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死へと向かう少女 第一巻

作者: 風合文吾










昔者荘周夢為胡蝶。挧挧然胡蝶也。自喩適志與不知周也。俄然覚則蘧蘧然周也。不知周之夢為胡蝶與胡蝶之夢為周與。周與胡蝶則必有分矣此謂物化。(『荘子』斉物論篇)




















 昔荘周は夢に胡蝶となり挧挧然(くくぜん)と楽しんで自ら胡蝶であることを知らなかった。夢から覚めてみれば蘧蘧然(きょきょぜん)として荘周である。荘周が夢に胡蝶となったのか。胡蝶が夢に荘周となっているのか。二つの間には厳なる別があるのだろうが、その本質は全く同一のモノ――即ち、物化である。
























――黒い羊は、夢を見る。























黒羊宮(こくようきゅう)――反転ノ白羊宮ヨリ血潮シタヽル夢ノ世界。















Ⅰ.無知の揺籃

――夢世界へ向かう覚醒の産声――



 ――この世界が、誰かの夢ならいいのに――


 疲れ切った身体をベッドの上に投げ出して、目を瞑る。厭なモノばかりが見える。望まないモノばかりが聞こえる。汚らしいと思えば自分自身に跳ね返ってくる。夢、夢、夢、誰かの夢なら、早く目覚めてしまえばいい。


 真っ白い蛍光灯の灯りに掌を透かしてみる。流れる血潮の色も見えはしない。そんな意味のない行為をしてみたい、程度には瑛理(エリ)の心は疲れているらしかった。


「行ってきます」と叔父さんに声をかけて学校に出かけて、いつも通りの日常を過ごして……それで終わりなら、別に構わなかった。今日という日は些か瑛理には辛すぎた。或いは、彼女の精神が脆いだけなのかも知れないが。



 担任の槇原がHRで言った言葉が、瑛理の心を低回させた。


「皆さんも来年……もう今年か。とにかく、三年生です。そろそろ進路についても真剣に考える時期ですね」


真面目な調子で生徒に不安を煽った後、槇原はおどけた調子で付け加えた。


「まあ、やりたいことやるのが一番だから、みんな、春休みはそれを考えるのに丁度いい期間なんじゃないかな」


何人真面目に聞いていたか分からない話だが、少なくともこの四月で十八になる少女は真面目に聞いていた。やりたいこと? 自分がやりたいと思うことは、多分、他人にだって出来ることなんじゃないか。それなら誰にも出来ないことをやる?――自分にそんな才能がないことは薄々感づいている。だから、この後の部活が憂鬱なのだ。



 唐橘(からたち)高校、文芸部部室――花道部と兼用の狭い部屋の中に五人の男女が集っている。部屋の奥半分が文芸部のスペースとして本棚が二つばかり並んで、ジャンルも年代もバラバラな様々な本が雑然と並んでいる。出窓の部分には部員の武田が持ち込んだ大量の人形が並べられていて、部員たちを見降ろしていた。その窓際には三十年前からある(という噂の)ボロボロの机と、それとセットの今にも崩れそうな二つの椅子があり、それにかけているのは、部長の松枝(まつがえ)と本日の主役である瑛理。後の部員はめいめい好きな所に位置取っている。三年の武田は瑛理の作品が印字された紙束を持って壁に背を預けて立っている。瑛理の友人の夕季(ユキ)と加奈は机のすぐ傍の床に直接座っている。


 瑛理はこの空気を何度も経験している。何度経験しても、慣れるということは一向にない。各々が書いた作品の寸評はこの零細文化部の主要な活動の一つであったが、そして瑛理もそれを望んで入部したのだが――いかんせん、部長の松枝が厳しすぎた。銀縁の眼鏡をかけた神経質そうな風貌をした彼は、受験間近のこの時期にわざわざ部室やってくるほど熱心な〝自称〟文士である。加奈などにはからかわれ、夕季に陰で「ウチの部に人が来ないのは松さんの所為だよね」などと言われるこの男は、他人の評判などは一切気にしていないらしかった。彼が部室に入るだけで空気が凍る、とは彼と同輩の武田の弁だが、内向的な人形愛好家のこの意見に、瑛理は心秘かに同意していた。


 それぞれが原稿に目を落としているその間、書いた当人の居心地の悪さも瑛理は苦手だった。自作を読み返すでもなく、どんなことを言われるのかを予想する時間は一種の拷問だった。


「そろそろいいかな」


全員が読み終えるのを待って寸評に移る合図をするのは、決まって松枝の仕事だった。武田が真っ先に気弱そうな微笑みでそれに答え、夕季と加奈が続いて「大丈夫でーす」「はーい」とやる気のなさそうな返事を送る。


「それでは」


下級生――主に加奈――の言う「処刑」の合図が下された。自分では小説など書かないクセにこの批評家気取りの部長閣下は徹底的に他人の作を貶し尽す。大方の新入部員は松枝の洗礼を受けて辞めてしまう。現在在籍している部員があまり作品を出さないのはこの所為だと、他の四人は一種同盟にも似た連帯感を持っていた。


 瑛理は短編を多く書く。その所為か、寸評される回数も他の三人に比べれば多い。加えて松枝の評もあからさまに辛辣だった。瑛理自身はそれを自分の被害妄想だと思い込んでいたが、傍から見守る三人には同情されていた。そして批評の度毎に松枝から残酷な評を浴びせられ、武田にフォローされ、夕季と加奈に慰められるのだ。


 今回瑛理が発表したのは「厭世主義者(ペシミスト)」というタイトルの小品だった。世間を嫌い、自分の世界に閉じこもる隠者の話……凡そ筋と呼べるほどの筋もない、瑛理からすれば自分の願望の発表であり、他人に共感を求めるとか面白がらせるという意図はなかった。――案の定、不評に終わった。


 彼女の気持ちから言えば、共感を抱かれるよりはむしろ彼女の主張を理解して欲しかったのだ。だが、それも望めないでいる。瑛理が抱えている言葉に出来ないもの、婉曲的にしか表現し得ない何か、それを理解して言葉にしてほしい、という希望は、悉く裏切られてきた。


