォ、レナート、ダミアーノの四人全てのルートをクリアすると現れる。
所謂隠しキャラである。
カルロは若く理知的な美男子で、大人の魅力が溢れている。
二十三歳という設定で、十八歳でシレア学園最高学年である今のルチアたちの、五歳年上である。
長身で細身の彼は、手入れの行き届いた真っ直ぐな赤い髪を長く伸ばし、後ろでひとつに束ねている。
細長い目はルチアの前世の東洋の美系を想起させる雅な美しさがあり、瞳の色は深い緑。
チャームポイントは半月型の下縁眼鏡で、いかにもインテリ系といったキャラデザインである。
しかし彼は、攻略対象の中で唯一、平民。
よって、今世のルチアの眼中には初めからなかった。
だいたい、教師と生徒という禁断の関係である上、身分違いの恋であるこのルートは、どのエンドであろうと駆け落ち前提になる。
物語の中ならスリルがあってどきどきするが、それが現実ならば御免被りたいというのが、ルチアの感覚である。
「親切だし、頭いいし、若くしてこの学園の教師ってかなり優秀なんでしょう?」
「ええ、そうね」
平民の身で、しかも若くしてこのシレア学園の教師の職に就くには、確かに並々ならぬ優秀さが求められる。
大学というものが存在しないこの世界において、シレア学園は王都で貴族子女が学問を修める貴重な場であり、そこに勤める教師ともなると、世間から尊敬と信頼を得るに十二分の肩書きである。
平民が満足に学問を修めることすら難しいこの世界において、カルロのようなケースは極めて特異である。
「“恋バナ”とおっしゃったくらいですから、ナナミ様はメルカダンテ先生に想いを寄せていらっしゃいますの?」
これはルチアにとって重要な問いである。
ヒロインであるナナミが隠しキャラのルートに入るつもりなら、ルチアは婚約者を奪われる可能性を憂慮しなくて良くなるのだ。
「まだ憧れっていうか、気になるっていうか、そんな感じなんですけど…。本気になっちゃう手前みたいな感じです!」
確定ではないようであるが、ルチアは内心で安堵した。
それにしても、カルロのような知的な男性にナナミが興味を持つとは、ルチアが彼女に抱いていたイメージからすれば意外である。
(もしかして、ゲームのことを知っていて、駆け落ちして平民になることが狙いなのかしら?)
ナナミの様子から、彼女にとって貴族社会が居心地が悪いであろうことは、容易に想像できた。
「ナナミ様は、先生のどんな所に惹かれましたの?」
「やっぱり年上って素敵じゃないですか。あ、別にルチア様の婚約者が年下だからって、何ってわけではないんですよ?」
「大人の魅力というわけですわね」
これだけでは、ナナミの意図は測りかねた。
今のところ、彼女が乙女ゲーム『愛憎のシレア学園』を知っているという確信に至る発言は無い。
幸か不幸か、ナナミはルチアに友好的で、情報を聞き出すことも可能なポジションにあるが、それ自体も気の抜けないことである。
「はい!見た目が素敵なご子息は、うちの学年にもいましたけど、どうも対応が子供っぽいというか…」
ナナミの言う“見た目が素敵なご子息”とは、おそらく攻略対象たちのことであろう。
「聞いてくださいよぉ」
そう言って、ナナミはルチアの耳元に口を寄せ、声を潜める。
「王子様のことはご存知ですか?格好良いし、本物の王子様だし、文句無しに王子!って感じだから頑張って話しかけたんですよ。そしたら、言葉遣いをネチネチ指摘してきたんです」
オルランドのことであろう。
ナナミの言葉遣いは、確かに貴族令嬢として充分に丁寧であるとは言い難い。
それをわざわざ丁寧に指摘してやったのなら、おそらくは彼なりの親切のつもりだと考えられた。
ここは、王族に対する言葉遣いひとつで、首が跳ぶようなこともありうる世界である。
「オルランド王子殿下でしたら、私の従姉弟ですから、よく存じておりますわ。良くできたお方でしてよ?」
そう言うと、ナナミは“従姉弟”ということへの驚きと、共感を得られなかったことへの不満を同時に顔に表し、おかしな表情になった。
「そ、そうなんですか。でも!あたしちゃんと話してますよ」
ぷうっと頬を膨らませて見せるナナミの頬は、その部分だけキメが粗く見え、ルチアはこれが濃いメイクで作られた顔であることを思い出した。
