第六話 「男っていうのは、力で女を勝ち取るものさ」
王国歴313年次転生者、ランキング表。
掲示日、11月14日。
五十八人の生徒のランキングは、各職能ごとに分類されて順位付けされていた。
二つのアビリティーを有するゼケンのような生徒は、もっとも主体的にスキルを修得していく予定の職能の側のランキングに振り分けられた。
ゼケンの場合は剣士だ。
まあそっちのランキングは、別にいい。
どうせレベル1のゼケンでは高が知れている。
ランキング表でゼケンが注目したのは、五十八人の生徒全体の内訳を細かく記した項目。
そこには五十八人の内、男子が何人、女子が何人という項目に加え、各レベルごとのそれぞれの総数も記されていた。
ゼケンのもっとも知りたかった情報がそこに記載されていた。
ゼケンのようなレベル1の生徒は、いったい何人いたろうか?
これがその答えだった。
生徒総数58人 男子31人 女子27人
レベル3 男子11人 女子7人
レベル2 男子19人 女子19人
レベル1 男子1人 女子1人
これがその答えだった。
まさか、まさかの答えだった。
絶対にあって欲しくない答えだった。
ゼケンは彫像のように全活動を停止している。
その生命活動さえ停止されるのではないかと、本気で危ぶまれるほどのショック
空・前・絶・後の大ショック。
大ショックを受け、頭から血の気の引いてゆく“サーッ”という音を聞いている。
ようやく判明した。
レベル1の生徒を探しても、見付からないわけである。
レベル1の生徒は、ゼケンとそのピスティーだけだったのだ。
そりゃ、見付かるわけがない。
どうして神は、自分たちだけをレベル1のままで、この世界へ送り出したのだろう?
レアアイテムすら持たせてくれなかったのは、ピスティーが祝福者だったからだろうか?
ゼケンは心の中で神へと問うた。
この世界には神がいるのだから、神へと問うた。
こっちの世界でも、神は人間の質問には答えてくれなかった。
隣でピスティーが何事か言っていた。
常にゼケンを思いやってくれていた彼女の事。きっとあれこれ励ましやフォローの言葉を投げかけてくれているのに違いない。
しかし今のゼケンに聞こえるのは、談話室内で行われている、無神経なやり取りだけ。
おい誰だよ“ゼケンヴリオス”って!?
一人だけレベル1とか、どういう奴だいったい!?
お前だろ!
バカちげえって! 俺ちゃんとレベル2だし!
っつーか“ゼケンヴリオス”って、レアアイテムも持ってねえぞ?
終わったな、ゼケンヴリオス。どいつか知らねーけど。
ゼケンヴリオスって、人狼族なんだろ? じゃああいつしかいなくね?
そのおせっかいな少年がゼケンを指差すと、とても怖い事が起こった。
談話室中の男子も女子も、全員がこちらを振り向いたのだ。
あわれなレベル1、レアアイテム無しの大男を見ようと振り向き、
そして、あらゆる表情をゼケンへと突き付けて来た。
哀れみ 同情 あざけり 軽蔑 驚き 苦笑 哄笑 好奇心 無関心
――それはゼケンの被害妄想だったろう。
実際は、全員がゼケンのほうを振り向いたわけではない。
でも、ゼケンはそう感じたのだ。
それくらいに、トラウマになってしまいそうなほど、鮮烈だったのだ。
「――――まあ、頑張れよ!」
生徒の一人がそう声を掛けた。
ゼケンは立ちくらみを覚えた。今の一言が『全て現実だ、夢じゃないぞ』と残酷に突き付けて来た気がした。
そのおかげで、ようやくゼケンは窓から離れる事ができた。
「ゼケン! ゼケンヴリオス! しっかり!」
よろよろ後じさるゼケンの体を、忠実なピスティーが細い体でしがみ付き、懸命に支えようとした。
「ああ! ゼケンヴリオス! あなたは強い人! 雑草のように幾たび踏まれようとくじけることを知らず! 細かな事を気にしない豪放磊落の雄! だから平気!!平気なのです!!」
少女は遮二無二調子のいいことを連呼している。天を支える唯一の巨人に倒れられてはかなわぬと、足元で懸命に声援を送る小人たちのように。
ゼケンは少女の奉納したあらゆる言葉のつっかえ棒を全てへし折る勢いで、地べたに尻餅を突いた。
少女が『アッ』と悲鳴を上げた。
『ゼケンヴリオスに天罰を!』
壁に殴り書きされた呪いの言葉を思い出していた。
あれを書いた人間はもう満足したろうか?
