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第23話 似た者悪役令嬢の攻防

「ロベルタ様。袖口に汚れがついているようですけれど、それも落とし物をお探しの際についてしまった汚れですの?」


ロベルタは慌てて両手の袖を確認した。

本が床に落ち、ばたりと音を発てる。


「汚れなんてどこにも…」


唇の端を僅かに吊り上げて、文学小説らしきその本を拾い上げたルチアは不敵に笑う。


「あら、私の見間違いでしたかしら?この本、落ちましたわよ。どうぞ」

「ありがとうございます、ルチア様」


ロベルタは探るような視線を差し向けながら、それを受け取る。

彼女は仄かに悔し気に、閉じた口の中で奥歯を噛み締めた。


(制服のポケットは五カ所。うち、取り出しやすいのは利き手側のブレザーとスカートの二カ所。スカート右側に膨らみ、ブレザーの右には小瓶を確認)


袖を確認する際のロベルタは、そのために姿勢や小物でポケットの厚みを隠すことができなくなる。

それがルチアの狙いだったのだ。

袖口にその植木鉢に触れた痕跡が残っていた場合は、ポケットの内容物以上にロベルタの罪の明確な証拠となるため、そこを指摘されれば彼女は優先的に袖を確かめざるをえない。

例えこの彼女らの攻防を見ていた者がいたとしても、その意図まで解せる者はそう多くはないであろう。


「ねえ、ルチア様。この小説、お読みになったことがございまして?」


徐にロベルタが問いを発する。

ルチアはその意図を読みかねる。


「ええ。著名な作家の作品ですから、一通りは」

「この物語の展開、あたくし納得のいかない部分がございましたの。ルチア様のご意見をお聞かせいただけるかしら?」

「よろしくてよ。どの部分ですの?」


探り合うように眼差しを交差させる二人の悪役令嬢。


「今その箇所を開きますから、お待ちになって」


ロベルタの小さく綺麗な手がパラパラとページを繰る。


「この、主人公の友人が遠距離恋愛の恋人に裏切られた時の対応ですわ。手紙の返事が無くて寝込んでしまうくらいでしたら、一度国へ帰って直に様子をご覧になればよいと思われませんこと?」


開いたページをルチアに示し、語るロベルタの視線は、ルチアと本の間を往復している。

しかし彼女の右手は本の死角に入った。

ロベルタの目的はこの右手の行動であろうと、ルチアには容易に理解できた。


「そうですわね。今もう一度目を通してみたいので、よろしければお貸しになって」


その死角を視界に入れるため、ルチアは見た目より強い力で本をロベルタの手から引きはがし、一歩下がって二人の間に距離と視野を確保する。


(ブレザーから小瓶が取り出されている。中身もわからないし、あの右手の行動をどう封じるか)


咄嗟に両手を胸の前で組み合わせ、令嬢がよく他の誰かと同じものを覗き込む時に取るようなポーズをロベルタは取る。

手の中のものを隠しつつ、瓶の蓋を開けるために両手を準備しているのか。


「ここは、この友人がいかに恋人を想っていたかを表現するため、去るものを追わない愛を描きたかったのだと思いますわ。私としましても好きな展開ではございませんけれど、その真逆の行動を選びそうな主人公との対比として、こう描かれたのではないかと理解しておりますの」

