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第27話 下級生シルヴィオの前世

シルヴィオ・ベルトロットの前世は、ごく平凡な日本人男子であった。


一緒に暮らすのは父母と四つ歳上の姉で、四人の核家族。

容姿、成績、体力、何もかもが平均値で、目立たない子どもだった。

絵を描くことが趣味で、それだけは特技と呼べたのだが、男の子がお絵描きが得意だなんて気持ち悪いと言われることもあり、特に小学生時代はいじめられたりもした。


中学生になると、露骨ないじめには遭わなくなったものの、学校で陰が薄いだけの彼にこれといった楽しみも、華々しい見せ場も無い。

平凡なだけの日々が過ぎ、浮いた話のひとつもないまま、機械的に学年が上がっていく。


スクールカーストの下の方にいる彼のことを馬鹿にしたような目で見る女子たちが、なんとなく怖かった。

その分の癒しを二次元に求めた彼は、いわゆるオタクと呼ばれる性質の人間になっていった。

ハマったものに夢中になり、それに関連するものを収集していると心が満たされる。

好きな物についてだけは、マニアックなところまで知りたくなり、他の皆が知らないそんな知識を持っていると、それに対しての愛情だけは誇れる気がした。


現世のシルヴィオが今思い返せば、彼の今の性癖の一部はここに由来するのかもしれない。


夢もないまま中学三年生になり、受験生というカテゴリに勝手に分類されて、追い立てられるような生活が始まった。

優秀でもなければ、劣等でもなく、夢もない彼は、モチベーションが極端に低かった。

みるみる自分より成績が下だった同級生にも抜かれ、いつしか落伍者扱いを受けるようになっていた。


その頃大学生になったばかりの姉が乙女ゲームというものにハマりだし、彼とは対照的に楽しそうに毎日黄色い声をあげていた。

二次元に疑似恋愛を求めた姉に、妙な共感を覚えた彼は、興味本位でそのパッケージを覗いて見た。

その時のことを、彼は転生した今でも忘れられない。


パッケージに印字されていたゲームのタイトルは、『愛憎のシレア学園』。

華やかなイケメンたちがデカデカと描かれている中、ちょこんと数人の女性キャラクターも描かれていた。

その中央に、プラチナブロンドの髪と翡翠色の瞳を持つ、世にも麗しき乙女が描かれていた。

彼女に視線が釘付けになると同時に、心臓がとくりと脈打つのを感じた。

それが恋だと気づいたのは、数分も彼女を見つめて我に返った後だった。


二次元にお気に入りの女性キャラクターなら他にもいた。

思春期らしく、彼女らを脳内であれこれして楽しんだこともあった。

しかしその日からは、プラチナブロンドと翡翠の瞳のそのキャラクターだけが、彼の“嫁”になった。


成績のふるわない彼は、夏休みも塾にぶち込まれた。

アスファルトも熱気に歪んで見えるほどに蒸し暑く、電車の中で“嫁”とのイチャイチャを妄想することだけが楽しみだったその日。

帰りに駅のホームで、酔っ払いにぶつかられて線路に落ちた。


その瞬間の事は、スローモーションのように記憶されている。

宙に浮いた身体、落ちて行く感覚、掴まるものの無いまま手が虚空を掻く虚しさ。

近付いてくる電車の音、ライトで照らし出される眩しさ、そして激痛。


この世にさよならするのだと気づいた瞬間、彼は妄想の世界で王子様になって、愛しい“嫁”を姫と呼んで抱き締めた。

いったいあの乙女ゲームがどんな物語だったのか、彼は知らない。

享年十五歳、もう少しで妄想の中の姫に口付けできたところで、彼は痛みと共に全てを失った。




「ぼくが生まれてきたのがあの乙女ゲームの世界だと気づいたのは、自分が入学する学園の名前が『シレア学園』だと聞いた時でした。自分があのパッケージに並んでいたイケメンとは見た目が違うことはわかっていましたが、それでも時代さえ合えば憧れのあのキャラクターに会えるかもしれないと、凄く嬉しかったです」


シルヴィオの独白は続いていた。

ルチアはそれを、黙って聞いている。


「入学したら、一年上にあなたがいて、初めて動く本物のあなたを見て、初めてそのお名前を知って、声を聞いて、嬉しくて嬉しくて。我慢出来ずに尾行したり、色々拾ったりしてしまいました」


