第四話 ロランロランで奇妙な落書きが待っていた
迷宮都市ロランロランを歩く際の、三つの課題。
1。道を覚えろ。
2。はぐれるな。
3。足を止めるな。
これはゼケンたちに課された課題である。
この町は容易に人を隠すと、青年たちから脅かされた。
迷宮都市ロランロランは、オルディエ系の文化圏に属する“西アーケア大陸”西部に位置する都市である。
その玄関口には“アスプロス広場”という大広場が広がっている。
奥へと伸びて来訪者をいざなうのは“アスプロス大通り”。
意味は“白い大通り”。
“迷宮都市”という単語にミステリアスな印象と期待とを抱いていた人間は、この広場と大通りを歩くなり、落胆を覚える事だろう。
広場と大通りは白を基調とした清潔な印象。
軒を連ねる建築群も、オルディエン様式の洗練・気品・優美を感じさせるもの。通りは整然とした、清々しい構造をしている為だ。
しかしこの迷宮都市を訪問し、始めの大通りを進みやすしと無警戒に進んだ者たちは、すぐに手痛いしっぺ返しにあう事となる。
文豪フィーモパスが作中でこの都市へと使った形容。
『あたかも質の悪い食虫植物』
来訪者がアスプロス大通りの終点に気付く事は難しい。
進むほどに細まってゆく大通りに、不安を覚える事だろう。
そして自分の歩いている道が既に、“アスプロス大通り”の名を冠していないと気付いた時には、もう後の祭りである。
来訪者は、さながら食虫植物の捕虫器官に捕らえられた羽虫のように、入り組む階段を上下に飛び回り、交差点の中心で七つの分かれ道に立ち尽くす。
私たちはいったいどこからここへやってきたのか、いったいどこへ行こうとしているのか?
哲学に片足を突っ込んだような問答に直面する事、請け合いである。
迷宮都市ロランロランは、来訪者を巧みに内奥へ誘い込み、一度迷い込んだら外へは出さない魔窟的な癖を持つ。
広い大通りがみるみると細まり、三つの子道に分岐した中から地下へと伸びる階段を選び、下ったはずなのに地上二階建ての建物の上へと飛び出してから、橋を渡って洞窟のような道へと入り、右手に三つ目に現れる階段を上へ二階分上った――
――このあたりで、ゼケンは道を覚えるのを諦めた。
迷宮都市ロランロランはとにかく見通しが悪かった。
まっすぐな道さえ上下にうねる為に、先が見えなくなることがある。
なだらかに上下する丘陵地帯に築かれた都市は、坂道と階段で溢れている。
丘の下に築かれた三階建ての建物の三階から、丘の上に築かれた建物の一階部分へと侵入したりするので、一階を歩いていると思ったら二階に下りる階段を見つけた、などということが往々にしてある。
平面ではなく、立体の町なのだ。
五十八人の転生者は列からはぐれまいと必死だ。
この異世界で目を覚ますなり、二人の転生者が落命した。
脱落だ。
これまでの常識――覚えこそないが当たり前にしている感覚――は、この世界では通用しないということを痛いほど感じていた。
行列からはぐれたら、本当にどうなってしまうかわからない、と、切実な危険性を、もっとも身近な同行者のように連れていた。
ゼケンは後ろからチョコチョコ付いてくるピスティーが気になった。彼女の足音を確認しようと、頭上の狼の耳がちょいちょい後ろを向きたがり、不快だ。
ゼケンの大きな図体には、少女はとても小さく見える。
後ろでフッと消えられたら、きっと気付けない。
ゼケンは少女がはぐれないかと、フクロウにでもなったように首を前に後ろにクルクル回し、彼女を気に掛ける。
