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第11話 執事ロレンツォの信用

ロレンツォ・リゲティは、モンテサント公爵家の執事である。

ルチアのお忍びにまで付き従って、その婚約者の身辺調査にまで協力していることから、彼をフットワークの軽い若者であると想像した人も多いかもしれない。

しかし、ロレンツォはルチアが十六歳の現在、既に六十二歳。

白髪交じりの、モノクルが似合う紳士然とした初老の男性である。


使用人階級の中でも執事と言えば家令の次に格が高く、本来ならば主人――つまりモンテサント公爵家当主であるルチアの父を補佐すべき立場であるはずの、ロレンツォ。

執事が令嬢の世話に徹しているのは特例であり、本来ならば令嬢の世話は同じ女性である侍女などの仕事である。

ここに至るまでに、モンテサント公爵家では紆余曲折あった。


幼い頃のルチアはよく、家の者達に前世のことを語って聞かせた。

そして、前世の常識が何とかと言って騒いでは、着替えや入浴を手伝われるのを嫌がり、下着の洗濯は自分でしたがるという、困った令嬢であった。

家族や使用人たちは、前世なんていう突拍子もない話を当然信じない。

それでいて、ルチアは時にこの世界の大人たちでもそうそう知らないような知識を披露して見せ、その前世というものを裏付けるかのような言動を取ることがあり、身近で彼女の世話をしていた侍女らを気味悪がらせた。


そんな中、ロレンツォだけはルチアの言う前世の話を信じた。


「他に、説明のつけようがございません。ルチアお嬢様が五歳にして、この世界で知られていない方法で一瞬で掛け算をしてお見せになったとき、確信致しました。ルチアお嬢様の前世のお話は全て事実であると」


思い出話に花を咲かせながら、ロレンツォはルチアの優雅なティータイムの給仕をしている。

学園が休みの週末の、昼間のテラス。

心地良い風に吹かれて、ルチアのプラチナブロンドの髪がふわりと緩やかに揺れている。


「十歳の雷の日には、音速は温度で変化するなどと口走り、その日の気温と光ってから音が聞こえるまでの時間を頼りに、雷が落ちた地点までの距離を計算してお見せになりましたね。それが後の調べでおおよそ正しかったのを見た時の家庭教師の驚きようといったら、忘れられません」


ルチアは、勉強の類は大人が面食らうほどにできすぎ、たまに教科書に載っている定説に対して、これは間違っていると言い出して聞かないことまであって、家庭教師を困らせた。

実証できる事柄については、だいたいルチアは彼女の言が正しいことを実験によって示して見せるものだから、周囲はますます気味悪がった。

これはとんでもない天才が現れたと騒ぐ者もいたのだが、公爵令嬢という立場の女児に誰もそんなことを求めはしない世界である。

ルチアの教育にあたっては、令嬢らしさというものに重きを置かれ、ルチア本人もそれをこの世界を生き抜くための武器として熱心に学んだので、ルチア天才説は有耶無耶のまま捨て置かれた。


「この世界よりもずっと、文明の進んだ世界で教育を受けたんだもの。別に私は天才ってわけじゃなかったけど、あちらで熱心に勉強したことは確かよ。だから、黙っていた方がいいとはわかっていても、間違った理論を見るとついつい指摘したくなっちゃうのよね」


ルチアの前世の話についていけるのはいつしかロレンツォだけとなり、変わり者扱いを受けたこの公爵令嬢は自分の話を信じてくれるロレンツォにしか心を開かなくなっていった。

見かねたモンテサント公爵は、自分の執事であったロレンツォをルチアに譲り、他の使用人を新たに執事に格上げして自分の側につけることにしたのだった。

令嬢の世話を男がするなんて、とはいえ、ロレンツォは既に初老。

公爵も彼に信頼がおけることをよく知っており、間違いなどは起こらないであろうという判断であった。


「電気の概念が無いというのは、それがあるのが当たり前の世界にいた私にとって、本当に不便だわ。こちらで発明してしまいたいのは山々なのだけれど、自分で見つけたわけでもない理論や発明品をこちらで浸透させるために、まるで自分が提唱者であるかのように騙るのは私の良心が許さないし。誰か、名義を貸してくれる学者はいないものかしらね」


