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第16話 初日の出と悪役令嬢のお叱り

乙女ゲーム『愛憎のシレア学園』の舞台であるこの世界にも、新しい年は冬の寒い時期である一月一日に訪れる。

伝統衣装を着て宗教的建造物に足を運び詣でる習慣こそ無いが、どこの世界でも“今年初めて”の何かしらというものには、付加価値がついて見えるようである。

初夢に初日の出に、初紅茶や初馬車なんていうものもある。


モンテサント公爵家では、初日の出を見たいという当主の意向により、毎年夜明け前に家族と数人の使用人を連れて馬車で近場の丘へ上がる。

流石に山登りはしないことが、運動嫌いのルチアにとっては救いである。


この年も、彼らは暗いうちから馬車に揺られて丘を目指した。

その丘というのは、シレア学園からほど近い、貴族御用達の絶好の日の出鑑賞スポットである。

他家も毎年そのスポットを利用しているのを、よく見かける。


ここではいつしか暗黙の了解が出来上がっていた。

日の出前の暗いうちは、他家の者に声をかけない、というものである。

相手が誰だかわからない状態で、不適切な対応をしてしまうことは、身分によって縛りのあるこの世界では命取りにもなりかねない。

誰もが安心して日の出を待つことができるよう、明るくなるまでは新年の挨拶は控えるのである。


ルチアたちモンテサント公爵家も、暗いうちは馬車の近くで大人しく日の出を待っていた。

この日は雪でこそなかったが、真冬である。

毛皮やら何やらを着込んではいるが、震えあがりそうな冷たい大気が頬を刺す。

退屈凌ぎに、ルチアは他家の馬車の家紋を暗闇の中で判別する、という遊びをこっそりやっていた。


(あれは…サルダーリ男爵家ね。あっちはブランディ侯爵家よね…新年早々あの最低男の顔を見るなんて億劫だわ。あの家紋は確か…ベルトロット伯爵家)


その中に、ストーカーことシルヴィオの家であるベルトロット伯爵家のものを見つけた時、ルチアの心臓はどきりと弾んだ。


(何よ!!別にストーカーされそうだから怯えてるだけで、あいつに会えるのが嬉しいとかじゃ、ないんだから!!!)


自分に言い訳をしている時点で言わずもがななのであるが、ルチアはまだ認めたくないのである。


そうこうしているうちに、水平線から光が差し始めた。

初めのそれは、空と大地を分ける赤紫色の帯である。

やがてその中央に一際輝く金の卵が頭をもたげ、それが徐々に空を突き上げるうち、暗闇を押し拓く朱色が下から世界を染め上げていく。

次第に闇がその座を陽に譲り渡すと、地上は神々しく煌めく炎の惑星に、その全てをさらけ出すために惜しげも無く照らし出されるのである。


彼らの目に映る景色が色を変える間中、ルチアの翡翠の瞳はただ一点を見つめていた。

そこには陽に染められて煌めきの色を変える、銀の輝きがある。

小さな銀河のようなその地上の光は、ルチアから見て円の形を取らず、三日月のように欠けていた。

その意味するところは、彼らが誰を誰とも判別できぬ暗がりの中で、互いに眼差しを注ぎ合っていたということである。


世界が光に暴き出された時、二人の目が合った。

暗灰色の暖かな視線が、喜びに満ちる。


(み、み、み、見惚れてなんて、いないんだから!!!)


勝手に怒って、ルチアはふいと視線を逸らした。


日の昇りきった丘の上で、新年の挨拶が交わされ始めた。

ルチアもまた、完璧な公爵令嬢の仮面を貼り付けて、心にもない社交辞令と笑顔を振りまく。


「ルチア様。明けましておめでとうございます」


ストロベリーブロンドの髪を朝陽に輝かせて、ダミアーノが礼をする。


「ダミアーノ様、明けましておめでとうございます」


婚約者であるダミアーノには、他家の子女より早く優先的に挨拶せねばならぬのが暗黙のルールなのであるが、ルチアは彼の軽薄な笑顔に内心で吐き気を催しそうなくらいの嫌悪感に苛まれていた。


(嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い!!あー、嫌い!!!)


こんな酷いことを考えながらも、悪役令嬢ルチアは秀麗な美貌に隙のない麗しい笑みを浮かべていた。

二、三、言葉を交わして、気に食わない婚約者をやり過ごす。

そしてすぐに、無意識に救いを求めるように、ベルトロット伯爵家の馬車がある方角に目を向けた。


(いない…。当たり前よね、彼だって伯爵家の子息として挨拶すべき相手はいくらでもいるのだし)


落胆したことを自覚したくないくせに、ルチアはシルヴィオの姿を探してしばらく視線を巡らせた。


「ルチア様」


声をかけられて、振り向く。

振り向く前に不本意にも嬉しくなってしまった。

それはこの頃聞き慣れてきた、優しい声であったから。


「明けましておめでとうございます」


すっきりとした優しげな目元を細めて、暗灰色の瞳が暖かな視線をルチアに注ぐ。

朝陽に輝くのは、銀色のサラサラとした髪。

その姿を見ていると、ダミアーノに接してささくれ立っていたルチアの心が、柔らかく撫でられたように穏やかになっていく。


「明けましておめでとうございます、シルヴィオ様」


公爵令嬢の仮面を脱ぎ捨てて、ルチアは自然と微笑んでいた。

シルヴィオの透き通るような眼差しに苛立ちをすすがれて、新しい年の最初の夜明けの清々しさをようやく感じられたのだ。


(…て、何絆されてるのよ!こいつには言ってやらなきゃいけないことが、あったんじゃないの!)


