第三話 なおも洗礼 新世界基準の命の価値
青年は言った。
ゼケンたち転生者には、この世界の洗礼であり、冒険者になる為の洗礼を受ける必要があると。
最初に洗礼を受けるのは、この世界にもっとも適応しているかもしれない少年。
転生するなり人を殺して、レアアイテムを二つ手にした少年。
その少年と、二十代半ばの青年が、皆の見守る中、遺跡の中央で向かい合っている。
青年は武闘家であるらしい。
剣も盾も装備せず、要所を爬虫類の革で防護された道着に身を包んでいる。
「見ての通り俺は素手だが、レベルは27。お前らよりずっと先輩だ。気にしないでいいから、そのレア剣で切り掛って来いよ」
青年の大胆発言に、少年のまなじりが攻撃的に吊り上がった。
「いいのかよ? 手加減しないぜ?」
「抜かせ。生意気だぜ」
青年は体の調子を確かめるようにトントン跳ねている。軽く跳んでるように見えるのに、足にバネでも備えているのか、体が地面から40センチほども浮き上がっている。
少年は切り掛るタイミングを計っているようだ。
青年の奇妙に高い跳躍力は、そのまま地面と離れて足さばきの封じられる隙へと繋がるものでもあったから。
「ふっ」
少年が走った。革鎧や盾で武装してるにしてはよい加速力だ。
剣を振りかぶりながら青年の懐へと入り込む。
繰り出された斬撃は、防御など気にせず、相手の生死すら気に留めない思い切りのよい一閃だった。
刃が空を切り裂くフォンという音が鋭く閃き、青年が吹き飛ばされて地面を転がった。
軽やかによけると思っていたものだから、ゼケンは声を漏らした。同じようにもらされた声が束となって遺跡を包むどよめきとなる。
しかしそのどよめきは収まらず、ひときわ大きくなった。
思い切り剣を振り抜いたと思った少年の手から、当の剣が掻き消えていたのだ。
武闘家がすっくと立ち上がる。負傷した様子はない。
それどころか、彼は高々と少年の手にあったはずの剣を掲げて見せた。
歓声が上がった。妙技だった。
思わずもう一度見たいと思わせる手品のように、剣は忽然とその持ち主を変えていた。
「これがスキルの力だ!」
青年は顔を誇らしげにしている。
「今のは[無刀取り]ってスキルだ! いわゆる“レアスキル”ってやつで、武闘家をしててもまず修得できる奴はいない! 俺はこのスキルを二十一歳ん時に修得して、このスキル一つで名声を得た! “無刀取りのエルダー”ってのは俺の事!このスキルを得て以来、剣士は俺の敵じゃあなくなり、“剣士殺し”なんて二つ名まで頂戴した! ライダーグのコロシアムじゃあちょっとした有名人だ! レアスキルは金になる!」
彼は成功者であるようだった。
ゼケンは胸が熱くなるのを感じた。
青年はレアスキル一つで世界が変わると言ったのだ。
青年はあの物騒な少年を手玉に取っていた。レアスキル一つで、この世界では人の強弱が逆転する。
武闘家エルダーが後輩たちへ教示する。
「いいかー? たとえ武器が強かろうとも、たった一つのスキルの前に無力になることだってある! 当然その逆もありだ! ようは、強くなれって事だな!」
「一つの手段に頼るなってことだろ!」
青年の仲間が口を挟んだ。エルダーは『うっせ』と子供っぽい顔を見せる。
「次は冒険者としちゃあ初歩の勉強だ! おいルーキー! そこ動くなよ! 度胸のあるところを見せろ!」
剣を奪われた少年は盾を身構えている。その表情は“これが洗礼なのか?”と、いささか不機嫌そうだ。
青年は少年から奪ったレア剣を片手で持ち、盾を構える少年の横へと回り込むように移動し始める。
早かった。
青年は滑るように動いた。少年の真横へ滑り込むまで一拍あったかも疑わしい。
青年の姿は掻き消えたように見えた。
レベル27の武闘家は弩で打ち出されたような突進を見せた。
少年は真横からの青年の襲撃に、盾で身を守る事すらできなかった。青年と交差するなり、猛牛に轢かれたように跳ね飛ばされてしまう。
血が舞った。
石畳に落下した盾がガシャンと耳障りな音を立てた。
少年が石畳の上を転がった。その後を鮮血がなぞりいびつな赤い線を延ばす。
