第八話 不安なキトリノ
修行期間四日目。
この日は丸一日休み。全生徒の体力、マナの回復に当てられた。
初めての休日である。
体力はともかく、マナが24しかないゼケンにとって、ありがたい中休みだった。
ゼケンのマナ最大値は24あるが、一晩眠って回復するのは、その内の25%。
たったの“6”なのである。[雄叫び]二発分だ。
この休日を喜んだのは、もちろんゼケンだけではない。
生徒たちは昨日の内からファリアス、ティーティス両先生に、様々な事を尋ねていた。
金がかからずに遊べる場所。
安い服屋や雑貨店。買い物すると面白い通り。
おいしい料理屋。安い料理屋。
武器屋。防具屋。装飾品店。
女子の1グループがファリアスを遊びに誘おうと、懸命に食い下がっていた。
しかしド底辺のゼケンには、遊びに行く心の余裕などない。
今日は朝からギルドホールで読書漬けだと、エクトスたちからの誘いも断り、一人場違いな気合を高めていた。
そんなゼケンの元へとピスティーが、一人の少女を伴って現れた。
「どうした?」
「お喜び下さいゼケン。あなたの同志を連れて参りました」
ピスティーは手を引いてきた少女を紹介する。
「キトリノさんです。名前の意味は“黄色”。幸運と陽だまりの色ですね?」
「そんなことないよ。照れちゃうから」
キトリノははにかんでいる。
頬っぺたの柔らかそうな、白いもこもこの雲を連想させる少女だ。
魔術士のローブを身につけている所から、職能は魔術士であるらしい。
「君が俺の同志なのか?」
「道案内――道案内だけね。してくれれば、いいから……」
キトリノは初めてゼケンと話すので恥ずかしがっている。
「キトリノさんも資料室でお勉強したいらしいのです」
ゼケンはニヤリと笑った。自分と同じ考えの人間が増えてくれて嬉しい。
「たしかに同志だ。連れてくぐらいわけない」
「そっか。よかった」
キトリノは無警戒な笑みを浮かべた。
「私も教会での勉強会が終わったら向かいますね」
ギルドホールに危険はなさそうなので、今日からはピスティーも来る事になった。
「昼ごろだよな? 迎えに来るから待ってろよ」
「いけません。キトリノさんが一人になってしまいます」
「大丈夫だよ、私は。子供じゃないよ」
キトリノはぽやぽやした笑みを浮かべている。
ちょっと不安になるような子だと、ゼケンは思った。
ゼケンはキトリノとギルドホールを目指した。
歩くのが遅い少女の歩調に合わせると、風や日差しまでのんきさを増した気がした。
「キトリノはホールでなに読むんだ?」
「どうしようねえ? なにを読んだらいいかなあ?」
そこかららしい。第一印象の通りフワッとした少女である。
「伝記を読むといいぞ。冒険者の世界が見えてくる」
「そうなの?」
「ああ。特に若いころの話は、参考になる。リーダーシップの取り方で戸惑ったり、仲間を死なせてしまって悩んだりな」
「わあー。大変だねえ」
「他人事じゃないぞ。俺たちの未来の話だ」
少女はフワッとした顔のまま言った。
「うーん。困ったねえ」
どうも他人事である。
ゼケンの言いたいことは、キトリノに伝わってないらしい。
「俺が困っちまいそうだ…………」
「ええー」
ふやけた会話は、ホールの資料室に到着するまで続いた。
資料室では、ゼケンは気合を入れなおした。
ようやくシーファー教頭の意図が見えてきた気がしたのだ。
伝記を読む行為は、冒険者の一生を俯瞰するのに似ていた。
冒険者には幾つもの転機がある事を知った。
冒険者の直面する様々な現実を知ることができた。
冒険者が外で陥る多彩な問題や苦難には、思わず血の気の引くようなものも多かった。
資料室でゼケンが過ごす時間は、眠たくなる時間から刺激的な時間へと変わっていた。
夢中になって伝記を読み込んでいたゼケンは、思い出したように顔を上げた。
見ればキトリノが、本を枕に、夢の世界に夢中になっていた。
ゼケンは何度か彼女を揺り起こした。
彼女が寝るたびに、起こした。
キトリノは脳内を羊にでも占領されたのか、起こされるたびに、眠るのだった。
「まあ最初は俺も、そんなもんだったさ」
「うーん」
ゼケンとキトリノは二階の待合席に座っている。
眠気覚ましにコーヒーでも飲む事になったのだ。
「――キトリノは、どうしてホールにこようなんて思ったんだ?」
「えっとねえ。…………パーティーを組むと、みんなから“どん臭い”って言われちゃうんだよね。だから、頑張んないと、ダメだなーって」
どうすればよいかとピスティーに相談したところ、ゼケンは伝記を読んでいると、彼女に話されたそうだ。
そして自分もそれにならおうと、休日にも関わらず、こんな所に来たらしい。
「じゃ、頑張んないとダメだな?」
「うーん」
「煮え切らない返事するな」
キトリノは眠いんだか困ってるんだかわからない顔をしている。
「だって、ゼケン君もわかるでしょ? 私、冒険者には、向いてないと思うなあ」
ゼケンは言葉に詰まった。
たしかにこの魔術士の少女が、魔物を狩猟する側のヒエラルキーに立てるイメージが、いまいち湧かない。
「学校の雰囲気とかも、ついていけないよ。なんでみんな、あんなに強くなりたいって思うんだろうねえ?」
「死にたくないからだろ?」
「平気だよお」
ゼケンは意義ありとばかりに店員に手を上げた。
少女の目を覚ましてやる必要を感じていた。
「ダンジョンコーヒー二つ」
「あ、砂糖とミルクも付けてください」
「いや、結構だ。無しで」
「そんなの飲めないよう」
「いいんで。大丈夫なんで。お願いします」
ゼケンに立て続けに保証され、店員は去っていった。
「無理だよーう。苦いコーヒーなんて飲みたくないものー」
キトリノは不平を上げたが、その顔はまだ危機感を持ち合わせぬぽやぽや顔だ。
「飲まなきゃダメだキトリノ。苦いもんだって飲めなきゃあ、この世界を生き残るなんて無理なんだよ」
「そんなことないよう。コーヒー飲めなくたって、平気だよ」
“そういう事言ってんじゃない”と心の中でだけ反論し、ゼケンは腕を組み、特濃コーヒーへの覚悟を固めながら、黙って店員を待った。
特濃コーヒーが運ばれてくると、少女はブーブー言った。
ゼケンが“これがこの世界で生きる姿だ!”といわんばかりに苦労しいしい苦いものを飲み下して見せても、ケラケラとおかしがるばかり。
キトリノはコーヒーカップを手に持ち、カウンターのほうへと行ってしまった。
一回り大きなカップを用意してもらい、それに並々とミルクを注ぎ、せっせと砂糖を入れ続けた。
お菓子のように作り変えたコーヒーを口にし、『あまーい』と綿菓子みたいな笑顔を浮かべていた。
この少女はいったいこの先どうなるのだろうと、ゼケンは本気で心配した。
きっとこのような少女はこの先、生き残れないのだ。