第20話 縁談と告白
ルチアは父であるモンテサント公爵の帰りを待つ間、彼女のこの半生で最も落ち着かない時間を過ごした。
ようやく父が帰ってからも緊張しながらタイミングを見計らい、やっとのことで勇気を総動員して自分の将来の伴侶に関する希望を伝えた。
貴族の中でも高い地位にある公爵家の当主であるルチアの父からすれば、伯爵という爵位は少し見劣りして感じられ、娘を嫁がせるにベストな家柄であるとは判断されなかった。
しかしロレンツォの援護もあり、ベルトロット伯爵家の潤沢な資産と、隣国の王族との繋がりなどといった、爵位そのものに勝る結果をもたらしうるメリットを説いて、彼女は父にベルトロット伯爵家の子息を候補として考える、という言葉をもらうことができた。
それから二日。
思いもしなかった形で、モンテサント公爵家のほうからベルトロット伯爵家へ縁談を持ちかけることが決まった。
ルチアの父は、ベストな相手として初めに、歳も近く幼馴染であるオルランドを考えた。
彼との縁談が纏まれば、少々血が近いことは気になるとはいえ、ルチアは王妃に、そしてゆくゆくは国母となる可能性が高い。
本人の希望を叶えてやるより、よほど家のためには良い選択であると思われたのだ。
この話を他のどの家にも優先してオルランドの元へ持ち掛けたモンテサント公爵であったが、これはオルランド本人から丁寧に辞退された。
その際、オルランドがモンテサント公爵に直接会って、謝罪と共に意外な話をして聞かせたのである。
オルランドは先日の屋上での一件を、ほとんどありのままに、更には誇張しつつモンテサント公爵に告白した。
ルチアにしたことを平身低頭で謝罪した上で、彼女を命がけで守ったシルヴィオこそが、ルチアを幸せにできる唯一の男であると、彼は熱く語って聞かせた。
更に、友人としてのルチアがどれほど彼の支えであり必要な存在であるか、そのルチアを支える存在が彼女の希望に沿う相手であることがどれだけ重要か、オルランドが王位を継いだ暁にはそのことが国の命運さえ分けるであろうとまで、大仰に熱弁した。
モンテサント公爵にとって、子供たちの恋愛ごっこは最優先事項ではない。
それでも、オルランドは今後特に問題が無ければいずれは王位を継ぐであろう存在であり、彼の意に沿うかたちでルチアが彼を支える限りにおいては、モンテサント公爵家にとっても悪い結果にはならないという見方はできる。
現段階でオルランドがこの縁談を承諾する気配がないこともまた、はっきりとわかった。
ならば、次点で最良と思われる相手の元へ嫁がせることを考えるしかない。
ここで更に、オルランドが追い打ちをかける。
侯爵以上の家のルチアに歳の近い子息に関して、本人やその家の悪い噂を“ここだけの話”と言ってあれやこれや吹き込んだのだ。
本心からオルランドがこれらの家に不信感を抱いているとすれば、彼の治世になってからこれらの家の将来は危ぶまれる。
オルランドの熱意ある語り口調からして、どこまで本気でどこからが戯言なのか判断がつかなかったモンテサント公爵であるが、当人である自分の娘と将来の国王が揃って、ベルトロット伯爵家の子息をルチアの相手に希望している。
いったいどれほどの子息なのかという興味も含め、公爵も感情としてはその熱意に流されかけてきた。
「そういうわけで、我がモンテサント公爵家と他家との繋がりを改めて考えるに、ベルトロット伯爵家の持つ人脈は確かに欠けたところを埋める形になる。家柄と情勢から消去法を用いて考えても、丁度候補の筆頭として上がってくることであるし、わたしから縁談を持ち込んでおいた。今はあちらの返事を待っているところだ」
「ありがとうございます、お父様!」
ルチアには珍しく、彼女は父の前で本心からの喜びを表した。
娘の意思を一番に尊重した結果とは言い難く、その反対に公爵は勝手に話を押し進めているわけではあったが、こうして喜ばれると悪い気はしない。
いくら娘の婚姻は外交の手段であるとはいっても、彼とて人の親でもあるのだ。
ルチアはこの時点で、愛のある結婚ができると信じ、一人になってすぐ飛び跳ねて喜んだ。
しかし、翌日もたらされたベルトロット伯爵家からの回答は、ルチアの思いもしなかったものであった。
長男シルヴィオはこの縁談を辞退したいと言って聞かないのだという。
代わりに、三つ歳下の次男であれば、ということであった。
しかも、ベルトロット伯爵家当主は、ルチアとの縁談が纏まったなら、その相手となったほうにベルトロット伯爵家を継がせるとまで言ってきた。
あちらとしても、せっかくの公爵家との縁談を逃す手は無いということらしい。
モンテサント公爵としては、長男であろうが次男であろうが、ルチアの将来の身分ももたらされる縁も人脈も同じなのであるから、どちらでもよかった。
ルチアは、一週間後に弟の方と見合いの約束を取り付けたという報告を聞かされた。
同時に手渡されたのは、『憧憬の姫君』というタイトルのついた、ルチアの微笑みを描いたシルヴィオの絵であった。
その絵のことを切り出した時のモンテサント公爵の、理解に苦しむといった表情は忘れられない。
「なんでなのよっ!!!!!」
寝室にて、眠る前のひととき。
人払いを済ませ、ルチアは吠えるように叫んだ。
「ばーか、ばーか、ばーーーーーか!!!!!」
その翌日、シレア学園の放課後すぐ。
「ちょっと面をお貸しなさい」
という、おおよそ公爵令嬢とは思えない台詞と共にシルヴィオの教室にずかずかと上がり込んだルチアは、強引に彼の華奢な手首を掴んで教室の外へシルヴィオを引っ張り出した。
「あ、あの、ルチア様…?」
「何、とぼけた顔してるのよ!何の話かくらいわかるでしょ!ばーか!!」
ルチアの剣幕にびくりと震えあがり、シルヴィオは涙目のまま黙った。
(泣きたいのはこっちのほうよ!)
