第八話 愛とパンツについて話す
四組のカップルで行われた会食は、幾つかの約束を交わし、明日から始まる学校生活に希望を寄せ、食後のデザートにフルーツまで注文して、心身ともに満たされたところで、お開きとなった。
「ゼケン。少し二人で歩きませんか?」
ゼケンのピスティーがこう求めてきたのは、料理屋の前。皆で学校へ戻ろうとした時だった。
ゼケンもピスティーとは、静かに話をしたいと思っていた。
そういう時間を転生してからこっち、ずっと持ちたいと思いながら、持てないでいた。
「そうだな」
ゼケンたちはほか三組のカップルと料理屋の前で別れた。
別れ際、ゼケンへと恨めしげな顔をしていたエクトスが、『なにその顔!』とピスティーに叩かれていた。
「お前どんどん暴力的んなってないか!?」
騒がしい二人を中心に、六人は先に学校へ帰っていった。
ゼケンとピスティーは何を言うともなしに、反対方向に進み始める。あてどのない両足が、遊んででもいるようにのんきな歩調をとる。
「いろんな奴がいたな」
「発見でしたね。明日からの毎日が、とても楽しみになりました」
ピスティーは前向きだった。この少女は基本ポジティブシンキングらしい。
ゼケンは取り立てて長所のないレベル1だ。
美少女祝福者のレベル1とは事情が違った。
「俺は頑張んないとダメだな」
「あら、二人で一緒に頑張るのです。ゼケンだけに大変な思いはさせません」
ゼケンがこの少女と出会ってから、半日経ったのだろうか?
彼女の今の言葉をゼケンは疑っていなかった。
いつの間にやら、隣の美少女の事をずいぶん信頼していた。
「心強いな」
ピスティーは嬉しそうに笑った。
ゼケンも笑っていた。ただつられて笑ったわけではなく、嬉しかった。
今は何時ごろだろうか?
空はまだ明るい。
しかしスコニ通りは仕事を終えた大人たちの影に満たされ、活気の歌を町中に届けようとしている。
知らない世界の通りを歩くのは、中々楽しい。
通りに面した丸テーブルを囲み、乾杯の声を響かせて大笑いする者たち。
テーブルに置かれたキノコの丸焼きに妖精人の三人組が歓声を上げた。
ゼケンたちよりずっと上等な装備のパーティーとすれ違う。ひと仕事終えた彼らの顔は、充実感で満ち満ちていた。
もう酒に酔っているのか。壮年の男たちが揃ってだみ声で歌を歌い、道行く人々の苦笑いを誘っている。
「こっちに行きましょうゼケン。あの建物の上が、小公園になっているらしいのです。地図で確認しておきました」
ピスティーは緑をかぶった高い建物の屋上を指差し、ゼケンの手を引っ張った。
彼女に手を引かれるままに歩いていく。
いつの間に手を繋いでいたのだろうとゼケンはいぶかしんだ。
「お前の手、ちっちゃいな」
「ゼ――ゼケンの手が大きいんですよっ」
少女の手の小ささを意識すると、途端に気恥ずかしさでむず痒くなった。
何か話そうと考えを巡らせると、明日への不安ばかりが掘り起こされた。
どうやらゼケンは不安を忘れていたようだ。
「……今日の料理が、デザート込みで、一人、デリル銀貨一枚と、大クース銅貨三枚だったか?」
「そうですね」
「デリル銀貨一枚が大クース銅貨五枚分だから、大クース銅貨八枚。パン八斤分だな」
一食でパン八斤分が吹き飛んだと考えてみて、自分たちが贅沢をしたらしいとようやく理解できた。
「これからは、ちょっと切り詰めていかないと、いけないかも知れませんね」
「そうだな」
ぐいぐいゼケンの手を引っ張って道案内していたピスティーが、歩く歩調を落として隣へと並んできた。ゼケンのことを見上げてくる。
「明日からは、私が食事を用意します」
ゼケンはすぐに拒絶した。
「そりゃ悪い。いいって」
「イヤです。お世話します。お洗濯も任せてください」
「それぐらい自分でやる」
ピスティーが気を遣ってくれるのは嬉しかったが、身の回りの世話をされると思うと、喜びではなく気恥ずかしさが込み上げた。
ピスティーは教会で見上げるステンドグラスの中の女神だ。
理想や幻想を捧げたくなる偶像のような子だ。