 他愛ない感想から文学理論まで、多種多様に毀誉褒貶、評するというにはあまりに幼稚な論争もどきの末に松枝が言った「結局、君は何がしたいんだ?」という言葉が胸に刺さった。共感を得たい、というのであれば瑛理の小説は確かに観念的に過ぎた。面白がらせるという気は全くない。自己表現の手段、というのが瑛理にとっての一つの解答ではあったが、表現した結果がこれでは、確かに何をしたいのかが分からない。


 生来口下手な瑛理が思ったことを述べるよりも先に松枝が、武田が、夕季が、加奈が話を瑛理の思慮の先へ持って行ってしまう。瑛理はしどろもどろに相槌を打つことしか出来ないまま――言葉を選ばずに言葉を発せるのは、一種の才能である――いつも通りの放課後が過ぎていった。


 ああ、今日も言いたいことは全然言えなかった。そんなことを思いながら一人で帰り路を歩いた。昔からそうなのだ。瑛理の口が言葉を紡ぐのはいつでも一歩遅い。その所為で、損ばかりしてきた。両親との確執、以前通っていた故郷の学校で受けていた仕打ち、そんな厭な記憶が蓋を開けて這い出そうになるのをこらえて、黙々と歩いた。少し前に降った雪がまだ残っている。根雪になるだろう。


 雪の中で埋もれて、自分の殻の中に閉じこもれたら、きっと気持ちいいに違いない。それは胎児の安息にも似て、安らかな眠りの世界だろう。「厭世主義者」という作品は、そういうことを言いたかったのかもしれない。空想は空から降る雪のように、豊かに瑛理の中で展開されていった。


 時々瑛理には自分の心が分からなくなる。松枝などは「隠者文学」などと高尚な言葉を使っていたが、そうではないのだ。もっと卑小な、引きこもりの物語を、神話に出てくる隠者のように描いてみた。それだけの話なのだ。思春期に特有の、自分の思想を聖化したいという願望がそうさせたのだろう――瑛理にも無自覚なままに。


 昔から自分のことを言うのが苦手だった。直接口に出来ないから、小説という手段を選んだのだ。その武器も、瑛理は持て余し気味だった。何せ、理解されたことがまるでない。


 誰かに理解を求めるという思考がそもそも苦悩と間違いの元であるということを瑛理はまだ知らなかった。他人に自分が理解されないということは、自分が他人を理解出来ていないということの逆説であると、彼女の思考はそこまで深みを持っていなかった。


 毒なのだ。彼らと交わることは。人間を造り織り成す繊維の材質が違う人間たちには瑛理の言葉は分からない。分からないということさえも分からない、そんな他人の群れの中に飛び込んでいったとして、それは自分を傷つけることにしかならない。もしかすると瑛理自身気がついているのかもしれない。彼女にとって、こういう経験は初めてではない。むしろ、もっと酷い目を見てきていた。友人と思わせておいて手酷く裏切る、その繰り返し。それでも諦めきれないでいるらしい。他人の中で傷つくと分かっているのに、他人の中に飛び込み、傷つくことを望んでしまう。未練、或いは執着? そんなもので彼女はモノを書いている。


 結局のところ、向いていないのかも知れない。自覚しながら、それでも他にどうしようもないから書いているというだけなのだ。いつも誰かに自分の小説を読ませた後に来る悔しさと悲しさと切なさとやりきれなさと……慣れきってもう傷ついていることすら分からない、そんな感情があるのかすらも分からないまま、胸に鉛を抱えて瑛理は眠りに就いた。






 絵を描いている。


 人形じみた無機質な白い腕が自在に絵筆を動かしている。細い指は踊るように画布の上を這いまわる。その少女は全身が白かった。髪こそ黒かったが、肌は病的に白く、着ている服も、白一色のワンピース。絵画を描くには全く向かない服装に見えたが、彼女の服には――肌にさえも――一点の染みも存在しないのである。彼女が色のつくことを拒んでいるのと同様に、色彩もまた彼女に触れることを怖れているようだった。


 夜である。カーテンを全開にして、外の景色を眺めながら絵を描いているのだ。端正に整った顔に表情はなく、透徹した怜悧さだけがあった。そうして、彼女の瞳は、外の景色を見つめてはいなかった。

街の絵だ。いくつもの四角い建物がネオンを灯して聳え立っている。人の群れがその下を歩きまわっている。顔は一つも描かれていない。夜の街、都会の喧騒、星はなく、月もない、空さえもビルディングに遮られて見えはしない。


 それはいつか見た記憶。


 少女がまだ知恵を持たなかった頃に見た「楽しい街」の記憶の邪な復元図。少女が既に振り切った、「正しい街」を斜から眺める悪意に満ちた、、一種の頽廃芸術。


 画面下部中央に空白がある。少女は暫くその間隙を見て考えていた。描きこもうか、否か。自分をこの穢れた世界に再び顕現させるか、否か。再び穢れを自ら纏うのか。探求すべき希望の欠片とて存在しない卑しい世界で、もう一度希望を求めようというのか。いや、最初から答えは決まっているのだ。描かなければ、それは完成しないということだ。少女が再び現世を見つめる目を持たぬということだ。


 スポットライトが当てられたように明るいその空白に、白いワンピースを着た少女――自分自身――を描きこむ。淡い黄昏色の光に包まれて白いワンピースは染まることもなく、少女はまっすぐ街の方を向いていた。その足は一歩踏み出され、都会の雑踏の中に飛び込んで行こうとしている。――戦場へ向かう戦士にも似て。恐れを知らぬ兵士にも似て。


 描き上げてしまった後、少女は黙ってカンバスを眺めていた。真夜中である。無音の音が少女の神経を逆撫でする。生きていることへの苛つきがふつふつと湧きあがる。それはもしや世界への嘔吐感と似ている?


