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第31話 悪役令嬢の贈る気持ち

見慣れた臙脂色の天蓋を視界に捉えた。

熱に魘されて目を覚ましたのは、自室のベッドの上であった。


「シルヴィオっ…!」


彼の安否を知りたい一心で身体を動かそうとしたが、僅かに持ち上げた上半身は目眩で力が抜け、ぼふりと落ちた柔らかいベッドのスプリングで数回弾んで止まった。


「失礼致します、ルチアお嬢様」


ロレンツォの声がして、天蓋に吊るされたカーテンが開く。


「お目覚めですか?」

「シルヴィオは無事なの!?」


ぼうっとする頭には、シルヴィオのことしかない。

身体が熱くてだるい。


「シルヴィオ様は、ベルトロット邸で療養中でございます」

「生きてるのね!?」

「命に別状は無いそうです。発見が遅れていれば危なかったと――」


言いながら、執事は水差しからコップへ水を注ぐ。


「ルチアお嬢様、できれば水分補給をなさってくださいませ。ゆっくりと身体を起こせますか?ゆっくりですよ」


ロレンツォに手伝われて身体を起こす間も、ルチアの頭の中では湖でのシルヴィオの様子が再生され続けていた。


「シルヴィオ様は、本当にご無事なのね?」


熱に上気した赤い頬が、更に赤く色付いていく。

肩で息をするルチアを安心させようと、ロレンツォは深く頷いた。


「ルチアお嬢様同様、お風邪を召しておられるそうですが、きちんと療養すれば回復なさるだろうとお聞きしております」

「よかった…」


ようやく水に口を付けたルチアもまた、風邪と熱以外に目立った問題のなさそうなことに、ロレンツォは安堵した。


「お見舞いの花を…真っ赤な薔薇がいいわ!シルヴィオ様に贈りたいの。お願いできないかしら?」


ルチア本人も高熱に苦しんでいるというのに、焦った口調でロレンツォを急かすようにそう口走る。


「シルヴィオ様はまだ意識が戻られていないとのことですが…」

「だったら、毎日!いつ彼が目覚めてもいいように。もう、あんなことをしないように…!お願い、ロレンツォ」


ルチアは自分のせいでシルヴィオが思い詰めて入水自殺を図ったと思っている。


「花と一緒に、私が彼を、彼だけを愛していると伝えて頂戴!目眩がして手紙が書けそうにないの…。そうだわ、口紅と便箋を持ってきて!字が書けなくても、彼になら…」


毎日キスマークを贈れば、愛しているというメッセージになるのではないか。

朧気な意識の中でルチアが考えることは、シルヴィオにどうやって愛を伝えるかばかりである。


愛する人に裏切られる絶望を、ルチアはよく知っている。

多少の勘違いや行き違いはあったにせよ、もし彼女が最愛の婚約者をそんな苦しみで追い詰めてしまったのなら、ルチアは彼を癒すために生涯の全てを捧げる覚悟をする。


「承知致しました。ルチアお嬢様がそうおっしゃるのでしたら、そのように」




それからベルトロット邸に、毎日薔薇の花束が届くようになった。

宛名は未だ意識不明のシルヴィオ、贈り主はその婚約者であるモンテサント公爵令嬢ルチアである。

花束には毎回、一通ずつ手紙と思しき封筒が添えられていた。


シルヴィオがはっきりと意識を回復したのは、三日後であった。

まだ熱も下がらず体力低下の著しい彼は、目覚めるなり婚約者の名をうわ言のように口にした。


三日分の薔薇の花束と、それに添えられた封筒と、その送り主の名を知った彼は、水を飲む間も惜しんでそれを手元に引き寄せたがった。

使用人たちがなんとか彼を宥めつつ水を飲ませ、医師を呼び、かいがいしく身の回りの世話を焼く。

ようやく薔薇の花束を使用人から手渡された彼は、それを抱き締めてルチアの名を何度も口にしながら、涙を流した。


駆け付けた医師が診察を終えると、シルヴィオは熱で朦朧としながら日付順にルチアからの封筒を開けた。

一通目には、署名も何もなく、便箋の中央にキスマークがあった。

それは彼女をストーカーしていたシルヴィオには見紛うはずのない、ルチアの唇を便箋に写し取ったものだった。

二通目には同じようにキスマークがつけられた便箋に、『最愛のシルヴィオ様』という宛名と、『あなたのルチア』という署名が、達筆なルチアらしくもないヨレた文字で書かれていた。

