第五話 学校 暗澹と春風
冒険者向けの商店が集まる“オルコス通り”。
ゼケンたちの“学校”はそこにあった。
一番近くの外門はロランロラン西の“イリオヴァシレマ門”。“日没の門”という意味だ。
「正面の建物は冒険者の装備預かり所だ! 学校はこの裏手にある!」
青年が行列を装備預かり所脇の側道へと導く。
預かり所の高い石壁を右手に感じながら少し歩くと、石壁にポツリと、通用口らしい鉄格子の扉がはめ込まれていた。
小さな通用口だ。
転生者たちは渋滞を起こしながら、一人ずつ通用口をくぐり抜けた。
ゼケンも通用口をくぐり抜けると、目の前に、装備預かり所裏手の中庭が広がった。
最初に匂ったのは、防腐塗料の匂い。
中庭には、如何にも急ごしらえな風体の掘っ立て小屋が並んでいた。
自分たちの住まいだろうか?
多分そうなのだろう。それ以外の理由で置いておく理由を感じさせないほど、無数の掘っ立て小屋は中庭の風景から浮いている。
預かり所裏の中庭は結構な広さ。
雑然とした迷宮都市の中にあって、日当たりもそれなりにあるほうだ。
中庭の奥には三階建ての屋敷が一件そびえている。
屋敷の前では、二人の大人、一人の老人が、五十八人の転生者の到着を待っていた。
中庭屋敷前の開けた場所に、五十八人の転生者は集められた。
彼らの正面には手ごろな大きさの岩が横たわっている。
転生者らを一望する為の代用の台なのだろう。
杖を持った老人が、最初にそこへと登った。
老人は杖こそ持っていたが、背はピンと伸び、その動きもかくしゃくとしたもの。人を射竦める険のある顔付きには、いまだ現役という自負が漲っている。
身にまとうのはシックな色と形容できる真紅のローブ。
老人が顔中のしわを渋面にして佇むと、なぜか酸化した血の色を想起させた。
このような老人である。
充分転生者らの注目ならば得ていたが、彼はなおも手にした杖で三度足元の岩を叩き、鋭い音で空気をささくれ立たせた。
「歓迎しよう。ようこそ我が学び舎へ。転生者の諸君」
老人は“歓迎する”と言ったが、厳めしい顔には“ただの社交辞令だ”というにべもない注釈が添えられている。
「私の名はオーリオフォス・シーファー。この学び舎の教頭として、諸君らの身を預かろうとする者である」
教頭のシーファーの言葉遣いは堅苦しかった。権威を感じさせる言い様は、これからの生活への不安感となって聴取者の心にのしかかって来る。
シーファーは転生者たちを睥睨するように見渡した。
「諸君らが我らの庇護を欲するならば、我らは諸君らと師弟の関係を結ぼう。我らに敬意と誠実さとを捧げ、従順なる生徒として振舞う気のない者は、今すぐこの場を去りたまえ。我らがこの学び舎で諸君らに求めるものは、四ヶ月の努力と忍耐である」
シーファーの言葉は、ゼケンらに選択と、覚悟を強いるものだった。
しかしゼケンたちに、ほかに選択できる道などない。
そして“君たちに残された唯一の道は険しいぞ”と、シーファー教頭はこれでもかと宣告する。
「この四ヶ月は、諸君らにとって“試練”となることを警告しておこう。明日より始まる生活に、浅はかな幻想を抱いている者は覚悟せよ。その愚か者を、この新世界の現実は容赦なく打擲するだろう。この試練に屈した脱落者の記録簿を見たくば、この屋敷の裏手を訪問せよ。諸君の哀れなる先達たちの名を列挙した墓標が、陰鬱な預言者のように立っている。彼らから諸君がその愚かしさだけを学び取り、その末路までをも倣わぬ事を、我らは切に望むものである」
脅かすだけ脅かすと、教頭は最後まで苦み走ったままの顔付きを和らげることなく、岩の台から降りた。
暗澹。
転生者たちを包み込んだのは、“暗澹”。
普段の生活では滅多に顔を見せることのなかったはずの、暗澹というものが、この中庭では我が物顔でのさばっていた。
これが自分たちの新生活の始まりか。
自分たちはこれから“暗澹たる四ヶ月間”を“努力”と“忍耐”で過ごす羽目になるのか?
