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第18話 婚約破棄とヒーローの求婚

予想だにしなかったかたちでの断罪イベントを経て、婚約者のダミアーノに啖呵を切ってしまった以上、ルチアは早急に婚約破棄に踏み切らねばならなくなっていた。

その日すぐロレンツォに相談を持ちかけると、優秀な執事はルチアの父であるモンテサント公爵と、例の伯爵家の面々に、早速根回しをしてくれた。


数日も経たないうちに、これまでの地道な証拠集めと証拠作りが功を奏し、呆気ない程にスムーズにダミアーノの不倫は暴かれた。

婚約者である娘を蔑ろにされたということは、モンテサント公爵にとって、家名を侮られたも同然である。

怒り心頭の父親を止められる者はおらず、有無を言わせず電光石火のごとく婚約破棄の手続きは進められ、ブランディ侯爵家は家をあげて平謝りに謝ったのだが、モンテサント公爵の怒りは未だ解けていない。

また、ダミアーノの不倫相手の伯爵夫人は、伯爵から離婚されたと聞いた。


両家以外には表面上この婚約破棄の理由は伏せられており、ブランディ侯爵家の子息がモンテサント公爵のお怒りを買ったために婚約が破棄されたとだけ、世間には伝わることとなった。

ダミアーノは気まずいのか、シレア学園でも社交界でも、二度とルチアに自分から話しかけてこようとはしなかった。


ルチアは、待ちに待っていた“ザマァ”の瞬間を、期待していたほどに清々しい気分では味わえなかった。

別のことが気がかりで、ルチアにとってはそちらのほうが重要なのである。


用意周到に狡猾に、全てをかけての血の滲むような努力の末に、手に入れようとしていた未来。

それを覆すことになっても、ルチアは自分の気持ちをこれ以上誤魔化せないと感じていた。


何故彼を庇うのか。

何故彼を気に掛けるのか。

答えはもう、明白である。


(好きだから、なんだわ)


登校前の朝のひと時。

シルヴィオの髪を撫でた手を、窓から差し込む朝陽に翳す。

サラサラとした銀髪がその指の間に心地良く触れていた時のことを、じっくりと思い出す。

触れた時にどう感じるかというのは、心と身体が直結しているタイプの彼女にとって、気持ちの指標になる。


(気持ちよかったもの。愛しいと、思ったんだもの。これ以上は自分に嘘を吐けない)


これまでの、キャラたちの攻略を水の泡にしても。

今度こそ、本当に欲しいものを欲しいと言わなければ、ルチアが生きているこの人生もまた自ら虚しい幻にしてしまうだろう。


(婚約破棄が叶って、今の私は自由。お父様が別の誰かを選んでしまう前に、自分から言わなきゃ)


公爵令嬢であるルチアの婚姻は、モンテサント公爵家にとって外交のひとつである。

このまま黙って大人しくしていれば、彼女の父がまた誰かを見繕ってしまうだろう。

交渉する余地があるとすれば、父の中で具体的な候補が確定する前の今である。

ベルトロット伯爵家との縁組がいかにモンテサント公爵家に利益をもたらすかを、ルチアは父に納得させねばならないのである。


(もう…!なんで、ストーカーで変態なのよ!お父様に良いところをアピールするのが、無駄に難しいじゃない!!馬鹿!)


