第15話 舞踏会のストーカー
シレア学園での生活も二年目の冬を迎え、ルチアによるヒーロー攻略は行き詰っていた。
オルランド、アドルフォ、レナートの三名は、ゲームでは無かったような言動を見せるほどに、ルチアに本気になっているようなのである。
逆ハーレムを形成したいわけではないルチアは、これ以上好感度を上げるわけにはいかない。
今のルチアは、彼らと友人関係と呼べる程度の親交は維持しつつ、これ以上イベントが起きないようにフラグを折ることに奮闘している。
最も良いのは、そろそろ本命を決めて、さっさと落ち着いてしまうことである。
しかしルチアは、どうにも決めかねていた。
眠る前のひと時、ルチアはこのところ毎晩のように、誰を伴侶にすべきか熟考している。
(誰も好きじゃないのよ。結局そこに行きついちゃうのね)
この不器用さは、前世から何も変わっていなかった。
良さそうなのととりあえずくっついて、後から好きになるという方法を取る人もいるのだと、彼女は前世で聞いたことがあった。
しかし、こだわりが強く潔癖であるという部分が抜けないルチアは、好きでもない人とは付き合えないと思っている。
今世では公爵令嬢という身分があるため、気軽に付き合うなどという選択肢はそもそも無く、決めるのは伴侶一択であるが。
(だいたい、好きじゃないのに、キスとか気持ち悪くてできないし。その後に待ってる夫婦生活なんて、愛が無ければ拷問じゃない)
ルチアは、身体と心が直結しているタイプなのだ。
政略結婚が基本の貴族社会では、そうも言っていられないことのほうが多いのであるが、彼女個人としては好きでもない相手とそういう関係になるくらいなら、この世にさよならするくらいに、そんなことは嫌だと思っている。
(友情は感じてるわ。だから、手を握られるくらいは平気よ。頬にキスされるくらいは、違和感はあっても嫌悪感は無いわ。でも…)
恋愛感情の無い相手と、恋愛関係でなければしないようなことをすると想像すると、生理的に身体が拒絶する。
これは考え方がどうこうという問題ではなく、本当に生理的な部分での無意識から来る反応なので、どうしようもなかった。
(…彼ならどうかしら)
銀色のサラサラとした髪を撫で、きめ細やかな頬に触れ、暖かみのある暗灰色の瞳を覗き込む自分を想像する。
そのままもっと、触れたくなるだろうか。
(ナシよ!ナシったらナシ!!!あんなストーカー!!!あんな変態!!!!)
その想像を掻き消した。
そして、何も考えなくて良いように、ぎゅっと目を閉じて無理矢理眠りにつく。
あれ以上想像していたら、きっともっと先まで嫌悪感なくその想像が進んでいたのではと…そう、自覚することはルチアには怖すぎた。
週末のその夜は、ピアツェラ伯爵家主催の舞踏会に招待されていた。
ピアツェラ伯爵家といえば、アドルフォルートの悪役令嬢ロベルタ・ピアツェラの家である。
ルチアにとって最悪なことに、ここにはダミアーノも招待されており、婚約者という立場上、彼にエスコートされなければならないのである。
正直言って、ダミアーノとは腕を組むのも生理的に気持ち悪い。
伯爵夫人と不倫し、高級娼婦とよろしくし、侍女に手を出しているその手でルチアの乙女の玉肌を触れられるなんて、屈辱以外の何者でもない。
今後も、ダミアーノとの婚約関係が切れない限り、こういった場では毎回彼にエスコートされることになってしまうだろう。
それが嫌なら、やはり早く本命を決めてダミアーノとの婚約を解消し、納得のいくパートナーにエスコートしてもらえるようにしてしまうことである。
「ルチア様、ダミアーノ様、お越し下さりありがとうございます」
「今夜は、お招きいただき光栄ですわ」
アドルフォにエスコートされているロベルタと出くわし、互いに礼をして挨拶を交わす。
この二人の間にも愛情は無いということを、ルチアはゲームの知識から知っている。
しかし、彼らはルチアがダミアーノを嫌うほどにお互い嫌っているわけではないであろうし、実際友人関係を続けてきた中でそれなりに仲良くしているところも見ている。
この日だけは、ルチアはロベルタが羨ましく感じた。
デフォルトの婚約者が、せめてここまで生理的に嫌悪感の無い相手であればと、どうしても思ってしまう。
