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ネクロノミコンの後継者  作者: ロキ子
夜明けの訪問者
2/3

魔術師、ネロ。

 春の香りが頬を撫でる。木々の隙間から差し込む木漏れ日が、きらきらと揺らめいて思わず目を細めた。小鳥のさえずりが木霊して心地よい。

 ゆっくりと体を起こす。視界に広がる畑の海と、ぽつりぽつりと点在する家々が穏やかな陽に照らされて一層とのどかさを感じさせる。よそ風に揺れる道端の花も草木もが、この村の平穏さをより確かなものにさせているだろう。

 「リラ様、リラ様ぁー」

 そんな風景をぼんやりと眺めていると、背後から自分の名を呼ぶ声がした。

 振り返れば、修道服に身を包んだ少女が息をやや切らしながらこちらへかけてくる。

 「はあっ、はぁっ……リラ様、またこんな所で……午後の礼拝がもうすぐですよぉ…」

 村全体を眺めることができる、小高い丘を急いで駆け上がろうとするのならば息も絶え絶えになるだろう。息を整えながら汗を拭く少女に申し訳なさそうに苦笑しながら、腰をあげた。

 「ごめん、アンナ。あまりにも天気が良くて」

 「昨日だってそう言ってたじゃないですか。もう」

 「そうだったっけ?」

 とぼけるように笑ってみせるとアンナは不機嫌そうにそっぽを向いた。それがほんの少しだけ可笑しくて、笑うのを堪えながら不貞腐れる彼女の頭をぽん、と叩いて手を引く。ぎこちなさそうに握り返す彼女の手は、豆だらけで痛々しかった。

 「……今日も頑張ってたみたいだね」

 そう声をかけられるのが意外だったのか、はたまた気恥ずかしかったのか、アンナは目をぱちくりさせた後、頬を僅かに朱に染める。

 「わ、私はっ、リラ様のように特別な訳じゃないですしっ……春になったのだから、修道院のみんなと一緒に畑仕事するのはいつもどおりですし……っ!」

 目を逸らしながらやや早口に答えるアンナに苦笑しながら、ゆっくりと丘を下り始める。

 彼女が特別というように、自身の風貌はこの村にとって異質なものだった。

 この土地で生まれ育つ人間は基本的に黄色人種で、赤毛か茶髪の人間がほとんどだ。しかしリラは、この土地で生まれたにも関わらず、純白の髪に、銀灰色の瞳、さらには透けるような白い肌を持っていた。リラを一言で形容するのなら、万人が「すごく白い人」と答えるだろう。

 そんな異質な容姿のせいで、リラが産まれた日はお祭り騒ぎだったという。性別が女であったのなら、聖母の誕生だなどと喚いて突飛な村の伝承を作り始めたに違いない。

 そんな出生があるリラは、協会の神童としてかなり厚い待遇を受けていた。自分でやると言っても、身の回りのことは何かと言って協会の修道女や、たまたま参拝にきた村人が手伝ってしまう。力仕事をしようとすれば、「リラ様はそんなことしないで下さい!」と説教をされ、鍬や工具を取り上げられてしまう始末であった。大事にしてくれるのはとても嬉しいのだが、過保護がすぎやしないかと最近は思っている。つまり、やることがなくて暇になってしまうのだ。だからこうして礼拝の時間ギリギリまで読書をするか、あの丘の上で自然と戯れているかぐらいしか暇をつぶせることがリラにはなかった。

 「特別、っていうのもなかなか不便なんだけどな……」

 思わずぼやく。それが意外だったのか、アンナは少し目を見開いてリラを見つめた。

 その視線を受けて自分が変なことを口走ったのだと悟り、頬がかぁっと熱くなる。

 「ああ、うん。なんでもないよ」

 慌てて誤魔化すも、説得力がない。軽く頭をかいて困ったように視線を道端へと逸らす。

 「なんかびっくりしました。リラ様って、こう、いつも一人でいらっしゃって、何をお考えになってるかアンナには分からなかったので……」

 今度はリラがきょとんとする番だった。確かに、することが無さすぎて一人で読書や散歩に明け暮れることはあったがまさかそう思われていたとは。

 よくよく考えればそう思われるのも妥当なのだが、未だ齢十四であるリラにとってそういった行動による自身の印象がどういうものになるか、という考えはまだ無い。

 リラと同じくらいの少年少女達は、丁度反抗期を迎える年頃である。善悪を学ぶためになりふり構わず自由奔放に自分のやりたいことをやり、何か制限されれば反発する。対してリラは、自分の待遇にやや不満を感じることはあれど、礼儀と節度を持ち、誰にでも優しくするという教えを律儀に守っている。そう考えれば、リラは神童と崇められるような大層な存在ではなく、彼らと比べて手のかからない子供の部類になるのだろう。

 「でもリラ様も不満に思うことってあるのですね。リラ様の意外な一面を見れた気がして、アンナ、少しだけ嬉しいです」

 くすくすと笑うアンナに釣られて、リラも笑った。リラもまた、少しだけ自分を理解してもらえたようで嬉しかった。

 丘を下りきり、小道に沿って歩くと協会が見えてくる。太陽が丁度真上を通り過ぎるので、午後の礼拝までもうすぐだ。まるで惜しむようにアンナがリラの手を離す。その手を自身の胸にきゅっと押し付け、「よし」と呟いてリラに向き直った。

 「さぁリラ様。午後の礼拝が始まってしまいます。少し急ぎましょう!」

 寂しさを湛えたアンナの笑顔に、胸の奥が軋むように傷んだ。

 リラから手を繋いできたとはいえ、神童と崇められつつあるリラと手を繋いで帰るなど以ての外である。それを察して僅かに寂しさを覚えるが、自分の待遇を何より理解しているのはリラである。

