ギリぎりチョコレート
放課後のざわめきの中、僕は一人ニヤニヤしてしまう。
今日の数学の授業は図形の問題だった。図形は得意な方だが今日の三角形の合同はその中でも特に得意としている。
5教科全体の平均点でいうと中の上くらいの成績だが、図形だけは特上のはずだと勝手に思い込んでいる。
そしてそれを証明する出来事が今日の数学の時間に訪れた。
先生は生徒全員を立たせて図形の問題を出す。そしてその問題の答えが解らない人は座っていくという一風変わったことをする。
次々と問題を出していき、答えられない問題が出たら皆どんどん座っていく。
そして最後に残ったのが僕ともう一人、学年で常に成績トップの『加藤香奈子』
「山下、頑張ってるな。加藤と張り合うとは、図形が得意と豪語するだけのことはあるじゃないか」
先生がひやかす。
加藤は頭は良いが、いわゆるがり勉タイプとは違い、勝気で気さくな性格だ。
それに顔もまぁまぁ可愛いので男女問わず人気がある。
「では次の問題を出すぞ、次は難しいからな」
僕はいつもクラスで10番以内に入るのに必死だ。だけど加藤は学年で1番。ここ勝てたら素晴らしい勲章を手に入れられる。
気合十分、黒板に書き出された問題を見る。
よし、これなら解る。確かに難しいと言えるかもしれないが僕にとってはそうでもない。
加藤の方を見ると…… 座った。加藤が座った。
教室全体がどよめく。加藤が座った。俺が勝ったんだ。学年トップの加藤に勝った。
「ほう、加藤は座ったか。山下すごいじゃないか」
先生の褒め言葉に会心の笑みがこぼれる。
「山下」
今日の授業を思いだしてニヤニヤしている僕を、後ろから呼ぶ声がする。ニヤけた顔を仕舞い込み振り向くと、そこには学年トップの加藤がいた。どうしたんだろう?加藤から声をかけてくるなんて珍しい。
「どうしたの?」
「今日の数学の授業のことなんだけど、図形得意なんだね」
そのことか、今日負けたことが悔しいのかな?何か言いたいことがあるんだろうか?
「うん。図形だけだけどね」
やや警戒気味に答える。勝気な性格なだけに何を言ってくるか分からない。
「もし、よかったら図形教えてくれない?」
文句でも言われるのかと思って、身構えていた。そこにとんでもない方向から攻撃を受けたような感じで一瞬意味が分からなかった。
「へ?」
間抜けな返事をしてしまう。
「明日、学校休みだし私の家で一緒に勉強しようよ」
「え?」
さらに追い打ちをかけるような加藤の言葉で頭が混乱してしまう。
「ちょっと待って」
加藤は一体何を言ってるんだ?
中学2年の冬。この年になるまで好きになった子はいるが、付き合った女の子なんて一人もいない。それどころか特に親しくなった女友達もいない。いきなりの誘いに戸惑ってしまう。
「家って…?なに?」
その問いに加藤が思いっきり笑っている。
「家は家よ。それ以外に何があるの?それとも犬小屋で勉強するの?」
突然の誘いに舞い上がってしまって、確かに変なことを言ってしまったけど……
「そんなに笑うなよ」
あまりにも笑われて少しムッとしてしまう。だが加藤は意に介さない様子で、
「じゃ明日お昼に私の家に来てね」
「へ?」
ちょっと待て、まだ行くとも何とも言ってないんだけど、どうなってるんだ?
「じゃこれ家の地図。図形得意だからこれで家分かるでしょ」
「へ?」
地図と図形を一緒にするなよ!と、心の中で対話する。
しかし口から発せられる言葉はさっきから「へ?」だけだ。我ながら情けないな。などと思っているとそのまま加藤が颯爽と帰って行ってしまった。
呼び止めることも出来ず、教室に一人残された僕は地図を握りしめる。
僕もすぐに帰りたかったが、校門までの間で加藤に追いついてしまうとなんとなく気まずい。
仕方なく握りしめた地図を開いて見直し、しばらく時間をつぶす。
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「お姉ちゃん、何してるの?今日出かけるんでしょ?買い物行くって言ってたよね?まだ行かないの?」
矢継ぎ早にまくしたてながらお姉ちゃんを見る。
お姉ちゃんがピンクのリボンが結ばれた赤と白のストライプ模様の箱を見つめて佇んでいる。
「お姉ちゃん、それバレンタインのチョコ?」
「うん。そうなんだけど……」
「もしかして日にち間違えたの?部活ばっかりして呆けちゃった?」
「間違ってないわよ!そんな馬鹿な人いるわけないでしょ」
「中途半端に豪華だけどもしかして……」
「言っとくけどギリだからね」
「私にそんなに力強く否定しなくても……」
お姉ちゃんは一瞬バツの悪そうな顔をしたが、何か決意を持ったかのように、チョコをポーチに仕舞い込んで出かけて行った。
やっと行ったか。時計を見ると11時を少し周っていた。
「やばい、早く準備しないと山下が来る」
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しかしよく見ると、なんて不親切な地図なんだ。
昨日加藤にもらった地図を見ながら歩いている。
加藤の家は俺の家から見ると駅をはさんだ向こう側にあるようだ。
駅周辺は結構細かく書かれてるが加藤の家の周りの目印はこれといって何も書かれていない。
駅なんてただの通過点なんだから、その周辺をわざわざ細かく書く必要もないだろうに……
それよりも加藤の家の周りをもうちょっと詳しく書いて欲しかった。いや、詳しくは書かれてる、だがこれといった目印がない。加藤の家の隣が山本とか佐藤とか書かれてるが、それじゃ目印にならないっての。まぁでもこの地図でも分からないこともない。
家を出てしばらく歩いていると駅前の交差点にさしかかる。そこで楽しそうに会話している高校生くらいのカップルがいるのを見つける。
楽しそうだな。僕にもいつかあんな風に彼女とかできるのかなぁ。
なんてことを考えながらそのカップルを見ていると、女の人がポーチから何かを取り出そうとしている。なんだろう?ピンクのリボンがついた箱だ。
あっ、チョコレートか。明日はバレンタインデーだからチョコをプレゼントしてるんだ。いいなぁ、僕は今まで一度も本命チョコというのをもらった事がない。
あまりジロジロ見てると変に思われるから、あまり見ないように通り過ぎようとした時、女の人の言葉が聞こえてきた。
「言っとくけどギリだからね」
え?義理?女の人の態度は本命っぽいけど……
その後、女の人は男の人の方を向いたまま後ろ向きに歩きながら帰って行った。あの態度、やっぱり本命だ。
僕も欲しいなぁ……
そんな光景を横目で見ながら加藤の家に急ぐ。
「あった、ここか」
いざ家の前まで来てみるとドキドキしてしまう。
本当に来てもよかったのかな?からかわれてるんじゃないだろうか?学年トップの加藤が僕に勉強を教えて欲しいなんて…… 変に疑ってしまう。というか、なんだか期待してしまう。
わざわざ家に呼ぶなんて普通じゃないよな?
