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王子オルランドによる尾行

オルランド・アウグスト・トリスターノは、このトリスターノ王国の第一王子である。

決してストーカーなどではない――はずである。


儚げな美貌を持つオルランドは、絵本から抜け出して来たような理想の王子そのものの容貌を持つ。

歩くだけで令嬢たちの視線を自然と攫ってしまうほどに美しいのは勿論のこと、学業も人格も文句の付け所がなく、国中から将来を嘱望されている。


そんな彼が今、裕福な商家の子息風のお忍び衣装に身を包み、仲睦まじそうに手を繋いで歩く少年と少女を尾行しているのは、何の因果か。

道行く人々を振り返らせずにはいられないほどに美しいオルランドは、身分不相応な服装をしていても人目を引く。

だが、まさかそれが王子だなどと思い至る者は、今のところいないようである。

彼の尾行に気づいていない二人を、順調に追いかけている。


「ねえ、シルヴィオ様。あの店のクレープを食べていかない?美味しいのよ」


追われている少女の名は、ルチア・ヴェルディアナ・モンテサント。

容姿端麗、頭脳明晰で公爵令嬢という身分を持ち、ピアノが特技だという、嫌味なほどに才色兼備な令嬢である。

抜群のスタイルを隠しきれていない町娘風のお忍び衣装を着た後ろ姿に、プラチナブロンドのふんわりとした長い髪が風に靡いて、昼下がりの太陽の下で煌めきながら揺れている。


「少し並びそうですね。そちらでお待ち頂けましたら、ぼくが買ってきますよ。ルチア様はストロベリーミルク味ですよね?」


そう答えた少年の名は、シルヴィオ・ベルトロット。

彼はルチアの婚約者で伯爵家の長男であり、その貴公子としての立ち振る舞いは申し分ない。

華に欠けるものの優し気に整った顔立ちをしている彼は、学園でも女子生徒に結構人気があったりする。

しかしオルランドは知っている。彼がルチアを尾行し、彼女にまつわるものを集めていたりする、変質者だということを。

ルチアに合わせて平民風の格好をしている彼の銀の髪もまた、昼下がりの太陽の光を受けて輝いている。


二人並んだ後ろ姿が絵になっているのを見て、オルランドは甘酸っぱい感情が湧いてくるのを自覚した。


「そうだけど…どうしてわかったの?」

「ルチア様は、晴れの日はストロベリーミルク、曇りの日はキャラメルチョコレートをよくお召し上がりになっていましたから。雨の日はそもそも、お立ち寄りになりませんよね」

「そうだけど!あなたとここに来たことは無いのに、どうして知ってるのかってこと!」

「それは勿論、ぼくがいつだってルチア様のことを見ているからですよ」

「つまりストーカーしていたってことね?」

「…辛かったんですよ?ルチア様がオルランド王子といちゃいちゃしているのを、ずっと見ているのは」

「いちゃいちゃなんて、してないわよ!!」


怒り半分、焦り半分に翡翠色の瞳を揺らして婚約者を見遣るルチアの様子から、彼女がシルヴィオに翻弄されるほどに一生懸命彼を愛しているのだと、伝わってくる。


「でも…もうあなたとしか出掛けるつもりはないから。機嫌を直して?」


繋いでいた手を両手で取って握り締め、ルチアは翡翠色の瞳で上目遣いにシルヴィオを見上げている。

婚約したての頃は、ルチアのほうが気ままに振る舞ってシルヴィオを翻弄していたように見えたというのに、こうしてしおらしくなるところを見ると、ますます彼女が彼に夢中なのだと見て取れる。


