表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
与えられた名は十二月《ゼケンヴリオス》 仕事は冒険者  作者: 故郷野夢路
第二章 束の間の訓練期間
12/26

第一話 訓練前の朝

 朝。

 迷宮都市ロランロランの時を作るのは、祈りの時間の到来を知らせる鐘の調べ。

 町中のレーベ教会が六時になると打ち鳴らす鐘の音だ。


 高らかにして静謐せいひつなその音色は、まるで闇を吹き払う曙光のよう。

 この複雑怪奇に入り組んだ迷宮都市へも、清浄な朝の始まりを齎してくれる。


 ゼケンはむっくらと身を起こした。

 ゼケンの朝の始まりは、清浄とは縁遠いものだった。

 藁布団で寝た体はすっかりほこりっぽくなっていた。

 狼の体毛には藁が何本ももぐり込んでいる。

 体を伸ばすと、筋肉まみれでクッション性にかける体が、節々でうめきを上げるように痛んだ。


 貧乏臭い身づくろいに時間を多少奪われてから、ゼケンは掘っ立て小屋から出る。はめ込み式のドアは結局開けっ放しだった。


「――ん?」


 屋敷の前、昨日教師たちに台にされていた岩の前に、ゼケンのピスティー、それにエクトスのピスティーの姿があった。


 二人は岩の上にいる“何か”を観察している。


 ゼケンのピスティーこそ朗らかな笑みを浮かべているが、エクトスのピスティーは彼女の後ろに隠れている。

 学校の中庭には、小型の竜が住み着いていた。


 “カマモリ”という小型の地竜ぢりゅうだった。

 窯を守ると信じられており、この中庭の“守護獣”とされている。ゼケンたち生徒は駆除しないように言いつけられていた。


 その見た目は首も短く翼も持たない為、一見するとトカゲと変わらない。

 しかしその体長は、尻尾を入れると90センチはある。


「おはよう。結構でかいな」

「おはようございます。本当に、立派なカマモリです」


 ゼケンが声を掛けると、それまでピスティーの背中に隠れていたエクトスのピスティーが急いで離れた。男に弱みを見せたくないのか、その顔は平静を装っている。


 一方ゼケンのピスティーは、小竜を前にしてもまるで動じていない。


「こういうのは苦手じゃないのか?」


「生き物は好きです。体は小さくとも懸命に生きようとする姿は、どんなものであれ、とてもいとおしく感じます」


「それホント? イモムシとかクモとかヘビとかも?」


「はい。イモムシさんは、葉っぱを食べるところが愛らしいのです。本当にモリモリと行くんですよ?」


 エクトスピスティーはまるで理解できない顔をしている。視線がチョイチョイとカマモリのほうへ移るのは、いきなり襲い掛かってこないかと警戒している為だろう。


 カマモリは岩の上で朝の日光浴をしている。

 両目の瞬膜やまぶたを動かす以外、まるで動く気配を見せず、ゼケンたちに興味を示す事もない。


「ゼケン。濡れ布巾を用意しておきました。顔を洗ってください」

「ああ……さっそく悪いな……」


 ゼケンはピスティーから濡れ布巾を受け取り、人狼族ベルセルクの顔を拭う。エクトスピスティーの前で少女に世話を焼かれたのが、少し照れくさい。

 そういえば自分は風呂にも入っていないと、今更気付いた。


 濡れ布巾を使い終わると、ゼケンのピスティーはそれを片付けに行った。


 ゼケンはエクトスのピスティーと二人残される。

 彼女はゼケンへと、どこか険のある目つきをしている。


「おはよ」

「おう。よく眠れたか?」

「まあね」

「そっちの住み心地はどうだ? 掘っ立て小屋は――」


 エクトスピスティーは手の平を突き出し、ゼケンの話を遮った。


「ちょっと一つ、確認しておきたい事があるんだけど?」

「…………なんだいったい?」


 ゼケンはいぶかしんだ。

 少女の目は、ゼケンのことを用心深く見据えている。


「昨日あなたのピスティーさ、目元を泣きはらして、戻ってきたの。なにがあったかは一応、聞いたんだけど、念のためあなたにも確認しておきたくって」


 少女はずいとゼケンへ身を乗り出した。

 顔は“嘘は許さない”という厳しさで占められている。


「昨日本当に、“なにも”なかったのよね?」


 ゼケンは少女の質問の意図がわからず、顔中を“?”の形にした。


「なにもなかったわけあるか。聞いたんだろう? 酔っ払いがあいつの手え掴んできて――」

「イヤだからそういう事じゃなくって――察し悪いわねアンタ?」


 言葉の悪い奴だ。ゼケンは居直るように腕を組んだ。


「わからねえ。ハッキリ言え」


 少女はじれったそうに小さくじだんだを踏んだ。


「だからだから、あの子にアンタ、“よからぬ”事してないわよね?」


 ゼケンは“ああ”という顔になった。彼女の言いたい事がわかった。


 エクトスピスティーはゼケンが自分のピスティーへと、“性的な行為”を働こうとしたのではないかと、疑っているのだ。


「してねえさ。おい、心外だぞ?」

「男は狼って言うからさー。いや人狼族ベルセルクじゃなくてもね?」

「その目やめろ」


 少女はまだ疑るような目をしていた。これはもう、男そのものに対する不信感としか思えない。


「どうかしたのですか?」


 ゼケンのピスティーが戻ってきた。

 エクトスピスティーは一転して明るい笑みを浮かべた。


「ううん。なんでもない」


「お前その顔エクトスにもしてやれよ」


