1【いらっしゃいませ】
1 【いらっしゃいませ】
その屋敷は、広く大きく、そして美しく聳え立っていた。
ただし、門は朽ち果てていた。
両開きの扉の鉄格子はひしゃげ、雑草は生い茂り、
門番の役目たる番兵石像も、どこかの王が壊したよりは慎ましいが、頭が欠けている。
もう片方は翼さえない。
廃墟――
そんな廃墟を、たまに訪れる者たちが居る。
旅行者。冒険者。放浪者。
ようするに、森を通る者たちなのだが。
日の落ちた森で、然様の大きな館は救いには違いない。
逆に日の昇る日時には、森にぽっかりと空いた巨大な空間を形作る、異様な威圧感に恐れを抱くかもしれない。
元はこの地に飛ばされた貴族の屋敷であり、
戦時に没落した地でもあり、
今では、旅人たちの野営地となっている。
下手なテントより頑丈であり、雨宿りは無論、多少の設備も残っており、たまに金目のものが見つかれば路銀の足しになる。
そんな場所で、
そんな屋敷で――
今現在、そこで居座る者あり。
粛清者、の少年ではない――
では、幸薄い少女の姿――ではない。
ならば、勇者王と愉快な仲間たちか? 違う――
では、誰か……
今、大広間に来客が現れる。では、彼女に……説明してもらおう。
私たちが両扉を開くと――先客がいた。
私たち以外にも、この森を抜けようという旅人さんだろうか?
その先客は――眠っていた。
大広間、にこの館の庭かどこかにあったであろう、簡素なテーブルと簡易椅子を敷いて、背もたれを後ろに倒して、
その少女は、眠っていた。
寝息が聞えるほど、室内は静だ。
ただ、様相が……少し、いや――
かなり、変だ。
「おん、なの子?」
クリスが声を出して首をかしげる。
戸惑うのも仕方ないと思う。
女の子が着るには似つかわしくない。
全身黒衣、くわえて――あれは、アイマスクなんかじゃない。
手拭か何かだろう、黒い布状のものが目元を覆って、少女の表情を隠している。
……この前死んだ、おじさんが浮んだ。
または、縛られて動けない、そう――拷問されているような、そんな印象さえ浮んだ。
「……誰だ」
警戒心は、私だけではなかった。
おじさまですら、彼女に戦慄している。
テーブルにはティーポット、椅子は三脚、うち一脚に少女が。
不意に、少女が立ち上がる。
……伸びをした。
骨と筋肉がパキポキと鳴った。……寝すぎ?
こっちを向いている、ような気がする。目隠しでよくわからないのだ。
あ、首を傾げた。
手招きしようとしたのか、どうしようとおもったのか、考えあえいでる?
と、クリスが勇敢にも進んで、少女と面向かう。
「君は誰?」
「……」
無言――でも――
『私は、レメラ――放浪者』
……文字が浮んでいた。
『ワケ合って、私は喋りません。だから、筆談を使います。ご無礼を』
「……閃光魔術、か? 昔見せてもらったものに近いが」
おじさまが近づいて、少女が身を強張らせる。
『貴方たちは? 誰?』
「俺はクリス。単なる保護者だ」
「私は―――。彼らの護衛兼、案内人だ」
「あ、えっと、私はアリス。お父さんを探しているの」
少女は――表情が見えない。
背丈に関しては私よりちょい、下? 子供だ――
なんで、こんなところに?
少し躊躇してから、少女は空に文字を描く。やはり光る指先で、流麗な線を描く。
『魔術に関しては知りません。勉強せずに習得したので。
私はここで姉を待っています。長旅で疲れたので休息を――』
「同じく似た様なもんだ。今日はここで寝泊り、って時間帯でな」
『もうそんな時間なのですか。姉さん、遅いです』
小さくため息。
少女の瞳は伺えないが、どうやら休みすぎて疲れたような――
『……せっかくですから、お茶でもどうです?』
書き出したのは、彼女が先だった。
さて、レメラについては筆談から得た話をまとめてみる。
彼女は姉二人と旅する、放浪者。
――旅人には何種類かいて、戦地や洞窟など危険にわざわざ飛び込もうという冒険者。
彼女らのように、当てもなく各地を転々とする、放浪者。
そして、故郷を持ちながらそこを起点に気ままに旅する、旅行者。
彼女たちには、故郷がない。
言われて納得できた。娘三人で当てのない旅など、危険極まりない。
旅行者なら旅の際に護衛を雇えば良いが、他は違う。
冒険者は危険が伴っての商売だが、放浪者には伴う障害にすぎない。
故郷がないと言うのなら、理解のできること。
レメラはいくつかの旅話を聞かせてくれた。
……何でも、姉二人は凶悪に強いらしい。
大型剣を片手で振り回す長女に、
魔術、武術、あらゆる戦闘技術を備えた優しい次女――
……そして、彼女は『歌手』だと言う。
「あ、歌えるんですか?」
小さく頷くが、
『訳あって、普段は声を発して歌わない。いや、歌えないのです』
と、申し訳なさそうに首を横に。
アイマスクの下で眉が歪んでいたのがわかった。
「歌えない事情でもあるのか?」
レメラは何か書こうとして、ためらってから――こう記した。
『私は、自分の能力故に、歌しか歌えないと言う特殊な体質を持っているんです』
「……魔力異常飽和」
不意に、おじさま。さり気なく猫舌で、レメラが淹れたお茶を口先で冷ましているのが面白い。
「戦災孤児に現れる、特殊な疾患。
人間の体内には基本的に、循環される魔力量――魔術を扱う際に消費するエネルギー、が一定率、決まっている。
が、戦時中の大戦で流れた、死者の魔力が、生き残った子供たちに流れ込んで、飽和している状態だ。
この子供らは通常より強力な魔術を操れると言うか、残念だが長くは生きられない。
魔力に溺れすぎて廃人と化すか、禁断術に手を染めて魔人となるか――この子供らを使って強力な兵団を作ろうとした奴が居たが、その子供らに逆に殺される始末だった、とか」
「どうしてです?」
合の手を打つのはクリスだ。こういう話渡りは私より上手い。
「能力の暴走――そしてその子供たちの戦争での恐怖が、魔力を使い物にならなくしている。
それを無理矢理使わせようと言うのだ。子供たちは自決したり、調教者たちに刃向かい――ある強大な力を持った少女に滅ぼされたらしい」
へぇ〜……。
『たぶん、違います』
と、文字が躍る。
『私や姉さんたちもそうですが、基本魔力量は一般並だと思います。
実際、私の声は魔術とか、そう言う因子ではないんだと思います』
「ふむ……では、何だと?」
『体質――』
……体質?
『私たちは、生まれすらわからないのです。
父や母がいるのだろうか? それこそ、人間なのだろうかどうか――』
……お茶をすすりながら、とんでもない事を言い出す。
「人型の魔族、だとか?」
『それしか考えにくいんですよ。自分たちの異能を説明するには』
――――?
他者の気配。それは私ですら気付ける、大勢の、大所帯の気配。
両扉が叩き開かれ、日暮れの陽光を背負って現れたのは――
『我は勇者である!』
……裸の王様でした。