死神と光の翼
死んでからわかる世界の仕組みというものがある。自殺した人間は死神となる、それが一つの例だ。
すべてのことから逃げ出して楽になりたいと願った。しかし、逃げた先に救いはなかった。消えてしまいたい、その願いは叶わなかった。
最後の審判というものを知っているだろうか?おおざっぱにいってしまえば、最後の審判ですべての死者はよみがえり新たに裁きを受ける。裏を返すとその時まで魂が滅びることはないということらしい。おれたち人間は天国か地獄で消えることもなくその時を待たなければいけない。
しかし俺のような自殺したものは例外で、死神としての職務を全うすれば天国、できなければ地獄でその時を待つという二択になっている。
キリスト教というのはかなり世界の真理を言っているようだ。キリスト教が戒律で自殺を禁止しているのは本来このためであるのだとか。
とにかく俺は死神となった。職務を全うしない限り俺はいつ来るかもわからない審判の時まで文字通りの地獄を味合わなければいけなくなる。
俺は生前誤解していたのだが、死神とは人を殺すものではない。死んでしまった魂を導くのが死神だ。俺たちは外見的には画一的で、生前の容姿に黒のスーツ、その姿で固定されていて変えることはできない。ありがちな鎌を持つということもない。
職務を全うするにはノルマ分魂を集めなければいけないが、最近自殺者が増えているらしく、死神同士の競争も激しくなっている。まぁ、俺も少し前に競争率をあげてしまったほうなので文句は言えないが。
―――反応が弱いな。
反応というのは今、俺の脳裏に引っかかった感覚のことだ。
死神の仕事は基本的に待ちの姿勢だ。おれたちは人間が死ぬという気持ちに敏感に反応する。それから感じた場所へ向かう。しかし、人が死んだという事実に反応するわけではないので実際に行ってみてもその人間が死んでいるとは限らない。交通事故にあって死ぬと思った人間のところに行ったら2,3日の入院で済んだり、真っ暗な道で声をかけられて殺されると思ったら財布を拾ってくれただけだったり、自殺をしようと思い詰めていたら家族に止められたりする場合だって多い。逆にいえば自分の死を認識していない魂は俺たちに回収されずにこの世をさまようことになる。そのような浮遊霊や自縛霊を回収すれば俺たちにとって高得点、死神から解放されるのが早くなる。
話がそれてしまったが、つまり反応が弱いということは実際に死んでいない、これから死ぬ可能性が低いということだ。どうしようかと思ったが今は競争率が高い、わずかな可能性も見逃すべきではないと判断した。
俺は大体いつもいることにしているビルの屋上からななめに飛び降りた。俺たちは物理法則に左右されない、いや干渉できないと言ったほうが正しいだろうか。幽霊のように飛び、壁をすり抜けることができるが何かに触れることはできない。
単なる景色に過ぎなかった街の灯がみるみる間に迫ってくる。視界に様々な色をした光が踊る。ほとんど自由落下に等しい速度を出しながら、しかし恐怖はない。すでにそんな感覚は麻痺している。
―――西に1km
誰かが死んでくれることを祈りながら俺は空を舞った。
反応を感じるまでが待ちなら、現場に来てからも待ちである。物理法則に干渉できないということは、目の前で誰かが死のうとしていても止めることも背中を押すこともできないということだ。
俺は今かみそりを手首にあてて緊張している少女を天井に逆さまにヤンキー座りをしながら眺めていた。(ちなみに何かに足をつけて姿勢を安定させることを接地という)俺が来てから10分近くこの調子で、その間に3人ほど同業者がやってきたのを追い返した。年功序列とかは何もなく、この世界は完全に早い者勝ちの世界であり、先客がいた場合は引き返す、それがマナーだ。
「あらごきげんよう」
4人目がやってきた。
「これはこれはどうもご丁寧に、天使さん」
正確には同業者であって、同類ではない存在だったが。