ロベルタ以外にも、その舞踏会で見知った同級生と何人か顔を合わせた。
婚約者がいる令嬢は婚約者に、そうでない令嬢は兄弟や親戚にエスコートされている。
傍から見れば仲睦まじく見える組み合わせであっても、実際に彼らのうち何組が心から愛し合っているであろうか。
ルチアのように、この世で最も嫌悪するタイプの相手をあてがわれてしまった者も、貴族社会なら他にもいるのであろう。
「ダミアーノ様、申し訳ございません。私、足に小さな打撲がございまして、本日は踊りたくありませんの」
これは、嘘である。単にダミアーノと踊りたくないのだ。
こうでも言わなければ、ほぼ義務として婚約者と踊ることになる。
かといって、公爵令嬢として招待状を受け取った以上、正当な理由もなく舞踏会に欠席するのはピアツェラ伯爵家に対する失礼にあたる。
「ダンスのパートナーには、他の淑女をお誘いくださいませ。私は、お食事とお飲み物を頂きながら休ませて頂こうと思いますわ」
「そうですか。ルチア様、お大事になさってください」
人の好さそうな明るい笑顔で、ダミアーノが素直に気遣う素振りを見せる。
ストロベリーブロンドの髪がシャンデリアの下で輝きを放ち、華やかな顔立ちが甘くにこやかにルチアに向けられる。
彼の裏の素行を知らない者ならば、優しい紳士である上、美形な婚約者で羨ましいと思ったかもしれない。
だが、ルチアはゲームの知識として知っている。
ヒロインに出会う前のダミアーノは、特定の女性に執着しておらず、婚約者だろうが誰だろうが女と見れば適度に親切に振る舞い、その実は女を“いくらでも代わりの利く都合の良い存在”としてしか求めていない。
つまりは、ルチアに言わせれば女を馬鹿にしているのである。
(あっかんべぇー!!!)
子供っぽいという自覚はあったが、ルチアは大嫌いな婚約者に向かって、心の中で思い切り舌を出してやった。
ダンスがメインの舞踏会とはいえ、踊り疲れた招待客がいつでも食べ物や飲み物を楽しめるよう、長テーブルには豪華な料理と様々な飲み物が用意されていた。
料理が並んでいるテーブルとは別に、立食形式で他の招待客と気軽に語らうにはうってつけの、高くて幅の狭いテーブルもいくつも見られた。
ジュースでも飲もうかと、ルチアはそちらへ歩んでいく。
視界の端に、銀髪がサラサラと揺れるのを見た。
見慣れてしまった、ルチアのストーカーことシルヴィオ・ベルトロットが、どこかの貴族と挨拶を交わしているようだった。
見る限り、彼がエスコートしている女性などはいないようである。
(決まった婚約者はいない、ということかしら)
そう考えてから、ルチアははっとする。
(な、なんで私が、あんな奴に婚約者がいるかどうか気にしなきゃいけないのよ!)
自分自身に悪態をつきながら、ルチアは給仕係に差し出されたオレンジジュースに口をつけた。
横目でチラチラとシルヴィオを見ながら、どの料理からもらうか決めるために移動していく。
(別に、あいつが気になるとかじゃなくて…。変な行動に出られたら困るから、見張ってるだけよ!)
誰にともなくその行動への言い訳をしてしまう理由を、ルチアはまだ認めたくない。
決して彼の姿勢の良い立ち姿に目を奪われていたわけではない、などと誰にも何も言われないのに自分に念を押す必要は、本当にそうならばなかったというのに。
ルチアは、当てつけのようにマグロのカルパッチョを口の中に押し込んだ。
あくまでその仕草は、公爵令嬢らしく優雅にである。
魚介類は前世からの大好物である。
特に、青背の魚は健康にも良い上に頭も良くなると前世の知識で知っていたので、見かければ優先的に口にする。
(頭が良くなれば幸せになれると思ってた頃の自分が、恨めしいわ)
そんな感慨に耽りながらも、しかしルチアは今世においても自分のスペック上げは怠らない。
それだけでは幸せになれなくても、幸せを掴むためのカードのひとつにはなると、今でもルチアは思っているのである。
「ルチア様」
声をかけられて、慌てて振り向いた。
そこには優雅に紳士の礼をする、シルヴィオの姿があった。
「今宵はお目にかかれまして光栄です」
その貴公子として完璧な立ち振る舞いは、彼の華奢な体躯に気品を纏わせる。
「こちらこそ、お目にかかれて光栄ですわ」
僅かに頬を染めながら、ルチアもまた完璧な淑女の礼をとる。