 微笑み返して頷きながら、二人は小道を小走りで駆けていく。

 そよ風が、リラの純白の髪を撫でた。

 ──出来ることなら、俺の待遇なんか気にしない人が現れてくれないだろうか。

 奇跡でも起きない限り、実現しないであろうそんな願いに思いを馳せながら、リラは協会の重い扉をゆっくりと開けた。



 「おや」



 澄んだ、落ち着いた女性の声音。

 結論から言ってしまえば、奇跡は起こったのかもしれない。

 扉を開けた先には、黒いローブを纏った白髪の女が司祭達と向き合っていた。話をしていた途中だったのだろうか、この村の協会の第一人者であるディアス司祭の口が開きかけている。女の視線はリラを捉え、リラもまた女に釘付けだった。澄ました表情から察するに、女にとってはリラはちょっと特別な存在止まりなのかもしれない。しかしリラにとっては別である。自分と同じ純白の髪に並々ならぬ激情を抱いた。

 「リラ、丁度良いところに。こちらに来なさい。アンナは礼拝の準備を」

 司祭の声で、リラは我に返る。隣に居たアンナもリラと同じ女の髪の色に我を忘れたに違いない。アンナは他の修道院の人を呼ぶために外へ戻り、リラもまた、慌てて司祭の隣まで歩く。

 リラが隣にぴったりと並んだのを確認して、ディアスは口を開いた。

 「この方は──」

 彼の言葉を遮るように、女が小さく手を上げる。そして改めてリラに向き直り、ローブの裾を軽くつまんで、上品に頭を下げる。動きに合わせて、純白の長い髪がはらはらと女の肩から溢れた。

 「各地の魔術知識を探求している旅の魔術師、ネロと申します。暫くこちらに滞在することになりました。よろしくお願い致します」

 不思議な重みと優しさ、そして知性を感じさせる声音は聴く者を魅了するに違いない。

 「リラ・ハイデリオンです。よろしくお願い致します……」

 リラの名前を聴いて微笑み返されたネロの表情に、見惚れなかったといえば嘘になる。彼女の黄金色の瞳は太陽のようで、桜色の唇は色白の肌も相まってより鮮やかに映える。耳にかかる長い髪を右側だけ三つ編みにし、碧色の宝石のようなものが嵌った菱形の髪留めもよく似合っていた。黒いローブは素人が見ても上等なもので、細やかな刺繍と装飾が目を引く。魔術師というよりは、どこかのお姫様のようなネロの姿に見惚れない男がいるのだとしたら、そいつは一生異性に好意を抱くことはないだろうと断言できる程、彼女の容姿は異常なまでに美しかった。

 「……という事だ。リラ、滞在する間、この方の世話役を頼みたい」

 ディアスがちらりとリラを見る。まさか、自分がそんな役を任されると思ってもいなかったので、無意識に目を瞬かせてしまった。

 「なんでも、国に認められた数ある魔術師の方でな。下の者で世話をするには申し訳ないだろう」

 ディアスの言葉の意味がいまいち掴めず、視線をネロに移すと、彼女は首から下げたネックレスの装飾をリラに見せる。

 リズヴェーン王国の国花であるベロニカが彫られた白金のプレートは、職人が手作業で作ったのであろう。ベロニカは勿論のこと、淵を彩る細やかな装飾がまた美しい。間違いなく国王から直々に授かる、リズヴェーン王国宮廷魔術師を証明する勲章である。一般人であるのなら、ネロのような凄腕魔術師をお目にかかる機会なんて間違いなく無い。ごくりと生唾を飲み込むのが自分でも分かった。

 「私はお構いなくと言ったのですが……」

 申し訳なさそうにするネロに、少しドキリとする。美人はどんな表情であっても相手を動揺させることが出来るんだな。と、どこか白々しく思った。

 「いやいや、そんな訳はいきませんよ。リラ、任せて大丈夫ですね?」

 「は、はい! 任せてください」

 緊張のあまりうわずった声になってしまう。恥ずかしさで頬と耳が熱い。

 「それは頼もしいですね。リラさん、数日の間ですがよろしくお願いします」

 くすくすと笑うネロの笑みに、先ほどの小さな失態を悔いた。いつもならしっかりと返事が出来たはずなのに。いつもならもっと格好良く振る舞えたはずなのに。

 所詮、齢十四歳の少年である。女性の前で格好をつけたいという姿勢はませがき(・・・・)も良い所で、美人相手なら尚更だろう。そんなのは本人の知る由もない話である。

 「それでは礼拝がありますので」

 ディアスが軽く会釈をすると、ネロも頷いた。

 「ええ、私は礼拝が終わるまで……そうですね。近くにある丘の上で村を眺めているとします」

 小首をかしげて思案する仕草もまた、リラを魅了してやまない。

 「では、リラさん。礼拝が終わったら村を案内してくださいね」

 とびきりの笑顔をリラに向けて、ネロはゆっくりと協会の扉へと歩いていく。その笑顔を受けたリラが、彼女が協会の扉をしめるまで顔を真っ赤にしながら惚けていたのは言うまでもない。

 「……リラ、本当に大丈夫ですか?」

 ディアスも、一連のやりとりを黙って見ていた他の司祭達もやや引きつった顔でリラを見る。

 「だ、大丈夫です! ほんとに任せてください!」

 念を押して言えば、協会に神童と崇められつつあるリラもやはり人の子で、一人の少年にすぎないのである。

 修道女達もちらほらと可愛い子は勿論いる。が、ネロの美貌は次元がいくつも違った。初めてあんな美人を目にすれば、思春期真っ只中の少年の心理は穏やかではないだろう。

 それを司祭達は理解しつつ、やや不安に思いながら、午後の礼拝の準備を始めるのであった。


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