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第22話 折り損ねたフラグの末路

一連の嫌がらせの犯人に、ルチアには思い当たる人物がいる。

しかし、なかなか証拠が掴めない。

それもそのはず、ルチアの読みが正しければ、相手は乙女ゲーム『愛憎のシレア学園』随一の頭脳派キャラなのだ。


ロベルタ・ピアツェラ伯爵令嬢は、アドルフォルートの悪役令嬢である。

そして現世では少なくとも表面上、他の令嬢や子息を巻き込んで親交のある、ルチアの学友のはずであった。

既にアドルフォ攻略から手を引いている現状、ルチアには彼女から嫌がらせを受ける理由が思いつかない。

にも拘らず、一連の嫌がらせ行為の中には明らかに、ルチアが前世でプレイした乙女ゲーム『愛憎のシレア学園』で、ロベルタがヒロインに仕掛けるのと全く同じ手口のものが含まれていた。


「シルヴィオ様、危ない!」


階段から滑り落ちそうになったシルヴィオの腕や肩を掴み、ルチアは一心に彼を踊り場へ引き上げる。

華奢な身体を抱き締めて婚約者を危険から遠ざけると、今しがた彼の足が踏んだ場所に落ちていたバナナの皮が階下に転がり落ちていく。

古典的すぎる手法だが、これを設置する手際の鮮やかさは侮れない。


建築用語で“折り返し階段”という名称を持つ、学校などで一般的に見られる安全性の高いつくりのこの階段において、特定の人物のみを狙った罠を仕掛けるのはなかなかに難しい。

シルヴィオがここを通りかかる寸前、座標も時間も計算し尽くしたように狂いなく黄色い物体が上から落ちてきたのを、ルチアは目撃している。


「…ルチア様、もう、大丈夫です」


いつまでも抱き締められていたシルヴィオが、顔を真っ赤にして弱々しく告げる。

慌てて彼の身体を放し、ルチアも赤面する。


「お、お怪我はございませんこと?」

「え、ええ」


婚約してからも初々しく恥じらう彼らを、周囲は微笑ましく見守っていることが多い。

悪役令嬢とストーカーという組み合わせながら、知らぬ者からすれば単なる美男美女。

仲睦まじい彼らは、校内でも令嬢たちの憧れる理想のカップルの代名詞になりつつあった。


(見覚えのあるイベントね)


これは本来ゲームなら、バナナの皮で階段の踊り場から足を滑らせたヒロインを、アドルフォが受け止めて助けるイベントである。

このイベントはまだ助けが来ることが決まっているものだからいい。

問題なのは、『愛憎のシレア学園』には悪役令嬢の罠を避けきれないと、死亡でゲームオーバーという場合が多々あることである。


(ここまで来てシルヴィオと結ばれる前に死ぬなんて、冗談じゃないわ!シルヴィオを死なせるのだって、絶対に嫌よ!)


嫌がらせ内容が大したことのないうちはまだ良かったが、命に関わるようなものに移行し始めている現状を鑑みれば、事態は既に深刻である。


(根本的に嫌がらせを受けている原因を解決しない限り、この状況は続くわ。ゲームならアドルフォ攻略を進めることが正解だけど、現状では…わからない。オルランドに相談する?駄目よ、王家にこのことが伝わればロベルタは犯罪者としてとんでもなく大ごとに…)


オルランドは屋上での一件以来、ルチアとシルヴィオの婚約を成立させる立役者になってくれたほどに、彼らの絶対的な味方である。

彼なら力になってくれることは間違いないであろうが、それではロベルタの犯罪行為にまでエスカレートした嫌がらせが白日の下に晒され、ロベルタの断罪イベントが起こってしまうだろう。

アドルフォルートで断罪イベントが起こるのはノーマルエンドのみであり、その場合ロベルタは投獄される。


嫌がらせを受けているとはいえ、ルチアはロベルタのことを結構好きである。

同じ悪役令嬢として、そして努力家の優等生として、彼女には共感できる部分が多いのだ。

できることならルチアは、この件を本人同士で解決してしまいたかった。


「…ルチア様?」


思考に沈み込んでいたルチアを、暗灰色の暖かな瞳が優しく覗き込む。


「何でもございませんのよ。参りましょう、シルヴィオ様」


彼に余計な心配をさせないようふんわりと微笑んで、ルチアはシルヴィオの手を取って歩み出した。


(バナナの皮事件は終盤のイベント。発生条件は剣術大会での選択肢に加え、アドルフォの弟による告白イベント未発生のまま、一定以上の好感度でこの日を迎えること。よく考えれば、立ててしまったフラグを折らなかった私の手落ちだわ。ここまで来れば次に発生するイベントは――)


歩きながら考えを巡らせるルチアの表情は険しい。


(校舎裏だわ!嫌だ、このままだと私、死んじゃうかも!?これを回避するためにはアドルフォの弟とロベルタの仲を取り持って…駄目、間に合わない!)


