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頭脳派悪役令嬢と婚約者

ロベルタ・ピアツェラは伯爵令嬢である。

シレア学園ではルチア・ヴェルディアナ・モンテサント公爵令嬢と成績トップを競っており――そしていつも、僅かに負ける。

そのことを悔しく思いながらも、同時に勤勉で優秀なこの学友に、ロベルタは尊敬の念を抱いてもいた。


ルチアは容姿端麗な上に、公爵令嬢という身分まである。

その時点で、貴族社会で恥ずかしくない最低限の作法と教養を身に着けてさえいれば、不自由のない将来が約束されているも同然である。

にも拘らず、彼女はまるで不幸な未来への不安に怯えてでもいるかのように、努力に努力を重ねている。

ルチアが涼しい顔で何でもこなしているように見せているため、周囲はその努力にあまり気づいてはいないようだが、ロベルタの目は誤魔化せない。

何せ、彼女はロベルタが唯一自分より優秀と認めた好敵手(ライバル)なのだ。

負けず嫌いのロベルタが、敵を分析しないわけがない。


そんなルチアにも、欠点と呼べるものはある。

壊滅的なまでに伸びしろの無い運動能力と、婚約者が実は変質者だというこの二点である。

嫌味なほどに才色兼備なルチアの印象からして、前者はご愛嬌であるが、後者はあまり笑えない。

前婚約者が節操の無い女好きだったことも含めて考えると、彼女は男運が無いのだろう。

ルチア自身はあれほどの優良物件であるのに、不憫なことである――そう、ロベルタは思っている。


「ロベルタ様、お荷物をお持ち致します」

「あら、ありがとう」


観劇が終わり席を立ったその瞬間、小麦色の逞しい腕を伸ばして申し出た婚約者のアドルフォに、ロベルタは大した重さも無いハンドバッグを手渡す。

力強い目元を細めてにこりと微笑んで、彼はロベルタをエスコートするため、片肘をそっと曲げて腕を組むことを促す。

ロベルタは自然とそこへ手を伸ばし、特に何を思うこともなく当然のように腕を組む。

すぐに彼らは、劇場の外へと歩み出した。


精悍な顔立ちをしたこの男爵家の子息は、王国騎士団への入団を志す、正義感が強い実直な男である。

身分がそう高くないことには目を瞑るとすれば、見目もかなり良いほうであるし、何よりその善良な人格により人望も厚く、悪くない結婚相手だというのがロベルタの感想だ。

頭脳派である彼女からすれば、あまり頭が良いほうだとは思えないのが、不満な点なのであるが。

変質者よりはマシだと、最近では思うようになってきた。


「ロベルタ様、お手をどうぞ」

「ええ」


差し出された手を取れば、力強く馬車の中へ引き上げられる。

力強いからといって粗暴かといえば決してそんなことはなく、完璧に紳士的な振る舞いである。

アドルフォの隣へ腰掛けようとして、ロベルタはほんの僅かに、今までより彼に近いところに座った。


この男がルチアに熱を上げていたのは、知っていた。

しかしそれは浮気と呼べるようなものではなく、片恋の切なさを募らせるだけのものだった。

例え両想いになっていたとしても、誠実な彼のことであるから、ロベルタとの婚約を先に解消でもしない限り、何一つ踏み外すことはなかっただろう。

ロベルタにとって、彼は好きでもないただの決められた婚約者である。

心だけで他の誰かに入れあげていようと、裏切り行為が無い範囲では何を感じることもない。

むしろ彼の恋心を、自分の野心を満たす目的のために利用してやろうと思ったこともあったくらい、彼の愛情が誰に向いていようがそれ自体には興味がなかった。


そんなアドルフォが変わったのは、ルチアに新しい婚約者ができて仲睦まじくするようになってからである。

彼は何かとロベルタによく構うようになった。

ルチアへの想いを断ち切るためにそうしているのだろうと、ロベルタは冷めた目でそれを見ていた。

初めは実際、そうだったのかもしれなかった。