ルチアは表情を消していた。

腫れた目がさぞ間抜けだろうと、意識の片隅で思った。


「ルチア様は、あのパッケージのイケメンたちと仲良くしていて…それも、ヒロインなら当たり前のことだと――」

「ちょっと待って」


口を挟んだルチアのほうを見つめ、シルヴィオは次の言葉を待つ。


「私はヒロインじゃないわ」

「えっ」


シルヴィオの勘違いも仕方の無いことかもしれなかった。

『愛憎のシレア学園』は、プレイヤーが感情移入しやすいことを第一に考えてヒロインの設定が作られており、スチルなどでも後ろ向きが基本で顔が出てくることはない。

パッケージに描かれていた女性キャラクターたちというのは、悪役令嬢ばかりなのだ。


「…あの、まず、前世の記憶だなんて言ったことについて、頭がおかしいと言われるかと思っていたのですが…」


シルヴィオの懸念は理解できる。

ルチアだって、自身が転生者でなければ信じなかったかもしれない。


「私も前世は日本人で、その記憶があるの。だから、その点は安心してくれていいわよ。あなたの言う、アスファルトや電車や乙女ゲームが何なのかも、勿論知ってるわ」


瞠目したシルヴィオが、少し前のルチアと同じように動けなくなった。


「いいことを教えてあげるわ。ルチア・ヴェルディアナ・モンテサントは、悪役令嬢なの」

「あく、やく…?」

「そう。お綺麗な役のヒロインとは違って、ヒロインに姑息な嫌がらせをしてその恋愛の邪魔をするキャラ」


口までポカンと開いて、ゲームでは名前も出なかったモブキャラは間抜け面を晒している。


「前世で『愛憎のシレア学園』をプレイした私が、悪役令嬢ルチアとして転生。ゲームの知識を活かして、ヒロインの代わりに彼らを攻略してたってわけよ」


見開いた目を更に見開いたシルヴィオは、何も言えずに口をぱくぱくさせている。


「まあ結局、攻略対象外のあなたに目移りして、それもやめちゃったけどね」


悪役令嬢に似合う不敵な微笑みを浮かべたルチアは、しかしそれをすぐ自嘲に変えていく。


「あなたはそんなことも知らず、ルチアというキャラの見た目だけに恋をした。そして今ここにいる私は、前世で六十三歳まで日本人として生きた記憶を持っている、ゲームのルチアとは全く別の人格」


腫れた目でじとりと婚約者を見据えながら、ルチアは彼に少しずつ歩み寄る。


「それは、つまり」


三歩、二歩、一歩。

縮まる距離に合わせて、暗灰色の瞳だけが動くのが、なんだか滑稽に見えた。


「あなたの恋したそのキャラは、この世界のどこにもいないってことよ」


三秒。

それを限界に、ルチアはくるりと背を向けた。


「まあ、諦めなさい。もう婚約してしまったのだし。私も、見た目だけはそのキャラと同じなんだから、他の女よりはあなたの好きだったお姫様に近いでしょ?」

「そんな、ルチア様…そんなことっ」

「私もあなたの中身が何だっていいわ。おおかた、その見た目を気に入ったんだし」


涙が頬を伝っていることを、気づかれないように。

ルチアは僅かずつ、シルヴィオから遠ざかるように歩を進める。


「蹴り飛ばしたら折れそうなほど細い身体とか、どうせ尻に敷かれそうな気の弱そうな顔とか?攻略キャラよりタイプだったのよね」


ルチアはふっと笑い声を上げてみせる。

彼女の中で折れていく弱い心を悟らせないように。


「だからあなたも気にすることないわ。多少変態でも目を瞑ってあげる。見た目って大事よね?」

「そんな、ぼくはルチア様の見た目だけが好きなわけじゃ――」

「うるさいわね!!!」


自分でも驚く程にきつく、ルチアは怒鳴りつけていた。

足が止まっている。

ぼたりと、涙が冬の大地に染み込んだ。


「絶対に裏切られない方法が、この世にひとつだけあるの。知ってる?」


冷えた声で、ルチアは問いかける。


「いいえ…」


怯え切った掠れ声を返されても、もうルチアは傷つかない。


「初めから誰にも、期待しないことよ」


それだけ言うと、ルチアは二度と振り返らず小道を駆けていった。

シルヴィオは流石に追ってきてはいないようだった。


涙が溢れ出て止まらなかった。

自分自身の不甲斐なさにだ。

けれど彼女はもう、シルヴィオの仕草ひとつに一喜一憂したりなんかしない。

信じない、期待しない、そうすれば二度と裏切られないと、彼女は前世で学んだから。


(私だって、見た目が好きなだけなのよ。心なんて求めないわ)


彼女の本質を、彼だけには理解して愛してほしいだなんて。

もう願いたくないと、思った。

だって彼が愛しているのは、初めから今ここにいるルチアではないのだから。

第二十七話をお読みくださり、ありがとうございます。

そして、ブクマや評価、本当に本当にありがとうございます!!

反応いただける度に励まされております!


拗らせ令嬢と、結構ピュアな変態(ピュアな変態って何でしょうね?)という組み合わせは誰得でしょうか…。

私がひとりで萌えているだけだったりして、と思いつつも…応援して頂けますと幸いです。

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