玄関先でチャイムも押さず、色々思案していると突然ドアが開いた。
「玄関でなにもじもじしてるのよ気持ち悪い。さっさと入りなさいよ」
突然ドアが開いて心臓が飛び出すほどびっくりする。
しかし加藤って…… 頭も良くて可愛いけどホント口が悪いな。
「上がって」
そう言われて僕は玄関を上がり、加藤について行き部屋に入る。
「じゃ早速べんきょうしましょ」
「あぁ」
僕に部屋を見回す暇も与えず、加藤はいきなり勉強を始める。何かを期待していた僕は拍子抜けしてしまった感じで大人しく勉強をする。
それから普通に一時間ほど勉強をする。教えて欲しいと言われて来たが特に教えることなんてない。
そりゃそうだ、加藤の方が遥かに頭がいいんだから。だいたい図形にしても、どう見ても加藤の方が出来てる。昨日は勝ったと思ったんだけどなぁ~……
それからもお互い殆ど会話もなく、淡々と勉強している。
僕だけは加藤のことを意識して、チラチラ見てしまい勉強にならない。
特に今日の加藤は、いつもの制服姿と違って。赤とオレンジ基調に、紺のチェック柄のミニスカートをはいている。四角いガラスのテーブルに対面で座っているのでスカートの裾から覗く白い太股が意識しないように気をつけてもどうしても目の端に映りこむ。
足を組みかえようとす時なんかは何かが見えそうな気がしてどきどきしてしまう。
しかし、よく見るとキュロットスカートにも見える。
時間が経つにつれて僕の意識はあれがスカートなのかキュロットなのか。どちらなんだろうか?と、それしか考えていなかった。勉強している格好をしながら、どちらなのか見定めようと必死にスカートの裾を覗いていた。
「ありがとう。勉強になったわ」
え?いきなりなんだ?
やばい、もしかして太股を見てたのがばれた?
「今日はここまで、また今度教えて」
突然追い出すように帰れと言われると心配になってくる。
怒らせたか?
しかし加藤は時計を見て時間を気にしているようだ。
これから何か用事でもあるのかな?
「ああ、じゃ、僕は帰るよ」
玄関先まで送ってもらい、僕は靴を履く。
その間も太股を盗み見してたのがばれてませんように、と祈っている。だがあれがスカートかどうか、まだ気になっている。
靴を履き終わり、立ち上がって恐る恐る振り返りながら、盗み見がばれていたかどうかを確認する為に加藤の顔を見る。
すると加藤はお祈りをするような感じで胸の前で手を組んでいる。
どうしたんだ?
よく見るとその手には小さな箱が。そしておもむろに僕の目の前にその小さな箱を差し出す。
淡いブルーの包装紙に包まれた箱にはピンクのリボンが付けられている。
「何これ?」
「今日、勉強を教えてくれたお礼に」
「もしかしてチョコレート?」
「言っとくけどバレンタインとか関係ないからね。ただのお礼だから」
「あ、ありがとう」
「言っとくけど、ギリとかじゃないからね」
「義理じゃないって…」
「違う、バレンタインは関係ないって意味、本命じゃないから勘違いしないでよ」
加藤は何が言いたいのだろうか。訳がわからなくなってきた……
「とにかく、今日はありがとう。帰っていいよ」
帰っていいってなんだ?
僕は押し出されるように玄関の外に追いやられた。
「じゃあね、ばいばい」
そう言って加藤がドアを閉める。
やっぱり盗み見してたのばれてたのかな。僕は仕方なく、来た道をとぼとぼと帰る。
十メートル程歩いたところで加藤の家の方を振り返ると、ドアの隙間から誰か覗いてるのが見えた。
と、思った瞬間ドアが勢いよく閉まった。
その時、なんとなく来る時に駅前で見たカップルのツンデレな女性を思いだす。
そして手に持った箱をもう一度見る。
丁寧に包装されたそのチョコは、なんとなく加藤の心を包んでるような気がする。
このチョコってやっぱり……
僕は急に足取りが軽くなるのを感じながら、小さな箱をかばんに仕舞い込む。そしてなんとなく鼻で笑ってもう一度加藤の家を振り返る。
そして小走りで家に帰る。