文句大アリといった程で、むくれたルチアは淑女の気品もかなぐり捨ててシルヴィオを引き摺った。
どこでもいいから人のいない場所を探して、彼女は校舎の中を闇雲に練り歩く。
目に付いたのは、校舎裏の体育倉庫である。
(ムードもへったくれもないけど、いいわ!)
体育倉庫といえば、前世で暴力沙汰や問題行動の定番スポットであった気がするが、ルチアはこれ以上歩き回るのも面倒になっていた。
ガラガラと戸を引き、暗闇の中に積み上げられたマットに向かって、乱暴にシルヴィオを投げた。
「わっ!!!」
ボフッとコミカルな音を発てて、か弱い彼はマットに埋もれるように沈み込んだ。
すぐに上がって来ないので、ルチアは彼をあの世送りにしてしまったかと一瞬ヒヤリとした。
「…る、ルチア様…」
ようやく発せられたその声があまりに弱々しかったので、ルチアは心配になって駆け寄る。
「ちょ、ちょっと、大丈夫?あなた今のでどこか強く打ったりしたの…?」
覗き込んだものの、思ったよりもそこは暗くて、ルチアは自然とシルヴィオの近くまで顔を寄せてしまう。
暗灰色の瞳と間近で目が合った。
「――っ!!!!」
瞬間的に襲った羞恥に、彼女はふいと顔を背ける。
「だ、大丈夫なんでしょうね?」
ルチアの声が裏返る。
「は、はい」
やっとのことで、シルヴィオがマットから起き上がった気配がする。
シレア学園は生徒数の割に無駄に敷地が広く、体育倉庫ひとつとっても大きい。
ルチアが僅かに開いた入口から差し込む光だけでは、その全ては照らしきれない。
お互いの姿がはっきり見えないくらい、彼らは暗い場所にいた。
そのことが、妙な緊張とおかしな空気を醸し出す。
「言っておくけど!!!別に私は、あなたをシメてカツアゲしようとか、そういうんじゃないから!!!ここが暗かったのは、偶然って言うか…誰にも話を聞かれない場所を探してただけだから!!!だからっ」
公爵令嬢とは到底思えない言葉をふんだんに振り撒きながら、ルチアは入り口をピシャリと閉じた。
ほんの僅かに戸の隙間から光が差しているが、真っ暗と言ってしまって語弊の無い状況である。
「…話を、しましょう」
シルヴィオがいるであろう方向に向けてそう言葉を発したルチアの語気は、暗闇の心細さにか突然弱まった。
「縁談の件よ。どうして断ったのか、理由を教えて欲しいの」
なるべく穏やかに、ルチアが問いかける。
「ルチア様は、ぼくを嫌っていらっしゃると思ったので…。後を付け回したり、不快感を与えるような非常識な行動をしていたぼくと、結婚だなんて。そんなことになれば、ルチア様はどれだけ不幸かと…」
見えない暗闇の中で泣いているのではないかというくらい、そのシルヴィオの声は情けなく震えていた。
それは確かに、初日の出を見に行った丘でルチアがシルヴィオを咎めたことの内容であった。
(伝わってなかったんだわ…。当然よね、伝えていないんだから。私ったら、本当に好きな人には何も言えずに…ばかばかばか!)
