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第19話 悪役令嬢の懺悔

シレア学園の冬の屋上を見下ろすのは、一様に鈍色を塗り込めたような曇り空である。

風はなくとも、肌に触れる大気は凍えそうに冷たい。


その景色の中にある人影は、三つ。

ぼたりぼたりと大粒の涙を溢す痛ましいオルランドが、まだ呼吸の整わないシルヴィオを押さえ込むようにその上に馬乗りになっている。

オルランドの腕に縋りつくルチアの頬には、乾き始めた涙の跡。


「ルチア…。俺が君を好きになったのは、いけないことなのか」


震える声で、揺れる瞳で、傷ついたオルランドがルチアに答えを求める。


「いいえ…いいえ!あなたは何も悪くありません。悪いのは私なんです」


ルチアにはもう、転生した自分をチートだと信じて疑わない傲慢さと余裕は無い。


「オルランド様。私、悪い女なんです」


それは悪役になり切れなかった悪役令嬢の、懺悔の始まりだった。


「完璧な公爵令嬢を演じながら、故意にあなたの気を引くことをしてきました。あなたが私を好いて下さったのだとすれば、それは私の罠に嵌ってしまったせいなのですわ」

「ルチア、何を言って…」


その意味を解せないオルランドは、碧い目を見開く。

ぼたりと落ちる涙の勢いが弱まっていく。


「ダミアーノ様が女性関係に奔放なお方だということは、随分前からわかっておりましたの。あの方の奥方に納まるつもりは、初めからございませんでした。ですからいつかは、納得のいくお相手と婚約し直すつもりで、その時都合の良いようにと、あなたを始め何人かの殿方の気を引いておりましたの」


美しく生まれついた悪役令嬢の顔を、自嘲に歪ませながらルチアは暗く笑う。


「私は身勝手な女なんですの。ダミアーノ様のことを言えたものではございませんわ。どなたがいいか最後に選ぶつもりで、まるで自分にその権利があるかのように、皆様の心を弄んで参りましたのよ。こんな最低な女を、他にご存知でして?」


仮面は剥がれ落ち、ルチアは真面目過ぎた前世の面影を覗かせながら、自分自身を断罪する。


「狡猾な悪い女というものには、どうすれば殿方の気を引けるかわかるものでしてよ。オルランド様、あなたは私に騙されたのですわ。あなたは何一つ悪くなどございません」


オルランドは、ゆっくりとシルヴィオの上から退いて、膝をついたままルチアを呆然と見つめていた。


「幼馴染として、友人として、私なりにあなたを好いて尊敬していたのは、嘘ではございません。けれど、散々誑かしておいて、あなたに恋することはできませんでした。その段階になって、惹きつけておいたあなたの心を振り回して捨てようとした、私は非情で惨い女です」