手首、足首を包み隠すようなシンプルなデザインのワンピース、その色はどこまでも白くまるで光り輝くようだ。そしてこの表現はあながち間違いではない。彼女の背中に見える自然の中に暮らす鳩のような純白の翼、それが光を放っており、ワンピースがそれを反射しているのだ。
天使というものは敬虔なシスターが死ぬとなるものらしい、生涯だけでなく死んでからも神に身を捧げるご苦労な連中だ。彼女たちの多くは死神を見下している。彼女たちにとって俺たちは宗教戒律を破った背信者だ。まぁ、俺からするとキリスト教信者というわけではなかったのだからそんなゴミ虫を見るような眼は遠慮したいのだが。
「どうでしょうか、調子は?」
けれど彼女は例外のほうに分類されるようで、俺に対して普通に接してきた。たまにこういうやつがいるのだと聞いたことがある。
「どうですかこの娘は?」「見ての通り、この分じゃ手首を切ったとしてもあまり深い切り方にはならないだろう。期待はしないほうがいいだろうな」
「私にとっての期待はこの娘が助かってくれることなんですけどね」
彼女は哀しそうに微笑んだ。
「どうしたんだ?」
俺の説明からは彼女の望む結果を導く発言だったはずだ。
「切ってしまったらおそらくこの娘は助からないでしょう」
「どういうことだ」
彼女は依然として哀しそうな顔のまま、
「あなたがここにいる間にこの家の中を見ていたんです」
「それは気付かなかったが、それがどうした」
「この家には彼女以外の人がいません」
「……」
「詳しい事情はわかりませんが他の部屋にはうっすらほこりが積もっています。タイミング良く誰かが来るなんてことはおそらくなく、手首を切ってしまえば出血多量で死んでしまうでしょう」
「……そうか、じゃあノルマに一つ近づくな」
俺の言葉を聞いて、いや俺の顔を見て彼女の哀しげな笑みに別の色が浮かんだ。
「……どうしたんだ?」
「いえ、あなたは優しい人なんだなと思いまして」
「……どうしてそんな発想になるんだ?」
俺の言葉はむしろ、というか完全に逆の印象を与えるはずだ。
「自分では気づいていないんですね」
「何がだ?」
「あなたはすごくつらそうな顔をしています。泣きたいのにそれを無理やり我慢している顔を」
そんなことはない、むしろつらそうなのはお前のほうだろう、そう叫びたかった。叫びたかったのに、彼女の顔を見ていると何も言えなくなった。
―――こんな少女が死んだところで何も感じるはずがない。
心の中で否定しながら俺は、少女の行為を見続けた。
「…………だからそんな顔で笑わないでくれ」
天使に向けたつぶやきは誰にも届くことはなかった。
夜が明けるころ、彼女は決断した。助けは誰も来なかった。
彼女の体から離れた魂はとても、とてもきれいだった。きれいすぎて寂しくなるほど、純粋すぎて哀しくなるほど。
「―――ご苦労だった。下がってよいぞ」
「……はい」
魂を届けた俺はいつもたたずんでいるビルの屋上にいた。
考えていたのは天使の言葉。
『あなたは優しい人なんだなと思いまして』
そんな事を言われたのは死神としてすごしてきて初めてのことだった。いや、あんな風にまっすぐと見つめられながら言われたことはまだ俺が生きていたときだって無かったと思う。
おれは決して優しくなんてない、それは自信を持って言える。しかし、あの言葉の後少女の死がこれまで以上につらく感じたのは事実だった。もしかすると最初から悲しかったのかもしれない。自分と同じことをしている少女に、多くの人たちに。
「……くそっ」
それでもあの天使の言葉がなければ俺がそれに気づくことはなかった。こんな後味の悪い気分から背を向けることができた。
やり場のないいらだちを胸に溜め、俺は空を見上げた。真っ黒な空はまるで俺の心のようだった。この都会では晴れることのない永遠の暗闇。
―――反応!?
そんな時に感じたのは、ひどく弱い気持ちの動き。この程度だとあまり来るやつはいないだろう。
迷いの見えるこの死にたがりの気持ちは、……また自殺者なのか。また、昨夜のような気持ちを味わうのだろうか?