青年は少年を切ったのか。ゼケンは息を呑んで身を乗り出した。
その目の前に、宙から落っこちてきた物があって、ゼケンをみっともなく驚かせた。
なんだと思った。それは剣でも盾でもなかった。
腕だった。
人の体から切り飛ばされた、血を吹き、白い骨のはみ出した腕だった。
隣のピスティーが――というより周りの人間全員が一斉に身を引いて息を吸い込む、奇妙な音が鳴った。
轟いた悲鳴は、恐怖に締め上げられてひり出したようなみっともないものだった。
腕を切られた少年の悲鳴がすぐにその合唱に合流した。
「あああ?! っぎゃアア――ってええ!?」
少年は右腕を上腕から切り飛ばされていた。錯乱したのか、血を吹きめっきり短くなった右腕の残りを見つめながら、ギャー!! ギャー!! と悲鳴ばかり上げている。
しかし武闘家の青年は、少年の叫びを一顧だにしない。
というより、声をみんなに届ける為に、むしろ声量を上げた。
「“冒険者の初歩”は頭に入ってるなー!? 命中精度や力加減もあるが、ざっくり言うと、ダメージ=攻撃側の攻撃力ー0・7×防御側の防御力だ! 計算するぞ!まず俺の攻撃力が244で、剣の攻撃力が151!! 合計攻撃力が395!! 攻撃側の攻撃力=395!!」
青年エルダーは平然とした顔でレクチャーを続けているが、聞くほうは皆が皆、顔面蒼白と化している。
少年の身も世もない絶叫が遺跡中に轟いていた。
少年はなにすんだよ!! と怒っていた。
治せよ早く!! と悲鳴を上げた。
手えが切れちまったよ!! おい!! 治るんだよな!? と尋ねもした。
なのに、青年たちは少年を相手にせず、講義を続けている。
「次に防御側!! レベ3の剣士じゃ、装備ランクEのレア盾装備でも防御力は160程度!! ダメージ計算の式はダメージ=395-0・7×160!! つまりダメージ=395-112=283!! ダメージ=283!! レベル3の剣士のグレイス量は160程度!! 攻撃力395の俺の攻撃でダメージ283を受けた場合、その残りグレイス量は160-283=-123!! 計算上じゃあ優に即死だ!!」
しかし少年は生きている。腕を切り飛ばされて泣き叫んでいる。
青年は少年を剣で指し示して言う。
「一発死する威力の攻撃を食らった時、食らった場所が腕や足だと、ああなる!! 死にはしないが命中部位が吹き飛ぶ!! ただし!! たとえそういう攻撃を体に食らったとしても、グレイスが60%以上ある時はまず一発死は起こらない!! 太陽神にして生命神でもあらせられるレーベ様のご慈悲だな!!」
「――おい!! 無視してんじゃねえよ!! 治せよ!! これよお!!」
少年が立ち上がっていた。右腕の傷口を押さえながら、エルダーへと必死な形相で詰め寄ろうとしている。
しかしエルダーは、ほとほと無慈悲というしかなかった。
彼は395の攻撃力を活用し、今度は少年の足をひと薙ぎで切り飛ばした。
またしても少年の割れた悲鳴が世界を揺らした。
もう見ている転生者の側も、女の子などは涙を流したり顔を覆ったりしている。
「出血が起こった場合、通常はグレイスを消費する事で止血されるが、グレイスが減っていると彼のように中々止血されない!! 流血で減るのは[体力]の数値だ!!体力減少によって六段階の悪影響を受け、第七段階で意識喪失状態へ至る!! 神官職は[止血]のスキルを修得しておいたほうがいい!! 修得してない神官なんてパーティーに加えてもらえないぞ!!」
当然だが、ゼケンは青年の講義がほとんど頭に入っていない。
どうして青年がこうもひどい仕打ちを少年へとするのか、理解ができないでいる。
傍らのピスティーも、この凄惨な講義が始まってからというもの、口元を手で覆って目をかっぴらいたまま固まっている。顔はもちろん蒼白だ。
転生者たちは誰もが戸惑っていたろう。
期待のルーキーだともてはやしていた少年を、青年たちは苛め殺そうとしているようにしか見えない。
これが洗礼なのだろうか?
あの仕打ちがゼケンにもピスティーにも待っているのだろうか?
