第14話 ゲレンデの変態
シレア学園の冬の行事として、毎年恒例のスキー実習がある。
「ゲームにはこのイベント、出てこなかったのよ!」
ルチアの心からの叫びは、雪降る夜の寝室の窓辺で、人知れず冷たい大気に消えていった。
狡猾にして用意周到な生き方を、ルチアは今世では心がけていた。
シレア学園でスキー実習があるとわかっていたら、公爵令嬢という身分をフル活用して、入学前までに華麗に滑れるようになるよう、幼少期から毎冬講師を雇って練習しておいただろう。
しかし、ルチアがこの行事の存在を知ったのは、シレア学園に入学して年間行事一覧を確認した、昨年の春のことである。
人工雪を敷き詰めて年中オープンしているスキー場なんてものは、勿論この世界には無い。
昨年の冬は雪が積もって以降、鬼のように練習したのだが、何せもともとルチアは運動音痴。
前世すらも運動音痴。
彼女は一冬で滑れるようになど、なれなかった。
故に昨年のスキー実習は、初心者の組に入ってなるべく目立たないようにしていた。
「ゲームに出てこなかったくらいだから、別に滑れなくたって、攻略に支障はないはずだけど」
このスキー実習は、全学年合同である。
それの何が問題かというと、ルチアとしてははっきり言葉にしてしまいたくないのであるが。
どうも脳裏に、あの銀髪がチラついてたまらないのである。
「この公爵令嬢ルチア様が無様な姿を晒すなんて、それだけで癪なのよ!」
買い込んだスキーウェアが、クローゼットに何着も掛かっている。
明日も早起きして練習、放課後も練習の予定である。
モンテサント公爵家の領地内に、丁度いい傾斜の坂があるのだ。
権力と財力に物を言わせて雇った講師は、ルチアの都合の良い時間に教えに来てくれる。
「勝ち組になるんだもの。こんなところで負けられないわ!」
闘志の燃やし方が斜め上である自覚も無いことはなかったが、努力家のルチアは実習当日まで必死に練習に励んだ。
その甲斐あってか、緩やかな坂を滑り降りて、転んで止まるくらいはできるようになった。
鬼のように練習した成果が、この雀の涙程度の結果である。
時間の無駄と言えなくもない。
そして、スキー実習当日が訪れた。
ルチアは、前年度と同じように初心者組に入って、なるべく気配を消していた。
上級者組は、ルチアが滑ると一発死亡確定であろうという見るからに恐ろし気な斜面を、自由自在に滑り回っていた。
その中でも目立つのはアドルフォである。
スポーツ万能の彼のスキー捌きは言うまでもなく、ウェアの上からでもわかる逞しい肉体が、雪景色の中で力強くその存在感を示している。
勇ましく滑るその姿は、まるで雪に覆われた戦地を駆け巡る英雄のようである。
オルランドとレナートは中級者組にいた。
滑りそのものが派手なわけではないのだが、空も大地も白い雪景色を縫うように美貌の彼らが滑っていく様は、雪の妖精という言葉を彷彿とさせるほどに神秘的で美しかった。
そして、雪の妖精のように佇む男がもう一人、ルチアのすぐ近くにいる。
銀の髪はサラサラと白銀の大地と輝きを交わすように煌めきを放ち、暗灰色の瞳はそれらを溶かし出すように暖かな光を湛えている。
派手ではないが、上品で美しい顔立ちの下級生、シルヴィオ・ベルトロット。
ルチアのストーカーである。
(なんでこいつが、同じ班なのよ!)
同じ初心者組にいるところまでは仕方ないとして、寄りにもよって、彼はルチアと同じ班であった。
講師の説明や忠告を聞いている今、シルヴィオはさりげなくルチアの斜め後ろに立った。
注意していないとわからなかったであろうが、ルチアの耳には彼の妙に荒く長い呼吸が聞こえる。
髪の匂いを吸い込まれている――その確信がルチアにはあった。
(ひぃぃいいいいいい!!!助けて、ロレンツォ!!)
執事であるロレンツォは、基本的に学園やその行事には、送り迎えの際しか来ない。
ルチアが助けを求められる相手など、ここにはいないのである。
(なんでこんなに残念なわけ!?せっかく顔だって好みだし、絵だって上手くて一芸に秀でてるし、この変態なところさえなければ…!!)