ピスティーが多少血色を取り戻し始めた顔で言った。
「ゼケン。あなたの心配りが、私の心から不安を拭い去ってゆきます……」
ぶふっとゼケンはむせた。
「真顔でそんな事言うなっ」
「私、前に回ったほうがよいでしょうか?」
「……ん。そうだな……」
お互い緊張しているので、なんだかんだ言葉少なだ。
少女は邪魔にならぬよう素早くゼケンの前へ回り込んだ。
不意に、ゼケンたちの更に前を歩いていた少年が、こちらへと振り返った。
「んなあなあなあ。お前らってさ。なんか、仲いいよな?」
少年が尋ねると、それを待っていたように周りの少年たちも食いついて来た。
「あ。俺も思ってた、それ」
「あの危ない奴が、人殺した時も、二人って一緒にいたよね?」
「だよな? なんか名前叫んでたもんな?」
ゼケンとピスティーこそ緊迫感を共有していたが、周りの少年たちが伴っていたのは、緊張感よりは、輝くような金髪が目を引く碧眼の少女への好奇心だったらしい。
彼らは歩いている最中も、チョイチョイ彼女を盗み見ていた。
しかしゼケンは説明するのが面倒だし、はぐれたらなお面倒なので。
「あとで説明してやるよ。歩く時は前を見ろ。危ないぞ」
「いや大丈夫だって。お前デカイから、絶対いい目印になる」
「はぐれたら目印もなにもあるもんか」
「いいじゃん。気になんだってマジで。説明ってなんだよ?」
少年たちはゼケンより余裕があるように見える。なんだか自分を恥ずかしく感じた。
少年たちの好奇心にはピスティーが応えた。
緊張していた表情が、少し得意げになる。
「私はゼケンのピスティーです。彼にお仕えする為に、この生を授かりました」
彼女の自己紹介は率直で、言葉足らずだ。
この自己紹介をゼケンが初めて聞いた時は、事前に『少女を伴わす』という神の声を聞いていたから、少女の正気を疑う事はなかった。
そんなこと知る由もない少年たちは、少女の正気を疑ってよい。
「ん? え? なに?」
「んん? なんだって? ピスティ?」
「お仕えする為って、え?」
少年たちは、少女の人を幸せにするような笑みと、電波的とも言えるすっ飛んだ回答の落差に、にやけるやら苦笑いするやらと困惑している。
「だから、説明がめんどくさいんだって。――前に遅れてるぞ」
ゼケンが指摘すると、前の少年が急いで前列を追いかけたので、ゼケンたちも何歩か小走りした。
このあと、彼女の身の上を説明すると、少年たちは辺りをはばからぬ声でうらやましがり、悔しがった。
「名前早く付けてやれよゼケン!!」
「大きなお世話だ! わかってる!」
ゼケンも少女を不憫とは思っていた。
しかしこの異世界で目を覚ましてから、のんきな時間などあったろうか?
狂気的少年とにらみ合ったり、青年たちの殺戮ショーを観覧させられたりで、とても女の子の名前を考える余裕などなかったのだ。
それにゼケンが気になっていることは、ピスティーの名前ばかりでもない。
「――なあ。お前らも、レアアイテム持ってるのか?」
レアアイテムだ。どうやらみんながそれを持っているらしいのだが、ゼケンとピスティーの身につけている物に、それらしい物は見当たらない。
ゼケンの問い掛けに、周りの少年たちは揃って“なんでそんな事を聞くのか?”という顔を並べた。
「そりゃ、あるぜ?」
「みんな持ってるよね?」
「俺のレアリティEだけどな」
「そういうのってどうやって確認する。見た目が地味なレアアイテムだって、あるだろう?」
「装備してんだろ? ならステータス見りゃ一発だ」
ステータス!