礼儀には礼儀を。
こうしてきちんと挨拶をされれば、ルチアだっていきなり怒鳴りつけたりはしない。
「ダンスはお嫌いなのですか?」
「いいえ。本日は私、足に打撲がございまして、遠慮させて頂くことに致しましたの」
「それは、どうぞお大事になさってください」
暗灰色の暖かな光を眼差しに乗せて、シルヴィオは心からルチアを気遣う気配を見せる。
(嘘、なんだけどね…)
本来、ダンスはルチアの得意分野である。
運動嫌いのルチアだが、公爵令嬢として踊れないなんて許されないと、幼い頃から血の滲むような努力を重ね、誰もが絶賛する身のこなしを習得した。
「シルヴィオ様こそ、今宵は踊られませんの?」
その言葉に突然、シルヴィオはきめ細かな美しい頬を赤く染めた。
「…ぼくの名前を、ご存知だったのですね」
すっきりとした優し気な目元に、彼は喜色を浮かべる。
「ええ、勿論ですわ。展示作品の作者名も拝見致しましたし」
日頃は姿を隠して付きまとってきたりする癖に、こうして正面から堂々と世間話をしに来るシルヴィオのことを解せないと思いながらも、ルチアはこの語らいを楽しいと感じ始めていた。
「嬉しいです、とても。…ああ、ご質問にお答えしておりませんでしたね。ダンスというものは魅力的ですが、踊りたいお方が今宵は踊られないようですので、ぼくも遠慮しようかと」
つまりルチアと踊りたかったと、暗に言っているのである。
「まあ。シルヴィオ様のエスコートを待っているご令嬢がどこかにいらっしゃったりはしませんの?」
完全に、ルチアは探りを入れている。
彼に婚約者がいないのか、と。
「ぼくにはそのようなお方は、残念ながらいらっしゃいません。ルチア様のような素敵な淑女がお相手だったら、どんなに良いかと夢見るばかりです」
シルヴィオの熱を込めた視線が、一心にルチアに注がれる。
ルチアの眠っていた胸の奥の器官が、どくどくと騒ぎ始める。
(何よ…。こんな台詞くらい、いつも他のキャラにも言われて…)
何故、彼からの言葉が特別なのか。
ルチアは困惑する。
(多分、多分、目の前にいるのが、ストーカーで変態で、危険人物だからだわっ!)
頑固にもそう結論付けて、ルチアは勝手に不機嫌になった。
そこで、ルチアに声をかけてきた貴族がいた。
振り返って見れば、父であるモンテサント公爵のもとをよく訪ねてくる、見知った侯爵であった。
こうなると、ルチアはそちらの対応をするしかない。
シルヴィオとの会話を中断して、侯爵の話し相手をする。
(…あら?私のオレンジジュースのグラスは、どこだったかしら?)
会話の途中に喉が渇いて、横目に先程グラスを置いた場所を見れば、グラスは忽然と姿を消している。
こういった人の多い社交の場では、どれが誰のグラスだかわからなくなってしまうことは多々あった。
そのため、給仕係が下げてしまったのかもしれないと、ルチアは納得することにする。
(またもらえばいいし…。て、あいつ!?!?)
シルヴィオはオレンジジュースのグラスを持っていた。
それ自体はおかしなことではない。
彼だってオレンジジュースを飲みたくなる権利はある。
しかし問題なのは、そのグラスの縁に、ルチアが使っている口紅と全く同色の口紅が付着していることである。
侯爵との会話を失礼にならないようきちんと続けながら、ルチアはシルヴィオのほうを盗み見ていた。
(あり得ないんだけど!!!!)
シルヴィオは、その口紅がついている部分に口をつけて、オレンジジュースを飲んだ。
やはり彼は、ストーカーの称号に相応しい男であるようだ。
(さっき、きちんと会話のできる奴だと思ってちょっと見直したのにー!!!)
更に彼はオレンジジュースを飲みながら、グラスと手で口元を隠すようにして、その口紅をてろりと舐めとった。
(ひ、ひぃぃぃいいいいいい!!!!変態!変態!変態!!!)
ルチアの唇は、間接的に頂かれてしまった。
それに対し、責任を取ってくれるのだろうかと一瞬でも思ったルチアはルチアで、相当におかしくなっているようであった。
第十五話をお読みくださり、ありがとうございます。
ルチアの余裕はストーカーの変態アプローチでノックアウト寸前ですが、頑固な心はまだ負けを認めたくないようです。
こんな二人ですが、広い心で応援して頂けると嬉しいです。