「それから、すごくマッチョで格好良い人がいらっしゃるじゃないですか。ルチア様もお友達なんですよね?普通にお友達も多いみたいでしたし、気軽に仲良くなれるかなって、話しかけてみたんです」
これはアドルフォのことであろう。
「初めはにこにこしてたくせに、少し肩に手を置いたりしたくらいで、『わたくしには婚約者がおりますので、困ります』ですって!自意識過剰じゃありませんか?」
これにはルチアは苦笑を禁じ得ない。
前世ならば、たかが軽いボディタッチで済ませられたであろうが、ここはそういう世界ではない。
「ナナミ様。淑女が気安く殿方に触れて良いものではございませんのよ。他にお相手のいらっしゃる方でしたら、尚更です」
「でも、ルチア様だって婚約者といちゃいちゃしていたじゃありませんか!」
ナナミは、ルチアの後をつけて二人の様子を見ていたことを、隠すつもりもないようだ。
「それは、私の婚約者だからですわ」
ルチアもルチアで開き直っている。
自分の婚約者と仲睦まじくしていて何が悪い――とはいっても、実は度を超えている自覚がしっかりあるのだが。
ルチアの場合、公爵令嬢という身分故に周りも指摘できず、唯一ルチアを叱れそうな身分のオルランドですら彼らの仲を応援しているので、誰も文句を言わないとわかっていてやっているのだ。
「それからそれから!あの、すごく神経質そうなイケメン…ええと、青紫の瞳の人、ご存じですか?あの人なんて、話しかけても無視したんですよ!ちょっと美男子だからって、何様って態度じゃないですか」
レナートのことであろう。
彼は神経質で繊細なので、これはナナミに対してのみそういう態度を取ったわけではない。
確かに彼の態度は失礼なものであるが、レナートが伯爵家の子息でナナミが子爵令嬢であることを考えれば、咎めたところでナナミのほうが僅かに分が悪い。
理不尽ではあろうが、そういう社会である。
「レナート様はとても人見知りなんですのよ。それについては、ナナミ様が気になさる必要はございませんわ」
「ですよね!」
ようやくルチアがフォローらしきことを言ったので、ナナミは満足気にドヤ顔をした。
彼女が威張れるような筋のことではないのであるが。
レナートはゲームの設定上、人見知りで滅多に心を開かない。
ルチアによる変則的な攻略の結果、ルチアにだけはかなり本音で話をするようになったのだが、これは本来驚くべきことである。
ゲーム内では攻略が進んでも、レナートからもらえる言葉はツンデレ発言止まりなのである。
「あと、もう一人、言いづらいんですけど」
ナナミが視線をうろつかせながら、緩やかにルチアに切り出す。
「ルチア様の元婚約者のあの人も、結構格好良いじゃないですか」
ダミアーノは確かに、見た目は派手な美男子である。
女癖の悪い彼のことを、ルチアは毛嫌いしているが、その本性を知らなければ魅力的に見えるだろう。
「女友達も多いみたいだし、仲良くなれるかなって思って話しかけたら、『お化粧がお上手ですね』って嫌味な笑いを浮かべてきたんです!女の子は綺麗になるために努力してるのに、失礼じゃないですか!」
なるほど、ダミアーノは女性を見慣れているので、ナナミの化粧を見破ったようだ。
しかしこれは確かに失礼であると、ルチアも共感する。
美しくなるために努力をしている女性に対し、本人を前に馬鹿にするような発言をする男など、碌な人格ではない。
「あの面食いの女たらしのことは、相手にしないほうがよろしいですわよ。私との婚約が解消になったのも、既婚女性との不倫が原因ですの。他にも何人もの淑女に同時に手を出していたようですわよ」
ルチアは、ここぞとばかりにダミアーノをこき下ろす。
「あら、私ったらいけない。このお話は、内緒にしておいてくださいませね?」
「勿論!」
上品な笑いの下で、ルチアは少しスッキリした気持ちを味わっていた。
ナナミはおそらく、口が固いほうではないだろう。
これが噂になって広がったら、それはそれで愉快であると、ルチアの悪役魂が楽しげに震える。
ルチアは今でも、ダミアーノのことが嫌いである。
「全く、『可愛いは作れる』って言葉をご存知ないんですよ!」
それは知らなくて当たり前であろう。
この世界の言葉ではないのだ。
「そんなことがあって、親切なメルカダンテ先生にナナミ様は惹かれたんですのね」