 嫌らしい郷愁が去来する。かつてそこにいた自分、今ここにいる自分、同じ人間ではない、同じなはずがないのだ。この街は、あらゆるものがある享楽と放蕩の園。求めれば手に入らないものなど何もない。そう信じ込ませるペテン師の楽園……歓楽を求めて自分もそこに入って行った。そして腐っていった。思い出せない? 思い出したくはない。だからそれでいいのだ。ただ、過去の自分に怒りを感じる……。


 モノが溢れすぎていた。感情も溢れすぎていた。抱えきれないほどの文明なるものを呑みこんだ街は、もう享楽にも放蕩にも飽いていた。人々もまた倦んでいる。無知な少女はそこに何かを……自分がまだ知らない何かを求めて飛びこもうとしている。そこは既に何もない、溢れだすモノは総て誰かに喰い尽されてしまって、期待を抱いた分だけ少女は傷をその身に刻む。


 画布の隅に『飽食の街』と、タイトルらしきものを書き込む。その下にはMemento_Moriという署名。それでこの絵は完成した。


 そうして、少女は自分の左手首に目を向ける。


 目に見えるモノだけが信じられる? そんな錯覚を教え込んだのは誰だっただろう。きっとロクでもない人間に違いない。歓楽、享楽、放蕩、綺麗に飾った虚栄と虚飾の街、自分の描いた一枚の絵画に写された景色に嘔吐する。


 穢れすぎて、胃液を吐いて。真に美しいモノだけが見たくて絵を描いて。美しいと思うモノを創り出して。眼はそれでも汚らわしいモノを見る。耳はそれでも汚らわしい声を聴く。口はそれでも汚らわしいモノを呑む。手は――それでも汚らわしい街を描く。


 自己実現への願望が少女を絵画に駆り立てた。今はその初期衝動も枯れ果てた。自己否定か、惰性か。それは自分でも分かっていないのだろう。理解を求めることはしない。それでいて誰かに理解してほしい。相克なのだ。彼女の中に存在するのは。或いは、葛藤と言い換えてもいいかもしれない。美しいモノへの志向と、汚らわしい現実との葛藤、相克。そうして彼女の視線は自らが産んだ汚らわしい絵画へ戻る。


 その絵画は『死の島』――夜の都会は死の島に似ている。飽食に満ち満ちた享楽の先にあるのは、とどのつまりは酩酊の中の死! そこに向かおうとする少女――自分自身――の無知、愚かしい憧れが、墓場にその足を向けさせる。いやらしいモノが溢れている、街。二度と踏み入れたくはない場所、空間、世界。「死を忘れるな」……少女の名前に従えば、この切り取られた人間世界の一欠片も、死の象徴、忘れがたい記憶、忘れてはならない光景なのだろう。


 裏切られ続けて生きてきた。そうして裏切りの中に生かされている。それがこの真っ白い少女の境遇だった。死を意識するようになったのはいつからだろう。きっと裏切りの大人に気がついたときだろう。そう、怒り。この怒りもまた、「死」と同様に忘れてはならないものだ。白い少女――名前すら、意味を持たない彼女――を構築する一つの軸、その構成要素なのだから。


 酔生夢死に生き生き生きて死んでいく、その傍らに常に死を従えて生きていると気づいたとき、少女の酩酊は冷めた。最早新しい世界へ飛ばねばならない、時は、来たのか?


 テーブルの上に置かれた琥珀色の液体を嚥下する。喉が焼けつく感覚が、少女をまどろみへと誘う。数錠のタブレットを口に含んでガリガリと噛み砕く。不味い。口の中が粉っぽくなる。そのうち、頭が重くなる。脳が、麻痺しているのだ。朦朧とした意識の中で一冊のアルバムをとりだす。人間の生首、焼身自殺する僧侶、暴動、廃墟、畸形児、殺人現場に置かれた死体、見世物の片輪、人肉嗜食(カニバリズム)の現場、血塗れで踊り狂う女、生首、犯罪史上に残る精神異常者たち(サイコパス)の肖像……そんなモノに塗れた写真たち。「死」を表象するこんなちっぽけな事物も、少女の内観には大きな影響を与えるのだ。幾多のドラマが展開される、そんな一葉の写真を束ねても、数値化処理された情報(デジタル)だから。居ながらにして、総てが手に入る世界に少女は住んでいる。だからもう、街へ行く必要はない。死ぬために、人に混じ入る必要など、ない。


 死の街へ向かっていった過去は、過去。捨て去るでもなく忘れるでもなく今日明日の糧とするでもなく、ただ過去としてある。半ば亡骸となりながら街へ挑んだ無謀はもう、ない。ただ、絵画の中の街に自分を立たせる――勇気と呼ぶには些か後ろ向きなその思考だけは、どうやら、残っているようだった。今、少女は無知ではなく叡智を以て、世界と対峙しようとしている。


 無知、それは他殺への危険。叡智、それは自殺への第一歩。


 無価値な現代で、最も現代的に、少女は死のうと決めていた。過去を振り返る、その行為に意味はいかほどあるというのか。本人にだって分かるまい。未練だとしたら、見苦しい。嫌悪、嫌悪、嫌悪、嫌悪、嘔吐! 人に溢れた街の中で孤独に他人と交わる、その孤独――モノも人も心でさえも、街には溢れすぎている! 要らない、必要ない、この心を邪魔するモノは総て消えて無くなればいい――そうして少女は最も現代的な方法で、最も悲壮な決意……死への階段を踏みだし始める。






 ああ、不思議な夢を見た。


 寝起きにそんなことを思った。


 夢の中で瑛理は自分ではない誰かになっていた。病的に白い、彼女は多分、瑛理と同年代の少女だろう。絵を描いていた。街の中に少女自身が踏み込んでいく絵。なんだろう、虚しさを感じる。少女の感情が瑛理には瑛理のものとして感じられた。少女の怒りも、瑛理の怒りと等しかった。夢から醒めれば、本来の自分が考えもしない……いや、考えたくともそこまで思考する勇気がないことだった。自分を取り巻くモノがどんなに嫌いでも、誰かがここに瑛理という存在を認めてくれなければ恐らく瑛理は孤独に耐えられない。


「行ってきます」


「ああ、気をつけてね」


瑛理の言葉に叔父がいつもの調子で返事をする。去年――平成二十二年――の夏に瑛理が郷里のF県を離れて以来この叔父には世話になっている。いや、それ以前からだろうか。瑛理の父の弟にあたる朝彦は、嫌な顔一つせずに、家庭から離れざるを得なかった瑛理を引きとってくれた。F県からは遠く離れた雪国で文筆業をしている彼は少々変り者ではあったが気が良く、瑛理にもくだけた態度で接してくれた。離婚経験のある彼は、今は遠くにいる娘と瑛理を重ねているのかもしれない。ちょうど、その娘は瑛理と同じ年頃と聞いた。未知の土地に引っ越すことになって、年に一、二度しか会わなかった叔父と一緒に住む毎日にも、瑛理はもう慣れていた。


 毎朝叔父と交すこんな言葉すら、感謝したくなる。それほど孤独な夢だった。……孤独?