内心で悪態をつきながら、ルチアは侍女たちに手伝われながら登校の支度を整えていく。

彼女らにあれこれと指示を飛ばすロレンツォは、いつもよりご機嫌なようである。

予てから計画していたダミアーノとの婚約破棄が上手く進み、この執事はひとつ達成感を感じているようだ。


「ロレンツォ」

「はい、ルチアお嬢様」

「ベルトロット伯爵家の子息と婚約したいって、お父様に直球でお伝えしてもいいものかしら?」


頬を赤らめて照れながら問うルチアの様子に、ロレンツォは嬉しそうに微笑みながら答える。


「ルチアお嬢様、ようやく素敵なお相手に巡り合われたのですね」


前世の記憶にこだわり、攻略キャラというものしか見ていなかったルチアが自分の心に素直になれたことを、この執事は心から喜んだ。


「え、ええ。それで、どうなのかしら?できればあなたからも、ベルトロット伯爵家を推薦してほしいのだけれど」

「承知致しました。この執事ロレンツォの名に懸けて、抜かりなくお伝え致しましょう」

「ありがとう!期待してるわ」


照れくさくて視線を合わせられないまま、ルチアははにかみ笑いを浮かべた。

前世の記憶がある分、実際の年齢より大人びた表情ばかりしていたルチアが、この時ばかりは年相応の少女の表情をしていた。


それからいつものごとく、モンテサント公爵家の家紋の入った豪奢な馬車でシレア学園へ登校した。

いつもより浮かれ気分のルチアはその日、シルヴィオがルチアの席に座ってその机に接吻していた、という話を聞いたせいか、妙に自分の机が気になった。

何の変哲もない木の机の表面を、すっと一通り撫でてみたりした。


(この手で唇に触れたら、間接キス…?な、なんてね!別に私は、あいつみたいな変態じゃないし、そんなことしないわよ!)


ひとりで顔を赤くしながら、シルヴィオのそういった奇行を少しも不快だとは感じていないことを、ルチアは目を逸らしようのないほどに自覚していた。

いっそ、そんなに自分のことが好きなのかと思うと、嬉しくなるくらいである。


(あっちも好きでいてくれてるのよね…?これで振られたら、あまりに悲惨じゃない?)