そんな子に生活臭あふれることをさせたくない。
自分のパンツを洗っている姿なんて、断じて想像したくなかった。
しかしゼケンのピスティーは譲ろうとしなかった。
「私はゼケンのピスティー。ゼケンのお世話をすることが、その何よりの証となるのです。嫌とは言わないで下さい」
話す少女の表情は聖句を唱えてでもいるようだった。
彼女にとって、とても大事なことのようだった。
不意に、ゼケンの心に一つの疑問が浮かび上がった。
「お前は嫌じゃないのか? 俺が主で」
尋ねられたピスティーは、キョトンとしている。
ゼケンはレベル1だ。そのステータスに見るべき特別性などない。
ゼケンはレアアイテムすら授からなかった。
きっとこれからの学校生活は、とても厳しいものになる。
教頭が“試練”だと口をすっぱくして言っていた生活だ。
命だって落としかねない。
ついでにゼケンは、マッチョだ。
『近付いただけで妊娠させられそー』
『壊されそうでこわーい』
『足超臭そう』
こういう陰口を今から覚悟していた。
「どうして私が嫌だと思うのですか?」
ピスティーは皆目見当のつかない顔をしている。
ゼケンは今思いついたことをあらかた並べ立てた。マッチョについては触れなかったが。
ピスティーはコロコロ笑った。“男の人はそんな事を気にするのか”と意外な一面でも見知ったように。
「“愛”の前には、全て瑣末な事です」
今度はゼケンがキョトンとする番だった。
「――愛?」
「はい。愛です」
ピスティーの笑顔はまるで平常運転。いつもどおりの笑顔である。
ゼケンは大いに取り乱している。長い舌が“えらいこっちゃえらいこっちゃ”と上下に跳ね回って吐き出す言葉まで跳ね踊る始末。
「お、お、おお――俺を?」
ピスティーは“お魚よりお肉のほうが好きです”とでも言うような笑顔で、
「はい。ゼケンヴリオスを愛しております」
いっぺんの曇りもない笑顔であった。
嘘の入り込む余地などない笑顔なのだが、逆に愛を告白するにはあまりに恥じらいがなく、機械的な印象さえ覚える笑顔である。
ゼケンの口からは思わず次の疑問が飛び出した。
「……本当かあ?」
「あっ! ひどいです!」
愛を疑われた少女は顔をクシャリと悲しませた。
そしてぐいぐいと身を乗り出して訴えてくる。
「私の愛を疑うなんてひどいです! 好きなんですよ私は!? ゼケンのことが!」
会ってまだ半日程度の少女である。好きといわれても、ゼケンはまるで実感が湧かない。
ピスティーとは願望を元に作られた存在。
異性から愛されたいゼケンの願望が、少女に恋愛感情を植え付けたのだろうか。
ピスティーの“愛してる宣言”はどこかずれている気がした。
それでも、好きなのだと訴える彼女の顔は、真剣でもあった。
「わかった」
ゼケンはそう言った。
実際は、愛なんてよくわからなかった。わかるわけがない。
でも細かい事は気にしないと決めたし、愛を知らないなら、学んでゆけばよいのだ。
「ピスティー。お前の愛を俺は信じるぞ」
「…………なんだか引っかかる、言い方な気もしますが……」
ピスティーは疑わしげな顔をしている。きっとさっきのゼケンもこんな顔をしていたのだろう。
「お互い出会ってまだ一日経ってないんだ。我慢しろ」
ピスティーは不満足そうだ。なにか反論でも探す顔つきをしている。
が、何を思いついたのやら、突然パッと顔を輝かせた。
「そうですよね。愛とは育むものと言います。これから一緒に育んでいけばよいのですよね?」
この少女は気恥ずかしいことを平気で言うし、平気で尋ねてくる。
ゼケンは『そういう恥ずかしいことを聞くな!』とでも言いたかったが、少女をまた不機嫌にするのも面倒で、適当な言葉を捜しあぐねる。
「ね? ゼケン。そうですよね?」
「………………まあ、そういうことかもな?」
ムフフとピスティーは変な笑い声を漏らした。
ゼケンは一つだけ、注文しておいた。
「――あと、パンツは俺が洗うぞ?」
「わかりました」
譲れない一線だった。