「流石ルチア様ですわね!きっとそうですわ」


本を受け取るために差し出されたのは、ロベルタの左手。

右手は自然に見えるかたちで軽く握ったまま下ろされている。

その右手から注意を逸らさないまま、ルチアは本を返す。


「あら、ルチア様。肩にゴミが」


ルチアの肩へロベルタの右手が伸ばされる。

その動きの速さに、ルチアは反射的に危機を感じ取る。


「やだ、恥ずかしい」


咄嗟に素早い動作で自分の左手を肩へ持っていく素振りをして、ルチアは狙ってロベルタの右手の先を叩き落した。


「きゃっ!ごめんなさい、ぶつかってしまって。お怪我はございませんこと?」


白々しい言葉を吐きながら、ルチアはロベルタの手から離れた蓋の開いた小瓶を目で追う。

数メートル先で、それは廊下に落ちて割れた。


「え、ええ…」


答えの途中で、ロベルタは真顔になっていた。

この攻防に負けたことを認めたためであろうと、ルチアは確信していた。


小瓶の中身をルチアの制服の首元から服の中に忍ばせられたら、ロベルタの勝ち。

それを防いで中身を明らかにしたら、ルチアの勝ち。

先程の闘いはそういうものだったのであろう。


つかつかと、ルチアは割れた小瓶のほうへ歩み寄る。


「セアカコケグモ。メスですわよね?」


割れた瓶の破片の中に、前世でよく危ないと聞かされていた種の蜘蛛を見出し、ルチアはロベルタを振り返って温度の無い声で確認する。


「蜘蛛の種類なんて、よくご存じですのね。ルチア様は流石、博学でいらっしゃるわ。けれど、どうしてメスだなんておわかりなのかしら?」

「聡明なロベルタ様なら、そんなことおわかりでしょうに」


セアカコケグモの成体は、オスとメスとで見た目に異なる特徴を持つ。

メスの牙は人の皮膚を貫通するに充分な大きさと、神経毒を持つことが確認されている。


「生物室にもこんなものはおりませんでしたわよね。いったいどのような人脈を使って入手なさったのかしら?」


危険なその蜘蛛の被害者が出ないうちに、かわいそうではあるがルチアはそれを踏み潰した。

蜘蛛の体液とガラス片に汚れた靴底のまま、再度ロベルタと対峙するため、彼女の真正面に歩み立つ。


「茶番はやめに致しましょう。これ以上は無駄ですわ」


そのルチアの言を受けて、ロベルタもまた不敵な笑みを浮かべた。


「あたくしも丁度、そう思ったところでしたのよ」


服装の乱れを手早く直し、ロベルタは淑女の礼をする。


「今日はもう、失礼致しますわ。ごきげんよう」


ロベルタはここで話を切り上げようとする。

ルチアは秀麗な眉を顰めてそれを引き留める。


「お待ちになって」


ロベルタの肩に手をかけ、ルチアは強引に彼女を引き戻す。

今度は振り返るロベルタが眉を顰めた。


「淑女らしくないことをなさって、まだ何かお話することがございまして?」


明確な敵意を滲ませて、ロベルタがルチアに鋭い眼差しを向ける。


「酸や毒蜘蛛までお使いになって、流石に嫌がらせの範疇を越えておりますわ。どうしてこんなことをなさるのか、理由をお聞かせ頂けませんこと?」

「あたくしがそんなことをした証拠が、どこにございますの?」


この期に及んで、と言いかけたルチアは一瞬口を噤む。

物的証拠が無いこの状況において、証人がルチアだけでは当人同士が都合の良い主張をし合っていると見なされ、裁判所にこの件を持ち込んでも勝てる見込みは薄いだろう。

落とし穴の件にしても、毒蜘蛛の件にしても、重要な場面を目撃した第三者はいない。


唯一物的証拠となりそうに思われる、校舎裏への呼び出しに使われたアドルフォの手紙についても、ゲームの別ルートでの展開を知っているルチアには、それが渡せずに差出人の手元に残り続けていた“本物”であることを知っている。