内心で悪態をつくルチアであるが、表面上は完璧に優雅な公爵令嬢の仮面を貼り付けている。
「それでは皆様、付いてきてください」
講師について、スキー板を嵌めていない足で坂を上っていく。
初心者組がまず練習で滑るのは、見晴らしの良い数メートルの緩やかな傾斜である。
「では、先程お伝えした手順で、板を足に嵌めてください」
それくらいはルチアにもできる。
何せ、去年も今年も雪が積もって以降、ずっとスキーを猛練習してきたのである。
「では、順番に一人ずつ、滑ってみましょう」
恐る恐る、順々に彼らは滑っていく。
講師の教えた通り、足をハの字に開いて、止まる時は転ぶ。
ルチアも他の皆と同じように、滑っていって転んだ。
後ろ向きに雪に沈み込むと、雪にお尻の形に穴が開くのが、ルチアにとっては屈辱の瞬間であった。
(公爵令嬢ルチア様にこんな格好をさせるなんて…ゲレンデめ、覚えてらっしゃい!)
意味不明な悪態をつきながらルチアは起き上がって、再び列に並び直すために歩き出す。
ルチアの次の順番で滑ったのは、シルヴィオだった。
明らかに初心者組の中では上手い。
そして、どう見てもルチアが最後に転んだ場所に向かって滑っている。
(あいつ、何する気!?)
スキーウェアに包まれたルチアの背筋に、悪寒が走った。
シルヴィオはルチアより少し長く滑り、その際にルチアが最後に転んだ場所は上手く避け、更にちょうどルチアのお尻が沈めた雪の上に頭が来るように転んだ。
(なっ!?変態!!!)
しかも、起き上がりざまにその雪に頬ずりしていったのを、ルチアは見逃さなかった。
(変態変態変態!!!!!!)
叫び出したいのを堪えながら、ルチアは顔を真っ赤にして憤った。
「君、結構滑れているから、中級者組に移動しますか?」
講師はシルヴィオにそう声をかけた。
(そうよ、あっちへお行きなさい!)
ルチアの心の声は届くはずもない。
「いいえ、ぼく、今日が初めてなので、不安なんです。こちらにいさせてください」
「そうですか…」
本人がそう言うのなら、講師も強くは言えない。
ルチアは怒りに拳を握りしめた。
「ちょっと、あなた」
列に戻って来たシルヴィオに、ルチアは小声で咎めるように声をかけた。
「ああいうことするの、やめて頂戴。人前で、よくやるわね」
「大丈夫です、誰も気づいていません」
「大丈夫じゃないわよっ!!!」
声が大きくなってしまい、他の令嬢や子息が数名振り向いた。
「な、何でもございませんのよ。オホホ」
秀麗な眉をひくりと引きつらせながら、ルチアは上品に作り笑いをする。
公爵令嬢という彼女の身分のこともあり、誰も深くは問えない。
彼らはまた、列に並んで滑り始めた。
「…初心者のフリまでして、あんなことをするのが初めから目的だったのかしら?」
再び小声で、ルチアはシルヴィオに話しかける。
必然的にその距離も近くなってしまい、シルヴィオの肌がきめ細かいことが目に付く。
「初心者です。本当に、今日初めて滑るんです」
この世界では。
――最後にそう、シルヴィオは小さすぎる声で付け加える。
ルチアは、聞き間違いか幻聴かと疑ううち、自分の滑る番が来てしまった。
その後も何度滑っても、シルヴィオはルチアが転んだ場所をあの手この手で触っていた。
怒り心頭のルチアも、皆の前では怒鳴ることすらできず、彼のやりたいようにさせておくことしかできなかった。
(覚えてなさい…!!!絶対、絶対、絶対に後で恐いんだからね!!!!!)
第十四話をお読みくださり、ありがとうございます。
ブックマークや評価などもありがとうございます!大変励みになっております。
そろそろ、この奇行は気持悪くて無理という読者の方もいらっしゃるでしょうか……。
皆の前だと強気で変態行為をするストーカー。
完璧な公爵令嬢を演じ続けるために、キレることもできないルチア。
お似合い(?)の二人を、今後ともご無理のない範囲で!何卒よろしくお願いいたします。




