天使と悪魔
教会は静謐な雰囲気に包まれていた。
午後のゆったりとした時間に訪れる人は無く、ただ一人、純白の服をまとった少女だけが、祭壇に向かって跪き、祈りを捧げている。
彼女の背には、翼があった。鳩を思わせる純白の翼に、甘い蜂蜜色の髪がかかる。一心にキリスト像を見上げる瞳は空のような青。それはさながら絵画のようだった。
「イヴ。イヴ、ここにいたんだね」
不意に声が聞こえて少女が顔を上げた。振り返った先には、教会の扉を開けた優しい笑顔の神父がいて、彼女――イヴはゆっくりと立ち上がる。
神父はイヴの育ての親で、この教会の司祭だった。
三十代半ばには見えないくらい若々しく、長身痩躯の背筋をぴんと伸ばす姿に常服がとても似合っている、とイヴはいつも思う。
「神父さま。なにかご用ですか?」
「うん、これから少し出てくるから、留守番を頼もうと思ってね」
神父は目の前で立ち止まったイヴの頭を優しくなでた。そのぬくもりにイヴは目を細めて、それからにっこりと笑った。
「夕暮れまでには帰るからね」
「はい」
イヴがそう頷いたのを確認すると、神父はもう一度優しく頭をなでる。そうして礼拝室を出て行く背中を見送ったイヴは、お祈りの続きをするべく踵を返した。
祭壇を仰ぎ、ふわりと跪く。手を組み、ぱさりと羽を動かすと、風にスカートの裾が揺れた。
イヴは、毎日時間があればいつだって祈りを捧げていた。祭壇の前に跪き、ただひたすらに、問いかけ続けているのだ。どうして、自分の背に羽があるのか、を。
(どうして、私には翼があるのですか)
いつからこの背に翼があるのか、イヴは知らない。赤子だったイヴが教会に来たのは、生まれてまもなくの頃だったのだと神父は教えてくれた。そして、その時にはもう、小さい羽が生えていたのだと。
けれど、羽は体の成長とともに育っても、空を飛ぶことは無かった。ぱさぱさと動いても、柔らかな風が起こるだけ。小学校の頃には服の中にしまっておくことが出来なくなるほど大きくなって、そのせいでいじめられたりもした。学校には行けなくなり、外へ出ることさえ躊躇われて――だからイヴは問い続けるのだ。どうして、羽をもって生まれてきたのか。その意味を。
と、不意に物音を聞いた気がして、イヴは祈りの手を下げた。
耳を澄ますと、遠くの方からなにかが破裂するような音が聞こえる。それとともに男の怒鳴り声も。ただ事とは思えない物音に、イヴは立ち上がった。そろりと窓のほうへ近づき、外を見てみれば何人かの人影が見える。
(なに、あれ)
見えた人影はみんな男だった。
何人かの男が、なにかをわめきながら一人の少年を追っていた。男達の手にはなにか黒いものがあって、それから破裂音が響いているようだった。