ナナミの話を聞くに、攻略対象たち全員が子供っぽい対応をしたというわけでもないし、どちらかというとナナミが相手にされなくてさっさと諦めたように見えるが。
なるほど、こうなれば教師であり平民であるカルロは、唯一ナナミに対して友好的かつ丁寧に接してくれる美男子ということになったのだろう。
「はい!先生って本当に親切なんですよ」
ナナミは年頃の女の子らしく、憧れの教師の話になるとキラキラと瞳を輝かせる。
「編入生のあたしに、勉強についていけるようにって特別に補習をしてくださってるって、お話しましたよね?」
「ええ」
ロベルタと難しげな会話をしてナナミを追い払うにも限度があり、ナナミはちょくちょくルチアに話しかけてきては、勝手に近況報告などしていた。
「あたしがわからなくても絶対怒らないし、根気強く教えてくださるし、丁寧だし!」
カルロは真面目な気質なので、その様子は容易に想像できた。
「残念なのは、それが先生と二人っきりじゃないってことですね。いつも職員室で、他の先生たちがいる中での補習なんです。理由を聞いたら、男の自分がご令嬢と二人きりになるわけにはいかないって」
それはそうであろう。
未婚の男女が二人きりになるのは、例え婚約者同士でも基本的には避けるというのが、貴族社会の常識である。
ルチアはそれを、何度か破ってはいるのだが。
「これって、あたしのことを女性として見てくれていて、気を遣ってくれてるってことですよね!?」
突然聞こえてきた超ポジティヴシンキングに、ルチアは公爵令嬢の仮面の下で固まった。
「あたしは二人っきりでもいいっていうか、むしろ二人っきりのほうがいいんですけど!でもカルロ先生のそういう硬派なところがまた、素敵なんですよ」
うっとりと夢見るような表情を浮かべて、ナナミが遠くを見ている。
その目に映っているのが記憶の中のカルロなのだろうとは、この会話を聞いている者には明らかであろう。
「ねえねえルチア様。これって脈アリだと思いますか?補習してくれてるの、あたしだけみたいですし!」
放課後の補習は、カルロルート攻略に欠かせないイベントである。
しかしナナミの解釈は、現時点では行き過ぎている。
「そうですわね。親しくなる好機を得ている状況ではあると思いますけれど、先生のお心までは私には何とも申し上げられませんわ」
引きつり笑いを浮かべたいのを我慢して、ルチアは完璧に上品な公爵令嬢の微笑みを顔面に貼り付けている。
「もっとあたしに夢中になってもらうには、どうすればいいんでしょうか」
ルチアが何と言おうと、ナナミの中では既に、カルロがナナミに多少なりとも気があることになっているようである。
「ナナミ様がよく学ばれて、メルカダンテ先生の補習の成果を示して差し上げれば、先生はナナミ様と過ごされた時間を大切に感じられるのではないでしょうか?」
これは転生悪役令嬢ルチアからの、前世の記憶をもとにした貴重な攻略アドバイスである。
「うーん、お勉強って本当は苦手なんですけど…頑張って見ます!先生に可愛い生徒だと思ってもらいたいですし!」
ルチアは、ナナミにとりあえずカルロルートに入ってほしいと心から思っている。
そうすれば、これまでルチアが手を付けて捨ててきたルートとの兼ね合いで、面倒事が起こる心配もないだろうと踏んでいるのだ。
ルチアの一番の懸念は、悪役令嬢の婚約者という肩書がついてしまったことで、本来はモブキャラのシルヴィオを乙女ゲームのシナリオに巻き込まないかということである。
彼は既に断罪イベントで断罪対象になったり、ロベルタからの嫌がらせを一緒に受けたりと、十二分に巻き込まれているわけではあるが、なるべくならこれ以上は彼を危険に晒したくないというのは、婚約者を溺愛するルチアとしては自然な心情であろう。
「頑張ってくださいませね」
にこりと優雅に微笑んで、ルチアはナナミにエールを送った。
二章第五話をお読み下さり、ありがとうございます!
キャラの設定を出す回は、髪や瞳の色がなるべく被らないようにとか、色々と考えることが多いですね…。姓名共に既存のキャラとは響きの遠いものをチョイスしているつもりですが、少しでも覚えやすいものになっていましたらと願っております!
諸々工夫して参りたいと思いますので、暖かく見守って頂けますと、とてもとても嬉しいです。




