第2話 王子オルランドの攻略
オルランド・アウグスト・トリスターノは、このトリスターノ王国の第一王子である。
弟が二人と、妹が一人おり、母である王妃はルチアの叔母。
ルチアとは同い年で従姉弟関係にある。
血縁もあり宰相の娘である公爵令嬢ルチアは、オルランドと幼馴染として育った。
ゲームのオルランドルートでは、彼とヒロインが恋仲に発展していくと、爵位が低く王妃候補に相応しくないヒロインは、王太子となるべきオルランドの立場を脅かす存在だとして、悪役令嬢ルチアは彼への友情からヒロインを排除しようとする。
ベストエンドに向かうストーリーでは、ルチアがヒロインに仕掛けた罠にオルランドがかかってしまい、窮地に陥った彼を助けたヒロインはオルランドの命の恩人として、国王から勲章を授かる。
このことで国王に気に入られたヒロインは、直々に許可を得てオルランドと婚約、エンディングではめでたく王妃となる。
逆に、王子の命を脅かしたルチアは、その罪により辺境の修道院に送られ、そこで一生を過ごすことになる。
エンディングは他にもハッピー・ノーマル・メリーバッドなど豊富で、選択肢がイベント発生条件となって分岐していく。
バッドエンドは無い代わりに、ゲームオーバーというものはあり、誤った選択肢を選ぶとルチアの罠にかかって死亡や投獄なんてこともある。
さて、そんなメインヒーロー、オルランド。
ヒロインにとっては身分差問題もあり攻略の難しいキャラなのだが、ルチアにとっては幼馴染で接点も多く、序盤の攻略は楽勝である。
転生悪役令嬢であるルチアは、イベント発生条件を満たす選択肢を選んで、イベントが起きるのを待つなんてことはしない。
そんなことをしたところで、ヒロインではない彼女に自然発生的にイベントが舞い込んでくるわけもない。
だから、自らの都合の良い時に、自らの手でイベントを起こすのである。
コツコツと靴音を響かせながら、暗い階段を上がる。
そして最も高い場所にあるその扉を開き、差し込んでくる茜色の光の中へ、一歩また一歩と踏み出す。
先程までの暗闇は背に閉ざされ、夕陽に照らし出された舞台へと躍り出る。
「あら、先客がいらしたなんて。私がいては、ご迷惑かしら?」
夏の日の放課後、雨上がりの濡れた景色。
後ろ姿の男子生徒が、夕陽を浴びてその背に影を背負っている。
ルチアよりも暗めの柔らかそうな金髪が、きらきらと光を纏っている。
答えない彼のほうへ、控え目にそっと歩を進める。
「お隣、よろしいかしら?」
歩み寄って問えど、返事はない。
拒否されないことを無言の肯定と受け取って、ルチアはオルランドの隣に立つ。
濡れた手すりに触れない、ギリギリ手前。
そこから彼は、眼下に広がる景色を静かに見下ろしている。
「ああ、こんなに綺麗な夕焼け、私初めて見ましたわ」
丘の上にあるシレア学園の屋上からは、王都の中心街が一望できる。
美しく整えられた街路や、家々の屋根が、夕陽に焼かれるように染まりながら、雨の名残に煌めいている。
「俺は…。この景色を見ていると、不安になる」
ルチアは首だけで振り返って、オルランドの横顔に眼差しを向ける。
絵に描いたような王子様そのものの、儚げで美しいオルランド。
物憂げに伏せられた金色の睫毛の下で、碧い瞳が揺れている。
「どうしてですの?」
優しく慈しむような声色でルチアは問う。
どんな答えでも包み込むと伝えるように。
「…俺は果たして、これを全て背負えるだけの、男なのだろうかと」
ルチアは数舜口ごもり、僅かに瞼を伏せる。
そしてもう一度しっかりと瞼を開いて、確信を得たような目でオルランドを見つめる。
「ねえ、オルランド様。あなた、この景色がお好きかしら?」
初めて、オルランドが振り向く。
まだ揺れているままの美しい碧い瞳が、ルチアに眼差しを注ぐ。
「…ああ」
何故そんなことを問うのかと言いたげに、訝し気な空気を漂わせながら、オルランドが答える。
「だったら少なくとも、あなたはこの景色を、この街を、そこに暮らす人々を、愛していらっしゃるわ」
ふわりと柔らかく、ルチアは微笑みかける。
つられるように、秀麗な眉目を緩ませてオルランドが微笑む。
「ああ」
その声は、先程とは違って、満ち足りて穏やかだ。
「私も、この景色が大好きですわ。だからもう少し、お傍で見ていてよろしいかしら?」
ゆっくりとオルランドから視線を放し、眼下に広がる夕染めの街を慈しむように見下ろす。
「勿論だ、ルチア」
するとオルランドも、同じようにその方向へ視線を向けた。
どれくらいそうしていただろうか。
夕空の茜と宵闇の青がせめぎ合って、世界の色が移り変わっていく中で。
同じ景色を、彼らは何も言わず、静かに分かち合った。
これは本来、ヒロインが初めて名前を呼ばれるイベントである。
オルランドは、雨上がりに好んで屋上へ上がる。
そして、そこから見える美しい景色が好きで見に来るくせに、彼はいつだって同時に、王太子となるべくして背負っているものへの重責を思って悩まされてしまう。
そんな彼にヒロインが、「あなたは少なくともこの国を愛している」と伝えることで、オルランドの不安は和らげられ、少しずつ自信に繋がっていく。
そして、隣に立ってその景色を共有することで、彼はヒロインが重荷を一緒に背負ってくれているような安心感を覚える。
そこに朧気ながら、王となった時に支えてくれる王妃の像を見出し始める。
――という内容である。
これは、エンディング分岐前の共通イベントである。
オルランドルートに入るなら、必ず起こさなければならない。
スチルの背景が非常に緻密に描き込まれており、ここぞとばかりに気合の入ったグラデーションの色合いが実に美しく、これを見たさに最初にオルランドを攻略するプレイヤーも多かった。
発生条件となる選択肢の意味するところは、オルランドとここまでに三回以上接触して会話を交わしていることである。
それを満たせば、夏の放課後に、雨上がりの夕焼けを見に屋上に上がるという選択肢が現れる。
もともと幼馴染のルチアにとっては、三回以上の会話なんてとっくにクリアしていることだ。
イベントと同じ状況の、夏の放課後、雨上がりの屋上という状況で屋上に上がって、そこにオルランドがいさえすれば、あとはゲーム通りの台詞と仕草を演じるだけである。
シレア学園で過ごす一年目、十五歳の夏にこなしたイベントであった。
第二話をお読みくださり、ありがとうございます。
早速のブックマークや評価も頂き、感謝感激です。
まったり更新ですが、今後もお楽しみいただけましたら幸いです。