しかし段々と、何か違うものを感じるようになってきたのである。


「…ロベルタ様。手を、繋いでもよろしいでしょうか?」


頬を赤らめながら、茶褐色の瞳を真摯に向けて来るアドルフォ。

ロベルタには彼が理解できない。

数か月前まで、あんなにルチアを熱っぽい眼差しで見つめていたというのに。

今だって、ルチアにぐっと近づかれでもすれば、この男は顔中真っ赤に染まるだろうに。

何故今更、ロベルタにこんな態度を取るのか。


「いけませんか…?」


ロベルタが答えずにいると、アドルフォが眉尻を下げて不安げにする。

馬車は既に走り出し、道の起伏に沿うように二人は揺れている。


「構いませんけれど、理由をお伺いしてもよろしくて?」

「それは――」


アドルフォは口を開いて閉じる。

言うか言うまいか迷っている様子である。


「言えないような秘密を抱えていらっしゃるのなら、そうおっしゃってくださってもよろしくてよ?」


僅かな苛立ちに、ロベルタは棘のある声色でそう告げる。

何に苛立っているというのか、彼女自身瞬時には判断がつかなかった。


アドルフォとは婚約者ということもあり、幼少期から交流がある。

恋愛感情抜きにして、友人としての信頼関係は出来上がっているはずだ。

なのに、思わせぶりな態度をしながら、どうにも煮え切らない様子で答えないのは、不誠実である――と、きっとそう感じたに違いないと、ロベルタの脳裏では解が弾き出された。


それでも腑に落ちはしない。

ロベルタ自身、アドルフォを嵌めて当主の座を手にしようと計画したことがあったほどに、したたかなのだから。


「…全て正直にお話します」


真摯に向き合うアドルフォの目に、ロベルタのアイスブルーの瞳が映っている。

情に厚く正義感の強いこの男とは、根底で相容れない――以前から思ってきたことだが、この目で見られると余計にそれを強く確信してしまう。

ロベルタは良くも悪くも野心家で合理主義であり、道徳面は必要とあらば真っ先に斬って捨てるような冷徹さを持っている。

彼女の心に炎を灯すのはいつだって闘争心で、他のご令嬢たちのように恋や愛ではなかった。


「わたくしは、不誠実な男です。もう過去になったことではありますが…ロベルタ様という婚約者がありながら、他の女性に現を抜かしておりました」


神妙な顔つきでそんなことを告白してくるアドルフォが、いっそ滑稽で笑ってしまいそうだった。

その程度のことにロベルタが気づかないと思っているあたり、会話相手としても張り合いがないと、ロベルタは思ってしまう。


「不貞行為などは決してございませんが、この心は――」

「存じておりますわ。ルチア様でしょう?」


予想通り、アドルフォは瞠目した。

純朴で間抜けな男だと、馬鹿にしたような気持になると共に、ロベルタには無いその純粋さに一種の尊敬のようなものも感じる。

相容れないが、嫌いではない。


「でしたら、率直にお話させて頂きます。わたくしたちは、ルチア様に失恋した者同士、お互いの傷を癒せるのではないかと思うのです」


真剣な表情をして、愚直な男が、異界語をしゃべっていると思った。

一秒、二秒、三秒と、馬車の車輪と馬の蹄の音をたっぷり聞いて、


「なんですってぇ!?!?」


ロベルタは、今までに発したことのない、素っ頓狂な悲鳴を上げた。


「で、ですから!ロベルタ様も、ルチア様のことを好いておいでだったのでしょう?」

「あたくしが、ルチア様を何ですって!?!?」

「…偏見は無いつもりです。どうかご安心ください」


安心などできるわけがない。

この男は、ルチアに恋心を抱いていたことを言い当てられたロベルタが、それ故に羞恥と混乱で叫んでいると思っているらしい。

あり得ない。


「ロベルタ様は、ルチア様のことばかりご覧になっておいででした。特にルチア様が再婚約されてから、嫌がらせのようなことまで――ああ、決して他言するつもりはございません」