穏やかな悲しみを湛えて、ルチアは翡翠の瞳を潤ませて微笑んだ。


「さあ、何とでも断罪なさって。私は純粋な恋心を踏みにじり、信頼も友情も裏切った、非道の女です」


処刑台で最期を待つ罪人のように、ルチアは澄んだ瞳でオルランドを見上げた。


「ルチア。君は――」


オルランドは、おずおずと唇を開く。


「君は、友情も信頼も、裏切ってなんかいない。本当に非道なだけの女なら、そんなことは胸の内にしまって決して口にしない。けれど君は…」


その言葉に、ルチアが瞠目する。


「俺に打ち明けてくれた。君に酷いことをしようとした俺を、止めてくれた。こんなことになってもまだ、君は俺を見捨てていない。だから、願わくば」


先程までの強引な力強さとは違う優しい仕草で、オルランドはルチアの白い手をそっと取った。

彼の美しい碧い瞳には、光が戻っている。


「まだ友人としてやり直せるのなら。君のその友情に応える機会(チャンス)をくれないか」


攻略対象としてのオルランドではなく、ひとつの人格としてのオルランドを、ルチアは真っ直ぐに見つめた。

そしてその手の温かさに、ゲームだのシナリオだのといったことの馬鹿馬鹿しさを痛いほどに実感した。

恐怖とは全く違うものから来る温かい涙が、ルチアの頬を濡らす。


「王命を使って婚約を無理強いしたりなんて、勿論しない。君が彼を愛しているというのなら――」


屋上の床に背中をつけたまま黙って見守るばかりだったシルヴィオを、オルランドはちらと振り返った。


「すぐにとはいかなくても、いつかは祝福する。だからどうか、これからも傍にいてほしい。友人として」


涙の跡で汚れたままの美貌から向けられる、真摯な眼差しが美しかった。

ルチアはますます自分を恥じながら、躊躇いがちに頷いた。


「オルランド様。私、あなたを尊敬しておりますわ。心から」

「ルチア。君は俺の大切な従姉弟で、大切な幼馴染だ」


翡翠と碧の美しい瞳を向かい合わせ、彼らは許し合うように見つめ合った。


悪役令嬢として生まれ、悪“役”ではなく、いつしか自分が本物の“悪”になっているのではと、そんな息苦しい想いに胸を詰まらせていたルチア。

一度は我を失くして病んだ目でルチアに迫ったオルランドと和解できたことで、彼女の中に巣食っていたそんな暗い恐怖に、希望の光が差し込んだ気がした。


「君にも感謝をしなければならないな」


倒れたままでいたシルヴィオに、オルランドが手を差し出す。


「君が止めてくれなければ、俺はルチアに…。そんなことになっていれば、取り返しなどつけようがなかった」


差し出された手を遠慮がちにシルヴィオが取ると、オルランドはそれを引き上げて彼が起き上がるのを手伝った。


「ルチアのこと、幸せにしてくれ」


碧い瞳に真剣に見据えられたシルヴィオは、しかしこの状況がいったい何なのか全くわかっていないようで、その表情を困惑一色に染めている。


「あ、あの…。ご、ごめんなさい!!!!」


勢いよく銀の髪ごと頭を振り下げて、シルヴィオは謝罪を口にした。


(え?今、私、振られた…?)


ルチアもオルランドも、その場で凍り付いた。

居心地の悪い沈黙が漂う中、シルヴィオが怖々頭を上げる。


「あの、ええと…。ルチア様の後をつけていたのは、今年に入ってからは今日が初めてで…。ルチア様が婚約を破棄なさったとお聞きして、今日はオルランド王子とお二人で屋上へ上がって行かれるのが見えたので、もしここでお二人の婚約がまとまるなら、それを見届けて気持ちの整理をつけようと…」


暗灰色の瞳に涙を溜めて、シルヴィオは震えている。

自分が責められているとでも思っているような様子である。


「だから、今日だけなんです!ルチア様をつけ回すようなことは、しないとお約束してからは今日まで、していません。信じてください…」


話がかみ合っていない。

見かねたオルランドが口を開いた。


「おそらくだが、君は混乱しているようだ。俺はもう行くから、落ち着いてルチアと話をしてくれ」


そう言って、オルランドは立ち上がる。


「ルチア。すまなかった。俺にできる罪滅ぼしを、何か考えておく」

「いえ、そんな!私のほうこそ!」


立ち去るために数歩歩き出したオルランドは、首だけで振り返りながら美しくにこりと微笑んだ。


「今日を限りに、君への恋心は想い出にするよ」


吹っ切れたようなその声は晴れ晴れとしており、凛としたオルランドの足取りは気高くさえ見えた。


「生まれ変わったら。無理矢理にではなく、君の心を射止められるような男になりたいと思う」


後ろ姿にそう言い遺して、彼は屋上の扉の内側へと姿を消した。

しばらく、ルチアはオルランドの背で閉じたばかりのその扉を見つめていた。


(ごめんね、オルランド。そして、ありがとう)


視線をその扉から振り切って、ルチアがシルヴィオを振り返る。

すると彼は、状況が呑み込めないままでおろおろとしていた。


「シルヴィオ様。助けてくださってありがとうございます。来てくださって、嬉しいですわ」


頬を赤らめて恥じらいながら、ルチアは素直に礼を述べる。

するとシルヴィオが、驚いたような困ったような表情でもじもじとし出した。


「あの、ぼくは…。ルチア様を、尾行して…。扉を少し開けて隙間から覗こうと思っていたのですが、そんなことをすればまた、ルチア様に不快な想いをさせてしまうと思って踏みとどまって…。でも、ルチア様の叫び声が聞こえてきて、夢中で飛び出したら、さっきの、その…」