新生活。
この響きから感じられるフレッシュさ。希望の輝きは、シーファー教頭の以上の宣告により、粉みじんに打ち砕かれたかのように思われた。
しかし、そうではなかったのだ。
希望はまだ残されていた。
「教頭は、脅かしすぎですよ」
最初にしたのは、春の陽気のように軽やかな声。
その青年の笑顔も、さながら春風。
青年は颯爽と岩の上へと立ち上がった。
そこには冬の風雪に凍えていたゼケンたちを生き返らせる、陽気な春の風がいた。
「ゴメンね、みんな。シーファー教頭には“祝辞”をお願いしておいたんだけれど、なんだか獄舎の長官が演説してるみたいになっちゃってたね!」
「ファリアス君!!」
もう一人の成人女性が悲鳴じみた声を上げた。強面の教頭の前で叩く軽口にしては、いささか過激すぎた。
しかし“ファリアス”と呼ばれた青年は、まるで悪びれることなく笑顔で歯をキラリと光らせる。サラサラの金髪が優雅だ。
「わかってるよ、冗談ジョーダン。あと“先生”って呼んでよ、ティー先生」
“ティー先生”はシーファー教頭の隣で恐々としている。
人間味を感じさせる、ちょっとしたやり取りだった。
それでも厳しく凝り固まっていた場の空気が、少しだけほっこりとほぐれたのを、この場の誰もが感じていた。
教頭と入れ替わりに壇上へ上がったのは、陽気な笑みを燦々《さんさん》輝かせる好青年。
のっけから好感度を高める事に成功した青年は、生徒たちへと教頭とは正反対のはつらつさを降り注いだ。
「さっ、みんな、顔暗いよ! 初めまして! 僕はファリアス・レキオ。二十七歳独身。男子担任の教師として、君らにアドバイスをしたり、相談に乗ったりするよ。男子からは先生でいいけど、女の子からはファリアス先生、もしくはファリ先生って呼ばれたいな。――あっともちろん、相談も男子だけじゃなく、女子からのも歓迎するよ! 僕は教頭と違って優しいからねー」
ファリアスは女子たちに手をひらひらさせた。
柔和な人柄が取っ付きやすそうだ。全教員がシーファー的いかめしさで統一されていなかったことにゼケンは心底安堵した。希望はまだ潰えちゃあいない。
最後に岩の上へと登ったのは、長い耳、濃緑の髪が特徴的な、妖精人族の女性だった。
小柄でメガネを掛けており、花を咲かせたツタで髪を後ろにまとめている。服の胸ポケットからも、タンポポが咲いていた。
「ティーティス・メッヘです。女子担任の教師として適時指導を致します。このような立場を任されたのは、初めてで、至らぬところもあるかもしれませんが、よろしくお願いします」
ティーティスはぺこりとお辞儀をすると、すぐに岩の下へと降りた。下でファリアスに『それだけー?』と聞かれると、もごもご返答する。
台の上へは再びファリアスが現れた。
「最後に、僕らの立場を少し説明しておくよ。――僕らはロランロラン冒険者ギルドから派遣された、職員なんだ。その生徒になった君らの立場も、ギルドが保障する形になる。“学校の生徒”って言えば、ロランロラン周辺のギルドなら通用するよ」
ようはゼケンたち無国籍人間に、この世界での居場所ができたということだ。
ファリアスは“転生者”についても少し説明する。
「ロランロランでは数年、ないし十数年に一度、君らみたいな“転生者”がやってくるんだ。前に来たのは三年前で、僕が教師役をするのはこれで二度目。――まあ~、前回も色々あったね。冒険者って“命懸け”だから。――辛い事も、あると思うけど、僕らもできるだけ支えるからさ。一緒に頑張っていこう!」
ファリアスは『はい返事!』と言ってパンと手を叩いた。
『はい!!』という生徒らの返事は、力みすぎていたり、声がひっくり返っていたりと、ひどいものだった。
教頭、教員の紹介のあと、更にファリアスは、これからのゼケンたちの授業計画や、学校での生活におけるルール、注意事項などを語った。
各生徒の能力把握とランキングボードの作成の為、ゼケンたちは自分のステータスを書類に書いて提出した。
装着していた装備も学校に預けた。
ようやく重たい鎧や邪魔な盾とおさらばでき、身も心も少し軽くなる。
そのあとゼケンはピスティーと別れた。
ランキングボードの作成が終わるまで、同じ職能の者同士で交流するよう言いつけられたのだ。
剣士の職能を持つ者は、学校でも一番多いようだった。
