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20.ど、どう……ですか……?

 混ぜるな危険、という言葉がある。

 その名の通り、混ぜてはいけない二つのものを一つにまとめてしまうことである。


 たとえば、洗剤には塩素系と酸性の二つのタイプが存在していて、これら二つを混ぜてしまうと塩素ガスが発生する。

 そしてその塩素ガスは当然のごとく人体に有害だ。

 故意に混ぜようとは思っていなくとも、空の容器に別の洗剤を入れて再利用しようとしたりだとか、汚れが落ちにくいのでほんのちょっと別の種類の洗剤を試してみようだとか。

 そんな些細な考えの行為からであろうと、ほんの少量を混ぜてしまっただけで相当な濃度の塩素ガスが発生してしまう。


 なんで急にそんなことを語り出したのかと言うと、まあ深く考えてなくてもおわかりいただけると思う。

 要はフィリアとシィナを引き合わせたのは失敗だったのだろうか? ということである。


「お師匠さま……あのシィナちゃんって子とはどれくらいの付き合いなんですか?」


 いろいろあって途中で止まってしまっていた夕食作りを再開して早々に、フィリアがそう聞いてきた。

 普段はほんわかと明るく無邪気なフィリアであるが、今回は少しばかり拗ねているかのような、あるいは対抗心を燃やしているかのような、そんな声色をしている。


「そうだね……もうすぐ半年ってところかな」

「半年……」


 フィリアとは一ヶ月ほど前からの付き合いなので、ざっと五倍以上前からの付き合いになる。

 ただ、フィリアみたいに毎日一緒にいたわけでもないし、総合的な時間としてはフィリアの方が一緒にいる時間は長いだろう。


「初めて出会った日に少しいろいろあって、すっかり懐かれてしまったんだ」


 ちなみにシィナには今、お風呂に入ってもらっている。

 あのままフィリアと一緒にいさせているとお互いにお互いを挑発し続け合いそうだったので、そうさせないために、とりあえず一旦引き離した。


 シィナはシィナでお風呂を物珍しげに眺めていたし、しばらくは上がってこないだろう。


「……その、お師匠さま。他にも、誰かいたりとかってしませんか?」

「他?」

「なんというか……シィナちゃんみたいに、お師匠さまと……その、仲のいい人って……」

「ふむ……」


 フィリアにとって、私は唯一の家族だ。

 その私をシィナ以外にも取ろうとする人がいないかどうか、フィリアは不安なのだろう。

 別に私はフィリアを捨てるつもりなんて微塵もないのだが、実際にフィリアがどう感じるかまでは私が手を出せる領域ではない。


「そうだね……フィリア以外で仲がいいと言えるような人は、シィナと……あと一人かな」

「あと一人……」

「でもその一人とは少し仲違いというか、少々すれ違ってしまっていてね……最近は会えていない。どこかで元気にしてくれていればいいんだけど……だからまあ、今のところは一緒に暮らすような人はシィナだけだよ」

「そうですか……わかりました。教えてくださってありがとうございます、お師匠さま。そのすれ違っている(かた)とも、またいつか再会できればいいですね」

「ああ」


 フィリアはひとまず安心してくれたようで、ほっと息をついていた。


 ……よし。そろそろ聞いてみてもいいかな。


「ねえ、フィリア。フィリアは、シィナのことをどう思う?」

「どう……とは?」

「半ばフィリアを置いてけぼりに一緒に暮らす話が決まってしまったけれど……フィリア自身がどう思うかを聞いていなかったから」


 フィリアが怖がるようなら別々にしようと考えてたのに、なんだかんだで最終的にフィリアは一緒に暮らすこと受け入れちゃったから私案外困ってるんだよ。


 シィナが私に懐いてくれているように、フィリアも負けず劣らず慕ってくれている。

 しかし今後シィナも一緒に暮らすとなると、きっとこれまでのようにフィリアばかりに構っていられなくなる。


「……私はお師匠さまの奴隷ですから、お師匠さまが決めたことに口を出す権利はありません」

「……フィリア」

「ふふ、わかってます。こんな返し方、ずるいですよね。お師匠さまは私のことをいつだって家族だと思ってくださっているのに、都合のいい時だけ奴隷のふりなんて、そんなのお師匠さまの気持ちへの裏切りです」


 見れば、フィリアは少し憂うような表情で遠くを見つめている。


「……私、お師匠さまに買っていただくまで、ずっと自分に価値がないと思っていたんです。いえ、本当は今も……でも今は昔とは違って、お師匠さまにとって価値のある存在になりたい。そんな目標を持って、前を向いていられる」


 全部お師匠さまのおかげです、とフィリアははにかんだ。


「そうか……」


 ……う、うーん……。

 いや……嬉しいんだよ。嬉しいんだけどさ。

 あの、フィリアさん。まさかとは思うんですが……またなにか勘違いしてないですよね?


