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第3話 ヒロインによる尾行

「ルチア様、お昼をご一緒してもよろしいですか?」


ナナミ・ルアルディの満面の笑みが目の前にある。

ここで引きつり笑いなど浮かべないのが、転生悪役令嬢ルチア・ヴェルディアナ・モンテサントである。

彼女が幼少期からの血の滲むような努力によって精巧に作り上げてきた公爵令嬢の仮面は、そう簡単には壊れない。

これを剝がすことができるのは、彼女が気を許すごく数名だけである。


「ごめんなさい、ナナミ様。お昼は私、婚約者と二人きりでと、お約束しておりますの」


にこやかに微笑みかけて、ルチアはその容姿端麗という設定のある美貌に、気品を絶やさない。

始業式の翌日のこの日、何かとナナミはルチアにべったり付いて回ろうとしていた。

教室移動はまだ良いにしても、トイレに立つタイミングまで合わせてくるのには苛立った。

ルチアは前世から、金魚の糞のようにくっついて回るタイプの女子が、苦手である。


「まあ、それはお邪魔するわけにはいきませんね」


そう言って上品に微笑むナナミもまた、なかなかの役者であるようだ。

ヒロインとして転生してきた彼女が、服装の乱れを指摘した教師に対し舌打ちして悪態をつくのを、ルチアは目撃している。

心の中ではこの女、思い通りにいかなくて舌打ちしているに違いない――ルチアはそう考えながらも、申し訳なさそうな表情をつくる。


「ご理解に感謝致しますわ。それでは、ごきげんよう」


昼食の入ったバスケットを持って、さっさとナナミから逃げようと、ルチアは席を立った。

教室の入り口へ視線を向けると、丁度ルチアを迎えに来たらしいシルヴィオと目が合って、自然と本物の笑みが浮かぶ。


「ルチア様、お持ち致します」


紳士としてどこに出ても恥ずかしくない美しい所作で、シルヴィオはさっと手を差し出した。


「ええ。ありがとう」


その手にバスケットを預けて、ルチアはシルヴィオの隣へ身を寄せ、素早く腕を組んだ。

邪魔してくれるなという、ルチアなりの周囲への――特にナナミへの――無言の圧力のつもりである。

華奢ながら姿勢良くしっかりとした足取りのシルヴィオに、ルチアはいつも以上に甘えるように寄り添った。

僅かに赤らんだ頬を見上げながら、ルチアはナナミによって与えられていたストレスを、早くも愛しい婚約者に癒されていくのを感じた。


「中庭へ行きましょう」

「はい」


ルチアが提案した中庭は、二人で昼食を摂るお気に入りスポットである。

春の温かなこの季節は、貸し切りというわけにはいかないが、中庭のベンチとベンチの距離はそこそこあって、少しくらい婚約者といちゃついていても許される雰囲気がある。


「あっちがいいわ」


座る場所は、いつもルチアの希望をシルヴィオが聞いてくれている。

さっとハンカチを取り出して、ルチアが座りたい場所に敷いてくれるシルヴィオの紳士的な振る舞いに、初めの頃ルチアは感動したものである。

今となっては、ルチアのお尻が乗っていたハンカチをその後何に使っているか、何となく想像がつくのであるが――そんなことくらいは許せる程度には、ルチアはシルヴィオが好きでたまらない。

恋の病にすっかり感覚が狂ってしまったとは思うが、最早それでも幸せならば、このままでいいと思っている。


「はい、シルヴィオ様。あーん」


サンドイッチをひとつシルヴィオの口元に近づけると、彼は素直に口を開く。

初めてした時は気恥ずかしさもあったのに、今ではこうすることに何の抵抗もなくなってしまった。


ぱくりとシルヴィオが齧ったのを見届けて、彼の歯型に欠けたサンドイッチをルチアは自分の口元へ運ぶ。

そして、わざと噛み跡のある部分を、齧って咀嚼する。


「る、ルチア様!またそんなことを!」

「いいじゃない。このほうが美味しいんだから」


どうかしていると、自分でも思いながら。

シルヴィオの奇行の数々のうち、いくつかは共感できるものもあると思い始めた最近のルチアは、婚約者に毒されてそろそろ変態の仲間入りをしているのかもしれない。


「はい、あーん」


ルチアが齧った面をシルヴィオの口元へ持っていけば、やはりシルヴィオは素直に口を開く。

されると恥ずかしがるのに、するのはいいだなんて――と、思いつつもその心理を、ルチアは理解し始めていた。


「あの、ルチア様」


シルヴィオが、小声で慎重に話しかけてくる。

何事かと、ルチアは耳を傾ける。


「見られている気がするんです」


変態バカップルっぷりが目に余って、誰かに睨まれているのだろうか。

そう思ってルチアは周囲を見回す。


「あそこ…」


シルヴィオがこっそりと指し示した方向を見ると、木陰のベンチに見覚えのある人物が一人で座っていた。


(ナナミ・ルアルディ…!まさか、私をつけてきたの!?)


