家が燃えた
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好評なら、続きを書きます。
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瑞月が屋敷を出ると、景色は破壊し尽くされていた。
いつも窓から見えてた庭木も蔵も、何もかもが無くなっていた。焼け焦げ、大きく抉られた芝生。更にそこへ大小様々な窪みが穿たれ、あちこちから突き出た鉄や木材は、いまだ地面に籠もった熱を逃がそうとしてるかのようでもあった。
そんな景色の中を、瑞月は歩いた。
振り向けば、屋敷がどうなってたかも分かっただろう。でも前だけを見て、瑞月は歩いた。ふわふわした金の縦ロールに、ふわふわした紅いドレス。瑞月は今年で15歳だが、屋敷を出るのは、これが生まれて初めてだった。
(きっと……『魔物』が襲ってきたのですわ)
生まれてから、ずっと屋敷の中で暮らしてきた。母と、世話をしてくれる女性たち以外には、誰とも会うことのない毎日。母からは、常にこう言い聞かされてきた。
『世の中は、魔物だらけ』
だから、母に護られこの屋敷で暮らすのが、瑞月にとって最も幸せなのだと。そう繰り返す母を、ぼんやりと、瑞月は信じてきた。ぼんやりとした疑いを、ぼんやりと糊塗しながら。
今日の、日が落ちた頃のことだった。
窓の外で、一瞬だけ空が真っ白になった。女性たちの、1人が出ていった。彼女は、戻らなかった。次に、3人が出ていった。戻らなかった。庭木が、逆さになって降ってくるのが見えた。空が、今度は真っ赤になった。十数人いた女性たちは、もう、誰もいなくなってた。
いつしか瑞月は眠りに落ちて、目が覚めると、ずっと彼女を抱きしめてくれてた母も、いなくなってた。母もまた、戻らないのだろうと瑞月は思った。思うと同時に、立ち上がってた。
理由は、瑞月にも不明だ。
居間を出て、気付くと荷造りを始めていた。衣類に食料品、貴金属。それから証書の類をまとめてリュックに詰め込んでいく。リュックも含めて、探さずともそういったものの在り処が分かる理由もまた、不明だった。
そうして屋敷を出たときは、まだ夜だった。初めて肌に触れる、外のぬるい空気。土の匂い。地面に造られた凸凹や焦げ跡は、10分も歩くと見つけられなくなっていた。この時ようやく気付いたが、瑞月は、すでに屋敷の敷地から出ていた。
(これだけ歩いてまだ敷地内というのは……あり得ないですよね。常識的に)
ずっと屋敷から出ず、屋敷の住所がどこかすら教えられずに育った瑞月だが、外の世界について、まったく知らないわけではなかった。テレビとインターネットで、世の中がどんなものなのか知識を得ていたし、自分が異常な環境に置かれてるらしいことへの自覚もあった。
だから、朝になっても歩き続け、それでも人家がみつからず、ひたすら森や草原が続くことについて――
(屋敷があったのは、あまり人の住んでいない田舎……たとえば埼玉県だったりしたのでしょうか?)
――なんて推測を立てたりすることも出来た。
そうして休まず歩き続けたのは、立ち止まった途端に追いつかれてしまう気がしたからだった。それが何なのか、うまく言葉にできない。でも追いつかれてしまったら、自分は二度と歩き出せなくなってしまう。そんな予感が、瑞月にはあった。
もういくつ越えたか分からない丘を、また越えて。すると、声がした。初めて生で聞く、母と屋敷の女性たち以外の人の声。
「ひぃいいいい! 助けてぇえ!」
こちらに向けて駆けてくるのは、薄汚い格好の中年男。(やっぱり、埼玉だったのだわ!)瑞月は直感する。顔立ちからすると、男は外国人。(きっと、外国からの技能実習生に違いありません。過酷な労働と安い賃金に絶えきれず逃げ出したのだわ。追いかけてくるのは、きっと横暴な雇用主! ああ、日本はどうなってしまうのか!?)我知らず盛り上がる瑞月だったが、そんな幼い昂奮は、次の瞬間には驚愕に吹き飛ばされていた。
男を追いかけてきたのが――
身長は男と変わらないが、胴体の厚みや手足の太さは数倍。フランクフルトみたいな指で握るのは、血に濡れた石斧。緑色の肌。豚のそれをごつごつとさせたような頭部。口からはみ出た牙。
――どう見ても魔物だったからだった。
(えっ! 本当に魔物!?)
瑞月は驚いた。
『世の中は魔物だらけ』
そう母に言い聞かされて育った瑞月だが、『魔物』というのは、きっと何かの比喩に違いないと思ってたし、この母の言葉について、教えてGooやヤフー知恵袋で質問したり、4ちゃんねるでスレを立てたりして意見を求めたこともあったが、それで返ってきたのは『昔、男で酷い目にあって、トラウマ、男性恐怖症になってるんだろう』という回答がほとんどだった。それから『今後どうするにしても、資格を取るなどして備えておいた方が良い』というアドバイス。それに従い、通信教育で簿記やエクセルの講座をとったこともある瑞月だった。
だから、屋敷を襲ってきたのも、闇金とか、ヤクザとか、ホストとか、ストーカーとかいった、現実的な存在である『魔物』なのだと思っていた。だって、この世界には魔物なんて存在しないのだから。
「グボアァアアアアア!」
それが、いた。本当に、魔物なのである。緑の肌からはゴブリンにも見えるが、豚のような頭からすると、オークか。もっともトールキンのオークはゴブリンと同一だから、オークでもゴブリンのどちらでもある――と、ネトゲで遊ぶうちに得た知識が、瑞月の頭を駆け巡る。
そして同じスピードで、疑念が巻き起こっていた。テレビやネットで知ったつもりでいた世の中の常識というやつの方が、間違いだったのではなかったのかと。母の言ってた『魔物』とは本当に魔物のことで、世の中には魔物が普通に存在しているのではないかと。
混乱と、いってもいいだろう。
しかし急激に高回転となった思考が、同時に、瑞月にある変化をもたらしていた。
気付けば、逃げてくる人数も、追いかけてくるオークも、とっくに1つではなくなっていた。10人をこえるほどの男女と、その半分ほどの数のオーク達。瑞月のいる場所にたどりつくまで、きっと30秒もかかるまい。
それを見る、瑞月の頬は赤い。
知らぬ間に、声に出していた。
「どうしましょう。はしたないって怒られてしまうかしら。でも、いいですよね。こんな時ですし。訓練のときは、いつもこの服装なわけですし」
言って、瑞月は金の縦ロール――ウィッグを外すと、ドレスも脱ぎ捨てた。下から現れたのは、艷やかな黒髪。そして純白のロングスパッツとラッシュガード。
革靴も脱ぎ捨て、瑞月は指差した。
適当なオークを――そして呟く。
「……酔炎」
瑞月の指先から、拳大の火の玉が現れる。火の玉は、よろよろと、まるで酔っ払いの千鳥足みたいに不安定な起動と速度で、指さされたオークに近付いていった。オークも気付いたが、遅かった。どこに避けたら良いか躊躇うオークの、胸へと火の玉が当たった。
次の瞬間、オークの上半身が爆散した。
その結果を見ながら、瑞月は次のオークを指差す。
不思議そうな顔をして。
「おかしいですね……『酔炎』って、あんなに威力がありましたっけ?」
彼女の常識では、世の中に魔物はいない。
しかし、魔法は普通に存在していたのだった。