 夢に出てきた少女は、孤独なのだろうか。誰もいない部屋で絵を描いている。苦い液体――あれはひょっとしてお酒なのかな――そんなものを呑んで、憎悪と憤怒に塗れた絵を描いて、彼女はどこに満足を求めているのだろう。もしかすると、彼女はあれで満ち足りているのかも知れない。あるがままに振る舞える、自由な空間を持っているから。瑛理は、朝彦叔父や夕季、加奈の前ですら、遠慮して一歩引かずにはいられなかった。そう思えば、あの白い少女は瑛理よりもある意味では幸福なのかもしれない。


 多分、あの少女の描いた絵は誰にも見られることはないのだろう。何故とはなしに、そんな気がする。瑛理があの少女だったら? その想像は少し難しかった。瑛理の小説は、人に見られることが前提だから。人に見られない自分は、存在しないことと同じだと、瑛理は思っている。


「おはよ、瑛理」


「あ、夕季ちゃん……おはよう」


そう、こんな風に。薄く、深い笑みと共に腕に飛びついてくる夕季と睦まじげに歩く一風景も日常で。


「英語の宿題、やってきた?」


瑛理の瞳を覗きこむようにまじまじと見つめる夕季の顔、


「うん」


ぼんやりした表情で返事をする自分、


「加奈は多分忘れてるだろうなー。今日はどっちが当番だっけ?」


「当番?」


瑛理の左手に指を絡ませながら喋る夕季と、


「加奈に宿題を見せる係の当番」


「そんなのあったんだ……」


控えめな声音で答える自分。繋がれた指から伝わる夕季の体温が伝える、狂おしいまでの「いつも通り」。


 日常に溢れている他人の群れ、どんなに嫌いだと思っても、人間には美しいところだってある。今、腕を組みながら瑛理に微笑みかけている夕季の笑顔のように。そんな些細なもので生きている。生きていけると信じている。


 なんとなく明るい気持ちにさせてくれた一番の友人に心の中で感謝しつつ、二人で学校にむかった。途中で加奈とも合流して、なんでもない一日が始まりを告げる。……「当番」は瑛理が当たった。



 授業中、ふと夢の中で見た絵について考えた。白紙のカンバスにあれだけの色彩を描くなんて、瑛理にはそれがまず羨ましかった。画才というものとは凡そ無縁な彼女にしてみれば、当然の憧憬だろう。


 あの絵画のタイトルが気になった。『飽食の街』。そして描かれた絵画は、誰だか忘れたが『死の島』という作品に似ていた。どこが、というのではない。全体の雰囲気、統一感が、似ていたのだ。


 書かれた署名はMement_mori。「死を忘れるな」……どういう寓意が込められているのだろう。幼い瑛理の興味はまずそこに向かった。街は、死の象徴……墓場だろうか。自戒? そんなものではなかった。あの感情はもっと理不尽で、他者に向けられていた。凡そ勝ち目なんてないと思われるくらいに強大な「他人の世界」に向けられた、執拗な怒り。そしてそんな他人に群れないと存在出来ない自分に対する、嘔吐を催すような嫌悪感。どうしようもない、自分を傷つけて、絵の中に引きこもって、それでもやりきれない自分自身への嫌悪。瑛理も、心のどこかで共感している嫌悪感。


 でも、と瑛理の思考は堂々巡りに陥る。他人なしに自分は存在しないじゃないか、と。他人に認められたい……大成するとか、そんな御大層な名誉欲ではない。ただ、自分という人間を知ってもらいたいという純粋な渇望。悲しいことに、瑛理にはその手段が小説という如何にも貧相なものしかなかった。歌を歌えば音痴と言われ、絵を描いてもデッサン一つまともに出来ず、運動も、勉強も、他人に秀でたところなんて何一つない。満足に自分の言葉をありのままに伝えることも出来ないから、いつも当たり障りのないことを言っては誤魔化している。


 ――誰か、私に寄りかからせてくれる人はいないかな。


 そんなことを考える程度には、彼女は孤独だったのだ。瑛理の心理の根本的な所にある人間への不信――それが、夕季たちとの間に壁を作っていることは、瑛理も承知していた。誰かに寄りかかって、それを受け入れて欲しい。そんな欲求を、吐き出してしまいたい。


 そうして、一篇の小説を書きはじめた。元より短編、すぐに書き終わるかと思ったが、なかなか苦労した。授業の間中そうやって時間を潰して、プロットともいえないようなプロットが出来あがった。着想は『荘子』にある「罔両(もうりょう)」という、影に付き添う薄影の寓話。瑛理の中の衒学は豊かな空想の園を通り抜けて短編小説として実を結ぶ――今回も、元の寓話からは随分とかけ離れたものが出来あがった。

それはおおよそ、こんな話だった。


 一人の少女がいる。友達なんて一人しかいない。その一人の友達が大好きで、何をするにも真似していた。その友達にはたくさん友達がいた。たくさんの友達の一人でも、少女は満足だった。彼女に寄りかかっている時だけは、安心していられるから。しかし、彼女は少女を友達だなんて思っていなかった。ある時、少女はそれを知ってしまう。少女は絶望した。絶望したその果てに……。