アドルフォルートにおいては、彼本人以外にも彼の周囲の人物たちにいかに接するかということが、攻略の鍵を握る。

もともと攻略難易度の高いルートであるが、その攻略を中断した場合の弊害にまでは、ルチアは考えが及んでいなかった。


(転生悪役令嬢ルチア様としたことが、なんてことなの…)


ルチアは徐に、握っていたシルヴィオの手を引き寄せ、腕と肩をくっつけるようにする。

それは彼女の不安の表れだったのだが、そんなこととは知らないシルヴィオはひたすらに赤面していた。


「シルヴィオ様。私、もっとあなたのお傍にいたいですわ」


常には無いほどにしおらしく、ルチアがシルヴィオに縋るような声色でそんな言葉を投げかける。

そこに只ならぬ気配を察したシルヴィオであるが、困惑するばかりで役に立ちそうにもなく、おろおろとしていた。


(シルヴィオとの未来は、私が守らなきゃ。状況を打開するには…こうなったら手っ取り早く、イベントの進行を強引に妨げるわよ!)


ルチアを彼女の教室まで送り届けたシルヴィオは、不安げな表情をしつつも彼の教室へ帰って行った。

これから午後の授業が始まるのだから、どうしようもない。


(まず、シルヴィオをイベント現場に近づけないことね。放課後ならロレンツォにも助けを求められるわ。後は…)


ルチアが恐れているイベントに関して、ロベルタがいかに準備したかまでは、ゲームでは描かれていない。

その上、発生すれば確実に死亡エンドとなるこのイベントで起こることについて、『愛憎のシレア学園』が年齢制限なしのゲームである都合のためにか、比喩表現でぼかされていた点も多い。

故に、これから何が起こるのか、ルチアは正確には知らないのだ。

これは頭の切れるロベルタと、転生悪役令嬢ルチアの、知恵比べと呼べる展開なのかもしれなかった。




放課後。

案の定、ルチアの靴箱に手紙が入っていた。

そこにはアドルフォの名で、ルチアに話があるという旨の内容が綴られている。

宛名がヒロインではなく悪役令嬢ルチアであるという点を除いては全てシナリオ通りの、校舎裏への呼び出しである。


(行かないっていう手もあるわ。でも、ここで仕留めておかないと、これ以降は予測もできないかたちであちらも攻めてくるはずよ。そうなれば不利になるのはこちらのほうだわ)


ルチアは自らの意思で戦地に向かう。

自分の命を、そして愛する人との未来を守るために。


校舎裏へ向かうルチアの足取りは颯爽としていた。

シルヴィオが余計なことをしないよう、彼の見張りはロレンツォに任せてある。

優秀な執事は、ルチアの指示があるまで公爵令嬢の婚約者を馬車に閉じ込めて外に出さないだろう。


(私は約束の時間より二分遅めに着く。その間に、私の罠に嵌った生贄が先に到着している)


ルチアの目論見通り、ストロベリーブロンドの明るい髪の軽薄そうな美男子が、その場に先に到着していた。

元婚約者の靴箱に、彼女は似たような手紙を仕込んでいたのだ。

匿名での女子生徒からの呼び出し、これに女関係に派手なダミアーノが食いつかないわけがない。


(さあ、出てきなさいロベルタ!どこかで見ているんでしょう?このままでは、私のために用意した罠に憐れな子羊が掛かってしまうわよ!)


誰かが出てきて止める気配はない。


「まあ、ダミアーノ様。こんなところで奇遇ですわね。いったい何をなさっていますの?」


ヒロインが罠にかかる地点まで彼を誘導するため、ルチアは声を掛ける。


「…まさか、あの手紙はルチア様から?」


瞠目したダミアーノのヘーゼルの瞳が真っすぐルチアに向けられる。

一歩、また一歩とルチアのいる方向へダミアーノが歩を進める。


すると上空からいきなり何かが落下してきた。

植木鉢だと気づいた時には、それは土を散らせながら勢いよく地面を突き破って、バシャリと水に落ちたような音を発てていた。


「わ、わあ!」


ダミアーノが跳び退った。

運動音痴のルチアだったなら、避け切れず泥をかぶっていたかもしれない。


(用意していた罠は水を張った落とし穴かしら。そしてダミアーノにそれを気づかせるために上から物を落とした。それにしても何、この臭い)


ルチアは慎重に歩を進め、用意されていた落とし穴へと近づいていく。


「…酸ね。希釈してはいるでしょうけど。化学室から持ち出したのかしら」


大き目の声でそう言いながら上を見上げると、三階の窓辺に気配を見つけた。


正確に何の酸かは臭いだけではルチアにはわからなかったが、ここに落ちて痛みも無くパニックにもならないとは考えられない。

今ゲームの多分に比喩表現を用いた文章を思い出すと、この罠に嵌ったヒロインは更に上から同じ酸を浴びせられていたと考えられる。

漂う刺激臭から、濃さによっては肌が爛れる類の危険な酸であろうと、ルチアは確信した。

これがぼかされてはっきりわからなかった、見た目が変貌したことに絶望して自殺する死亡エンドの正体か。


(敵は上にいる。犯罪行為の証人が二人もできてしまってはあちらも都合が悪い。もし次の手を用意していた場合、今すぐ本気で消しに来たっておかしくない)