ロレンツォは、こういった文明が進んだどこかの世界の話を聞くのが、純粋に好きだった。

この後も、電気というものとその利用に関して話題は盛り上がり、モンテサント公爵家のパティシエの力作である紫芋のタルトを、その間にルチアは四つも平らげた。


更には、ロレンツォはルチアから唯一、この世界がルチアの前世における“乙女ゲーム”なるものの世界である、という作り話にしてもなかなか思いつきそうにない話までを聞かされている人物である。

この“乙女ゲーム”というものについて、ルチアは以下のように説明した。


「ざっくり言うと、物語の展開が複数用意された、恋愛を仮想体験できる女性向けの仕掛け絵本のようなものよ。機械装置がその絵本の絵を映し出して、同時に物語の文章が現れるの。読み手が主人公の行動や台詞を時々選べて、その選択によってその後の物語が変わっていく。読み手はその選択で変わっていく展開を楽しみつつ、お目当ての登場人物との恋愛成就を目指すのよ」


テレビゲームの何たるかを詳しく説明せずとも、ルチアの転生についてロレンツォは理解できるであろう。

そう考えたルチアの読み通り、これだけでロレンツォは粗方理解した。


「つまり私たちが今いる世界は、私の前世では創作物の中のファンタジー世界だったってことなのよ。だから、その物語の中で描かれるシレア学園三年目に起こり得る、複数の展開というものを私は知っている。そしてそれ以上に、物語の過去として描かれている今という確定した時間に起こることについては、もっと断定できるほどに知っている」


ルチアは時々、これから起こることがわかった。

勿論、ゲームから得た知識によってである。

しかし、未來予知などみだりにして見せれば、流石に怪しいを通り越して、ルチアのその力に目を付けて利用しようと言う輩が現れかねない。

だから、ルチアがこれを話すのはロレンツォのみである。


「でも、過去に当たる時間に起こったことも、全てがゲーム通りってわけでもないのよね」


そんな話をして、もう五年以上が経つ。

ロレンツォは、これらのルチアの話を全面的に信じた。

そして、ルチアの婚約者がとんでもない男であることや、ルチアの前世での後悔を知って、彼女の幸せのために協力を申し出た。

ルチアが倫理的に大きく踏み外さない限りにおいて、ロレンツォは必要とされれば彼女の()()を手助けすることにしたのである。


そんなルチアの強い味方ロレンツォは、タルトのおかわりを運んできたところ、不意にルチアから質問を投げかけられた。


「ねえ、ロレンツォ。ベルトロット伯爵家って、うちとの相性はどう思う?」


この“相性”というのは、縁談における家同士の相性のことであろうとは、ロレンツォにはすぐに察せられた。

しかし、ルチアが話した攻略対象の中に、ベルトロット伯爵家の子息はいなかったはずである。

ロレンツォは不思議に思いつつも、口を開いた。


「爵位は今のご婚約者様より劣るとはいえ、歴史あるお家柄ですし、資産面でも申し分ありませんし、何より隣国との繋がりもあるということを考えれば、旦那様も悪くないお相手とご判断なさるかと思いますよ」


優秀な執事であるロレンツォはなかなかに人脈も広く、他家の事情にもそこそこ精通している。


「そう。そうなのね…」


何やら考え込むルチアの唇の端が、無意識にか少し持ち上がっている。

笑っているのだ。


それを見たロレンツォは、もしやと思い至る。

前世の記憶に関係なく、本気の恋をできる相手を、ようやくこの令嬢は見つけられたのではないか、と。

ロレンツォが世話をするこの公爵令嬢は、頭が切れて努力家であるのに、不器用にも前世にとらわれ過ぎていると日頃から彼は思っていた。

だから、今度こそ彼女が打算なしに恋愛を楽しめるのなら、そちらのほうをこそ応援したい。

――そう、この時の彼は思っていた。

第十一話をお読みくださり、ありがとうございます。


狡猾令嬢ルチアにも、本音を話せる相手は必要。

この人だけは絶対的に自分の味方である、という確信から安心を与えてくれる、心強い執事のロレンツォ。

そんな彼らの主従の絆についても、今後少しずつ触れていきたいと思いますので、今後とも応援して頂けますと嬉しいです。

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