「ルチア様にそんなに可愛くお願いされると、弱ってしまいますね」


蕩けるように微笑んで、シルヴィオはルチアに顔を寄せていく。

良い雰囲気である。

ルチアに夢中だったことのあるオルランドにとっては複雑な想いもあるが、この状況を祝福できる程度には気持ちの整理はついている。


そっと優しく、シルヴィオの唇がルチアの髪に触れ――。


「ちょっと、こんなところで何よ!変態!」


真っ赤に頬を上気させたルチアが、叱りつけるように言いながらシルヴィオを押し返していた。

髪フェチの彼は、ルチアの髪――傍から見れば頭部――に接吻を繰り返そうとしていたようである。

彼の奇行にしてはマシな部類ではあるが、ありふれた光景に紛れられる行いではない。


「ご、ごめんなさい!調子に乗りました!」


ぺこりぺこりとなりふり構わず頭を下げるシルヴィオの様子からも、いかに彼がルチアに夢中なのかということが伝わってくる。


「もう、いいわよ。…二人きりの時に、ね?」


頬を染めたまま顔を背けながら、ルチアはシルヴィオの頭を撫でている。

紛れもなく、ルチアはこの変質者が好きなようである。


「はい!!!」


途端に嬉しそうに顔を上げて喜ぶシルヴィオは、尻尾を振って喜ぶ忠犬を連想させる。

どう見ても彼らは愛し合っているし、現状として上手くいっているようである。

オルランドは、人知れず安堵に胸を撫で下ろした。


実は彼が尾行などをしていたのは、この二人のことを心配してのことである。

従姉弟であるルチアから直接相談されはしなかったものの、彼は二人を取り巻く不穏な空気に気づいていた。

数か月前から、何者かが彼らに嫌がらせ行為を繰り返していたようなのだ。

それが収まった頃から、この二人はどうもぎくしゃくしていた。

彼らの婚約の陰の立役者でもあるオルランドは、何か問題が起こっていたのだと勘づいて、片付いていないなら世話を焼こうと、様子を見に来たというわけだった。


――と、いうのは理由の内の半分。

オルランドなりに諦めたとはいえ、初恋の想い出は胸に大切にしまってある。

ルチアが好きになったのは、どんな男だったのか――彼はそれを知りたくて、変質者の真似事をしてみたのだったりもする。


「オルランド王子殿下」


耳障りの良い低音ヴォイスで背後から呼ばれ、オルランドはびくりと跳び上がった。

振り返れば、そこに初老の執事がいる。

オルランドもよく知っている、ルチアの世話をするモンテサント公爵家の執事ロレンツォだ。


「殿下にまで尾行の悪癖が移ってしまわれるとは」

「いや、そういうわけではないのだが」


揶揄うような執事の言に、オルランドは思わず眉を顰める。

それは不敬を問うためというよりは、尾行がバレてしまった羞恥によるものだった。


「そういうお前はどうなんだ?」

「お忍びとはいえ、ルチアお嬢様に何かあっては私奴(わたくしめ)の責任でございます」

「ではもしかして、これまでもずっと――」


モノクルの奥で目を細めて、初老の執事がにこりと笑う。

それが肯定の意であることがわかり、更なる羞恥にオルランドは赤面した。

ルチアとオルランドとの二人きりのお忍びだと思っていた頃にも、この執事は彼らを常に見ていたのだろうことが察せられたのだ。


「万一のことがあっては、旦那様に合わせる顔がございませんので。無礼をお許しくださいませ。しかし、殿下は何故(なにゆえ)に?」


俯き加減にしながら、オルランドはしぶしぶ口を開く。


「……あの二人が上手くいっているのか、確認したかっただけだ。彼をルチアの婚約者にとモンテサント公爵に強く推薦したのは、俺だしな。少し前まで問題を抱えていたようだから、様子を見に来た」

「そうでしたか」


微笑みながら頷く執事の様子からは、彼がルチアたちに告げ口するようなことは無さそうに見受けられた。

僅かに安堵して、オルランドは真っ直ぐに執事を見る。

すると――。


「しかし、残念ですね。もっと早くに殿下がルチアお嬢様を尾行していてくだされば、今頃あそこにいらっしゃるのは……」


思いもかけないことを言われて、瞠目した。


「誰かが後をつけてきているとお嬢様が気づかれた頃から、お嬢様はその誰かのことを気にしていらっしゃいました。今思えばですが、それが嫌悪ではなく興味に偏っていたのは、異常なことだったのかもしれません」


