第一章【旅立ち】 第5話 「発覚」
コツ……コツ……
レアの世話を始めて、一週間。ルイは今日も決まった時間に地下室に行く。レアの世話は、昼と夜の二回行うことになっている。この階段を下りるのは、今回で何度目だろうか。
はじめは薄暗く不気味に感じた地下室にも、ルイはもう慣れてしまった。
ガチャ――
「レア、お待たせ!」
「……!!」
ルイが扉を開けると、部屋のベッドでくつろいでいたレアが、笑顔でやってくる。
「今日は少し遅くなっちゃってゴメンね。ナオを振り切るのが大変でさ。」
そう。実は最近、ルイの行動に、ナオが感付きつつあるのだ。今晩もルイがレアの元に向かおうとすると、ナオは「お兄ちゃん、どこに行くの?」と訝しげな顔を浮かべた。このままではバレるのも時間の問題だ。
……何か策を考えなくてはならない。
「ナオ……?」
レアは首を傾げながら、訪ねるように言葉を発した。
「あ、そうか。レアにはまだナオのことを話してなかったよね。」
「だぁれ……?」
レアがルイに顔を近づけ、早く話してくれと言わんばかりにぴょんぴょんと跳ねている。ルイにはその動作が仔犬のように見え、とても可愛らしく感じた。
「んっと……。ナオっていうのは、僕の妹だよ。普段は明るくて優しいんだけど、好奇心旺盛でね……自分が興味を持ったことには首を突っ込まずにいられないんだ。」
レアはルイの目をジーッと見ながら話を聞いていた。分かっているのだかいないのだか良く分からない。
「あ、でも、決して嫌な子じゃないんだよ!?本当、普段は優しいんだ。僕の世話も良くしてくれるし、見ていて明るくなれるっていうか……ホント、どっちが年上なんだって感じで……あはは・・・」
ジーッ……
レアは依然としてルイの目を見続けていた。この子は本当に分かっているのだろうか、とルイは心の中で思った。
「それよりも、はい、食事!」
ルイはお盆に載った食事の中から小皿によそってレアに与える。途端にレアは表情を明るくさせた。
「おかわりは沢山あるから、沢山食べてね。」
「……うんっ!」
そう言うと、レアは微笑みながら食事を始めた。
(ホント、幸せそうだなぁ・・・僕と話してるときもコレくらい幸せそうな顔をしてくれたらなぁ……って、まだ一週間だし、贅沢だよね。)
「……?」
ルイがレアの方を見ていると、レアは首をかしげながらルイを見つめ返してくる。
きょとんとした顔が何とも可愛らしかった。
食事を終えると、レアは、ベッドに座っているルイの元へと駆け寄ってきた。そして、彼の横で横になってしまう。
「こら、レア。食べてすぐに寝るとウシになるぞ。」
食べた後に横になりたい気持ちは、ルイにも痛いほど分かるが(ルイも食後に横になっていて良くナオに怒られた。)、ここは健康のため、心を鬼にしてレアを注意することにした。
「……はぁい。」
レアは素直にそう言うと、自分の体をぴょんと跳ね起こす。
「さて、それじゃあ、お風呂に行こうか。」
「うん……!!」
ルイとレアは部屋を出ると、浴場へと向かった。
「は〜……。」
扉越しに、レアの気持ちよさそうな声が聞こえる。レアは本当にお風呂に入るのが好きらしい。入浴時間はいつも長く、出た後はとても気持ちよさそうな顔をしている。
「あ〜……眠くなってきた……。」
一方、レアが風呂から出るのを待っているルイにとっては、待っている時間は中々に苦痛だった。ただでさえ遅い時間に、じっと待っているのだ。眠くてたまらない。
時には眠気を紛らわせるためにストレッチや腿上げ、腕立て伏せ、腹筋、背筋、etc……色々やったが、終わると疲れて余計眠くなってしまうので、むしろ逆効果だった。
「う〜……眠い……」
眠気は着々とルイの意識を蝕んでいった。
でも、ちゃんとレアを迎えてあげなきゃな。こんな眠そうな顔してたんじゃ、レアに失礼だ。せめて僕といるときくらい、楽しい気分でいて欲しいから。
ルイはそう思いなおすと、自分の頬をバシバシと叩き、眠気を無理やり振り払った。
「……おまたせ。」
レアが服を纏い、浴場から出てくる。一回目にルイが注意して依頼、裸のまま出でくるということは無くなった。
「よし、じゃ、部屋に戻ろうか。」
ルイは笑顔でレアを迎える。その笑顔は、眠気を一切感じさせないものとなっていた。やがて二人は手を繋ぎ、部屋へと戻っていった。
「お兄ちゃん!私に何か隠してない!?」
朝――朝食の途中、ナオが突然、ルイにそう尋ねた。
「へ!?……べ、別に何も隠してないよ!」
ルイは必死にそう答える。が、明らかに怪しい。
「嘘だ!お兄ちゃん、すぐ顔に出るもん!」
ナオの追求は止まらない。昔からそうだった。ルイが何か隠し事をしても、ナオには必ず見つかってしまう。それは、ルイが嘘をつくのが苦手ということもあったが、ナオの好奇心の強さが大きく関わっていた。
「と、とにかく何でもないから……」
「む〜……」
ナオが頬を膨らませながらルイを睨む。
「い、いや……あの……」
ナオの顔がどんどんとルイに近づく。これはまずいとルイの心が警告した。
「あ!そ、そうだ!僕、勉強やらなきゃ!ナ、ナオ、また後でね!」