男だけでなく女もいる。
ゼケンは迷宮都市移動中に話した生徒らを見つけたので、なんとなくそちらへ移動し、『よう』だの『おう』だの声を掛け合う。
まだ、お互いの名前すら知らなかった。
「今なんのスキル修得するかって相談してたんだよ」
「スキル? もう修得するのか?」
スキルは[修得ポイント]を支払う事で修得する事ができる。
快活そうな少年は『当然!』と言って目を輝かせた。
「だってエルダーの“無刀取り”見たろ!? やりたいべああいうの!」
「できねえって」
「エルダーさんて、レベル、どれくらいだったっけ?」
ゼケンは覚えていた。
「レベル27だな」
快活そうな少年にもう一人の少年が『お前どれくらいよ?』と尋ねる。
「俺はー、あれだよ。レベル2」
「低っく」
「うっせ。オメーも同じだろっ」
「レベル3の人も、いるらしいよね? 聞いたんだけど」
「お前らみんなレベル2なのか?」
お前らとはゼケンの前にいる“快活少年”“落ち着き少年”“おとなしめ少年”の三人だ。
三人は異口同音に“そうだ”と答えた。
落ち着き少年がいぶかしげな顔で尋ねてくる。
「お前は? 違うのかよ?」
ゼケンはレベル1である。とても負けた気がする。
「――んーまあ…………なんか違うな」
「なんかってなんだよ! ハッキリ言えや! 気にすんな!」
「レベル1なの?」
おとなしめ少年の指摘に、ゼケンと三人の間を一瞬、沈黙の妖精が通り過ぎた。
ゼケンは言った。
「スキルの話しようぜ」
「えっ。――いや…………気になるわー……」
落ち着き少年が『気にすんなって』と言った。先ほど快活少年自身が言っていた言葉だ。
ゼケンたちはスキルの話をした。
冒険者はレベルが上がる事で、その身に授かった職能に応じて多彩なスキルを修得できるようになる。
修得するには修得ポイントが必要で、これもレベルアップすると手に入る。
レベル2の三人が有していた修得ポイントは79~82ポイント。
レベル1のゼケンの持っていた修得ポイントは、65ポイントだった。
修得できるスキルは、ほとんど変わらなかった。
個人差が微妙にある程度で――
「俺らの修得できるスキルー。[狼殺し・初級]成功するとオオカミ一発死。[猪崩し・初級]成功するとイノシシの突進力低下」
「[盾投げ]普通よりうまく盾を投げられる、マナ消費1。[雄叫び]弱い敵がビビッて逃げる。マナ消費3」
「[弓矢への適正]装備アイテムの[弓]と[矢]の装備適正を得る。修得ポイント15……」
ゼケンたちが今修得できる剣士スキルは、だいたいこれくらいだ。
快活少年が四人の気持ちを代表して、ツッコミを入れる。
「いや――地味ダロ! 盾投げって!! 投げさすな!!」
剣士アビリティーは盛り上がりに欠けた。
魔術士アビリティーのほうは“お前の得意属性なに!?”とか“闇属性強すぎじゃね!?”とか言って大盛り上がりしているというのに。
ほどなくして、談話室でランキングボードを掲示すると言われた。
少年らとそちらへ移動すると、中庭にはピスティーが先に来ていた。
「こんなにいると、入りきれないな」
「溢れちゃってますね」
本来は予備の倉庫らしい談話室は、中庭から直接物を運び込めるように、大扉がしつらえられている。
おかげで外からでも談話室に入れる構造なのだが、大扉の周辺には、室内に入りきれなかった生徒たちが既に溢れている。
「くっそ出遅れた、窓から覗き込もうぜ!」
「テンションたけえよ」
快活少年は一人テンションが上がっていた。まだ生徒に占領されていない窓の一つ目掛けて走っていった。
ゼケン、ピスティー、ほか二人の少年は、ゆっくり彼のあとを追う。
ピスティーがぽわぽわした顔で話してきた。
「ゼケン。私、褒められてしまいました」
「どうした?」
ピスティーはフフフと笑った。人の顔を期待感でくすぐるような笑みだ。
少女は顔を自慢げに取り澄ました。
「私、“祝福者”だったんです。神から授かった職能の数がとても多いと、褒められました」
ゼケンは驚きで声が大きくなった。
「祝福者!? お前、そうだったのか!?」
「はい。気付いてませんでした」
“祝福者”という特殊な多職能受者についての概要は、神から授かった知識の中に含まれていた。
“祝福者”。