筆跡鑑定などしてもロベルタには辿り着けない。


「むしろ、ルチア様。元婚約者の仕打ちを未だ恨んでいるあなたが、彼を陥れるために偽の手紙を書いた…そんな証拠が出てきてしまったりはしませんこと?」


ロベルタは脅している。

ルチアがダミアーノをあの場に呼び出したのであろうと察して、その過程に付け入る隙があれば、罪を被ることになるのはルチアのほうであると。

しかしルチアだってそのくらいのことは考えた上である。

普段使わないファンシーな便箋に例の文面をしたためたのは初老の執事の利き手ではない左手であり、筆跡鑑定したところでこちらもルチアには辿り着けない可能性が高い。

便箋の残りも処分済みである。


「ダミアーノ様も上を見上げましたわよ」


これはハッタリである。

しかし、充分に効いている。

そもそも、ルチアが落とし穴の犯人をロベルタだと特定できた理由が、ロベルタからしてみれば姿を見られた以外に無いのである。


「…つまり、ルチア様はこの場をやり過ごしても確実に勝てる。にも拘らず、ここで決着をつけたいと?」


身体ごと振り返ったロベルタが、もう一度ルチアと向き合う。


「ええ。これ以上、彼を危ない目に遭わせたくありませんもの。私の婚約者を虐めていいのは、私だけでしてよ」

「ふふっ…あははっ!」


ロベルタは突然、悪役令嬢らしい哄笑を響かせた。


「場所を変えませんこと?ルチア様。こんな場所では、込み入ったお話をするには落ち着きませんわ」

「ええ、よろしくてよ。ただし、会話は聞かれないけれど、人目のある場所にして頂けるかしら?」

「そんな場所がございまして?」

「ついていらして」


ルチアはロベルタを先導して、校舎の外へと歩いていく。

見通しの良い校庭の一角に、校舎の窓からよく見えるベンチがあるのだ。

花壇に挟まれたその場所は芝生に入り込んだ場所にあり、タイルの敷かれた道からの距離を考えても、平均的な声量で会話している限りにおいて通行人に内容を聞かれることはないだろう。


「寒いですけれど、そんなことくらいは我慢して頂けますわよね?」


そのベンチを指し示して、ルチアがロベルタを促す。

仕方なく、といった素振りで肩を竦めてから、ロベルタはそのベンチの一端に腰掛ける。

ルチアは数十センチ離れて、その隣に腰掛けた。


「あのシルヴィオ・ベルトロット様というルチア様のご婚約者、変質者なのでしょう?アドルフォ様からお聞きしましてよ。完璧な公爵令嬢であるはずのあなたが、どうしてそんな悪食に変貌してしまわれましたの?」


いきなりそう切り出したロベルタを、ルチアは真顔になって見た。

シルヴィオが変態ストーカーであることはよくわかっているが、他人に彼を貶されて良い気はしない。


「おかげ様で、あたくしの計画が台無しですの。お恨み申し上げましてよ」

「あら、どんな計画でしたの?」


ルチアが一番知りたいのは、アドルフォ攻略を中断したルチアに、何故ロベルタが今更嫌がらせを仕掛けてきたのかということである。


「アドルフォ様がルチア様に夢中になっている証拠を突き付けて、婚約を破棄しない代わりに婿に入って頂く約束を取り付け、あたくしがピアツェラ伯爵家もしくはサルダーリ男爵家を継ぐ計画ですわ」


想定外の答えに、ルチアは瞠目する。

ロベルタはルチアがアドルフォを攻略していたことにというより、アドルフォがルチアに想いを寄せていたことに着目し、それを利用しようとしていたのだ。

流石の転生悪役令嬢ルチアにも、そうなることまでは読めなかった。


「当主としてどちらが手腕を発揮できるか。優秀な頭脳の持ち主は誰か。一目瞭然ではございませんこと?それを、女だからという理由だけで、あんな筋肉の塊のようなお方の単なる支えで生涯を閉じろなどとは、理不尽に過ぎますわ」


この会話を聞いている者が他にいたなら、明らかにアドルフォを貶しているロベルタのこの発言は大問題である。

相手がルチアであり、ルチアの性質をある程度把握しているからこそ、ロベルタはこの想いを打ち明けてきたのだろう。


「アドルフォ様のことは嫌いではございませんのよ。あの方は善良で無害ですもの。友情はございますわ」


その気持ちはルチアにもわかるだけに、ロベルタに共感できることは多い。


「ですから、当主という役割をあたくしに譲って下さりさえするならば、騎士団で正義の味方ごっこでも何でも、好きにさせて差し上げる心づもりでしたのよ。けれどその計画も、ルチア様の二度目の婚約で叶わぬ幻と化しましたの」


ロベルタは恨みを込めて、アイスブルーの瞳でルチアを睨めつける。


「ルチア様がシルヴィオ様を目に見えて溺愛なさるようになってから、アドルフォ様はルチア様を諦めるためか、あたくしによく構うようになりましたの。これでは、婚約破棄をちらつかせて脅す材料がございませんわ」

