第24話 不可解な女の友情
二人の悪役令嬢は、もう何分間もナイフと石で押し合いを続けている。
足を払うなり、反対の手で髪を引っ掴むなりすれば状況が動いたであろうことは、彼女らにもわかりきっている。
しかし彼女らは、ただ押し合っていることが嬉しくてそうしているだけだ。
そうすることで、もう和解していて、じゃれているようなものなのである。
お互いにこんな手段しか残さないところまで闘ったことに、二人は満足している。
これは彼女らにとってデザートタイムだ。
だが、そんな風変わりな女の友情を理解できる者など、当人たちを除いているわけもなく。
「ルチア様!ロベルタ様!」
屈強な男子生徒が、校舎から走り出てきて真っ直ぐ彼女らの元へ駆けてくる。
「争いごとはおやめください!」
アドルフォが、二人の間に割って入った。
筋肉質な腕が彼女らの右腕同士を引き離すと、悪役令嬢たちの細腕ではそれに逆らうことはできない。
「邪魔が入りましたわね、興冷めですわ」
「女の友情に水を注すなんて野暮ですことよ」
二人の麗しき乙女に同時に睨まれ、アドルフォは面食らった。
「し、しかし…。お二人とも、特にロベルタ様、こんな危険な物を持ち出して…」
彼女らは同時に嘆息し、そして顔を見合わせて笑い合った。
「ふふっ!」
「あははっ!」
状況を解せないアドルフォは、鳩が豆鉄砲を食ったような間抜けな表情で、二人に交互に視線を向けた。
「女の子には、殿方には理解できない不思議がございましてよ?」
ルチアが翡翠の瞳を不敵に光らせて、アドルフォをぐいと覗き込む。
アドルフォは赤面しながら、一歩下がった。
「ロベルタ様、まだあなたの計画が上手くいく見込みはあるのではなくて?」
「駄目ですわよ、ルチア様。ルチア様がご協力下さらないことくらい、わかっておりましてよ?」
「まあ、お見通しでしたの。私がもう婚約者を不安にさせるようなことはしないと」
クスクスと笑い合う彼女らは、最早親友にしか見えない。
会話の内容もさっぱり解せず、取り残されたアドルフォは所在なげに視線を彷徨わせる。
「ルチア様。あたくし、あなたを尊敬致しますわ」
許してくれるのか、などと無粋な問いかけはしない。
謝りもしない。
ロベルタには、それ以上にルチアが求めるものがわかるからこそ。
「私もですわ、ロベルタ様。よければまたお手合わせ願いたいのですけれど、今度はもっと、体力の必要ない手段でお願いしますわ。私が運動音痴なのはご存知でしょう?」
「ええ、勿論。あたくしたちの得意分野で、そして安全に、お手合わせくださいませね」
贈り合うのは、闘志という名の最上級の敬意。
認め合っている二人の、これが友情の形なのである。
ルチアの側も、殺されそうになったなどと恨み言は言わない。
それは前世も含めての彼女の生涯の中で、歪んで培われてしまった価値観のせいなのかもしれなかったが。
命を賭けるほどに価値あるものとして扱われることは、ルチアにとって栄誉なのである。
「「はっくしょん!」」
淑女らしく上品に口元を覆いはしたが、二人の悪役令嬢は大きなくしゃみをしてしまった。
「ちょっと長く外にいすぎたのかしら…」
そこで、さっと自分の上着を脱いで、アドルフォが婚約者のロベルタの肩にかけた。
「よければどうぞ」
「あら、ありがとう」
はにかみ笑いをするアドルフォは、先程の様子からルチアのことを完全に吹っ切れたわけではなさそうだが、彼なりの答えとしてロベルタを選ぶと決めたように見える。
(結構大切にされてるじゃない)
攻略と称してアドルフォを誑かしてきたルチアとしては、これに安堵せずにはいられない。
「少し談話室で暖まって参りませんこと?」
そう提案したのはロベルタである。
談話室には暖炉がある。
「ええ、そうしましょう」
ルチアとしても反対する理由が無く、既に歩き出したロベルタに歩調を合わせて歩み出す。
アドルフォも、黙ってそれに続いた。
ポーンがポーンを取る。
ナイトがビショップを飛び越え、ルークに狙いを定める。
「…さすがロベルタ様ですわね」
チェスのルールが前世と同じであることは救いと言えたが、ルチアは前世でも今世でもあまりこのゲームをやったことがない。
将棋をかじった程度の経験はあるが、あれはまたルールの違うものだ。
銀縁の眼鏡が暖炉の灯に輝き、細めた目の奥からアイスブルーの瞳が狩人のような目で盤上に狙いを澄ましている。
「チェックメイト」
ロベルタのクイーンが大胆に前方に躍り出て、ルチアのキングを追い詰める。
「無様な敗北よりも、潔い降伏のほうが美しいものでしてよ?」
捕らえる直前の獲物を前に浮かべるロベルタの微笑みは、付かず離れずの“お友達”を演じていた時には見られなかった、素晴らしく活き活きとしたものである。
「侮らないで!私は中飛車の将吾郎の孫よ!」
将棋の強かった前世の祖父の名と彼の得意の戦法を口にしたルチアのこの言葉は、周囲には不可解な呪文のように聞こえたであろう。
しかし気迫だけは伝わったのか、ロベルタの表情から完全に笑みが消えた。
「手加減無用ということですわね」
アイスブルーの瞳に静かな炎が揺らめいている。