ゼケンはこの学校では完全無欠の“男子唯一のレベル1レアアイテムなし”というド底辺にランクインした。
最悪である。
まさかレベル1が、ゼケンとそのピスティーしかいなかったとは。
ゼケンはこの異世界で洗礼を受けた。
力が欲しいと思った。
ピスティーを守れる力がないと“ダメ”だと思った。
力がなければ何も得られない世界だと思った。
力さえあれば何でも得られる世界だと期待した。
成功したかった。
強い奴になって『あいつはすごい奴だ』とみんなから尊敬されたかった。
みんなから『お願いだからパーティーに入れて!』とか『うちのパーティーに来てよ!』とか言われるような、頼りになる人気者になりたかった。
そんな“キラキラの新生活未来予想図”が、いまや、全て水泡に喫したのだ。
傍らで目をウルウルさせている、まだ名も付けられていないピスティーが、ひどく不憫に思われた。
ゼケンは絶望のどん底へと突き落とされた。
しかし鋭い〈カツンッ! カツンッ!〉という打突音が、なにを休んでると叱り付けるようにゼケンを現実へ引き戻した。
聞き間違えようのない音だ。
“暗澹”の主、オーリオフォス・シーファー教頭が杖で床を突いた音だ。
現にあれほど騒がしかった談話室が、一瞬にして静まり返っている。
「ゼケンヴリオス! ゼケンヴリオスはいるか!」
彼がゼケンを名指ししてきたものだから、ゼケンは跳び上がらんばかりに驚いた。
「――ゼケンヴリオス! 今すぐ返事を!」
「ハイ!! ハイ!!」
ゼケンは頭の中を恐怖で真っ白にしながら、窓枠へと飛びついた。
『ゼケンヴリオスに天罰を!』
凄まじく悪い予感がしていた。あのいかめしい教頭が
『たった一人レベル1のこのクズめ。この学校に貴様の居場所などあるか、このクズめ!!』
とでも宣告してくる気がしてならなかった。涙でも出そうだ。
ゼケンは戦々恐々したまま窓から室内へ顔を突き出す。
シーファー教頭の鋭い眼光がすぐさま顔面へと突き刺さった。蛇ににらまれたカエルとはこの事か。
「君がゼケンヴリオスか?」
ゼケンは頷いた。声など、出ない。
シーファー教頭は、窓ガラスに張り付いた鳥の糞でも見つけたような目をしている。彼は生まれた時からそのような目つきだっただけ、とゼケンは信じたい。
教頭は口を開いた。
最初の演説の時とまるで変わらぬ、高圧的な話し方だ。
「君のピスティーは祝福者だ。心掛け次第では、最終的にはAランク冒険者も夢ではない逸材である」
ゼケンは『は――はあ』と生返事。褒められたのに、まるで褒められた気がしない。衆人環視の中で裁きを受ける被告人の気分。
まさにシーファー教頭は冷酷な裁判長だ。
ゼケンへ血も涙もない宣告をする。
「しかし主である君は、レベル1だ。現時点において他の生徒に比べ、君はおおよそ二ヶ月程度、経験値量にして100以上の後れを取っている。六日後のパーティー編成の段階から、著しく困難な状況に立たされる事だろう」
本当に警告しかしてくれない教頭である。
まだ彼の言葉は終わらない。
「君のピスティーだが、彼女を君の元に置いておくことで、冒険者としての健全な成長を期待できない場合。我々は、君のピスティーに対し、より適切なパーティーへと所属を変更するよう、指導する事になるだろう。これは祝福者である君のピスティーの将来性を守る為の、当然の措置である。――なにか異論があるなら、今この場で申したまえ」
五十七人の生徒の視線にさらされながら、一縷のスキも容赦もなさそうな教頭に対し、なにか意見できる豪胆な人間などいるのだろうか?