三通目にもまた便箋の中央にキスマーク、そして『この世で最も尊いシルヴィオ様』という宛名と、『あなただけを愛するルチアより』という署名が、前日のものよりしっかりした文字で書かれ、キスマークの下に小さく『愛しています』とメッセージが入っていた。


「ルチア様…どうしてぼくなんかに…ルチア様ぁ」


シルヴィオが三通とも開けて目を通したのを見計らっていた使用人たちが、おいおい泣く彼を再び宥めてベッドに寝かしつけようとする。

安静など無理な相談といった様子のシルヴィオは、弱っている癖に体力を使い果たしそうな勢いで涙を流していた。


「ルチア様は、ルチア様はご無事ですか?これはきっと…最初の日は文字を書けなくて、次の日はなんとか書いてくださったものの朦朧としていて、三日目は前日よりしっかりなさっているもののまだ…」


そこで初めて、シルヴィオは事の顛末を使用人から聞かされる。

ルチアはシルヴィオを助けるために湖に入って風邪を引き、高熱を出して寝込んでいたが、ここ数日で順調に回復しており、もうしばらくすれば完治するだろうと。

湖で彼が幻だと思ったルチアは、本物だったのだ。


「そんな、ルチア様、ぼくのためにお風邪を!?どうして、どうしてルチア様、ぼくなんかを…」


そこへ、四通目の封筒と薔薇の花束が届く。

貪るように手を伸ばしたシルヴィオはそれを受け取ると、もどかしげに封筒を開けて便箋を取り出す。

『この世の全てよりも愛おしいシルヴィオ様へ』と記された宛名の字は、もう達筆ないつものルチアのものと大差がないくらいにはっきりとしている。

安堵と共に続きに目を遣ると、紅の色と香のキスマークと、その下に『あなただけを愛しています。あなたなしでは生きられません。早くお会いしとうございます。どうか良くなって元気なお姿をお見せくださいませ』と、綺麗な文字で綴られている。

署名は『あなたの虜、あなたに夢中なルチアより、愛を込めて』と、情熱的な強めの筆圧で書かれていた。


「ルチア様、嬉しい…!もし、嘘でも…」


記憶を手繰っていくと、レナートに縋るように涙を流す音楽室での彼女の様子を思い出す。


愛しいルチア。

彼女を自分が泣かせてしまったらしい。

愛しているのに、愛されているのに、幸せにできない。

そんな彼女の信頼を得られる男は他に彼女の傍にいて、彼のほうが彼女に相応しいと思った。


膝の上、手元に視線を落とす。

冬の寒い時期には貴重な薔薇の花束が、赤々とシルヴィオに向かって咲き誇っている。

温室で大切に育てられたであろうそれらの、花言葉は『愛』。

それ以上に雄弁に、彼女の唇に触れた便箋がシルヴィオにルチアの愛を語っている。


(不幸にしたくないのに…。会いたい、ルチア様…!)


部屋に彼の世話をする使用人の姿がなければ、シルヴィオはそのキスマークに唇を重ねていたかもしれない。

彼がそれをやりかねないとわかっていて、ルチアはこの便箋をシルヴィオに贈ってくれている。

それだけ許されているのだと思うと、シルヴィオは嬉しくて泣きたくなる。


散々使用人たちに言い含められて、シルヴィオは大人しくベッドに潜り直した。


「ルチア様に、お返しの花束を。やはり真っ赤な薔薇がいいです。それから、ぼくがルチア様を愛していると、どうか伝えてください」


熱に浮かされた赤い頬を更に赤らめて、シルヴィオはそう使用人に頼むと、力尽きたように眠りに落ちた。




シルヴィオが目を覚ましたという報告と共に、ベルトロット邸からお返しの薔薇の花束がルチアに届けられた。

彼に託されたメッセージを聞いたルチアは、その場で嬉し泣きに泣き崩れた。

第三十一話をお読みくださり、ありがとうございます。

手紙なら素直になれる…そんなルチアの愛を綴ったお手紙シリーズは、ストーカーの彼の大切なコレクションに加わることでしょう(笑)


10月22日、アクセス数が過去最高の862を記録しました!!!

読んで頂けているのだと思うと嬉しくて、一人でぴょんぴょん跳んでいました!!!

皆様お一人お一人が目を通してくださることに、心から感謝申し上げます!!!


もう少しで区切りの良いところに到達しますので、ご興味の続く限り、お付き合いいただけますと幸いです!

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