 遠回りにシィナのことをどう思ってるか教えてくれようとしてるとは思うんだけど、フィリアがシリアスっぽくなんか語り出す時って大体なんか勘違いしてる時だよ?

 大丈夫? ほんとに勘違いしてない? いつものパターンじゃないよね?


「あの子もきっと……そう、なんですよね? たくさん辛いことがあって、心の底ではずっと苦しんでて……お師匠さまは、お優しいですから。きっとそんなあの子のこと、放っておけなかったんですよね」

「いやあの」


 ほらぁ! やっぱり勘違いしてるじゃん!


 違うんだよシィナはよくわかんないけど抱きしめてそれっぽいこと言ったらなんか懐かれたんだよ!

 一緒に暮らすのだってフィリア暗殺計画を密かに止めた結果に発生した代償であって、別にシィナを放っておけなかったとかそういうんじゃないんだよ!


「フィリア。違うんだ。シィナは――」

「わかってますっ。言わなくたって……わかります」


 噛みしめるように、フィリアは言う。


「私も同じでしたから、なんとなく雰囲気でわかるんです。あの子が孤独に苦しんでること……お師匠さまは、あの子の孤独を癒やしてあげたいと思っているんですよね? 私の時みたいに……」

「いや……違うんだが」

「ふふっ、誤魔化さなくたって大丈夫です。お師匠さまのそういうところ、本当に尊敬しているんです。そしてだからこそ、そんなお師匠さまの選んだことを尊重したいとも思うんです。私もお師匠さまのその気持ちに救われた一人ですから……お師匠さまがあの子の孤独を癒やしてあげたいと言うのなら、私はそれを尊重します。奴隷としてではなくて、お師匠さまの家族として」

「フィリア……」


 ……うん。もうなんかいいかな……。

 なんか、こうなったフィリアを止められる気がしない。


 そんな致命的な勘違いじゃないし、今回の勘違いはもう放置しようか……。

 もう結構勘違い溜まってる気がするし一つや二つ増えたところで変わらないって。

 また今度機会があったらまとめて訂正すればいいよ。うん……。


「……でも、本音を言ってもいいなら……」

「いいなら?」

「やっぱり少し、不満です。お師匠さまが、遠くに行ってしまうみたいで……」

「……フィリア。私はどこにも行かないよ。約束する。フィリアが望むなら、いつまでだって一緒さ」

「えへへ。いつまでも……とっても素敵な約束です。ありがとうございます、お師匠さまっ」


 どうやらフィリアの不安は完全に取り除くことに成功したようで、本当に嬉しそうに彼女は笑ってくれた。


 それからは比較的いつもの会話の内容に戻って、残りの調理を完成させていった。

 元は肉を使いすぎてしまっていて、フィリアが無理してまで食べようとしていたが、シィナがいるのなら話は別である。


 シィナはあれで結構な大食いなので、むしろちょうどいいくらいの量になる。

 そういう意味ではシィナの襲来は都合がよかったと言えよう。


「……あ、あの……」


 夕食が出来上がり、あとはシィナがお風呂から上がってくるのを待つばかり。

 そんな中、フィリアにしては珍しく歯切れの悪い、おずおずとした声で話しかけてきた。


「どうかした? フィリア」

「えっと、その……」


 もじもじと言いづらそうにうつむきつつも、ちらちらとこちらの様子を窺いながら。


「し、質問、なんですけど……シィナちゃんの……こう、頬や顎をすりすりってする仕草って……どう、思いますか……?」

「どう……と言われても……」


 シィナが挨拶代わりと言わんばかりによくやってくる、あの行為。

 ……正直に言えば、嫌いではない。


 ああやって動物の猫みたいに甘えてくるシィナは普通に可愛いし、なにかをしでかす気配もない。

 ああしている間だけは私もそこまで恐怖せず比較的安心してシィナの可愛さを存分に堪能できる。


 それにね? お互いの体が密着することになるから、ちょくちょく柔らかい感触が……ね?