 どうしようか。瑛理が迷ったのはこの結末だった。その友達を殺してしまうか、それとも生かすか。そうすれば自分が死ぬ結末にするか? そんな迷いが瑛理の筆を止めた。考えていくうち、人が死ぬ小説……自分が書きたいのは、そんなものなのかという疑問が湧いてきた。空想の上であっても、人間を殺すという恐怖も、また。ならば――裏切られても、生きる。辛くて、目を背けたくなるようなことだ。瑛理自身が苦しんでいること、誰より自分が一番よく知っている苦しみ。しかし、そんな結末にしたいような心持も、胸のどこかにあった。多分、自分と主人公を重ね合わせすぎたのだろう。そうすれば、或いは誰かが自分を理解してくれるかもしれない。だから、絶望しながらも生き続けるという結末をプロットの最後に付け加えた。


 タイトルは着想となった「罔両」がまるで一人の人間に憑き従うドッペルゲンガーのように(瑛理の脳髄の中では)思えて、その日本での呼び名の一つ――「影患い(ドッペルゲンガー)」とした。そうして、推敲もそこそこにそのまま居眠りし始めた。







 妙な夢を見た。望むはずの無いもの。望む価値もないものを望む夢。価値、価値、価値があるものがどれだけあるというのか。恐らくそれは幻だろう。どんなものだって、無意味なのに。どうして値踏みをしたがるのだろう。あの夢の中の少女は、いや、自分も。


 ――だから少女は人間が嫌いなのだ。


 そういえば、前にもこんな夢を見た気がする。自分が自分ではない誰かになって、望んでもいない学校生活なるものを送っている夢。自分の書いた作品が理解されずに苦しむ夢。夢の中の自分は、瑛理という名前らしい。彼女が自分の分身(ドッペルゲンガー)なら、あの無価値な欲望を自分も抱いているのだろうか。だとしたら、ああ、あの夢の中の自分はまだ、馬鹿なのだろう。無価値で無意味な夢の世界は、だがもう終わった。少女は自分の現実を見つめ直すべく、覚醒した。


 部屋の入り口から部屋全体を眺めている。白い少女の肌も、服も、真っ白で、それに合わせるように壁紙も張り替えたばかりのように白かった。


 鍵をかける。扉から余計なモノが入ってこないように。金色(こんじき)のとってを回して、確かにここが、一つの窓を除いて密室となったことを確認する。窓だって、飛び下りれば死ぬのだ。ここは密室、少女の宮殿、カンバスの前に置かれた粗末な――この部屋にはあまりにも不釣り合いに簡素な!――椅子こそ彼女の玉座。


 雑然とした宮殿の一室、少女の部屋を一言で形容すればその言葉が似つかわしい。壁にかけられた頽廃的な芸術絵画、本棚の存在意義を無視して床に散らばる分厚い本の群れ、天蓋付きの豪奢な寝台、マホガニイの机、腐ることなど知らない、机の上に置かれたフルーツ入りのバスケット……そんなもの総てが、少女の思うままなのだ。少女の手の届く範囲で。


 広いクローゼットの中には何もない。白い少女の白いワンピースはどこから出てくるのか。多分、望めば手に入るのだろう。中世貴族みたいな暮らしを、彼女は日本の片隅でしているのである。


 それでもなお、満たされない。


 ツカツカと歩み寄り壁にかけられた一枚の掛け軸(それは洋風に飾られたこの部屋の中では一際異彩を放っていた)に目を向ける。掛け軸の頭には人間が横たわっている。美しい、中華風の麗人である。青ざめた顔をして、その麗人が横たわっているのだ。少し下に目を落とすと、麗人が死人であることが分かる。目を下にずらすにつれて皮膚は変色し、腹は膨らみ、肉が爛れ落ち、最後には骨だけとなっている。この一連の死体を描いた掛け軸は、『九相図』という。人間の生の儚さを描いた絵である。少女がどんな意図でこれをここにかけたのか。また、何故今それを見たのかは分からない。少女は一相一相を丹念に見回し、それぞれの名を口ずさむ。



一番目は新死の相

二番目は肪張相

三番目は血塗の相

四番目は肪乱相

五番目は青瘀の相

六番目は噉食相

七番目は骨連相

八番目は骨散相

九番目は古墳の相



逆の方を向けば、かの有名なピーテル・クラースの『ヴァニタス』――正確にはその模写――がかけられている。描かれた頭蓋骨の曲線を、少女は白磁のような指でツとなぞった。


 本棚には古今のいかがわしい書物が雑然と並んでいる。整理すれば入りきるだけのスペースはあるのに、本棚の前に何冊もの本が投げ遣りに詰まれている。『悪の華』『眼球譚』『吸血鬼幻想』『殺戮にいたる病』『ヒューペリオン』『源氏物語』『死に至る病』『太陽黒点』『ドグラ・マグラ』(初版)『我が闘争』『恐るべき子供たち』『資本論』『黒い太陽』『法の書』『ハンス・ベルメール人形写真集』『荘子』『トリフィド時代』『肉体の悪魔』『ソロモンの鍵』『レメゲトン』『罪と罰』『大奥義書』『地獄の季節』『悪徳の栄え』(澁澤龍彦訳・初版)『狂気の王国』『カニバリズム(人肉嗜食)論』『聊斎志異』『グリム童話』『地獄の辞典』『ステーシー』そして『屍食教典儀』……。著名から無名まで、様々な本の群れが、少女の部屋の一画を占めていた。


 少女はその中から背表紙に何も記されていない一冊の薄い本を、迷うでもなく選び出した。『宇宙卵(うちゅうらん)』と表紙に印字されている。著者名の表記もなく、装丁にも一切装飾がない。私家版である。少女はただ、それをパラパラとめくって、また元の位置に置いた。一度――いや、何度も読んだ本であるらしい。不可思議な視線――興味があるのかないのか、それとも何かしら別の意図があるのか――まったく分からない一瞥をくれてカンバスの前に座った。贅を凝らした独房の中で、そのカンバスは燦然と輝いていた。

瀟洒な形の瓶から琥珀の液体が透明なグラスに注がれる。無機的で有機的な少女の腕がそれを取り上げ、一息に呑み干す。さあ、創作の始まりだとでも言わんばかりに。


 あり得ない速さでカンバスが染まっていく。色彩が画布の白を染め上げていく。群青色をしたその部屋は誰のものなのか。狭い。あまりにも狭い。ものが氾濫して雑然とした密室、その中央に少女が膝を抱えて座っている。大きく――まなじりが裂けそうなほどに大きく見開いた目が、真っ正面を向いて何かを訴えかけている。