そんな懸念も一瞬過ったが、この時のルチアは振られるなんてことはほとんど本気で考えなかった。

付きまとっては変態行為を繰り返していた彼が、ルチアを拒むなんて思えない。


その夜父に直談判する時のことばかりが気になって、ルチアはその日の授業には全く集中できなかった。

そんな状態で昼休みを迎えると、オルランドに呼ばれてはっとする。


「ルチア。二人きりで話したいことがあるんだ」


そう言って、真剣な眼差しを向けたオルランドが、ルチアを教室の喧騒から遠ざけ、屋上に誘い出す。

オルランドが屋上からの景色を気に入っていることはルチアもよく知っていたし、何の疑問も持たずに彼女はついていった。


「そんなに改まって、どうなさったんですの?」


不思議そうに首を傾けながら、ルチアはオルランドの儚げな美貌を見つめた。

誰もが憧れる王子そのもののオルランドの、宝石のような碧い瞳から熱い視線が注がれる。


「ルチア。俺と婚約してほしい」


ルチアの白くしなやかな手を取って、オルランドは両手でぎゅっと包み込んだ。

細身で儚げな彼ではあるが、やはりその手は女のルチアとは違って大きく力強い男のものである。

振りほどくこともできず、ルチアはされるがままに手を握られていた。


「…あ、あの…。オルランド様、私たちは従姉弟ですわ」


震える声を絞り出したルチアは、翡翠の瞳をあちこちに泳がせながら、必死に断る理由を探す。


「従姉弟というのは結婚するのに問題のある血の近さではないだろう」


オルランドの熱い視線は、一時もルチアから離れない。


「どうしてだ。どうして、拒もうとする」


ルチアの手を包み込む力を更に強めて、ぐっと顔を近づけてオルランドが問う。


「あの…。それは、その…」


答えに詰まるルチアを見るオルランドの美貌が、悲痛に歪み始める。


「どうしてだ。あのだらしのない婚約者と別れて、君は今、ようやく決まった相手がいなくなったというのに。俺の何がいけない?何が不満だ?」


恐い程に碧く、オルランドの必死の眼差しがルチアを捉える。

オルランドがいけないわけではない。

何が不満というわけでもない。

ルチアが彼に恋心を抱けなかったという、それだけなのだ。

いっそどこか明確に気に入らないところがあれば、ルチアはそれを理由にできたのかもしれなかったが、それすら思いつかないルチアはますます口ごもる。


「ルチア。君を愛している。ずっと君が欲しかった。けれど君には婚約者がいたから、諦めて我慢していたんだ。何が問題なんだ。どうして俺の愛を受け取ってくれない」


ぐっと更に距離を縮めて来るオルランドの勢いに、耐え切れずルチアは後ずさる。


「どうして逃げるんだ。俺が怖いのか?」


怖いと思った。

常は優しいオルランドが、こんなに情熱的に迫ってくるとは思っていなかった。

こんなに力強く手を握られて、その碧い瞳の視線の熱さに、ルチアは恐ろしくなってしまった。


「ルチア、逃げないでくれ。君を大切にする。元婚約者のように君を蔑ろにしたりなんて、絶対にしない。誰よりも深く熱く、君だけを愛し続けるよ。だから、だから…」


オルランドは乙女ゲーム『愛憎のシレア学園』のメインヒーローだ。

そのオルランドにこんなふうに想われるなんて、世の女性たちの羨望と嫉妬を一身に受けること間違いなしの幸運であるはずだった。

なのにルチアは、ひたすら彼をどうやって拒めばいいかということしか、浮かんでこない。


オルランドがじわじわと近づいてくるたびに、ルチアは後ずさる。

仕舞には壁にぶち当たり、これ以上下がれないところへ追い詰められてしまった。


「オルランド様、私…。ごめんなさい…」


必死にそれだけを喉から絞り出すルチアを、オルランドは傷ついた瞳で見つめている。


「ルチア…。君は俺を拒むのか…」


ようやく手を放されて、ほっとしたのも束の間。

ルチアを追い詰めたまま、その顔の両脇の壁に手をつき、オルランドは腕の中に彼女を閉じ込めた。

その秀麗すぎる眉目に暗い微笑みを浮かべ、オルランドの碧い瞳から光が消えていく。

この表情をルチアは知っている。

メリーバッドエンドのスチルで見た、病み切った表情だ。


「君が望まなくたって、俺が父上に頼めば、王命で君を俺のものにできる」


壁についた手をゆっくり下に移動させ、オルランドはそのままルチアの肩をがしりと掴んだ。


「痛っ…」


思わず小さく悲鳴を上げるほどに、その力は強い。

ルチアの身体中を絶望の震えが襲う。


「俺にはその力がある…。ルチア、君に逃げ場なんてないんだ」


オルランドの美しく整った顔立ちに、狂気が浮かび上がっている。


(怖い…。嫌…。嫌…!)


ルチアの頬を涙が伝い落ちていく。

するとそれを見たオルランドが、彼女の頬に唇を寄せた。

ちゅっと音を発てて、彼はその涙を一粒頬と一緒に吸った。


「やめてっ!!」


拒絶の悲鳴を上げるルチアに、オルランドは病んだ眼差しを注ぎ続ける。


「抵抗するルチアも可愛いよ。でも本当は…俺のことを愛して受け入れてほしかった。ああ、ルチア、どうしてなんだ」


がくがくと膝が震えるのを自分で目視する余裕もなく、ルチアはオルランドに怯え切って彼の表情を見つめ続けた。


「どうして、力づくでないと君が手に入らないんだろうね。悲しいよ、ルチア。でも、君を他の誰かになんて譲れない。君は俺のものだ」


歪んだ泣き笑いを美貌に浮かべて、オルランドが美しい顔を近づけて来る。

ルチアはもう、身体に力が入らず、満足に動くこともできない。

縫い留めるように強く掴まれた肩の感触に、逃げることを諦めてしまった。


(ああ、自業自得だわ…。彼の心を弄んで、その挙句に都合よく捨てるようなことをしたから)


優しかったオルランドを狂わせたのは、紛れもなくルチアである。

攻略だなんて言って、彼や他のヒーローたちを弄んできた罰だ。


(他人の不幸を踏み台にしようとした私が、幸せになんてなれるわけがないわ。そんな資格なかったのよ。このままオルランドのものになってあげれば、せめて彼にだけでも罪滅ぼしができるのかしらね)


オルランドの唇が、ルチアの唇を味わうために僅かに開いたまま、視界の中で大きくなってくる。

このまま待っていれば、もうすぐ唇が合わさる。

彼のことを好きな女の子ならば、これはさぞ幸せな状況だったのであろう。


(好きになれなくてごめんね、オルランド)