咳払いをひとつして、照れ隠しのように公爵令嬢の仮面を半分ほどひっかぶると、ルチアはシルヴィオのいる方向へゆっくりと慎重に踏み出す。
「ねえ、シルヴィオ様。あなたは私のことを、どう思っていらっしゃるの?」
自分の気持ちを伝えないままに、質問ばかりを繰り返す自分を、ルチアはずるい女だと思う。
「どうって…それは、その…」
ごにょごにょと、シルヴィオは口ごもる。
「先日は、聞いてらしたでしょう?私、悪い女なんですの。あなたはいくらか見ていらしたからご存知でしょうけれど、あちこちで殿方の気を引いて弄んでいたんですのよ」
自嘲気味な笑みを浮かべながら、しかしそれを見えていないであろうシルヴィオの元へ、ルチアは勘で歩を進めていく。
「そんな女は真っ平御免と思われたから、次期当主の座をご兄弟にお譲りになってまで、縁談をお断りになったのではなくて?」
なんとなく気配のする場所の手前で、ルチアはぴたりと足を止める。
僅かに呼吸の音が聞こえるので、近くにはいるはずである。
「正直にお答えになって」
翡翠の瞳から真摯な眼差しを暗闇に向けるが、それはシルヴィオには見えていないだろう。
しばしの沈黙の後、息を吸い込む気配がした。
「ぼくは、ルチア様が好きです。お慕いしています」
胸を甘く掴まれたような痛みと痺れに、ルチアは息を止めた。
「けれど、その気持ちが暴走して、ルチア様が嫌がることを繰り返してしまいました。ですから、ぼくにそれを告げる資格なんて、本来無かったんです。ごめんなさい…」
謝罪が癖になってしまっているのか、シルヴィオは消え入りそうな声の最後に頭を下げた。
「「痛っ」」
その頭がルチアの肩にぶつかった。
「ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!!!」
瞬時に一歩下がったシルヴィオは、謝罪を繰り返す。
「…そんなに謝らなくてもいいわよ」
クスリと自然な笑みを漏らしたルチアは、半分だけひっかぶっていた公爵令嬢の仮面まで剥がれ落ちてしまった。
「ねえ、覚えてる?あなた、私の飲んだオレンジジュースのグラスに口をつけて飲んだだけじゃなくて、そこについてた私の口紅まで舐めとってたでしょ?あれ、この目でしっかり見てたのよね。どう考えてもあれは間接キスよね?」
少し意地悪く、シルヴィオの反応を窺うようにしながら、ルチアは舞踏会での彼の奇行のことを話す。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!!!!」
すると当然のごとく、シルヴィオは何度も頭を下げる気配をさせて、ひたすらに謝った。
「…責任を取って頂戴」
これは不器用なルチアにとって、精一杯の告白のつもりであった。
ここが真っ暗でなかったら、ルチアの耳まで真っ赤であることが、シルヴィオにもわかっただろう。
「せ、責任…ですか?いったい、どうすれば…」
しかしシルヴィオは困惑するばかりである。
「わからないの!?お嫁にもらってって言ってるの!」
「で、でも、間接キスって言っても、ルチア様の唇自体は汚れたわけではありませんから、お嫁にいけなくなるようなことをしてしまったわけでは…」
「屁理屈ばっかり達者ね!?何よ、そんなに私をお嫁にもらうのが嫌なわけ!?」
「えっ…!そんなこと…」
言い募りながら、ルチアは暗闇の中で距離を詰める。
「いいから責任取りなさいってば!」
手探りで回された腕に、シルヴィオは驚く。
柔らかい感触がほんの一瞬、唇に触れる。
「…足が滑って唇がぶつかっちゃったわ。これならどう?腹を括って男らしく責任取りなさいよ」
ここが暗闇でなかったなら。
お互いにいったいどんな顔をしていたであろうか。
「…ルチア様、でも、それではルチア様が不幸に」
「あなた馬鹿なの!?言わなきゃわからないの!?」
ルチアの怒声に、二人の耳は一瞬キーンと嫌な感覚に襲われた。
「…好きなのよ、あなたが。あなたじゃなきゃ嫌。弟だか誰だか知らないけど、そんな好きでもない人と結婚させられるくらいなら、死んでやるんだから」
それは告白というよりは、脅迫だった。
「わかったら、諦めて私を娶りなさい!何か文句ある?」
息を呑むような気配の数舜後に、大きく息を吸う音がする。
「はい!文句なんてありません!」
その声があまりに嬉しそうだったので、ルチアには暗がりにいることが惜しまれた。
シルヴィオはきっと、またあの満面の笑みを浮かべていたのだろうから。
「絶対よ」
念を押して、ルチアは入り口に向かって歩き出す。
彼女がガラガラと戸を開けると、眩しい光が体育倉庫の中に差し込んだ。
「約束だからね」
突然の明るさに思わずシルヴィオが瞼を閉じてしまったその間に、ルチアは振り返りもせずそこから立ち去っていた。
後を追おうと歩き出したシルヴィオの足がフラついて、彼は諦めてその場に少しの間佇んでいた。
代わりのように、そっと唇に触れてみる。
初めて知った柔らかな温もりの記憶が、甘い夢のようにそこに蘇った。
第二十話をお読みくださり、ありがとうございます。
不良令嬢と化したルチアの脅迫もとい告白が、成功してめでたしめでたしです。
物語は続きますので、これからもお付き合いいただけますととっても嬉しく思います!