侮っていた。

嫌がらせ行為のことをこの男に勘づかれていたとは、ロベルタは思っていなかった。

それだけルチアを相手取ることに必死で、夢中だったのだ。


「初めわたくしは、そういったものは女性特有の、何と言いますか…。ルチア様は唯一、ロベルタ様より…その」

「つまり、毎回あたくしより試験で高得点を取るルチア様に対して、嫉妬に狂ってあたくしが嫌がらせをしていたと?」

「無礼を承知ですが…」

「はっきりおっしゃって頂いて結構ですわよ」


呆れと怒りと苛立ちに加えて、ロベルタの中に好奇心のような期待があった。

つまらない男だと思っていたのに、これはなかなか面白い展開だと、どこかで俯瞰している自分がいる。


「…ですが。ロベルタ様の瞳の奥に宿る青く燃えるような炎に気づいた時、これは全く別種のものであるのだと思ったのです」


確かに別種のものだ。

嫉妬ではなく、ロベルタが抱いていたのは尊敬混じりの闘争心。

それ故に、犯罪行為に走ってルチアの命を取ろうとするほどに、その感情は熱かった。

剣を取っている時のアドルフォと同じようなものなのだと説明しても、きっとこの男は理解しないだろうが。


「叶わぬ想いの苦しさは、わたくしにもわかるつもりです。わたくしたちは分かり合えると、そう思うのです!」


熱のこもった声で告げて来るこの男の勘違いが、清々しい程に面白くなってきた。

ルチアと交わすような、脳が二つ三つ欲しくなるような会話とは違うが、これはこれで悪くない。


「本来、わたくしたちは婚約者同士です。本来の正しい形に納まることができれば、そしてそれがお互いのためになればと思うのです。誰も不幸にせず、誰もが祝福する道を歩みながら、痛みさえも分かち合って手を取り合えるとすれば、それは理想の関係なのではないでしょうか。勿論、ロベルタ様が淑女にしかそういった感情は持てないとおっしゃるのなら、無理に押し付けようとは――」

「ふっ、ふふっふっ…!」


アドルフォの熱弁を遮って、ロベルタは腹に手を当てて笑い出す。


「あははははっ!!!」


淑女としては下品であるが、堪え切れずに声が大きくなってしまった。


「アドルフォ様。想像力は文明を育てる良い肥料になりますけれど、それは流石に何も実らない説でしてよ?ふ、ふふふっ!」


きょとんとして見つめて来るアドルフォが、いっそ愛らしくさえ感じる。


「あたくしは、淑女に対してそういった種類の感情を抱いたことはございませんわ。勿論、偏見は無いつもりでしてよ?ですから、アドルフォ様の勘違いがおかしくって…!ふ、ふふっ、あははっ!!」


普段冷静なロベルタがここまで笑うことは珍しく、勘違いと断言されたアドルフォは羞恥で真っ赤になった。


「も、申し訳ありません。馬鹿げた考えを抱いてしまい…」


眦に涙を滲ませて俯き加減になるアドルフォが、筋肉質の逞しい身体つきなもので、一層滑稽な絵に見えた。


「構いませんわ、だって、面白いお話でしたもの!ふふっ」


笑いのために涙を滲ませた目元を拭おうと、ロベルタが眼鏡を押し上げる。

レンズを通さずに一瞬、二人の目が合った。


令嬢らしい余所行き顔とは違うロベルタの笑顔を、真正面から見たアドルフォが一瞬、変な顔をする。

それからすぐに赤面して目を逸らしたのを見て、ロベルタはおやと思った。

この男は単に惚れやすい、単純な生き物なのかもしれない。

けれど――。


「アドルフォ様と、もっとお話したくなりましたわ。あたくしには無い発想をお持ちの方と議論をしてこそ、新しい発見があるものですから」


笑いを収めて、ロベルタは口角を上げる。

アイスブルーの瞳に宿っているのは、好奇心という名の小さな炎。

それは闘争心と呼ぶにも、恋と呼ぶにも、熱量の足りない僅かなものだったが。

それでも充分に、彼女はこれまで内心で軽視していた婚約者に、ようやく興味らしい興味を自覚したのだった。

番外編『頭脳派悪役令嬢と婚約者』をお読み下さり、ありがとうございます!


ロベルタをサイコパスという設定にしようか一時期悩んだこともありましたが、その案はボツにしまして、こんな感じのキャラになりました。

もう一話くらい番外編を挟んだら二章に入りたいと思いますので、よろしければまたお付き合いくださいませ!

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