なにより彼の言っている事は、間違っていない。
ゼケンは異論が無い事を示すように、無言。
「よろしい。ピスティーを取り上げられたくなくば、粉骨砕身努力せよ。本校に君が所属する限り、力のない君に彼女を所有する資格はない」
話はこれで終わりだった。
ゼケンは身も心も、弱々しい葦かなにかのようにやせ細った気持ちだ。
しかし捨てる神あれば拾う神あり――という表現は、適当じゃなかったろうが。
ゼケンを励ます人間がいた。
教頭と対極をなす者。髪のサラサラなファリアスだ。
「大丈夫だよゼケン。なにも難しい事を求めてるわけじゃないんだ。君は男として、当たり前のことをすればいい」
春風を体現する好青年が、この時ばかりは、その眼差しに真摯な教師の熱を帯びていた。
「男っていうのは、力で女を勝ち取るものさ。……僕はあんまり好きな考えじゃないけどね。君を励ましたかったから、あえて言ったよ?」
いささか歯の浮くような言い回しが、スマートになりきれずとも善意を寄越したいという彼の誠実さの表れのような気がして、ゼケンは胸が熱くなった。
「ありがとうございます」
ゼケンはファリアスに頭を下げた。
そこここで女子たちがこっそり声を上げていた。キャーだのヒャーだの。
ファリアスは少し湿っぽくなった空気を払拭するように手を叩いた。談話室中を、明るく軽やかな声で満たす。
「はい! 今日のところはこれで授業はオシマイねー! 夕方の鐘が鳴ったから、今時刻が六時! ロランロランの日没は今午後八時ごろだから、みんな、そろそろ夕食に行ったほうがいいよ! おなかもすいたでしょ! 生徒のみんなには、これからの当面の生活費を支給しまーす!」
学校が提供するのは宿舎だけだ。
食事に関しては生徒各自が独断で用意する必要があった。
ゼケンの周りで生徒たちが一斉に動き出した。お互いに食事に行こうと誘い合っている。
ファリアス先生にもさっそく女子たちが群がっていた。
「どうしましょうゼケン? 食欲はありますか? 顔色が――あまり優れていない気がします。わかりにくいですけど」
ゼケンの顔は狼の体毛で覆いつくされている。それでもひと目で顔色悪そうと感じる顔つきをしているのだろう。
ゼケンはとても食欲などなかった。
あれこれありすぎた。
が、食事をしないのも、ピスティーと二人っきりで食事をするのも、心細かった。
これから始まる学校生活が不安だったのだ。
今はとにかく“大勢”といたかった。
グループに属して不安な気持ちをまぎらわし、これからの学校生活を見据えた人脈作りをしたかった。
不安なのはレベル1も2も変わらないらしい。
ゼケンのほうへと例の三人組(快活・落ち着き・おとなしめ少年)がやって来た。ゼケンの剣士仲間。彼らと料理屋求めてロランロランの迷宮に繰り出すのが、一番気安い気がした。
しかしゼケンはすぐに、自分が“気安さ”などとはよほど縁遠い立場に立たされていたことを知る由となる。
ゼケンのピスティーへ声を掛けてくる者がいた。
それも一人じゃなかった。
「ねえ君! 俺らと一緒に行こうぜ! 魔術士同士さ!」
「神官同士親睦を深めよう! 女子も来るから!」
「精霊使いみんなで食事しようって決まったんだ! こっちおいでよ!」
「え、え、まあ――大変っ」
ピスティーは助けを求めるようにゼケンの腕を掴んできた。
ゼケンのピスティーは声の掛けやすい柔和な空気、人を魅了する華やかな美貌を兼ね備えていた。
周りの男たちが放っておくわけがない。
彼らは一輪の花へとこぞって群がろうとする無遠慮なミツバチのようだ。
ゼケンは一歩踏み出してすごんだ。
「待て。俺のピスティーをどこに連れてくつもりだ」
かばわれたピスティーが『俺のピスティー』という部分にビクッと体を震わした。
体を震わせたのは魔術職の少年たちも同様だった。
彼らは人狼族の大男にすごまれ、一瞬、息を呑んだ。
が、次の瞬間には、顔に相手を軽んじる冷笑が浮かぶ。
「なんだ。レベル1じゃん」
「“俺のピスティー”ってなんだよ? っつーかお呼びじゃねえよレベル1」
「剣士は剣士同士仲良くしてろ。お前がなんでしゃしゃり出てくるわけ? お前関係ねーじゃん」
またピスティーの説明が必要かと、ゼケンは面食らった。
が、今回はその必要もなかった。
「関係ないなんてありません!」
ピスティーが声を荒げたのだ。
万事に当たり柔らかな彼女が、顔を初めて厳しくしていた。
「どうしてそうケンカ腰なのですか! ゼケンは私の主です! 関係ないなんて言わないで下さい! レベル1なんて、それこそ関係ないじゃないですか! バカにしないで下さい! 怒りますよ!」
ピスティーは少年たちの発言が腹に据えかねたらしい。
少年たちはとても狼狽していた。
少女がその美貌を怒りの剣幕に歪めると、それを向けられた相手は聖人君子に癇癪を起こさせてしまったような罪悪感を抱く事になった。
少年たちは謝罪の言葉を並べ立てながら逃げていった。
「――どうしてああも、無遠慮な言いざまをするのでしょうか? ゼケン。大丈夫ですか?」