スキー実習での変態行為、そして舞踏会での勝手な間接キス、それらを咎めてやれないままに、昨年が終わってしまった。

そんなことをしておきながら、こうして普通にしれっと話しかけてくるストーカーに、気持を新たにするにはうってつけの新年のこの時こそ、バシッと言ってやらねばならない。


「…本年こそは、シルヴィオ様には例年にも増して紳士的な振る舞いを期待しておりますわ」


精一杯鋭い視線を翡翠の瞳から投げかけて、他の人々には聞こえない小声で、しかしはっきりとルチアはシルヴィオにそう言った。


「お任せください、ルチア様」


華奢な身体を上品に折り曲げて、シルヴィオは美しく礼をする。

顔を上げた彼に浮かんでいたのは、ふわりと喜びに満ちたはにかみ笑いであった。


(絶っっっ対わかってないわ、こいつ!!!)


ひとつ咳払いをして、ルチアはシルヴィオを睨む。


「私の申し上げた言葉の意味、伝わっているようには思えませんの」


きょとんと、シルヴィオは綺麗な姿勢のままで首を傾げる。

その様子を愛らしいと感じてしまったことからは目を逸らし、ルチアは睨みつける勢いを強める。


「後をつけ回したり、不快感を与えるような非常識な行動をするのは、やめて頂きたいの」


シルヴィオの顔から、さっと血の気が引く。


「…でも、ルチア様は以前、許してくださったのだと思ったのですが…」


シルヴィオは項垂れ気味に、弱々しい掠れ声を華奢な喉から絞り出す。


「何のことですの?」


睨むのも忘れて訝しむルチアは、目の前で震え始めたか弱そうな生き物に、庇護欲をそそられて戸惑った。


「ぼくにはぼくの良さがあるのだから、他人の真似事はやめるようにと…」


それは確かに、ルチアが彼に伝えた言葉だ。


「だから、ぼくらしくいようと…」


消え入りそうな声で、暗灰色の瞳に涙を滲ませながら、シルヴィオは美しく伸ばしていた背筋を情けなさそうに崩して、上目遣いに悲し気にルチアを見上げた。

思えば、彼が堂々とルチアの前で変態行為をして、謝りもしなくなったのは、文化祭の展示を見たルチアが彼にその言葉をかけて以降である。


「あれは、絵の技術に賛辞を贈ったのであって、奇行を容認するという意味ではございませんわ」


秀麗な眉尻をハの字に下げて、ルチアは戸惑う。


「申し訳ございません、勘違いをしてしまったようで」


気品ある所作で丁寧に礼をして再び顔を上げたシルヴィオの頬に、涙が一粒光っていた。

しかしその表情は、悲しげながらいじらしく微笑みを絶やさない。

ルチアは彼の数々の奇行を知っているのに、それでも尚彼は貴公子然として見えた。

折れそうに華奢な体躯が儚げで、抱きしめて支えてやりたくすらなる。


(何よ、何よ!これじゃ、私が虐めてるみたいじゃない!私、間違ったことなんて、言ってないのに…)


さり気なくハンカチで涙を拭い、シルヴィオは何も無かったかのように姿勢を正した。


「もう、ルチア様に不快な姿をお見せしないとお約束します」


まっすぐにじっと、ほんの数秒、暗灰色の瞳が真摯にルチアの翡翠の瞳を見つめた。


「この一年もルチア様にとって、幸多からんことを」


それだけ言って作り物めいた微笑みを見せると、紳士のお手本のような所作で彼は去って行った。


(何、この後味の悪さ…。何だっていうのよ!!!)


嫌な痛みがルチアの胸に広がっていく。

間違ったことなど言っていないつもりであるのに、その痛みは自分に嘘を吐いた時の気分の悪さによく似ていた。

頬に触れた微かな風に、明け方の大気が凍り付くように冷たいことを、今更ながらに思い出す。


シルヴィオのことを変態だと思ってドン引きしたのは確かである。

しかし、感じていたのは本当に不快感だったであろうか。


(そんなの、決まってるじゃない。ストーカーなんて、気持ち悪い以外の、何だっていうの)


暗灰色の暖かな瞳にあやされるような、心の安らぎを思い出す。

けれど、そんなものは何かの間違いであると、そう思わなければルチアは真っ直ぐに立っていられなかった。


生まれた時から勝ちを約束された転生悪役令嬢。

完璧な公爵令嬢を演じ、三人の攻略キャラをまんまと手玉に取り、心の中で高飛車な哄笑をしていたルチア。

運命は我が物と、余裕たっぷりに驕っていれば幸せになれるはずだった彼女が、どうしてモブキャラストーカーなど気に掛けてやらねばならないのか。


ルチアは幸せになりたいのだ。

だから、邪魔をされたくないのだ。

筋の通った、単純な理論である。


なのに何故、先程の情景が瞼の裏にこびりついたままなのか。

彼が去ったその後も残像のように、彼女の心の中で銀の髪がさらりと流れ、きめ細やかな頬に涙が光り、華奢な肩が震えているのか。

ルチアは理解したくもなかったし、理解してはいけないと思っていた。

どんなに胸が痛くても。

第十六話をお読みくださり、ありがとうございます。


心の声ではツンデレ令嬢になりつつあるルチア。

素直になれない彼女の悪戦苦闘の日々に、今後もお付き合いいただけますと幸いです。

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