背後にはテレビだかパソコンだか、光を放つ四角形が彼女を追い詰めている。その光は群青色の闇の中で眼のようにぽっかりと白く浮かんでいる。薄くベージュがかった白い光は、少女をゴンドラに見立てれば、まるで気球の風船部分のようにも見えた。同時に、眼球のようでもあるのだ。視線の先はどこを見ているのか、眼に見立てられた光は三千世界の向こう側を見つめているようだった。


 なんでも、手を伸ばせば届きそうな狭い部屋で、少女が一人苦しんでいる。その様は、ある種白い少女に似ていて、一方誰だか分からない、不可思議な少女だった。夢に出てきた、あの子だろうか。こんな絶望を抱えて、狭い部屋にいるのだろうか。――きっと、心象の中では二人とも同じなのだろう。


『鍵をかけた二十五時の楽園』そう題して、少女はまた琥珀色の水を煽った。壜を、その小さな手では不可能に思えるような掴み方で鷲掴みにして、一息に空にしてしまった。


 美しいモノだけが見たかった。そうして、美しいモノに成りたかった。俗物を嫌って世界を閉じて、聖なるものになろうと願って――たとえそれが世界の(コトワリ)に背いていても――理想だけを追い続けるような生活をしていても、喉でそれでも酒を呑む。肉体が、求めるモノに、少女は従わずにいられない。人間ならば、生物ならば誰でもどんなものでもそうだろう。水でもなく、お茶でもなく、酒を選ぶのは、そんな肉体の悪魔の誘惑に対する彼女の精一杯の反抗。この世を憎む少女の、満たされすぎた世界に生まれ落ちた運命を呪う行為、最も現代的な自殺行為。


 絵画の中で、誰だか分からない少女が頭を抱えていた。白い少女が、寝空言に「思い通り、思い通り……手の届く範囲で」と口ずさんだ。


 然様思い通り。虚しくなるほどに、思い通りなのだ。だから、どこかへ飛んで行ってしまいたい。三千世界の向こう側へ、気球に乗って何処までも。肉体という殻を脱ぎ捨てて、DNAの法則を捻じ曲げて、精神に秘めた自我なるモノを捨て去って、時間も空間も飛び越えて――遠くへ! そして自分が自分で無くなる、遥かなる地平へ、夢のようなこの現実を超克した超現実の世界へ。自分ではない誰かに、成ってみたいのだ。自己への絶望がそうさせる。環境が精神が、肉体までもが変容を求めている。〝現在〟を織り成す総ての繊維(テクスト)を破壊し尽くし、新しい存在へと生まれ変わりたい、頽廃的なまでに切実で、実直故に不条理な変身願望が、カンバスの中に映り込んでいる。願望を抱きながら、実現への期待と実存への恐怖を抱いて白い少女は眠りに落ちていった。


 楽園の中の少女は、今にも泣き出しそうな顔をしている。





少女の夢――黒羊宮ノ一




 映画館の客席。瑛理と、白い少女だけが座っている。薄暗い館内で、瑛理は白い少女の顔を見ようと目線を向けたが、判然としない。白い少女はじっとスクリーンを見ている。何も考えていないような雰囲気で。いくら目を凝らしても無駄なので、瑛理もそれに倣うことにした。

 十秒、あるかないかのうちに、映写機のフィルムが回り始めた。古ぼけたスクリーンに、飾りっ気のないタイトルが映し出された。




素晴らしき愛の世界




 虚構(うつろ)現実(うつつ)、現実は虚構。明日はドブの中に落ち込んでいるのだからわざわざ拾うまでもない。死はそこにあるじゃあないか。蟻の目線でモノを見ている人には分からないのか。ここにいる黒い羊はちゃんと気が付いている。この世の泡沫(うたかた)に。虚しさに。悲しいことに。苺を胃液の海に落とし込んで少女が笑う。女の手をとって男が笑う。日向に俯いて老人が笑う。井戸端会議で婦人が笑う。羊が見ている。羊が見ている。日差しの中で。


 痛覚。邪魔なモノ。羊にないもの。林檎。溶けていくモノ。白い塔が聳え立った頽廃的な街の中で男と女がまぐわいあう。生き血を垂れ流した女の腹から水子の一匹生まれ落ちてくる。猿の化け物みたいな顔をして魚みたいな目を向けている。何処へ? 世界へ。ナイフを持って母親を殺す夢を見ている。痛みがない人間の世界で一人の嬰児が叫んでいる。呪いの言葉を叫んでいる。無音の音が車の走る街角に満ち満ちて、堕胎児の声はどこどこまでも澄んでいた。独りきりだから幸せなのだよ。馬鹿は。


 白い子どもの群れに鳩が群がっている。羊が見ている。鳩を殺す子どもを見ている。楽しげに鳩血色(ピジョンブラッド)に染まっていく子どもたちは恐るべき子どもたち、嫌らしい媚態に体を委ねた娼年たち。汚らわしい大人よりは清浄な彼らに悪戯してやろうと道化師の来る。肉に塗れた道化師が、仮面をつけて、刺青をくねらせて、頭を振り振りやってくる。羊が見ている。黒い羊がそれを見ている。ノコギリとナイフの惨劇を羊が見ている。真昼の日曜日ののどかな公園で、娼婦が仕事の前に香水を首に振りかけるかのように、道化師は子どもに殺された。羊が見ていた。黒い羊が見つめていた。


 公園の噴水に何枚ものコインが何かしらの願をかけられて沈んでいる。炭酸が溶けるように泡立つそれを白金の蛇が一粒一粒呑みこんでいる。そのうちはじけて消えた。シャボン玉がその抜け殻から飛び出して、トンビの餌になった。羊が見ていた。黒い羊が見ていた。