まるでゼケンが守ってもらったようなセリフだ。実際そうなのだから仕方ない。
ゼケンは男だ。ピスティーに守ってもらうつもりなどないから、こう言った。
「安っぽい奴らだ。あんな奴らの言う事、気にするな」
ピスティーは目から鱗が落ちたような顔をしている。表情はみるみるゼケンへの尊敬の念で覆われていく。
「ああ……ゼケン。……ステキです」
「よせ。照れる。お前すぐにそういう事言うな……」
「はい。言います。この世がステキなもので溢れてくれるのは、ステキなことだと思っています」
「前向きな考えだ。私も素敵だと思う」
突然横から賛同者が現れたので、ゼケンとピスティーは揃って顔をそちらへ向けた。
凛とした立ち姿と誠実そうな目に見覚えのある女がいた。
「すまない、少し出し抜けだったか? タイミングを計ったつもりなんだが」
「いや、気にしねえ。転生した時振りだよな?」
女は、遺跡で人殺し少年相手に一緒に張り合った女だった。
ゼケンの言葉に綺麗な笑顔を見せる。りりしい顔付きをしているが、笑うと女性的な華が垣間見えた。
「あの時はあのあと色々あったからな。礼を言いそびれていたし、自己紹介もまだだった。まずは礼を言わせて欲しい。――あの時は有難う」
女は身を乗り出してゼケンの手を両手で握ってきた。受けていた印象通りの、まっすぐで率直な人柄らしい。
「私の名前はアナトリだ。意味は“東”。一緒に食事をどうかと思って、声を掛けたんだ。迷惑だったろうか?」
「ゼケンヴリオス、ゼケンだ。意味は“十二月”。迷惑な事ないよな?」
ゼケンに聞かれるとピスティーは、アナトリに笑みを浮かべた。
「ゼケンのピスティーです。名前はまだありません。お食事のお誘い、嬉しく思います」
「よかった。――彼も誘ったんだが、問題ないか?」
アナトリが示すと、一人の少年がゼケンたちのほうへ近付いてきた。
雰囲気のある少年だった。
アナトリと同じで、少年という形容が不似合いな、“その他大勢”とは明らかに違う少年だ。
左耳にだけ、緑色をした菱形のピアスを下げている。
平凡な容姿の男には決して似合わないだろう大きさのピアスだが、この少年には似合っている。
少年は魅惑的なピスティーの容姿になど目もくれず、ゼケンをまっすぐ見据えてくる。
意志力のありそうな目は、人の視線を吸い込むような引力を持っていた。
「ヤヌアリオス。意味は、“一月”」
ぼそりと呟くような言い方だった。
それでも奇妙によく通る響きがある。
「ゼケンヴリオスだ。意味は“十二月”」
「あいつとにらみ合って、どうだった?」
ヤヌアリオスは出し抜けに尋ねてきた。
あいつ? とゼケンは一周頭を巡らせる必要があったが、にらみ合ったといえば“人殺し少年”だと思い至った。
ヤヌアリオスの目は真剣だった。
本気の答えを欲していると、ゼケンに語り掛けてくるようだった。
だからゼケンも、包み隠さず感じたままを話すと決めた。
「怖かった。人を殺すのは、考えるのとはまるで別物なんだってわかった。――人間の本能みたいなものが抵抗してくるのを感じて、自分には……人を殺せないんじゃないかって思ったな……」
ゼケンの話しをヤヌアリオスは、全身で聞くように静かに耳を傾けた。
そのあとは得たものを解釈するように、目の前のものも映さない目になって、沈思黙考した。
不思議な男だ。変な男と言う者も少なくないだろう。
しかしなにか、含蓄のありそうな答えを齎しそうな、底知れない雰囲気があるので、ゼケンもアナトリも彼が口を開くのを待ってしまった。
しかし、ゼケンがヤヌアリオスの声を再び聞くことはなかった。
「――失礼。ゼケンヴリオス。耳寄りな話があります」
後ろから突然声を掛けられ、ゼケンは警戒しながら振り向いた。
「耳寄りな、話?」
振り返ってみると、メガネを掛けた線の細い少年がいた。
隙のなさそうな目つきをした少年だ。メガネの奥の両目が、ゼケンのことを上から下まで観察している。
「――ええ。僕、ペンデのピスティーです」
「あらまあ」
ゼケンのピスティーが喜ばしいといわんばかりな声を上げた。
ゼケンはちょっと驚いている。
ゼケンのピスティー以外から、“ピスティー”という単語を聞こうとは思っていなかったのだ。
すぐにゼケンは己の迂闊さに落胆した。どうして思いつかなかった、と。
ゼケン以外にもピスティーを授かった人間は学校にいたのだ。
その可能性ならばゼケンのピスティーも示唆していたではないか。
そしてゼケンが仲間を求めるとしたら、まずは同じ“ピスティー持ち”を探すべきだった。
ピスティーのネーミングに悩んでたのだから“ピスティー持ち”を探すべきだったのだ。
メガネのピスティーの話は願ったり叶ったりだった。
「“カップル”同士で会食をするんです。カップル――わかりませんか? ピスティーを授かった主と、ピスティーを合わせて“カップル”と呼称するんですけど」
『とにかく』と少年は言い切り、閑話休題。
「――あなたも来るべきだ。ゼケンヴリオス」
レベル1、レアアイテムなしのゼケンは、予想していたよりも随分引っ張りダコだった。