 フィリアみたいな溢れんばかりの大きさはない。だけど、シィナもシィナで確かな膨らみがある。

 見た目的には私と同じくらいに見えるが、たぶんあれは着痩せするタイプだ。実際はおそらく私より大きい。

 私の手がちょうど収まるくらいはあるだろう。

 それがふにゅふにゅと体に当たってくる。相手が相手なのでそれだけに意識を集中するわけにもいかないのだが、控えめに言って最高ですね。


 ……どさくさに紛れて揉んでみたりとかも考えたこともあるけど、さすがにシィナが相手だとそこまでは怖くてできなかった。


「そうだね……あくまで私の個人的な意見だけど、本当の猫みたいですごく可愛いと思うよ。それに、私を好いているんだって全身を使って表現してくれてるんだ。素直に嬉しいよ」

「そう、ですか……じゃ、じゃあ、そ、その……えぇっと……」

「……?」

「わっ、私がしたらっ……ど、どう思います……かっ?」


 両目をぎゅっと閉じ、服の裾を固く握りしめて、フィリアが言葉を振り絞る。


「フィリアが? それってどういう……」


 急なことに私が目をぱちぱちとさせていると、意を決したようなフィリアがずんずんと歩み寄ってくる。


「いっ、言うだけじゃわからない、かもっ……だ、だから……た、試してみてもいい、ですかっ……?」

「た、試す?」


 フィリアらしからぬ積極性。

 シィナがやっていたのを見て、密かに対抗心でも燃やしていたのだろうか?

 急な展開に、私はただ聞き返すことしかできなかった。


「わ、私が同じことしたらお師匠さまがどう思うか……き、聞いてみたくて、だ、だから、えっと……ごめんなさいっ。し、失礼しますっ、お師匠さま……!」


 顔どころか全身を真っ赤にし、私の返事を待たずして、ぽふっ、とフィリアが私の肩に顔を埋めるようにして抱きついてきた。

 フィリアの方が身長が高いので、彼女が少し前のめりになる形だ。


「ど、どう……ですか……?」


 シィナのように慣れた仕草ではなく、初々しく、私の一挙一動を確かめるように恐る恐る擦り寄ってくる。

 いつもは視線の少し上にあるその顔が、今はその瞳を不安と羞恥で揺らしながら、上目に私を見上げていた。

 彼女が動くたびに私と接触している大きな二つの膨らみが形を変えて、服越しにその柔らかで心地のいい感触を伝えてくる。


「フィリア……」


 …………。


 やばいふぃりあめちゃくちゃかわいいなんでこのここんなにかわいいのもうまじでやばいわたしここでしぬかもっていうかもうしんでいい。

 

 普段のフィリアなら、恥ずかしがってすぐに離れていたかもしれない。

 しかし今は顔を赤くして明らかに恥ずかしがりながらも、ぴたっと私にくっついたまま決して離れようとはせず、一所懸命すりすりと頬や顎を肩に寄せてくる。

 やはり、シィナへの対抗心からか。はたまたシィナがやっているのを見て、密かに羨ましく感じていたのか。


 意識せぬまま、そんな彼女の頭の上に手を回してしまっていた。

 私の手が触れた直後、フィリアは一瞬びくっと体を跳ねさせる。

 しかし私の顔を再び見上げると、すぐに全身を弛緩させて、小さな笑みを見せてくれた。


「どう、ですか……? お師匠さま……」


 囁くような色の声。

 不安と、そして確かな期待混じりのその問いかけと表情が、私の視覚と聴覚を通して脳を刺激する。


 フィ、フィリアってこんなに可愛かったっけっ?

 いやフィリアは元から可愛いけど、ちょっと今回やばすぎじゃないですか?

 やばいってなにがやばいんだって話なんだけどやばいんだよ本当に。語彙力がじゃなくてもうなんか可愛すぎるのフィリアが。


 私心臓ばくばく言っちゃってるけど大丈夫? 聞こえてない? 聞こえてたら恥ずかしくて死ねちゃうよ?