迷いの内にも身体は動く、単なる惰性によって、ゆっくりと……
「はははハハハはハハハは、ようやく、ようやく死にやがった! さぁ、吐き出せテメエの恨みを、この世に対する不条理を、テメエを絶望させた奴らへの呪咀の言葉を!!」
そうして時間をかけてたどり着いた先には壊れたように笑う男と、身体から出た魂を掴まれてうめく少女がいた。
「……何を、しているんだ……?」
物理法則に干渉出来ない。しかし、道を外れた俺たちと同じものになら触れることが出来る、男が少女を掴む目の前の光景のように。
「何を!? 何をだって!? 俺はこいつの悩みを、未練を聞いてやろうってだけだぜ!!」
耳障りに笑い続ける男に、苦しそうに歪む少女の顔。それは見るに耐えない光景だった。
「あなたの言っていることは違いますね」
そこへ現れたのは昨夜の天使だった。
「あんた、どうして……?」
「なんだテメエ!!」
「この男はこの娘を未練で縛りつけわざと自縛霊にするつもりです。そして、それを捕まえて手柄にしようとしている。いわゆる、くず、ですね」
男を無視して彼女が言ったのは、俺がした問いかけの答えだった。
「そして、そういうくずを消すために私がいます」
天使が空中に手を伸ばして取り出すのは巨大な騎士剣。なんの飾りもなくただひたすらに巨大な。それを重さを感じさせない動作で男をあっさりと一刀両断した。
男が粒子となって消えていく。男の腕から解放された少女の魂が宙に浮いた。
「その娘をお願いしてもよろしいですか」
先ほどの荒行のことなど感じさせない様子で彼女は言った。
「待ってくれ、あの男は……」
どうなったんだ、と問う前に彼女は答えた。
「消えましたよ」
「それは地獄に落ちたということか?」
「いいえ、文字通り消えたのです。私たちはこの剣を使って消えるはずのない魂を消すことが出来る」
ルール破りですね、と彼女はつけ加えた。
それを聞いたとき、俺は心から笑うことが出来た。
自分でも自覚出来る歪んだ笑み。俺は今、顔面がひきつるほど喜びを感じている。
「なぁ、頼みがあるんだけど」
「ん? なんですか?」
喜びで噛んでしまわぬよう、嬉しさで大声になってしまわぬように俺は深く息を吸って吐いた。
「俺を消してくれ」
「……何を言っているのですか?」
分からないのなら何度でも言おう。
「俺を、消してほしい」
ずっと思っていた。
「なぜ必死の思いで死を選んだのにまた俺は苦しまなければならない?」
死んだ後にも意識があるなんて、例えそこが天国だとしても、最悪なことでしかない。
「消えて楽になろうと思ったんだ!俺は全てから解放されて何も考えることのない安らぎの中に消えたかったんだよ!!」
なのに、消えることは出来ないと言われた。俺は絶望した。
「……天国は幸せなところだと聞いています」
「そんなことはどうでもいい!だめなんだ、考えてしまうんだ、あの時死ななければどうなっていたのかって、もっとがんばれたんじゃないかって…」
絶望したはずなのに女々しいことばかり考えて嫌になる。だから
「審判の時を待たないで消えられるなら頼む、頼むから俺を消してくれよ!」
俺は心から消えたいと思った。
俺は泣いていた。恥も外聞もなくずっと抱いていた願いを吐き出した。しかし、彼女は首を横に振った。
「……私にはできません」
「なんで!? お前も俺を解放してくれないのか? 俺はまだ苦しまなければいけないのか? 死ぬほど絶望した結果にたどり着いたこの場所で俺はまだ苦しまなければならないのか!?」
「そうなるのかもしれません。けれど」
「私はあなたのような優しい人に消えてほしくない」
あぁ、くそ。
「私はあなたにいてほしい」
こんな最悪な場所であの時、死のうと決意する前に一番欲しかった言葉を聞くなんて。
空の闇は涙でにじみ、天使の翼からあふれる光が涙の中できらめいた。まるで暗闇が晴れていくように。
俺は声を上げて泣いた。そんな俺を月と天使の光が優しく包んでいた。
なんか気分が乗って講義中に書き上げてしまいました。それを打ちながら直した作品です。
勢いで書いた作品なので矛盾点、疑問点があると思いますがどうかご勘弁を。そして出来ればそれをご指摘していただけるととても嬉しいです。
では、読んでくれた方、ありがとうございました。失礼します。