幼馴染で友人だった彼のことを、ルチアは嫌いではない。

けれど、恋愛感情として好きになれなかった。


「やっぱり…嫌!」


突然顔を横に向けて逸らし、ルチアはオルランドの顎を必死に押し返した。

一度は諦めかけたが、直前で身体が拒絶してしまった。


「ルチア、どうしてだ、君はどうしてそれほどに…!」

「きゃっ」


ルチアの両手は瞬く間にオルランドに捕まえられ、掴んだ手首を壁に縫い留めるように押さえ込まれた。


「俺だって君に痛い思いはさせたくない。大人しくしてくれ、ルチア」


言いながら、オルランドは狂気に満ちた瞳を潤ませ、荒い呼吸をしながらルチアを壁に押さえ込んで、再び唇を奪おうとその顔を近づけた。


「嫌っ!嫌ぁ!」


ルチアはぼろぼろと涙を溢しながら必死に顔を逸らして、どうにかその唇同士が触れるのを避ける。

頬や顎にオルランドの柔らかな唇が当たるのを感じながら、絶望の中で必死に足掻いた。


「嫌!!助けて、シルヴィオ!!」


それは無意識だった。

彼の名を呼んだと自分で気づいたのは、オルランドが動きを止めて硬直したのを見た後である。


「君は…」


絶望と憎しみを綯い交ぜにしたような表情を浮かべ、オルランドの美貌が更に暗く歪んでいく。


「君は、あの変質者が好きなのか。そうか…」


オルランドはクツクツと上品に笑いながら、ルチアの手首を捕まえる手に更に力を込める。


「随分と庇うと思ったら、そういうことだったのか。屈辱だよ。あんな男に君の心を横取りされているなんて」


病み切った微笑みを湛え、オルランドははらはらと涙を溢した。


「心が他の誰かのものだというなら、それ以上に君を俺のものにする方法があるとすれば…」

「きゃあっ!!!」


オルランドの涙が上から降ってくる。

気づけば背中が痛かった。

ルチアは屋上の床に押し倒されて、オルランドの下敷きにされている。

それを認識するまでに、涙の粒を十以上は頬に受けた。


「ルチア。君がいてくれないと、俺は駄目なんだ。君が傍にいてくれるなら、この国の重さにも負けない。でも、でも…。君が、俺を拒むなら」


オルランドの身体の重みを、ルチアは腹の上に感じた。

降って来るのは、彼の震える弱々しい声と、熱い涙と、ハァハァという荒い呼吸。

視界に映るのはぼろぼろの泣き顔のオルランドと、鈍色の冬の曇り空。


(悪いのは私よ。わかってる。被害者はオルランドのほうよ。でも…)


大きく息を吸った。

最後の希望を賭けて。

諦めの僅か手前で、彼女は叫んだ。


「助けてー!!!!シルヴィオー!!!!!」


奇跡のように、屋上の扉が開いた。

目にも留まらぬ速さで、銀色の頭が弾丸のようにオルランドに突っ込んでいった。


「っ――!!!」


オルランドの体重がルチアの上から無くなっていた。

首だけで振り向くと、華奢な身体で必死にオルランドに突撃したシルヴィオと、彼の突進に吹き飛ばされたオルランドが、縺れ合う様に屋上に転がっていた。


ルチアはまだ、身体に力が入らず起き上がれない。

震える自分の身体を抱くことすらままならず、ただ視線だけをそちらへ向けている。


「王子にこんなことをして、ぼくの首が跳んだって構いません。でも――」


荒い呼吸の隙間から、シルヴィオが声を絞り出す。


「でも、お願いします。ルチア様の嫌がることは、やめてください!」


シルヴィオの華奢な体躯では、細身のオルランドといえど満足に押さえ込むことは難しい。

あっという間に、シルヴィオのほうがオルランドに押さえ込まれて下敷きになっていた。


「ルチアの嫌がることをずっとしてきたのは、君のほうじゃないか!なのに、なのに何故…!」


オルランドの悲痛な叫びが、屋上に響く。

この屋上には、オルランドとの優しい想い出があった。

幼馴染として、友人としてのオルランドとの間には、確かな絆もあった。

なのに、ルチアは攻略などというつまらない目的を延々貫いてきたせいで、それを滅茶苦茶にしてしまった。


オルランドが、固く握りしめた拳を振り上げるのが見えた。

その時ようやく、ルチアは自分を奮い立たせて身体を動かすことができた。


「やめて!やめてオルランド様!お願い…!」


転がるように、二人の元へ這って行く。

そして、振り上げられたままのオルランドの震える拳に、必死に縋りつく。


「どうしてだルチア!どうしてこいつがそんなに大切で、俺のことは…!」


誰もが見惚れる美貌をぼろぼろに歪ませて、オルランドは泣きじゃくっている。


「私が悪いんです!全部私のせいです!オルランド様、これ以上あなたの手であなた自身を傷つけないで…!」


そう言ってルチアがオルランドだけを見上げると、彼は拳を解いて力の抜けた腕を下ろした。

第十八話をお読みくださり、ありがとうございます。


余裕だと思って突き進んできたのに、結局は罪悪感に負けるくらいに平凡なルチアの本質。

ルチアに足りなかったのは、悪役令嬢の品格でしょうか。

かわいそうな攻略キャラたちのとの関係も含め、あたたかく見守って頂けますと嬉しいです!

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