シルヴィオはまだ混乱しているようで、暗灰色の瞳をきょろきょろと彷徨わせている。

今ここで懇切丁寧にこの状況の全てを説明するのは、ルチアにはなんだか滑稽に思えた。

困ったように眉尻を下げる彼の優し気な面差しは、傍にいるだけでルチアを落ち着かせてくれた。


「シルヴィオ様」


静かに呼びかけて、ルチアはシルヴィオの瞳を上目遣いに覗き込む。

音を発てそうに急激に、シルヴィオの顔が真っ赤に上気した。

そんな様子がまた愛おしくて、たまらずルチアは腕を伸ばす。

彼の華奢な背中に腕を回して、早鐘を打つ鼓動に耳を寄せるように、ルチアはその胸に身を預け、瞼を閉じた。


「少しだけ、このままでいさせてください」


どくどくと激しく脈打つ鼓動がルチアの耳を打つと、安堵が身体中を満たしていく。

冬空の下の寒さをようやく思い出したように、触れ合う場所だけが温もりを分かち合うのを、ルチアは心地良く感じていた。


静かな時に身を委ね、ルチアは先程までの全てを思い出していた。

転生悪役令嬢である自分を自覚してから、ここに至るまでの全てを。


ルチアの今世でのここまでの生き方は、褒められたものではなかっただろう。

幸せになる資格があるかどうかなんて、わからなかった。

けれど、ルチアを裁いたり罰したりできる存在がいるとすれば、それは彼女以外の誰かなのだろう。

だから彼女にできることは、今わかる範囲での最善をこれからも積み重ねていくことだけなのである。


「シルヴィオ様、私…」


ゆっくりと、ルチアはシルヴィオを見上げた。

すると彼は、今までルチアが見たどんな人間よりも肌という肌を真っ赤に染めて、放心していた。


「シルヴィオ様!?」


驚きに目も口も見開いた形跡があるのだが、その後にやついたように口元を歪めたのだろうということも見て取れる。


(なんてだらしない、格好悪い表情なの!?)


往復ビンタで正気に戻したいのを堪え、ルチアは彼の肩を揺さぶった。


「シルヴィオ様、シルヴィオ様!しっかりしてくださいな!!」

「い、痛い痛い痛いです、ルチア様ぁ!」


真っ赤なまま痛がるシルヴィオを、ルチアは僅かな嘆息と共に放してやった。


「寒いですし、もう校舎に戻りましょう。お昼休みも終わってしまいますし…昼食を摂り損ねましたわね」


咎めるような声でそう告げると、ルチアはさっさと校舎へと続く扉に向かって歩き出す。


(もう、せっかく良いムードだったのに!何よあの顔!変態変態変態!!!)


そんな変態を好きになったのはルチアなのであるから、これは諦めるしかないとも言えた。


「あ、ルチア様!待ってください、ぼくはまださっきのこと、よくわかっていなくて…!」


何拍も遅れて正気に戻ったらしいシルヴィオが、扉の向こうへ消える直前のルチアを呼び止める。


「お昼休みが終わります。また後日に致しましょう」


取り付く島もない冷淡な態度を示したルチアの、背後で項垂れる気配がある。

彼女の背でバタンと扉が閉まると、外の冷気が遮断され、まるで先程までいた世界が切り分けられてしまったように感じる。


(ばーか)


残して来たシルヴィオに心の中で悪態をつきながらも、階段を下りていく彼女の表情は、柔らかく綻んでいた。

第十九話をお読みくださり、ありがとうございます。


ようやく素直になってきた公爵令嬢ルチアでした。

これからもルチアもストーカーも奮闘して参りますので、何卒よろしくお願いいたします。

読んでくださる全ての皆様に、日々感謝です!

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