「まあ、そんなもの、他の手段で作っておしまいになればよろしいのに」


口を挟んだルチアの発想は、実に悪役令嬢らしい。

しかしロベルタは、更にルチアを睨む目を鋭くする。


「その上、お父様の前で遠回しに当主の座を希望する旨を匂わせてみたところ、ルチア様のことを引き合いに出して否定されたんですのよ!あたくしよりも優秀なルチア様でさえ、他家に嫁いで支えとなることを良しとされているのだから、それが女のあるべき姿であるだなどと!」


ルチアの前世よりもずっと男女不平等であるこの世界において、先進的すぎるロベルタの考えは受け入れられないだろう。

おそらく、ロベルタ本人もそれをわかっている。


「ロベルタ様のお気持ちはよくわかりましたわ。ですが、そんな理由で私やシルヴィオ様に危害を加えようだなんて、完全な逆恨みでしてよ?」

「わかっておりますわ!」


即座にロベルタは言い放ち、不敵な笑みを浮かべてアイスブルーの瞳を炎のように熱く揺らす。


「わかった上で気づいてしまったんですの。あたくしの本来の願いは、当主になることではないのだと」


この瞳で見据えられることが、ルチアには心地よかった。

そこに宿る感情の正体が、ルチアにははっきりわかる。


「では、何が本来の願いでしたの?」

「自分の優秀さを証明することですわ!」


向上心故の闘争心。

勝つまで尽きない燃える情熱。

ルチアにはロベルタのそういった感情が手に取るようにわかる。

何故なら彼女らは、本質的に似た者同士なのだから。


「女のあたくしは、この世の石頭な男連中の横暴な支配に打ち勝つことはできない。あたくしの優秀さを証明する唯一つの手段があるとすれば、それはあたくしより優秀と言われたルチア様を相手取って勝負を挑み、勝つこと!」


勝負を挑まれるということは、それだけの価値があると認められているということだ。

だからルチアは、ロベルタに向ける歪んだ友情に火を点けて心地良く見据え返す。


「正直に言って、もうアドルフォ様のことなんて、どうでもよくなっておりましたの。あたくしが振り向いてほしいのはルチア様ただお一人。ルチア様を独占しているシルヴィオ様もいっそ憎い。あたくしを敵とすら見なさない、興味のひとつもくださらないルチア様が恨めしい」


気位の高い女のプライドは、自らが好敵手(ライバル)と認めた者から相手にされないことを、許さない。

ルチアにもその性質があるからこそ、ロベルタを前にして鏡を見ているような気分になるほどに理解ができる。


「小さな嫌がらせをしていたうちに、ルチア様があたくしに構ってくださったなら、ここまでこの感情が燃え上がることもなかったかもしれませんのに」


空気の温度が変わる気配がする。

ルチアは身構えて待った。

ロベルタの次の行動に目を凝らす。


「あたくしは、こんな理不尽で頭の悪い世界に従って惨めな女として死んでいくより、ルチア様と命がけの勝負がしたい!」


ロベルタの右手がスカートの右ポケットに伸びるのを見て、ルチアもまた自分のスカートの右ポケットに手を伸ばす。


「受けて立つわ!」


ロベルタが取り出したのは折り畳み式のナイフ、それを受け止めたのはルチアが取り出した校庭で拾った石であった。

この平たい石は、見るからに武器としては使えない。

しかしルチアはふざけているわけではなく、真剣に盾となるものを吟味して、ロベルタ側の武器にあらゆる可能性を想定した上で、これを選んできている。


「私もずっと思ってたの!この世界で唯一、ロベルタ様相手なら本気になれるって!だから、とっても光栄よ!」


素のルチアを曝け出して、中央に窪みのある石でナイフの刃をギリギリと押していく。

即効性は無いであろうが、この石の表面には錆の原因となる塩水を塗ってある。

しかしロベルタのナイフの刃にも、防錆のためか油が塗り込められて光っているのが見えた。


これ以上押し合っても、腕相撲しているのと変わらない。

二人の悪役令嬢は、ご自慢の頭脳が最早何の役割も果たさなくなったことを認識しながらも、細腕に闘志だけを込めてぶつけ合い、満足気に笑い合っていた。

第二十三話をお読みくださり、ありがとうございます。


アドルフォの影が薄いですが…次回はちらっと登場予定です。

シルヴィオも次回は登場しますので、応援して頂けますと、とっても幸いです。

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