6【どうぞごゆるりと……お休みください】
「――絶望を――痛みを」
……何が、どうなってやがるんだ。
あの黒いお姉ちゃんの背中から、あ、アズリエルが、生えている――
君の悪い光景に、思わずアリスを抱きかかえて眼を伏せさせた。
アリスも体を縮めていたので容易かった。
何より、あの体位は――
絶対殺害確定状態。
「……下します」
……あ……
嗚呼……
やっちまいやがった――
赤、紅、アカ、――
鉄錆びた、匂い――
誰かの死ぬ匂い――
なんだ、魔族も人も、死ぬのは、同じなんだ――
「……なっ――」
王が、背後で起こった事態に、硬直――
「な、ぜ――」
「たいした事じゃないわ。混沌に実体が無いなら、実体に混沌を押し込めばいいだけじゃない」
何事も無かったように、眠たげな声のまま――アズリエルは告げる。
「だから、水を殴って駄目なら。器に入れて殴っちゃえって暴論よ。
単なる水だったら零れるだけだけど――どう? 人間の体の痛みは?」
――人――間?
人間――
「なまじ、混沌なんて不定形、実体無しの化け物なんて、たいてい肉の体に押し込まれたら――」
「ま、まさか貴女! 『人間の体を創造』したって言うんですかッッッ!」
白い騎士の少年隊長が、全霊を込めた雄たけびを――あげる。
「そうよ、坊や。何かおかしい?」
「不可能だ! 物質や精霊の媒介ならまだしも――生きた人間を形成なんて――」
「できるんだから良いじゃない。それに、生きた精神だったら――造るまでも無いし。
あくまで痛みを与えるための器――でいいんだから。
精神体の化け物なんてね、なまじ痛みを知らないものだから――」
倒れた女王をあくびをかみ殺しながら見下ろし、アズリエルは告げる。
「……こんなあっさり死んじゃうし」
「貴様ぁぁぁぁぁ! 万死に値すッ――」
「あたしが万回死ぬ間に、貴方は無限に殺され続ける」
怒り狂った王――絶望を拳に乗せた王は――
――腕を切り落とされた。
「私、あんまり自分の武器や技に名前を付ける主義じゃないの。
小説みたいに馬鹿みたいに名前なんてつけるものじゃないわ。
現実の殺し合いで、自分の技を叫ぶ余裕はおろか、教えるなんて、私にはそんな自信はないわ。」
また、武器を――今度は黒衣の下から、長柄の刃を生み出して――
「でもね、伝統は重んじるべきでもあるのよ。武術ってのは人が生み出した文化でもあるのだから。
だから教えてあげる。今のは抜刀術――本当は心臓部に掛けて、人体の動脈に添っての抜刀――
……名を、【血桜】――」
たしかに、血桜――に相応しい。
舞い散った花びらが、アズリエルを彩る――
肘から先を失った王は――
「え、エクスカリバー!」
『――あぁ!』
愛剣を残った腕で振り払う――初めて王が剣を使い、その刃から光が――
「抜刀術は振り抜いた後の余韻が隙となる。故に――返し剣」
アズリエルはそれに、回転で答えた――
振り抜いた刃を――その勢いのまま片足を軸で回転し、
「邪剣術になるわね。これは武術には及ばないわ――」
エクスカリバーの聖光を、血塗られた刃が叩き飛ばす――
「単なる大振り」
いや、彼女の勝ちか――エクスカリバーは音こそ立てないが――刃先から刃筋まで、すべてがボロボロに砕かれ、
アズリエルの刃は、中心から折れてしまった。
自然、当然の結果。
――勝敗は決した――
刃筋の無くなったエクスカリバーは彼方へ、
半ば折れた剣の、折れた先を王の首へ――刃はまだ、死んでいない。
「わかった? 坊や」
……いか、……へいか――
微かな響き――
首筋の刃を気にも留めず、王は駆け出した。
愛する人の――愛した魔族の下へ――
アズリエルは、ただ眠そうにそれを見送っていた。
『わざと?』
「うん――」
レメラの文字に、アズリエルはやはり眠そうに頷く。
「エンキドゥ! エンキドゥッッ」
「あはっ……陛下……召し物が、汚れてしまいま……」
「我は裸だ。腰物など、お前の血でなら本懐であろう――」
「あはっ……陛下、ご、ごめんなさい――」
「何を謝るかっ! お前は、お前は……誰よりも、我に仕えてくれた……」
巨漢の少年は涙で顔をくしゃくしゃにし、
魔族の娘は全身を引き裂かれたまま、囁く――
……僕は、俺は――
それを、とても痛く苦しいと思った――
見ていられない。でも、見届けなきゃいけない――
そんな、使命感めいた、何かが――僕にあった。
父さんのときとは、違う。
だが――その使命は一瞬で終わった。
終わったあとに、瞬きの時間すらない――
――せっかく、人になれたのに――
――陛下の子供、生みたかっ……――
……耳に、焼きついた。
続いたのは、号泣――
館内を震撼させる大男の泣き声に触発されるかのように――