 ナイフを持った少年が時計屋の窓ガラスを削っている。羊が見ていた。黒い羊がそれを見ていた。


 マリアのように美しい侮蔑がふさわしい女が赤子を抱いて窓際に座っている。狩りをする男たちを眺めながら、悪女めいた微笑みを浮かべている。自分を絵画の中に閉じ込めようと、三文絵師を呼びつけて、その光景を描かせた。子どもが泣くたび爛れた乳房を含ませる。女の毒を含ませる。子どもは女へ憎悪を募らせて、やがては立派な犯罪者。娼婦の息子は皆そうだ。ああ、羊が見ている。黒い羊が眺めている。


 トンボの眼鏡を壊している子どもが汽車に轢かれて死んでいるも。羊が見ている。黒い羊が真っ黒く。


 林檎を齧って内臓を腐らせている少女がいる。さっきからいる。何をしたいのか分からない。脳髄がどんどんどんどん腐っていく。モノを考える余地などありはしない。知恵の実を呑み込み尽した少女は処女を捨てて楽園から追放される。意地汚い女になる前に、首を縊って死んでは呉れないものだろうか。彼女のそばにはちょうどいい大木が聳え立っているのだ。蝶々が一匹飛んでいるのも面白い。シャボン玉が弾けて消えるように、蝶々も弾けて消えた。猟銃を構えた狼男が狙いをつけた。少女はナイフで自害した。血が蝶々の亡骸を赤く染め上げた。美しく。羊が見ていた。黒い羊が見ていた。


 井戸に投げ込まれた死体に話しかける老婆がいる。盲者(めくら)の女の悲しさよ、声を便りに腐乱死体と懸命に話をしようとしている哀れさを、知っているのは誰もいない。彼女の旦那も死んでいた。羊が見ていた。黒い羊が見つめていた。


 牧師が街角に立って演説している。男の話を聞いている群衆は誰もいない。みんな人形みたいにグラグラと硬直している。牧師はマネキンの手首を振り回して神を説いた。一週間がたった。蝋燭が灯って消えた。それを七回繰り返した頃、牧師は憲兵に捕まって首吊り刑で殺された。羊が見ていた。黒い羊がそれを見ていた。


 色の分からぬ似非画家が日がな一日絵を描いている。何を描いているのか誰も知らない。彼は風景画を描いているつもりらしい。どう見てもそれは泣く女の拙劣な模写に過ぎなかった。彼の眼窩にはまっているのは目玉でも義眼でもなく、ただの無花果の欠片。魚を描こうとしていたはずなのに、いつの間にか風景画になっていた。それがどういうわけだか泣く女になった。今では似非画家は魚になって湖を泳いでいる。鯉である。喰われて終わった。羊が見ていた。黒い羊がそれを見ていた。


 畑を耕す農夫の傍らで、気の触れた娘が笑っている。娘が摘んだタンポポの、花弁の傷から、血潮が滴る。農夫は見て見ぬふりの知らんぷり。太陽が見ている。血を流している太陽が。吹く北風の身を切る寒さに、農夫の指から血潮滴る。娘は見ないふりの知らんぷり。種蒔く女は娘の母でなく、腹の中にはいらない子ども。農夫の白い目が、種を蒔く女の手先から零れる種子を見ている。それを羊が見ていた。黒い羊が見ていた。


 空を鷲が飛んでいる。塔の中の男がそれを見ている。自分も飛んでみようかと、蝋で固めた偽の羽、両手に持って飛び立てば。哀れギリシャのイカロスか。落ちて砕けて無くなった。鷲はそんなことも知らずに悠々と。海にめがけて落ちていく。()の心には、誇り高き賢者の矜持。冒険者はまだ見ぬ海底へ堕ち込んでいく。そこに水など一滴もありはしないということも知らないで、誇りを胸に失墜していく。死んでいくのは怖くないとでも言うのだろうか。どこまでも飛んでいくために彼は生きていて、生きるために飛んでいる小鳥などとは違うのだ。羊が見ていた。黒い羊がそれを見ていた。


 女郎を見初めた乞食(こつじき)の、女衒に睨まれ退散するも。羊が見ていた。黒い羊が眺めていた。


 雨が降る中傘もささずに歩く男の虚しさは、懐虚しく心も虚しく、帰る家なく行く当て持たず、何時ぞや何処ぞで野垂れ死に。なけなしの金をはたいて酒場に入れば、汚い奴だと蔑まれ、一杯の琥珀の水を飲み干せば、男の腹には熱が灯って世界を胚胎する。誰も知らない世界を孕んだ男が、なんにもない路地裏で野垂れ死に。羊が見ていた。黒い羊がそれを見ていた。


 世間の雑踏気にかけず、近親相姦に励む姉妹の美しさ。毒を食らわば皿までと、二人で一緒に心中しよう。腐った林檎、俳優の写真、安物の版画、香水の空瓶、色とりどりに鮮やかな絹の衣装、腐臭の漂う部屋の中で、汚物に塗れた密室で、愛を囁いた楽園で、消えずに残る匂いは甘く、二人の女の亡骸は、夏の熱気に腐乱して、誰にも知られず消えたという。羊が見ていた。黒い羊が見届けていた。


 黒いドレスに黒いヴェール、黒い日傘の喪服の貴婦人の束ねた豊かな後ろ髪に、蠅の群れのたかっている昼下がりの農道で、気笛が鳴れば女が振り返り、パラソル一つ宙に飛ぶ。命はかくして終わるものと、轢き殺した車掌はしたり顔で。羊が見ていた。黒い羊が、じっと見ていた。


 黄昏色の街の片隅の、安下宿の一室で、書生一人が机に向かって恋文一つしたためる。二十と二枚の便箋をゴチャゴチャ丸めて屑籠に投げ捨てて、そんなことを五日ほど続けている。愛の懊悩は彼の志を曲げ、最早人生を捨てさせた。青いインキの万年筆で叮嚀に、手垢のついていない言葉を探り、一文字一文字丹念に書きあげていく。食事もとらずに眠りもとらずに、女の魅力が男を狂わせる。命を削ってまで恋愛がしたいと見える。二日たって、ようやく恋文一つ出来あがった。書生の満足は笑顔を見れば誰にも分かる。屑籠から溢れるほどの便箋を、叮嚀に処分して彼は恋文を届けにいった。相手はとうに死んでいるのに。羊が見ていた。黒い羊がそれを見ていた。


