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第13話 悪役令嬢の肖像画

「それ、本当に私でしたの?」

「ええ、間違いございませんわ!」


ルチアは、他の令嬢に聞かされて初めて知った。

文化祭の展示物の中に、ルチアの肖像画があるらしいということを。


「こちらですわ!」


彼女に案内されるままに、ルチアは急いでついて行く。

この文化祭のために肖像画のモデルをした覚えはない。

どうせ他人の空似であろうと、そう思っていたというのに。


それは、美術作品の展示専用に、上階のロビーに作られたスペース。

ルチアはその絵を一目見て、息を呑んだ。

まるで鏡を見ていると錯覚しそうなほどに、そこに描かれているのはルチアでしかなかった。

それも、その微笑みは完璧な公爵令嬢を演じている時の優雅な作り笑いではない。

ロレンツォの前でしか見せないような、自然な笑顔のルチアなのである。


(誰がこんな絵を!?)


作者の欄には、シルヴィオ・ベルトロットの名が書き込まれている。

絵のタイトルは、『憧憬の姫君』。

こんなものは、肖像画につけるようなタイトルではない。


写真の無いこの世界では、記録として肖像画は重要な役割を果たし、モンテサント公爵家でも毎年誕生日にルチアの肖像画は描かれている。

しかし、これほどまでに写し取ったように本人そっくりの肖像画は、ルチアは初めて見た。

単純に言って、描き手が上手いのである。


「ほ、本当にそっくりですわね」


嬉しいような恥ずかしいような気持もありながら、勝手に自分の顔が飾られることに対する困惑と怒りのようなものまで混じり、ルチアは何とも言えない複雑な微笑みを浮かべた。


「…ルチア。このシルヴィオ・ベルトロットという生徒と親しいのか?」


いつの間にか、噂を聞きつけて来たらしいオルランドが、隣に立っていた。


「親しいと言えるような間柄ではございませんわ。挨拶を交わした程度ですのよ」


それは強ち嘘ではない。

親しくはないし、ストーカーされていると言う訳にもいかないのだから、この回答は良識の範疇であろう。


「けれど、絵のモデルをしたのだろう?」

「いいえ。私、モデルもしていないのにこんな絵があって、驚いているんですのよ」


オルランドは、秀麗な眉を思い切り顰めた。


「どういうことだ。この生徒はまさか、君をどこかから勝手に監視していたのでは」


ぎくりと、これに関して悪いことをしているわけでもないルチアが、何故か慌ててしまった。


「でも、私の名前はどこにもございませんもの。別人ということもあるかもしれませんわ」


そう、庇うようなことを口にすると、オルランドは目に見えて不機嫌になった。


「この、タイトル。『憧憬の姫君』だなんて、明らかに君に興味のある男がつけそうなものじゃないか。君は、変な男につけ回されていたりしないだろうな?」


図星なのだが、オルランドにそんなことを話すわけにはいかない。

この様子では、あのシルヴィオという下級生が只では済まない。

何故あのストーカーを庇ってやりたくなるのかなんて、ルチアは考えたくもなかったけれど。

事を大きくしたくないのだと、自分に答えて納得する。


答えに詰まっておろおろしていると、アドルフォが姿を見せた。


「これは、ルチア様の肖像画ですか。素晴らしい出来栄えですね」


そう口にしたアドルフォに、オルランドが近寄っていく。


「ルチアはモデルをしていないんだ。この絵は勝手に描かれた。おかしいと思わないか?」


オルランドとアドルフォは、別段親しい間柄というわけではない。

この国の王子に突然話しかけられたアドルフォは驚き、畏まって礼をする。


「これはこれは、オルランド王子」

「君はどう思う?ルチアは、おかしな男に目を付けられているのではないか」


どうも興奮気味のオルランドは、絵の作者に対する怒りを滲ませて、アドルフォに同意を求めようとする。


「この絵は、ルチア様の知らないところで描かれたということなのですか?」


オルランドとルチアを交互に見ながら、アドルフォは困惑する。


「そうなんですの。でも、ほら、私の名前なんてどこにも書かれておりませんから。他人の空似かもしれませんことよ?」


それは無理があるというのは、ルチア自身わかっている。

この絵は上手すぎて、誤魔化しようがないくらいに寸分違わずルチアそのものなのである。


「ルチア様、こんなにルチア様に似た他人など、わたくしは見たことがございません。御身の安全のためにも、警戒なさるべきかと思います。わたくしにできる範囲でしたら、お守り致します」


