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7・ひとすじの光明

 いつ終わるのだろう……この、悪夢は……残された私の生は。私は絶望していた。儚い希望を持たされたのは、それがなかったよりも遥かに残酷な仕打ちを受けたように思えた。


 だけれど。

 エールディヒは俯き、黙ったまま兄から預かった鞭を床に置くと、その手で私の手枷を外してくれたのだった。擦り傷が出来てひりひりする手首をさすりながら私は信じがたい気持ちでかれをじっと見た。いったい何を考えているの? 何をするつもり? 別の拷問? ……もう、希望なんか持ってはいけない、と私は自分に言い聞かせる。


 けれど、疑い深い目で泣きながらかれを睨んでいる私に、かれは頭を垂れた。


「マーリア……わたしは無実の者を拷問にはかけられない」

「エ、エーディ? わたくしを信じてくれるの?! ほんとうに?」

「貴女は泣きながら、女神の国に召される時まで眠っていたい、と言った……本当に邪神に身を捧げた者なら言う筈のない言葉だ。邪神に身を売った者は死しても女神の国には行けず、邪神の僕として醜い鬼と成り果て、永遠に邪神の国を彷徨うのだから。それに、拷問を前にしても絶対に折れない貴女の胆力……。本当に罪びとなら、どうせ死ぬのだからと諦めて、懺悔する事を誓う筈だ。自らの誇りを決して折ろうとしなかった貴女が、嫉妬から邪神に身を売ったりするわけがない」


 予想もしていなかったかれの言葉に、私は震えた。女神を信じる私の心が、かれの疑いを溶かしたのか。


「本来ならば、神託は絶対に疑ってはならぬもの。だが、それでもわたしには、貴女がそんな事をするとは信じ難かったし、更に拷問などと……それが本当に慈悲深き女神の望みなのか、と言いたかった。だが、口にした所で、貴女を生贄にして国が助かると信じている父上や人々が耳を貸す訳もないという状況。わたしが自由に動くには、わたしは疑いを招く行動をしてはならなかった。だから、兄上の前ではああ言うしかなかった。こんなに怯えさせ、絶望させて……どうか、わたしを許して欲しい」


 そう言うと、かれは清潔なハンカチーフで、涙でぐしゃぐしゃの私の顔を拭ってくれる。


「そんな、エーディ……あなたは騎士団長の名にかけて誓ったのに、その誓いを私の為に破ると言うの……。許して欲しいだなんて。わたくしの方こそ、あなたを信じていなかった……」

「無実の乙女を拷問にかけるような事が騎士団長の名に相応しいというのなら、わたしはそんな忌まわしい名は要らぬ」


 きっぱりとかれは言う。


「あなたの誇りだった筈なのに」


 国の剣となり盾となる騎士団長職を、どれ程かれが誇りにしていたか私は以前から知っていた。心から尊敬する父を、兄を、直接支え、王都からなかなか離れられない二人に代わって国中の平穏を護るのだと、就任した時に目を輝かせて語っていた様子が頭を過った。だけれど彼は首を振って、


「ひとりの命も守れぬ者が、どうやって国中の民の命を守れようか。わたしの誇りは、大切なひとを守れる人間である事。肩書などではない」


 と言う。


「でも、どうしてわたくしをそんなに大事にしてくれるの? アルベルトさまでさえ、あんな……」

「それは……」


 私の問いにエーディは何故か言葉を濁す。そこで私は質問を変え、


「じゃあ……どうして私を信じてくれるの? 神託が絶対と信じるこの国の民ならば、さっきあなたが言ったことなんか、そもそも気が付きもしないと思うわ」

「わたしだって、神託は絶対だと思っている。女神は決して間違わない。女神への信仰が薄れれば国は亡びる」

「なら、どうして」

「女神は間違わないが、その神託を伝える巫女姫は女神ではなく人間だ。人間は間違うこともある」

「……ああ」


 誰もが、ユーリッカのもたらした神託を疑わなかった。厄災が次々と起こるようになって以来、密やかに、巫女姫の力が足りないのではないかと囁かれていたのに、人々は、『私を魔女として処刑すれば国は救われる』と、誰にでも解りやすく私以外の誰も傷つかずに救われる道を提示された瞬間、救い主とばかりに巫女姫を信じた。だけど……このひとは、この、当たり前の事を、見失わずにいてくれたのだ。

 

『人間は嘘を言う。だが神の言葉は嘘を吐かない』


 王太子の言葉が思い浮かぶ。そうだ、結局彼は、私よりユーリッカを信じた。それだけのことなのだ……。


「ありがとう……ユーリッカよりわたくしを信じてくれて」

「よしてくれ、礼なんて。肝心なのはこれからだ。貴女を無実と知りながらも、貴女を処刑せねばならぬ現状……わたしも王家の者として、表立って神託を疑う姿勢を見せる訳にはいかない。まずは、時間を稼がねば」


 そう言うと。

かれは再びあの鞭を手にしていた。

 ひゅん――と鞭が宙を切る。訳がわからず、私は思わず目を瞑り、


「ああっ!!」


 と悲鳴を上げてしまう。だけど。何の痛みも訪れない。ぽたり、と何か液体が床に垂れる音がし、血のにおいがする……のに。私は恐る恐る目を開けて、振り返った。


「……っ」

「エーディ! なにをしているの!」


 血を流していたのはエーディだった。かれは自分の太腿にしたたかにあの鋭い棘の付いた鞭を打ちつけていたのだ。


「なぜ。なにをしているの!」


 傷口からは真っ赤な血がどくどくと流れ出している。


「……わたしはこれくらい平気だから」


 エーディは、先ほど王太子が破り、立ち去る時に投げ捨てて行った私のドレスの生地を、自分の傷口に押し当てた。黄色い繻子が、見る見る血に染まってゆく。


「このドレスの布地を、父上と兄上に届けさせる。これ程に拷問しても無駄だったと……」


 そう言うとかれは大きな掌を私の肩に置いた。その銀の瞳は、大きく揺らいで、少し濡れているように見えたのは、ランプの光が見せた錯覚かだったろうか?


「すまない、マーリア。魔女の烙印から貴女を解放するにはわたしがあまりに無力なこと。それでも……わたしは貴女と共に最後まで抗いたい。抗わせて欲しい」


 息を呑みこんでかれを見つめる私に、かれはそう言い、深く頭を下げた。

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