 鯨が夢を見ている。殺される夢を。(おか)に上がって殺される夢を。羊が見ていた。黒い羊が覗き見していた。


 三文文士が苦しんでいる。馬鹿な頭で書けない小説を書こうと白紙の原稿用紙とにらめくら。かれこれ五時間そうしている。自分の恥を切っては売って切っては売って生きてきた。恥も雪がれはしないがいい加減に切り身にすべき肉はない。落ちくぼんだ眼窩は苺のように赤かった。割れた鏡台に和装の服がかかっている。男はそれで生きている。痛みなんぞは忘れたふりで、高楊枝を咥えて気取っているのは滑稽すぎて、周りはみんな気づかぬふりをしてやった。唐突に、朱筆をとって白紙を赤く染めだした。猥雑な言葉の羅列が文士の脳味噌から迸った。きっと彼は誰にも悲しまれずに死ぬのだろう。羊が見ていた。黒い羊が真っ黒な瞳でそれを見ていた。


 蠅が一匹車のミラーに止まっている。無限の空間をたゆたいながら、いつまでも続く一瞬に身を委ねて羽を休めている。ひょっとしたらこいつは息もしていないんじゃあないか。車の持ち主はそんなことを考えながら蠅を見ていた。その光景を、羊が見ていた。黒い羊が黙って見ていた。


 惨め過ぎる。梅毒に侵された男が路地裏で踊り狂っている。観衆は浮浪者の群れで。雨が降っても止む気配はまるでない。手に持っている鉄の串で男が自分の目玉をくり抜いて喰らってしまった。浮浪者たちは喝采も送らずにどこかに消えた。羊が見ていた。黒い羊が、独りぼっちでそれを見ていた。


 美しい艶やかな女が独りぼっちで座敷に佇んで、菊の花の茎を折る。その茎から白濁の血潮の滴る音に合わせて女の髪がざわざわと音を立ててはすすり泣く。襟をはだけて、血潮を一滴自分の乳房に垂らしている。唇に笑みを浮かべて、目には毒を湛えて、女は満足そうに、花弁を喰った。黒い羊が、それを見ていた。

ドロドロの冷めたコーヒーを啜って探偵が街を見下ろす。毒が入っているとも知らずに。街は、雪の季節である。朝一番、誰にも踏み散らされていない雪の花畑が眼下にあった。真っ白い絨毯がコンクリートに区切られて美しく。羊が見ていた。黒い羊が眺めていた。


 中絶された子どもが生きていた。母親は医者と談笑していた。子どもは真っ黒い瞳でそれを見ていた。黒い羊が、その分娩室の光景を見ていた。


 お前の首を呉れと男が女に求婚している。女は一言も言わずに項垂れて、白い首筋を差し出した。鉈の一振り、女の首が宙に飛ぶ。男は地に落ちたそれを拾い上げて、優しく土を払って、そっと接吻(くちづけ)した。誰もいない納屋の中、殺人恋愛者たちの結婚式。祝福の言葉を投げる者もない。男はするりと、影のように抜けだした。女の首を抱えて。愛しそうに柔らかく太い両腕に包みこんで。黒い羊がそれを見ていた。


 牢獄に幽閉された囚人が家族を懐かしんで、自分の無罪を信じて、明日殺される予定であることも知らずに、首を吊っていた。黒い羊が、それを見ていた。


 青い頭巾を被った乙女が肉切り包丁で獣を捌いている。自分を喰おうとした獣を捌いている。昨日も今日も明日もずっと、肉を喰って生きている。自分を喰おうとした獣の肉を喰って生きている。愉しそうに笑って、血飛沫浴びて、臓物(はらわた)をとりだしては火にくべる。明日はどこに獣を求めに行こうか。そんな想像に胸を膨らませている。楽しい少女の家は、誰も来ない森の中。獣もこない森の中。だから少女は獣を探しに街に行く。美味しそうな匂いを纏って、美味しそうな獣を求めて。羊が見ていた。黒い羊が、乙女を見ていた。


 地獄で閻魔が死者に問う。汝善人なりや。死者は答えない。救われたいかと閻魔が問うも、死者は答えない。答える口を持っていないから。一通りの手順が済むと閻魔は焼けた赤銅(あかがね)を呑み乾して、次の死者を呼びだした。羊が見ていた。黒い羊がそれを見ていた。


 捕えられない虫を捕えることを諦めた青年が、虫の乱れ舞う中で作家の名前を暗誦している。ボードレール、コクトオ、ランボオ、ヴェルヌ、ゲヱテ、ブルトン、ゴーリキ、ドストエフスキィ、ワイルド、ブロンテ、プルースト……虫たちが嘲笑っている。青年は湖畔に独りきりで、何時までもそんなことを繰り返している。羽虫たちは飽きもせずに青年を嘲笑っている。真っ青になった彼が湖に飛び込むまで、虫たちは飽きることもないだろう。羊が見ていた。黒い羊が、そんな風景を見ていた。


 詭弁で日銭を稼ぐペテン師が、舌を抜かれて絶命している。黒い羊がそれを見ていた。


 唖の女が魚を生んだ。この世の(コトワリ)を無視して魚を生んだ。魚は、血と羊水に塗れてビチャラビチャラと泳ぐ。汚泥のような血が、女の嗤いを誘う。乳呑み児がそうするように、カマキリの幼虫(おさなご)兄弟(はらから)を喰らうように、魚は女の血を啜った。唖の女はアハアハと嗤う。生れてきた場所に魚が歯を立てる。女はエベエベと。嗤い止まない。そうして魚は女を喰ってしまった。血の海にのたうちまわって、赤い血が黒く渇く頃にはくたばった。開いた瞳から、血の涙が溢れ出ていた。女の血なのか、魚の血なのか、見極める者とてここにはいない。黒い羊だけが、それを見ていた。





二人の少女が、それを見ていた。惨劇喜劇を見つめる黒い羊を、二人の少女が鑑賞していた。




続きは本で!

http://showjobungaku.blog.fc2.com/blog-entry-26.html

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