今しがたクレープを手にベンチに腰掛けたルチアたちに視線を向けながら、執事は語っていく。

その何とも複雑な表情から、その事を他言することに罪悪感がありつつも、打ち明ける開放感が(まさ)っているという様子に見える。


「お嬢様は、愛されていると信じることを極度に怖がっておいででした。そのせいで、ご本人も気づかないうちから、行き過ぎた愛情表現を求めておいでだったのかもしれません。そのくらいされなければ、安心して信じられなかったのでしょうから」


ロレンツォが口元では微笑みながら、困ったように眉尻を下げる。


「もしお嬢様を尾行していたのが他のご子息だったらと、時々思うのです。お嬢様が想いを寄せるお相手は、誰であろうとその変質者(ストーカー)になったのではないかと」


どくりとオルランドの心臓が脈打った。

諦めたはずの感情が膨れて、未練という名の塊が胸を掻き回すような痛みが襲う。


ルチアたちのほうへちらちらと目を向ければ、クレープを食べ慣れていないのか、シルヴィオの口元がそこそこ汚れていた。


「シルヴィオ様ったら、ついてるわよ」

「え、どこにですか!?」


そう聞こえて来たと同時に。

ルチアがシルヴィオに顔を近づけ、そのままシルヴィオの口元へ接吻しながら、そこに付いていたクリームを舐め取った。


「っ――!!ルチア様、こんなところで困ります!!」

「あら。シュガーバター味も結構美味しいじゃない?」


真っ赤になって瞳を潤ませ慌てふためきながらも、シルヴィオの顔には確かな喜色が浮かんでいる。

悪戯気に笑うルチアの端正な顔に浮かぶのも、紛うことなき満面の笑み。


それを見てオルランドは確信する。


「否、ロレンツォ。俺ではルチアにあんな表情をさせられない。ルチアが彼を選んだのは、それだけではなくて、もっと別の――」


視線の先で、シルヴィオが何かを決意したような表情をしたので、オルランドはそこで言葉を切って固唾を飲んだ。


「お気に召したのでしたら、もっと差し上げます」


そう言ってシルヴィオは自分のクレープを口に含み、そのままルチアのほうへ唇を寄せていこうとする。


「ま、ま、待って!こんなところでそれは、やり過ぎだから!駄目!駄目だったら!!」


ルチアに全力で拒否されて、シルヴィオは渋々引き下がる。

上目遣いで恨めし気にルチアを見る彼の頭を、ルチアは苦笑しながら撫でていた。


初老の執事に視線を戻し、オルランドは微笑みを浮かべる。


「ルチアがあんな表情を見せるほど心を許せる何かを、きっと彼は持っているんだろう。そうでなければ、ルチアがあんなにも幸せそうなわけがない」


胸の痛みは消え、わだかまっていたものが晴れ晴れとした確信に変わっていく。


「例え俺がもっと早くからルチアを尾行していたって、彼の代わりにはなれなかっただろう」


それだけ言うと、ロレンツォにくるりと背を向けて、オルランドは足を踏み出した。

帰途につく彼の美貌に浮かぶのは、穏やかな笑み。


彼女の隣に相応しいのは、彼なのだと納得しているからこそ。

その胸にある想い出は、いつまでも美しい。

番外編『王子オルランドの尾行』をお読み下さり、ありがとうございます!


実は、<シルヴィオ・ベルトロットの日記>というものを上げようとしていたのですが、取り下げました。

ストーカーが書いている日記なので、気持ち悪すぎてあまりに閲覧注意になってしまったもので…!

せっかく書いたので活動報告に載せようかとも思ったのですが、あちらは年齢制限をつけられずどなたの目に触れるかわからないので、見合わせることにしました。

シリーズ扱いで年齢制限をきつめにして、別枠投稿なら(それができるなら)ありなのかな…と、検討中です。ちょっと考えます!


まだ数話、番外編が続きますが、のんびりお楽しみ頂けますと嬉しく思います。

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