とても希少な素養。将来を嘱望される一級の冒険者へのパスポートだ。
ゼケンは顔が明るくなった。
レベル1だ、レアアイテムがないと、何かと不遇だった二人の冒険者的素養にさした、ようやくの光明である。
ゼケンは少女へ力強く言う。
「でかした!」
「はい!」
ピスティーは顔を輝かせていた。褒められたのが嬉しかったのか自分から話し始める。
「私の授かった職能は神官と魔術士と精霊使いです。ティーティス先生から魔術職のエキスパートになれるって言われました」
神官は回復スキルを専門とする職能で、パーティーに必ず一人は必要な、最重要アビリティーだ。
しかし戦闘時は往々にして、守られるだけの“お荷物化”してしまう。
神官は回復スキル以外の戦闘への参加手段、つまり攻撃手段を持ち合わせないのだ。
「そうか……お前ならお荷物化の心配はないな」
この差は非常に大きい。
冒険者が魔物と戦う場合、5~6人が集まって“パーティー”という小集団を形成する。
この内の一人が、必ずと言っていいほど神官になる。
つまり回復スキル要員であり、戦力としては当てにならない、ということだ。
普通のパーティーは魔物との戦闘時、常に神官一人分を欠いた人数、四人か五人で戦闘に当たらなければならない事になる。
しかし祝福者であるピスティーを神官役として連れる限り、そのような状態は避けられた。
ほかのパーティーより戦力が一人分――少なくとも0・5人分は優位な状態で、魔物との戦闘を行えるようなものだ。
とても大きな優位性だった。
「そっかそっか。……うん……よかった……」
「喜んでもらえて私も嬉しいです」
ピスティーは幸福そうに顔をほころばせている。
が、正直ゼケンは、男心的に多少複雑な気持ちを抱いていた。
ピスティーはレベル1でも、祝福者だった。
じゃあ、ゼケンは?
ゼケンは職能に剣士と武闘家を持つが、それはそれほど珍しくない。
種族が人狼族だからといって、特別どうというわけでもない。
黄金の髪、宝石のような碧眼を持つピスティーとは、断じて釣り合いも取れない。
美少女祝福者に仕えられる無能な大男は、ひどく惨めに思われた。
あせった。
「……あの。どうかなさいましたか?」
ゼケンの心を推し量ろうとでも思ったか、ピスティーが下から覗き込んでいた。
「いや。なんでもない。――というか、あれだ。お前のほうは、レベル1の生徒はいたか?」
「全員にお尋ねしたわけではないので……でも、そういう人は、見かけませんでした。…………レベル3の方は、いたんですけれど」
「そうか」
「だ――大丈夫ですよ」
ピスティーは励ますそうと大きく頷いて見せた。根拠はないだろう。
「……すぐにわかるな」
ランキングボードが掲示されれば、各生徒のレベルも表記されるだろう。
これまでの情報を総合してみても、レベル1の生徒の数は、多くあるまい。
なるべく多くいてくれよな。
そう思わずにいられない。
ゼケンはレベル1。
職能は平凡。
レアアイテムも持っていない。
そんな人間が、万一ゼケンだけだったとしたら、今日から始まる四ヶ月間の学校生活はいったいどうなるだろう?
容易に想像がつく。
誰もレベル1、レアアイテム無しのゼケンをパーティーになんて加えたがらないだろう。
レベル1のゼケンが前衛をするというだけで、後衛の人間が不安がって逃げていくかもしれない。
ピスティーばかりが見目麗しく有能と、陰口を叩かれまくるだろう。
殺された狂気的少年のセリフが脳裏をよぎる。
『力こそ全てで、レアアイテム=力なわけ』
成功者“剣士殺し”エルダーが言っていた。
『クズは要らない!! そんな奴に命を預けられるか!!』
五十八人の生徒の中で、ゼケンはどの程度非力だろう?
どれくらい“要らないクズ”に近いだろう?
「おい! ランキング発表されるぞ!」
快活少年の声に、ゼケンは臆病に震えようとした弱気な心を叱咤した。
デカイ体を折り曲げて、窓から室内を覗き込む。
丁度ファリアスとティーティスが、ランキングボードを室内に据え付けているところだった。
我先にとボードを見た生徒らが、明るい歓声と明るい悲鳴で盛り上がり始める。談話室には収まりきらないお祭り騒ぎが、中庭まで溢れ出した。
五十八人の転生者の順位と、ゼケンの命運とが、そこに掲示されていた。