後ろで『逃げよう! 逃げよう!』とさっきから涙声で叫んでいる奴がいる。
「おいエルダー! いい加減やばいって!」
エルダーの仲間の一人が忠告した。
エルダーもやりすぎたかなと苦笑いをしている。
「え~、ああー!! お前ら聞けー!! 女子、泣くなー!! そこ、逃げるなー!! お前らの為の洗礼だぞー!!」
エルダー青年は声を張り続けてしゃがれてしまった声を整えようと、ゲホンゴホンと咳払いをした。
「あーっと!! ここからが一番大事なことだ!! 聞け!! この世界に、人殺しは要らない!!」
人殺し。青年の事ではない多分。
いまや手と足を落とされて転がされている、あの少年の事だろう。
青年は転生者たちへと大声で断言する。
「クズは要らない!! そんな奴に命を預けられるか!! 剣士しか職能を有してない奴が、自分を守る為であろうと人を殺すな!! 人を守る為に死ね!! 仲間を見殺しにした前衛職に、表ギルドで居場所なんてないぞ!!」
人殺しは要らない。クズは要らない。
お前は人殺しのクズで要らないと言われた少年が、絶望的な顔をしたまま地べたに転がっている。
「まあそれ以前に、レアアイテム欲しいからって人殺すなって話だ!」
「――ん、んだよお、これえ!? おめえらよお! 俺、決断力あるって、褒めてたじゃねえかよお!!」
いまや酸鼻を極めるあわれさを欲しいままにしている少年が、わめいた。一縷の望みにすがり付こうと。
エルダーの返答は容赦なかった。
「決断力は必要だが決断力あるバカは最低だ!! 自分がバカだと自覚のない奴は特に最低だ!! 迷惑しか掛けないし掛ける迷惑が一々デカイから最低だ!! おかげで転生者が一人死んだ!! 償いは血であがなわす!! こいつは見せしめになって見苦しく死ぬ!! 君たち転生者への教訓の為に、死ぬ!!」
少年の下した判断は、全否定された。
それでも彼は叫んだ。
命を削ってでも、辞世の句でも残そうとするように、叫んだ。
「バカはぁ、どっちだよお!? 俺はよお!! 頭いいから!! レアアイテム先に集めといたほうが! 有利になれる世界だって――思ったからよお!!」
「だからって人を殺すな! そんなことはガキでも知ってるぞ、バカめ!」
“決断力のありすぎたバカ”の最後は惨めだった。
「最後に一つ! 転生者になぜか多い勘違いがあるから、明言しておく!」
エルダーは少年の頭に総攻撃力395で剣を埋め込んだ。
まるでスイカにでも剣を差し込むような、無感情な行為だった。
「この世界で人は死んだら、生き返らない! 言うまでもないが、人の命は大切にしないとダメだ!」
言うまでもないが、彼が言っても説得力がなかった。
こうしてゼケンたちの悪い冗談のような洗礼は、血や涙や狂気や暴力を垂れ流しにして、幕を閉じた。
洗礼がゼケンたちに教えた事。
この世界は異常だということ。
人の命はそれなりに大切にされるが、ぞんざいにも扱われるということ。
そういう世界で、ゼケンたちは“冒険者”という職業に就くらしい。
「それ以外の道は勧めない! “冒険者”は“職能”を有した人間だけがなれる技能職だ! つまり俺たちは“選ばれた人間”ってわけだからな! みんな俺みたいになれ!」
成功者“剣士殺し”エルダーは自慢げな顔をしたが、道着は少年を殺した返り血で汚れていた。
少年の手足を無感情に切り飛ばして講釈を垂れたエルダー。
彼のようになりたいとは、まだゼケンには思えない。
転生者たちは皆、青年たちの殺戮劇に、顔をうっそりと疲れさせている。
転生者に守ってくれる親などいない。
帰る場所もない。
この異世界で少年少女は、この物騒な青年たちについていくしかなかった。
遺跡は小高い丘の上にあった。
遺跡の端まで辿り着くと、丘のふもとに広がる大きな都市を一望する事ができた。
都市は高い市壁で囲まれており、周囲には畑作地を縦横に広げている。
一帯は丘陵地帯。
緩やかな起伏の上に敷かれた都市は、中心部に巨大樹を屹立させ、都市全体はうねるようになだらかに上下する、特異な表情を見せていた。
列の先頭でゼケンらを導くエルダーが、指差して言う。
「あれがお前らの“学校”がある都市だ! 迷宮都市ロランロラン! 文豪フィーモパスの旅行記にも書かれた、不思議の町だ! 奇跡だって頻発する【妖精の世界への玄関口】!」
エルダーの仲間が声を張って転生者らへ忠告する。
「閉じられたドアを開く時は必ず“ノック”しろ! 魔除けになる! ノックしないで扉を開くと“精霊界”に通じちまうぞ!」
青年の顔は真剣だった。ここは魔法の存在する異世界。
これまでの常識が通用しないことを、洗礼を受けた転生者たちはもう知っている。
ゼケンたち今回の転生者の数は、男女合わせて六十人。
瞬く間に二人の少年が死に、残り人数は五十八人。
青年たちが口々に言った。
「お前たちの冒険者としての新生活が今から始まる!」
「神に祈りを捧げるんなら、幸運の神リッチマンにしておけ!」
「幸運! ロランロラン市民にとって一番の必需品!」
彼らの不安を煽るような言葉が盛んに教える。
これから入る町がただの町ではないのだと。
迷宮都市の開け放たれた市門が、まるで無知な転生者らを飲み込もうとする怪物の大口のように見え、ゼケンの両足は前へ進むのを拒んでいた。
市門の奥に広がるは、どこへ通じるかもわからぬ道が無限に入り組む【妖精の世界への玄関口】。
不思議で危険な迷宮都市ロランロラン。
「ようこそ転生者たち! 幻想の迷宮都市ロランロランは、君たちを歓迎する!」