アドルフォの見解に、オルランドはうんうんと頷いている。

そこへ、レナートまでも姿を現した。


「これは…肖像画家顔負けの腕だな。ルチア様をモデルに選んだ点でもセンスが良い」


神経質そうな顔に感心の色を浮かべて、芸術に造詣の深いレナートは心からこの絵に賛辞を贈っている。


「だが、このタイトルは何だ?肖像画につけるようなものでは…」

「君もそう思うか。この絵の作者はルチアを変な目で見ているに違いない!」


儚げな美貌に憤りを浮かべたオルランドが、レナートに話しかける。

人見知りのレナートはびくりとしたが、相手が王子では無視するわけにもいかず、礼をする。

そしてその傍にルチアがいるのを見つけて、助けを求めるように視線を送った。

ルチアも何と言っていいものか困って言葉に詰まっていると、アドルフォが口を開いた。


「ルチア様はモデルをなさっていないのだそうです。なのにこんな絵が描けるなんて、おかしいと思いませんか?」


瞠目したレナートが、絵とルチアを見比べる。


「あ、あの…。そうですわ!私を描いたことのある肖像画家の下書きか何かが残っていて、この生徒は偶然それを手にして、誰ともわからずに描いたのかもしれませんわ!」


レナートの青紫の神秘的な瞳にまで、絵の作者に対する不審の色が宿っていくのを、ルチアは見た。


「下書きは通常、鉛筆でしょう。ルチア様の髪や目の色までこれほど正確にわかるはずがありません。どうして、この男子生徒を庇うのです?」

「そ、れは…」


真っ直ぐすぎる真摯な眼差しが痛くて、ルチアは翡翠の瞳をレナートから逸らす。

視界の端に、サラサラとした銀髪が見えた。

彼はこの様子を見ているのだろう。


「別に悪いことではありませんわ。誰が誰の絵を描いたって、誰にも咎められることではありませんもの」


翡翠の瞳をレナートの青紫の瞳に向けて、ルチアは力強く言い放った。

この中では一番、レナートが同意してくれそうだと思って、半ば縋るようにそちらを見たのだ。

ルチアの前世の世界と違って、この世界には肖像権云々というものに関する明確な法は無い。

法律上、シルヴィオのしたことには何の問題もないのは、事実だ。


しかしレナートは、呆れたような溜息を吐いた。


「ルチア様。この絵が描かれたことそのものは咎められなくとも、ルチア様に許可もなく勝手に貴女の姿を描くような精神性の持ち主に目をつけられているということに、警戒すべきなのですよ」


レナートの言うことはもっともである。

オルランドとアドルフォが、同意するように頷いている。


「君はこの生徒と親しいと言えるような間柄ではないと言ったが、それにしては随分肩を持つな。何故なんだ?」


オルランドの問いに、ルチア自身も答えが欲しかった。

何故、こんなにも庇いたいのか。

自分でもルチアはわからない。


「…女の子なら誰だって、綺麗に描いてもらって、悪い気はしませんわ」


弱々しく、ルチアはそう答えた。

おそらくそうなのであろうと、自分に言い聞かせるようにしながら。

しかし、三人の攻略キャラたちは、納得し切れないという表情を浮かべている。


「上手なんですもの。この絵、素晴らしい出来栄えなんですもの」


彼らがルチアを心配してくれているのはわかっている。

ルチア自身が責められているわけではないのに、向きになるのはお門違いだということも。

それなのに、段々とわけがわからないくらい、ルチアはとにかく言い返さないではいられなくなっていった。


「私、芸術だって学業だって運動競技だって何だって、一流が好きですの!だって、だって、努力してそこに辿り着いたのに、幸せになれなかったらそんなの、悲しいではありませんか。この絵が私を描いたものだというなら、他のどなたが何と言おうと、私は光栄ですわ!」


論点がずれている自覚はあった。

ルチアはただ、感情的になっているだけだった。

それでも気持ちだけは通じたものがあったのか、レナートは黙って頷いて踵を返した。


「君がそう言うなら、この絵についてはもう何も言わないよ」


オルランドも、渋々ながらといった様子で、その場を去っていく。


「ルチア様。何かあれば助けを呼んでください。わたくしには芸術の良さなどはわかりませんから、絵については何も申しませんが…あなたをお守りしたいのです」


アドルフォはそう言って、ルチアの片手を固く握り締める。


「ありがとうございます、アドルフォ様」


茶褐色の力強い瞳を見返して礼を述べると、アドルフォはひとつ頷いて、その場を離れて行った。


その場に残ったルチアは、あらためてその絵を見上げた。

ルチアが寛いでいる時にだけ見せる、自然な微笑みがそこにある。

タイトルとして掲げられた、『憧憬の姫君』という文字に目を遣る。


(馬鹿ね。私は彼らを手玉に取って喜んでる性悪女よ。悪役令嬢なのよ)


黙ったままずっとそこにいた、銀髪の下級生を振り返る。


「ご、ごめんなさい…」


ぼそぼそと、ギリギリ聞き取れるくらいの小さな声で、シルヴィオは謝罪の言葉を口にした。

暖かみのある暗灰色の瞳が、僅かに涙を溜めて潤んでいる。


「何故謝るの?」


自分でも驚くほどに優しい声で、ルチアは問いかけた。


「勝手に、描いてしまって」


派手な美貌の攻略キャラたちを同時に三人も見ていた後に、シルヴィオの華に欠けた整った顔立ちを見ていると、ルチアの心が凪ぐように穏やかになっていった。


「馬鹿ね。言ったでしょ、私、一流が好きなの。あなた、絵が上手いのね」


瞠目して、シルヴィオはルチアを正面から見つめた。

まともに向き合うのは初めてである。


「で、でも、いつもは怒っていらっしゃるのに…」


ルチアは微笑んだ。

それは、公爵令嬢の仮面に貼り付けた作り物の笑みではない。

彼女の背後に掛けられた絵と全く同じように、転生悪役令嬢は心から笑っていた。


「それは、向かないことをして邪魔をするからでしょ。あなたにはあなたの良さがあるんだから、他人の真似事なんておやめなさい」


溜めていた涙を弾けさせて、優し気な目元をぎゅっと閉じるほどに満ち足りて、シルヴィオは破顔した。


「はい!」


そのあまりに嬉しそうな笑顔に、ルチアの中で前世からずっと凍り付いていた何かが、優しく溶けていった気がした。

第十三話をお読みくださり、ありがとうございます。


三又令嬢ルチアが四又令嬢にレベルアップ!

転生悪役令嬢は今世で幸せになれるのか、今後もその行く末を見守って頂けますと嬉しく思います。

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