そりゃそうだ、とゼケンは自分の迂闊さ加減に呆れた。
“ステータス”。自分の能力数値などを確認できる表のことだ。
ゼケンが神より授かった“冒険者の初歩”には、ステータスを閲覧する為の方法もちゃんと含まれていた。
なら善は急げだ。
ゼケンは多少の期待感に心を躍らせながら、ピスティーにも促す。
「ピスティー。ちょっとステータスを確認してくれ。俺たちのレアアイテムを確認しておこう」
「わかりました」
ゼケンは自分のステータスの表示を念じた。
たちどころに、目の前へと薄青い色をした半透明の幻影のようなものが映し出された。
初めて見た。ゼケンヴリオスの能力表だ。
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名前:ゼケンヴリオス
種族:人狼族
年齢:15歳
性別:男
職能:剣士 武闘家
レベル:1
ランク:G
グレイス:98/102
マナ:21/24
体力:50/55
攻撃力:118/38 +80
防御力:129/40 +89
速度:8/27 -19
装備重量:9・5
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ゼケンが“装備欄”と念じると、表示は瞬時に変わり、ゼケンの現在の装備状態を示すものになる。
ゼケンは“さあどうだ”と目を輝かせた。
かすかに感じる不安を振り払うように、ステータスの装備欄を確認する。
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装備
武器1:数打ちの剣
ランク:F
攻撃力:80
重量:1
説明:一般的な鋼鉄製の剣。
防具1:鉄の鎧
ランク:F
防御力:70
重量:6・5
説明:一般的な鉄製の鎧。
防具2:鉄の小盾
ランク:F
防御力:19
重量:2
説明:一般的な鉄製の小さな盾。
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ゼケンは一度顔を背けた。
見たくない現実を見知ってしまった時のように、心臓がバックンバックン跳ね始めている。
もう一度、確認してみる。
やはり見間違いじゃなかった。
勘違いでもなければ、ほかに装備欄があるわけでもない。
その装備状況は、ひと目見ただけでレアアイテムなんて装備してないことがわかるものだった。
ゼケンは自分のステータス欄を封じ込めるように閉じた。
気持ちを切り替えて、ピスティーに尋ねる。
「そっちはどうだ? ピスティー?」
「……ええっと。……その……」
少女の反応も芳しくない。
ゼケンの視線に、彼女は期待に応えられる回答を探すように、目をあっちやこっちに泳がせている。
もちろん彼女のステータス欄はもう、閉じられていた。
この美しく、人への気遣いをできる少女を、ゼケンはこれ以上苦しめたくない。
「…………うん。そうか。わかった」
「……すみません……」
ゼケンは前を向いて歩いた。
心に強く念じる。
たとえどんな状況であろうと、男なら、前に進む以外ないのだ。
「え? どうだったんだよ? レア装備どんなだった?」
「うるせえ。男なら前を向け、前を」
「なんだよそれ!? 歩いてるっつのちゃんと!」
どうやらゼケンとピスティーには、レアアイテムは与えられなかったらしい。
これは神の冒した重大なうっかりか?
はたまたレアアイテムを下賜されなかった転生者も、普通にいるのか?
内心冷や汗だくだくのゼケンであったが、この異世界は奇妙で酷薄だ。
ゼケンへ更に追い討ちを掛けるように、とある小道の壁面に、こんな一文が書かれていた。
ゼケンヴリオスに天罰を!
「――ぅおいおい!? なんだあこりゃ!」
ゼケンヴリオスは大いに戸惑った。初めて訪れた町に、自分の不幸を願う一文が刻まれていたのだ。身に覚えなどあろうはずもない。
ゼケンもピスティーも、思わず立ち止まり、その落書きを凝視している。
後ろを後続が文句を言いながら次々追い抜いていった。小道なのでひどく邪魔臭そうだった。
ゼケンとピスティーは動けない。こんな怪現象を目の当たりにして、無視などできるものか。
「新しく、書かれたもんじゃあないな。……余計気味がワリい」
薄暗い小道の壁面は落書きだらけだ。
『ゼケンヴリオスに天罰を!』という落書きも年季を感じさせる。まるで数年間、ここでゼケンがやってくるのをずっと待ち構えていたかのような。
「ど……同名の、別人宛ての、落書きですよ、きっと」
「そんなことないぞお? 多分……」
“ゼケンヴリオス”という名前は古代語で“十二月”という意味。
オルディエ圏でポピュラーな名前とは言いがたい――頭の中の新常識がゼケンに教えていた。
それにこの町は、不思議の迷宮都市ロランロラン。
壁に書き殴られた恨みの一文は、あたかもこの都市自体が、二人へと敵意をむき出してきたような、非常に気味の悪い存在感を発散している。
「もっ、もう! 置いてかれちゃいますよゼケン! 行きます! ハイ!」
ピスティーがぐいぐい背中を押し始めた。
ゼケンも、壁の落書きを見送りながら、うわごとのように言う。
あ……ああ。……俺は、小さい事は、気にしないんだ……
虚勢だった。
気になって仕方がない。
自分の前に、不吉な前兆が列挙されているような気がして、両足がひどく重たくなっている。
レアアイテムを持たされなかったらしい二人。
なぜか壁に書かれた“ゼケンヴリオスに天罰を!”という一文。
これはなんらかの神の啓示か?
二人はこのあと、無事に転生者一行の列へと追いついた。
一行はほどなくして、目的地であった“学校”へと到着する。
はたして顔が浮かないゼケンを待ち受けるものはなにか?
もう血の洗礼はたくさんだぞと、結構本気で心配するゼケンであった。