今日一日ナナミに付きまとわれていたルチアには、彼女がルチアをつけてきたとしか思えなかった。

シルヴィオの指摘通り、彼女はチラチラとルチアたちのほうへ視線を向けている。


「シルヴィオ様…あの子にはなるべく関わらないで」


低めの小声で、ルチアはナナミのほうを見ずに言う。


「わかりました。でも、どうしてですか?」

「ヒロインなの」


問わずとも何のヒロインかくらい、シルヴィオにもそれだけでわかる。


「しかも多分、転生者」


ごくりとシルヴィオが唾を飲み込む。


「私はあの子に目を付けられてしまってるみたいだけど、それは私が悪役令嬢だからかもしれないわ」


ナナミのことを話していると悟られないよう、ルチアはわざと手の中でサンドイッチを弄んで、それをシルヴィオの目の前に翳してみたりしている。


「あなたは幸運にもモブだから、逃げ切れるかも」


にこりと笑ってサンドイッチをシルヴィオの口元に運ぶと、その意図を察したシルヴィオはぱくりとそれにかぶりつく。


「あなたが攻略対象外でよかったわ。おかげで、悩みがひとつ少なくて済んでいるもの」


もぐもぐと咀嚼しているシルヴィオの銀の髪に、ルチアはそっと触れる。

柔らかく梳くように指を通せば、その感触の心地良さに少し心が落ち着いた。


「ぼくがゲーム上でどんなキャラだったとしても、ぼくを攻略できるのはルチア様だけですよ」


そう言って微笑むシルヴィオに、ナナミから不可解な視線を向けられている最中であるというのに、ルチアの心は安らいだ。


「ねえ、シルヴィオ様。大好きよ」


無意識にそんな言葉が口から勝手に出ていた。


「どうしたんですか、急に」


ぽっと頬を赤らめたシルヴィオが、嬉しげにはにかむ。


「シルヴィオ様って不思議だわ。温かくて、きらきらしていて、春みたい」

「本当にどうしたんですか!?」


ますます頬を紅潮させて、喜びながら戸惑うシルヴィオが、ルチアは愛おしくてたまらなかった。


「思ったままを言っただけよ」


二人で齧って小さくなったサンドイッチを、ルチアは呆けたように開いたシルヴィオの口へ押し込んだ。

そしてその口からはみ出ているサンドイッチの半分に、そのまま齧りついた。


「!?!?」


一瞬、唇が触れた。

ルチアは悪戯っぽく笑っている。


「な、何するんですかルチア様!ここは学校で、中庭は今、貸切ではないんですよ!?」

「ええ、そうね。責任を取って結婚してあげるから、それでいいでしょう?」


口では抗議しているシルヴィオも、口元のにやけは隠しきれず、まんざらでもなさそうである。

ルチアは上目遣いに妖艶に微笑んで、余裕を演出する。

しかしそれは、本当は自分のしたことへの羞恥に対する、照れ隠しである。


「…駄目です、それだけじゃ」


顔を真っ赤にしながら、シルヴィオがぼそりと呟くように言う。


「ルチア様が一生、ぼくだけ愛してくれなきゃ、ぼくだけのルチア様でいてくれなきゃ、結婚してくださるだけじゃ駄目です」


恥じらいながらそう口にするシルヴィオは、耳まで真っ赤になりながらも、その真摯な眼差しを真っ直ぐにルチアに向けている。


「あら、そんなのは…当たり前のことよ」


嬉しくて今にも愛していると叫び出したいのに、ルチアは強がって何でもないことのように言う。


「…ぼくだけを踏んでくださらなきゃ」


せっかくのムードが台無しになった――かと思いきや、暗灰色の瞳は依然真摯で、こんなふざけた内容にもルチアの心臓はとくりと跳ねた。


「当たり前よ、あなたしか踏む気にならないわ」


言っていることがすっかりおかしくなっているというのに。

胸が甘く騒いで、ルチアは麻痺してしまっている。


「ぼくだけを縛って、ぼくだけを貴女の奴隷にしてくださらなければ」

「…善処するわ」


とはいっても、流石に限界はある。


「善処って何ですか!?ルチア様、まさか他の人を縛ったり――」

「しないわよお馬鹿!変態!」


怒鳴ってからルチアは、はっとする。

こんな会話をナナミに聞かれたら、どうなるかわからない。

彼女が何のためにルチアに付きまとい、何のために中庭までつけてきたのか、ルチアは知らないのだ。


「シルヴィオ様」


声のトーンを落として、ルチアはシルヴィオに呼びかけつつ、ナナミのほうへちらりと視線を遣る。

彼女が手にしている昼食はおにぎり。

この世界のこの国でおにぎりなんて見たのは初めてで、やはり日本からの転生者で間違いないとルチアは確信する。


「あの子に聞かれると不味いわ。何を考えているのか、まだよくわからないの」


シルヴィオは黙って神妙に頷く。


「あまり信用できるタイプだとは思えないわ。始業式の日にスカートを短くしていて、先生に注意されてたんだけど、舌打ちして『クソオヤジ』って言ってたのよ」

「うわあ…」


シルヴィオは眉を顰める。

その苦そうな表情で、彼にとってもナナミは苦手なタイプなのであろうと察せられる。


「あの子は私と仲良くしたいみたいだけど、私は他の誰かに気が逸れてくれるまで、心底つまらない接し方をして飽きてもらうつもり。あなたはとにかく、接点を持たないように気をつけて?」

「わかりました」


そんな気の抜けない話をした後で。

二人はちゃっかり、残りのサンドイッチを食べさせ合った。


昼食を終えて教室に戻ろうとすると、ナナミもほぼ同時にベンチから立ち上がってついてきた。

ルチアには、彼女に付きまとわれる理由が、さっぱりわからない。

悪役令嬢をストーカーするヒロインなんて聞いたことがないし、何より、ルチアをストーカーしていいのは婚約者のシルヴィオだけである――とは、彼女の脳内のお花畑で作り上げられた、根も葉もない理論であった。

二章第三話をお読み下さり、ありがとうございます!


変態がいちゃついてるだけみたいな話が続いておりますが…ちゃんと物語展開させますので、今後ともお付き合い頂けますととてもとても嬉しいです!

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