傍で黙って見守るアドルフォがごくりと唾を飲み込む音が、妙に大きく響いた。
「…これでどうかしら」
「無駄な足掻きですわ」
「これでもかしら?」
「……」
次々に繰り出す駒の攻防により、一度はルチアが難を逃れたかのように見えた。
しかしやはり、祖父の真似事でその場を凌ぐルチアでは、ベテランの腕に叶うものではなかった。
「チェックメイト」
「降参ですわ」
校舎を閉めるからと守衛に追い出される直前、ロベルタの勝利で彼女らの闘いは幕を閉じた。
「「ありがとうございました」」
負けず嫌いのルチアは、キングとルークの二つのみを手駒に残して打つ手無しとなるまで、悪足掻きを続けた。
挑発するように何度か降伏を勧めたロベルタではあったが、彼女の最も好きな対戦相手とは、ルチアのような最後の最後まで負けを認めないタイプである。
「素敵な時間を過ごせて大満足ですわ」
満ち足りた笑みのロベルタの隣には、悔しさを滲ませたルチア。
「次はもっと修行してから参りますわ。いつまでも勝ち逃げできるなんて、思わないでくださいませね」
不敵な笑みは、悪役令嬢の美貌に似合う。
嬉しそうに校舎を出ていく二人の後には、ロベルタの後ろに続くかたちでアドルフォがいる。
「あっ!」
突然ルチアが声を上げて、他の二人はそちらに視線を向けた。
「忘れておりましたわ!婚約者と執事を、馬車で待たせたままでした!」
「まあ、それは大変!」
無駄に広い校庭の途中で彼らと別れ、ルチアははしたなくない程度の小走りで真っ直ぐ馬車へと向かった。
人目が無くなるとすぐ、ローファーを酷使して走り出す。
(せっかく守れたのに、こんなことで愛想を尽かされたりでもしたら…!)
それを杞憂と確信するまで、あと数メートル。
ほとんどダイブするような勢いで、モンテサント公爵家の家紋の入った馬車の扉に飛びついた。
「ごめんなさい、シルヴィオ様!ロレンツォ!遅くなって!」
馬車の中で、シルヴィオはさめざめと泣いていた。
その向かい側には、難しい表情のロレンツォがいる。
「ど、どうしたの?寂しかった?」
恐る恐るシルヴィオに近付き、ルチアは彼の涙を自分のハンカチで優しく拭ってやった。
「ルチア様ぁ…」
ぐすんと大きく鼻を啜ったシルヴィオは、少しだけ元気を取り戻したように微笑んだ。
ロレンツォの嘆息が聞こえてくる。
「何がどうしたっていうのよ?」
ルチアはまともに話せそうなロレンツォのほうに話しかける。
「ルチアお嬢様、こちらをご覧下さいませ」
ロレンツォの隣の座席上に並んでいるのは、ゴミのようなものが多かった。
その中にひとつ、プラチナプロンドの長い糸――否、髪を見つけたとき、ルチアにはこの状況の意味か閃いた。
「…それ、シルヴィオ様から没収したの?」
「没収と言いますか、これらを使って品のない行動をなさるもので、見兼ねてお預かり致しました」
「ふうん…」
ルチアの髪をはじめ、そこにあるのは使用済みのちり紙や、文化祭の演劇でルチアが胸に着けていたコサージュ、ルチアが壊れて捨てたはずの南京錠、何だかわからない屑のようなものまであるのだが、どうやら全てルチア絡みの品のように見受けられた。
こんなものを持ち歩いているシルヴィオに呆れると同時に、ルチアは彼が可愛いと思った。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいぃい!!」
銀の髪を揺らしてぺこりぺこりと頭を下げるシルヴィオは、いつも通りである。
「こんなもので何をしてたわけ?」
「ルチアお嬢様のお名前を呼びながら、頬ずりしたり接吻したり口に含んだりなさいますもので…。急いで馬車のカーテンを締め切って外からお隠し致しました」
「も、申し訳ございませんルチア様…。ルチア様が、なかなかお戻りにならないので…。ぼく、見捨てられてしまったのではと、不安になってつい…!」
涙をこぼしながら謝罪するシルヴィオのことが、ルチアはなんだか愛しくてたまらなくなってしまった。
「馬鹿ね、見捨てるわけないじゃない」
クスリと微笑んで、ルチアはシルヴィオの隣に腰掛け、その肩に首を凭せ掛けた。
「ロレンツォ、それ返してあげて」
「…ルチアお嬢様がそうおっしゃるのでしたら」
驚いたシルヴィオが、泣き止んで息を呑む。
「私、このくらいしてもらわないと、愛されてるって実感できないみたいなのよ。だから、許してあげる」
シルヴィオの膝の上にある華奢な手に、ルチアは自分の手をそっと重ねて瞼を閉じた。
「だけど、なるべくこういうことは、他人の目の無いところになさいね?」
ロレンツォの諦めたような溜め息が聞こえる。
「はい、ルチア様」
その返事があまりに柔らかく耳を擽ったので、そのままルチアは微睡みに身を委ねた。
愛する人の肩と手に触れている喜びと、生きて帰って来られたということの安堵が胸に広がる。
動き出した馬車の気配を、夢の入り口で見送った気がした。
第二十四話をお読みくださり、ありがとうございます。
中飛車は、将棋の戦法のひとつです。
ここで私が説明すると不明瞭になりそうですので、ご興味のある方は辞書や将棋関連のサイト様をご覧くださいませ。