「……可愛い」

「か、可愛い……」


 それ以外なにも思いつかなかったので素直にそう告げると、フィリアは茹でダコのようにさらに顔を真っ赤に染め上げて、恥ずかしさに耐え切れなくなってしまったのか、その動きが止まる。

 しかし私から離れようとはせず、むしろ私の服の裾を強く掴んで、絶対に離そうとはしない。


「…………どきどき……します……ね」

「……うん」


 これまたやはりそれ以外なにも返しが思い浮かばなくて、ただ相槌を打つ。


「…………も、もっと、どきどきすること……し、しちゃいます、か……?」


 そう言って私を見るフィリアの視線は、とろけるように潤んでいた。


「もっ、と……?」

「……はい。大丈夫、です……私に任せて……すごく、簡単なこと……ですから……」


 ただ一つの欲望に囚われたかのようなフィリアの顔が、近づいてくる。


 私はこれを知っていた。少し前に、同じことがあったから。

 だけどそれが意味することを知っていようと知っていまいとも、どちらにしても意味はない。

 視界も頭も、フィリアでいっぱいになる。

 どうせ他のことなんて、なんにも考えられなくなるんだから。


 そして、お互いの顔があと数センチというくらいまで近づいて――。


「――あがった……よ」

「へっ!?」

「ひゃっ!?」


 いつの間にか背後にいたらしいシィナが突如発した声に、私とフィリアは同時にびくっと体を跳ねさせた。

 そして即座に距離を取る。


「シ、シシシ、シィナっ? い、いつからそこに……?」

「……いま……(待たせちゃったかな……? ご飯まだ冷めちゃってない、よね?)」


 こてん、と不思議そうに首を傾げるシィナ。

 どうやら本当に今来たばかりのようだ。もし見られていたらこんな落ちついているはずがない。


 ……なんかこんなことさっきもあったような気がするぞ……。


「……ふた、りは……なにして、たの……?(わたしが泊まることでなにか話し合いでもしてたのかなぁ)」

「な、なん、なんでもないっ。なんでもないよ。少しフィリアと話をしていただけさ。だろう? フィリアっ」

「そ、そそそそそうですっ! な、なにもっ、なにもないです! なにもしてませんっ! ……うぅ、お師匠さまになんてこと……な、なんで私またあんな……おかしい……最近の私おかしいっ……あぅぅ、私、なんであんなことぉ……!」

「……? そう……(なんでなんでもないのになんでもないことそんなに強調するんだろう……)」


 フィリアはフィリアで正気に戻ったようで、混乱と羞恥が混じり合ったような顔で頭を抱えている。

 シィナは少し訝しんではいるものの、結局は気にしないことに決めたようだ。その目を食卓に並んだ夕食に向け始める。


「……おいし、そう(わぁ、ハロちゃんの手料理だっ。ハロちゃんが料理できるって聞いてからずっと食べてみたかったんだよね。まさかその夢が叶う時が来るなんて……えへへ、すっごくおいしそうだなぁ……)」

「そ、そうか。ならすぐにご飯にしようか。冷めないうちにね。ほら、フィリアも」

「は、はいっ!」


 ぱたぱたと、それぞれの席へ向かう。

 なんとなく私の両隣は空けた方がいいと感じたので、対面にフィリアとシィナが人二人分くらいの間を空けて座るような席の位置になっている。


 ……そ、それにしても、またキスされそうになったな……。


 やはりあれは人恋しさが暴走した結果なのだろうか。

 昨日までは毎日ずっと一緒にいたのに、今日は一日冒険者仕事をしていて離れ離れだった。

 フィリアなりに、相当寂しく感じてしまっていたのかもしれない。


 親の愛をまともに受けたことがない彼女にとって、私は唯一の家族なのだ。

 それをちゃんと自覚して、フィリアが寂しくないよう、もっと甘やかしてあげるべき……なのだろうか。


 たとえば……うーん、修行ばっかりさせてないで、一緒に遊んであげたりとか……?

 いや別に無理矢理修行させてるわけじゃないんだけどね。っていうか修行とか正直どうでもいいし。

 本人はほんと真面目に頑張ってくれてるから、そんなこと口が裂けても言えないけど……。


 あとはフィリアばっかり甘やかしていると今度はシィナがどうなるかわかったものじゃないので、シィナのことも考えておかないといけないかもしれない。

 シィナもシィナで、直接聞いたことはないがまず間違いなく悲惨な過去を持っている。


 怖がってばかりいたってしかたがない。シィナとにゃんにゃんすることを目指す以上、彼女を幸せにすることは私の責任の一つだ。

 とりあえずあっちは……なんだ。

 ボールとか、猫じゃらしとか上げてみる……?


 ……うん。なにかフィリアとシィナが喜びそうなことでも、近いうちに考えておこうかな。

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