「うっさい。それすっごい大きなお世話」


 エクトスピスティーは不機嫌そうな顔で言うと、ピスティーにはまた一転した笑みで『じゃね』と手を振り、屋敷のほうへ戻っていった。


「何話してたんですか?」

「…………お前の事大切にしろってよ」


 男に対してはどうかしらないが、少なくとも同性には、友達思いのいいピスティーのようだった。

 ただ、エクトスの苦労には、同情せずにはいられない。




 ゼケンはピスティーと共に朝市を目指した。


「ところで、なんでほっかぶりなんてしてるんだ?」


 ピスティーは朝に会った時から既に、面白みのない手ぬぐいで頭を覆っていた。黄金の長髪までローブの下へと入れているので、普段のオーラも半減している。

 少女の日の光のように輝く長髪が、ゼケンは好きだったから、物足りないものを感じずにはいられない。


「朝の光は起き抜けの髪によくないのです。つややかな長髪は日々のお手入れの賜物なんですよ?」

「そうなのか」


 ゼケンはまだ少女のことを何も知らなかった。


 まだ六時過ぎだというのに、ロランロランは既に目を覚ましていた。

 水場では主婦たちが水を汲み、パン屋からはパン酵母の焼けるいい匂いが立ち上っている。

 店の前で冒険者のパーティーが、何事か予定を話しながらサンドイッチを口にしていた。

 コーヒーショップの前を通り過ぎれば、ピスティーが心の満たされるような顔をし、ゼケンは目をしょぼつかせた。


「俺の鼻には、この匂いはきついらしい……」


「そうなのですか? ――でも、とてもいい香り。寄って行きたいです」


 少女が自分を優先したのは、これが初めてだったかもしれない。

 そしてゼケンは、尽くされてばかりの主ではいたくない。


「よし。試してみるか」


 コーヒーは一番安いものでも、一杯大クース銅貨一枚。

 二人はさっそくパン二斤分の出費をした。


 店先には仕事前の眠気覚ましを体に流し込む大人たちが何人もいる。

 二人もその中に混じり、立ったままコーヒーを飲んだ。

 ゼケンの鼻は香りを喜びもしたが、煙たがりもした。

 ただ隣のピスティーは、砂糖を三つも入れたコーヒーを満足そうに飲んでいる。


 ならばゼケンは、この程度の刺激に負けていてはいけないだろう。


「今日から修行だ。俺はどんどん強くなるぞ」


「そうなんですか?」


「力が必要だって思い知ったからな」


 昨日の一件を思い出したのか、ピスティーは少し顔を曇らせている。


「……頑張ることは、いいことだと思いますけど、無理はしないで下さいね?」


「いや、無理してでも強くなるぞ。無理せずに強くなろうなんて、そんな虫のいい考えの通用する世界じゃないだろ?」


 ピスティーは一歩も引かないという顔になった。


「無理こそ通用しない世界です。きっと死んでしまいます」


 少女の言う事は一理あった。

 現に昨日もゼケンは、無謀に酔っ払いに挑戦し、死の瀬戸際を体験した。


「そうだな。慎重さは、常に持つようにするさ」

「お願いしますよ? 本当に……」


 今日、ゼケンのピスティーは、ほかの魔術職の生徒たちと共に、各職能(アビリティー)ギルドへと洗礼を受けに行く。

 訓練はゼケンたち剣士や武闘家、狩人だけで行われる。


 場所はロランロランの東に広がる、魔境化した森林地帯だ。


 出現する魔物は多岐に渡る。

 オオカミやイノシシなどの獣。

 リスやハリネズミなどの小動物。

 アリやムカデなどの昆虫。

 人食いキノコなどの食獣植物。


 この世界での初めての訓練は、最初から実戦形式で行くと伝えられている。

 皆への見せしめの為なら、人一人を平気で殺す世界だ。

 いったいどんな訓練が待ち受けているのか、想像がつかないが、いい予感だけはしないのはたしかだ。


「……緊張していますか?」


 ゼケンの忠実なるピスティーは気遣わしげな顔をしている。

 嘘をついても誤魔化せはしないだろうから、ゼケンは白状した。


「まあ……少しはするもんさ」


「それでは、歌などいかがでしょう?」


「歌?」


 ピスティーは包容力のある笑みをフワリと浮かべた。

 コーヒーカップを足元へと置くと、透き通るような白さをした首筋をスッと延ばし、ラ・ラ・ラ、と、人の琴線を震わすような美声を発し、声の調子を確認。


 まさかここで歌い始めるのかと、ゼケンが目を見開いた時には、もう遅かった。

 少女の喉からは、天使の歌声と、ゼケンへの愛があふれ出した。


「ああ~、いとしのゼケン~、あなたわぁ~――」

「やめろ! よすんだ!」


 自分の名前が歌詞に織り込まれた“恥の劇薬”が振舞われるのを、ゼケンは間一髪のところで食い止めた。

 周りの大人たちが『照れるな』『綺麗な声してた』『止めるな』などと口々にゼケンを非難した。


「なっ、なんだ今の歌!?」

「題名は“いとしのゼケン~あなたとは永久とわ~”です」


 そういうことを聞いているんじゃない。そんな題名は断じて聞きたくなかったと、ゼケンは苦悶の表情をしている。

 少女も少女で歌を聞いてもらえないので不満げな顔をしている。


「昨日寝る前に考えておいたのです。ゼケンを勇気付けられればと、一生懸命、夜なべをして」


 少なくともゼケンの緊張を木っ端微塵にする効果はあった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