ルイはそう口実を作ると、さっさと部屋から出て行ってしまった。
「怪しい……。」
誰もいなくなった部屋で、ナオは一人考えていた。
兄は、昔から隠し事が下手だ。あの顔は、絶対に何か隠してる。それに、夜な夜などこかに行くなんて、怪しすぎる。
「一体、何を隠してるのよ、お兄ちゃん……。」
兄は、すぐに無理をする。私が目を離すと、必ず無理をしている。私はそれが嫌だった。
「こうなったら……夜、お兄ちゃんの後をつけていくしかない……。」
ナオは決意した。
だって……私はもう、お兄ちゃんに無理をさせたくないから。
「よし……行くかな……。」
ルイは支度を終えると、皆が寝静まっていることを確認し、家を出た。
これだけはバレる訳にはいかない。バレてしまえば、レアの命に関わるかもしれないのだから。
だが、ルイは気が付かなかった。一つの影が、ルイの後を追っていることに。
ルイはいつも通り図書館に着くと、隠し扉へと向かった。
相変わらず薄暗く不気味な階段を下りる。両手にはレアに与える食事を持っているので、走って下りることはできない。
ルイの後を追っていたナオも、ルイに見つからないよう、一定感覚以上の距離を保ったまま後をつけていた。それでもルイは時々後ろを振り返り、誰かがついてきていないか確認をしていた。いつもなら無用心な兄がここまで用心するのは怪しい。一体この先に、何があるというのだろう。
それにしても、一体、どこまで下りるのだろうか。薄暗く不気味な階段は、幽霊などの類が苦手なナオに対し、恐怖しか与えなかった。
だが、兄を想う気持ちは、こんなものに負けて良い筈が無い。いつもなら幽霊の話を聞いただけで腰を抜かす私だけど、今日だけは違う。私は、兄を守りたい。ずっと一緒にいてもらいたいから――
ナオは決意を固めると、自分の頬を叩き気合を入れ直す。
「うん……大丈夫……行こう。」
ナオは呟くと、再びルイの後を追った。
「レア!お待たせ!」
ドサッ!
ルイがレアの部屋に入ると、レアは「待ってました」と言わんばかりにルイに飛びついた。
「うわっ!レア!慌てないでよ!すぐに分けてあげるから。ちょっと待っててね。」
いつもの事ではあるが、飛びつかれたときに食事をこぼさないようにするのは中々難しいのだ。
レアはこれまたいつもと同じように目を輝かせながら、ルイが食事を分けるのを待っている。
「まったく……レアったら……。」
そう言いながらも、レアの可愛らしい動作についつい頬を緩めてしまう自分に気付く。
「おまたせ!」
「わ〜い!」
ルイが食事を与えると、レアは待ってましたとばかりに食べ始めた。
(それにしても、本当においしそうに食べるなぁ……。)
実に幸せそうに食事をするレアを、じっと見つめるルイ。いつもは見つめられる立場のルイだが、食事の時ばかりは立場が逆転する。
「……??」
そんなルイを見て、レアは首を傾げた。そして、フォークをルイの方に向けて、
「……食べたい?」
と聞いてきた。
「い、いや!いいよ!それはレアのだから、遠慮しないで食べてね。」
そんなに物欲しげな表情をしていただろうか。ルイは自分の顔を慌てて直し、再びレアを見る。
美しくサラサラとした白い髪、透けるように綺麗な白い肌、左右で色の異なる、サファイア色とルビー色の瞳。そして、華奢な体。
こんなにも美しい彼女が、なぜ堂々と生きることを許されないのだろう。
彼女は確かにアルナトだが、人間だ。食べて寝て、お風呂に入って、遊んで……人間と何も変わらない。それなのに……どうして彼女はこんな地下でコソコソと暮らさなければならないんだ。
「ごめんね、レア……」
ルイは独り言のようにそう呟く。
「……えっ??」
どうやらレアに聞こえてしまったらしい。
「な、何でもないよ、何でも……」
ルイは慌ててごまかす。こんな悲しい事を考えてはいけない。せめて自分といる時くらいは、人間として接してあげたいから。
だがレアは、ルイの悲しい表情に気付いたのだろうか。食事をそのままにして、ルイに近づくと、ルイの頭を撫で始めた。
「いい子……いい子……」
「あ……。」
レアの手は、優しく、柔らかかった。
自分よりも幼く見えるレアにこうしてもらうのは少し恥ずかしかったが、この手にもう少し甘えていたかった。
「あはは……変だよね、僕が逆に甘えさせてもらってるなんて……。」
「私も……いつも甘えさせてもらってる……。」
レアの言葉の温もりを心で、手の温もりを頭で感じ、ルイはとても幸せな気分に浸っていた。と、同時に激しい眠気がルイを襲う。
(いけない……眠い……。)
ルイは、絶対に寝まいと睡魔に抵抗した。
だが、ルイの意思などお構いなしに、眠気は次々に襲ってくる。
やがてルイが睡魔に敗れ、安眠の淵へと身を任せようとしたとき―――
バタンッ!!
扉が思い切り閉まる音がした。その大きな音に、ルイの意識は一瞬で覚醒する。
「な、なんだ!?」
閉まったドアの前には、人が立っていた。
本来、ここにいてはいけないはずの人が――
「お……おにぃ……ちゃん……。」
見覚えのある顔、見覚えのある声。扉の前に立っていたのは―――ナオだった。
「ナ……ナオ……!」