人目の無い校舎裏に居続けるのは得策ではない。


「ダミアーノ様、どなたに恨みを買っていらっしゃるのか知りませんが、お逃げになったほうがよろしくてよ!」


囮に使ったことを詫びる代わりに、それだけを言い捨ててルチアは駆け出した。

ここから先の展開は、ゲームシナリオには描かれていない。

前世の記憶というアドバンテージ無しでの読み合いは、ロベルタとの真っ向勝負だ。


(放課後とはいっても、まだ人がいる時間。だからこそ犯人特定も難しいと考え、罠を張った場所から逃げられた今日はやり過ごすことを考える可能性が高い。隠れるなら人の多い場所、優等生が咄嗟に思いつき紛れ込みやすい場所といえば、図書室よ)


二階の西側にある図書室を目指し、ルチアは淑女らしくもなく彼女なりに全力疾走した。

もっとも、運動音痴の彼女の走りは悲しい程に遅く、全力でも疾走とはならないのが現実であるが。

距離にするとロベルタのいた三階の教室のほうが近いが、あちらは他者に不審な印象を残さないために走ることはできないはずだ。


(今日見逃せば、いつ命に関わることを仕掛けて来られるかわからないもの。悪いけど決着をつけさせてもらうわ!)


息を切らせながら走る公爵令嬢を目撃した者たちは一様に呆気に取られたが、彼女の身分を思うと誰もが声をかけるのを躊躇った。


図書室に着いてみると、ロベルタの姿は無い。


(走れない彼女が通ってくるのは最短距離…あの階段を降りてくるはず)


一旦図書室から出て、ルチアは予測した階段の下で待つ。

すると案の定、間もなく視界の中に上階から降りてきたロベルタが姿を現した。


頭脳派キャラとして描かれた彼女のチャームポイントは、細身で銀縁の四角い眼鏡。

その奥から覗くアイスブルーの涼やかな瞳には知性が宿り、深窓の令嬢らしい淑やかさとともに、冷徹さを同時に帯びている。

濡れ羽色の豊かな髪は癖ひとつなく真っ直ぐ艶やかで、肩の下で綺麗に切り揃えられている。

背は低めで小柄な彼女だが、今は踊り場からルチアを見下ろしている。


「まあ、ルチア様。そんな何も無い階段の下で、何をなさっていらっしゃるのかしら?」


ロベルタの優雅な歩調も、理知的な落ち着いた声色も、いつもと変わった様子はない。

目に付くことといえば、その脇に一冊の本が抱えられていることくらいである。


(流石ね。こうなった時のために、擬態の準備も整えていたということかしら)


既に呼吸の整ったルチアも、先程まで走っていたことなど無かったかのように、普段通り優雅に微笑み返す。


「あら、ロベルタ様。先程は、三階の東寄りの窓辺にお姿をお見かけしたと思いましたのに。真っ直ぐこちらへ向かわれたんですの?」


僅かに眉を動かしたロベルタだが、ボロを出したというほどの反応でもない。

あの時のルチアからは彼女の姿は見えていないのだが、要はカマをかけたのである。


「人違いではございませんこと?ルチア様が他人の詮索をなさるなんて、珍しいですわね」


コツリコツリと、上履きの底が階段を打つ音が近付いてくる。

お互いにはぐらかしながら相手に探りを入れるばかりで、ひとつも質問に答えない。


「珍しいと言えばロベルタ様こそ、こんな時間までこれより上階に残って何をなさっていらっしゃったのかしら?」


三階以上に放課後生徒が残る理由のありそうな教室など、ほとんど思いつかない。

ルチアはその点をついて指摘しているのである。


「落とし物を致しましたのよ。それを探しておりましたの」


初めて答えたロベルタのこれは上手い言い分だと、ルチアは感心した。

落とし物探しなら、基本的にどこにいたっておかしくない。


階段の下まで降りてきたロベルタが足を止め、ルチアに正面から対峙した。

二人の悪役令嬢が今、毅然と見据え合っている。

第二十二話をお読みくださり、感謝申し上げます。

そしてブクマ・評価など、ありがとうございます。

読んで頂けているということに、本当に本当に励まされております。


かっこよく助けに来るだけがヒーローじゃない、時にはお姫様のように守られてくれるのも…。

というルチアの(私の)願望を盛り込んだお話でした。

この場面の続きがもうちょっとございますので、よければお付き合いくださいませ。

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