愛人形はプレゼントを渡せない
武頼庵さん『万物の神様企画』参加作品です。
人間はキライだ。
人間はすぐ本音を隠すし、人間はすぐに機嫌を損ねる。人間は愛想笑いをするし、人間は陰口を言うし、人間は何を考えているのかわからない。
だから僕は、人間を好きになるのをやめた。
地方都市の隅っこにこびりつく、岩肌の苔みたいな安アパートの一室で、僕は恋ビトと共に生きている。
それは言うなれば、美と愛情と性愛の結晶。
某なんちゃら工業性で、不気味の谷を超えてやって来た、ビーナスとジーザスの合いの子。
シリコン性のもっちりとした肌を撫でながら、僕は彼女の膝の上に寝転んで、お気に入りの恋愛映画をうっとりと眺める。
彼女は嘘をつかないし、絶対に機嫌を損ねない。
僕の言葉に意を唱える事なく、いつも憂いを帯びた表情で、じっと僕を見つめてくれる。
だからこそ、愛おしい。
在宅ワークの安月給を全て費やし、ネット通販で買った流行りのファッションを日替わりで纏わせる。髪を漉き、汚れを拭き取り、身嗜みはいつだって完璧だ。
彼女が暇しないようにいつも彼女に語りかけ、時には女子ウケのいいアイドルグループのライブ動画を2人で鑑賞する。
そして優しく抱きしめて、愛を囁いて眠る。
そんな生活を10年近く続けてると、なんの因果か彼女の中に『魂』と言うものが生まれた。
付喪神というのだろうか。
長年大事にしてきたものには神が宿るらしく、それはつまり人格を持つと言う事だ。
そして僕は――天を呪った。
* * *
『ねえ、その映画もう飽きたんだけど……』
いつもの憂いを帯びた表情のまま彼女は言った。
僕は何も答えずに、お気に入りの恋愛映画の再生ボタンを押す。実家の玄関くらい見慣れた物語の導入シーンが、慣れ親しんだ匂いのように脳内へ流れ込んで来た。
『それ、何十回観るのよ? 私、スノーボーイズのライブ動画、観たいんだけど……』
彼女は溜め息を吐く。
付喪神となり、人格を持った彼女は、もはや物言わぬ理想の存在ではなくなってしまった。
僕のする事に度々意を唱え、僕には理解できない価値観でもって僕の行動を制限しようとする。あんなに理解できていたはずなのに、今の僕は彼女の事がわからなくない。
これじゃあ、煩わしい人間と何一つ変わらない。
僥倖のフリをして絶望を叩きつけてきた天に向かって、僕は呪詛の言葉を唱えたくなる。
『もうちょっと、動けない私の身にもなってよ。あなたはその映画が好きかもしれないけど、一緒に観なきゃいけない私の事も考えて――』
僕は、ベッドに横たわりテレビの方を向いていた彼女の顔を、反対側に向ける。そしてスマホでご所望の動画を再生し、彼女の目の前に立てかけた。
「これで満足なんだろ?」
僕は苛立ちで奥歯を噛み締めながら、再びテレビの方を向いて、映画の再生ボタンを押した。
ベッドに横たわる彼女と、ベッドに座る僕。
触れ合えるほどすぐそばにいるのに、僕と彼女は別のものを見ている。
もう長い事、こんな感じだ。
最近は、そのもっちりとした冷たい肌に触れる事すら、ない。
『あなた、最近おかしいよ』イケメングループの陽気な楽曲に混じって、彼女が言う。『全然、私の目を見ようとしないじゃん。よそよそしくて、つっけんどんで――』
「よそよそしくもなるさ」
僕は人間が嫌いなんだ。
未知が怖いのは、当然の感覚だろう。
彼女は何も返さなかった。
嫌な沈黙が生まれる。
「この映画――」
濁った空気に耐えきれず、急かされるように僕は言葉を並べはじめる。それは少しでも彼女の理解を得る為の、内面を吐露する言葉の羅列だった。
「この映画を見たあと……、僕はね、以前付き合っていた恋人に、別れを告げられたんだ」
もう10年上昔の話。しかしあの瞬間は、今でも鮮明に思い出せる。
それは寒い冬の日だった。
窓ガラスに溜まった結露が、昼過ぎの陽を浴びて宝石みたいにキラキラと輝いていた。
並んでベッドの座り、始めて二人でこの恋愛映画を見た後、彼女は一粒の涙を流した。その雫は、窓に並んだ宝石達に引けを取らないほど美しいと、能天気な僕は考えていた。
私たち、お別れしよう。
その直後、彼女が言い放った言葉は青天の霹靂であり、その意味を理解する前に彼女は消えてしまった。
呆気に取られたまま曖昧な返事を返し、彼女が部屋を去ってしまった後、僕は徐々に押し寄せる満ち潮のような絶望に震えた。
ぼやけた目で、彼女が消えていった世界を眺める。
窓にびっしり溜まった結露は、ただただ煩わしくて、美しくもなんともなかたった。
彼女が何を思い、何を考え、なぜ別れを切り出したのか。
あのシーンを再現するかのように、幾度となくこの恋愛映画を鑑賞したが、今だにその答えは見えてこない。
だから、人間はわからない。
だから、人間は嫌いなんだ。
お互いがそっぽを向いたまま、僕はベッドに横たわる彼女に、そんな事をポツポツと話す。
僕が観ている恋愛映画は中盤の山場に差し掛かり、彼女の観ているアイドルライブは、しっとりとしたバラード曲が終わったところだった。
観客の歓声にかき消されるように、彼女は呟く。
『なんで今カノに……元カノの話、するかな……』
やっぱり、人間はわからない。
分かり合えない。
* * *
翌日、目が覚めると彼女は喋らなくなっていた。
シリコン製の肌はいつも以上に冷たく感じられた。
僕は彼女を、部屋の隅に置いていたロッキングチェアに座らせる。一番のお気に入りだと言ってた服を着せて、彼女が好きだったイケメンアイドルのライブ映像をリピートで流した。
恋愛の機微を歌った――心底面倒臭い楽曲のメロディーを浴びながら、僕は夕焼けの空を眺めた。
それでも、彼女は戻らなかった。
* * *
そんな日々が続いたある日の夜、僕は彼女の夢を見た。夢の中で彼女は、僕と一緒にあの恋愛映画を観ていた。
お互い無言で、食い入るように画面の見つめる。僕は彼女に声を掛けたかったけど、これが夢だと気がついて、そんな無粋な真似をするのはやめた。
そうせ夢であるならば、僕はこの偽りの幸せに首元まで浸っていたかった。
それくらいの慰めは許して欲しかった。
やがてエンドロールが流れる。
夢の中でも、この恋愛映画は名作だった。
自分の身を犠牲にしてまで恋人への愛を貫いた心優しいき男と、その愛に抱かれ男との未来を決意した美し恋人の物語。
2人が永遠の愛を誓うところで、この物語は完結する。
僕はいつものように、エンディングに涙した。
そして、遠慮がちに彼女のシリコンの肌に触れる。その肌はいつもとは違う温かさを湛えていた。
『そうじゃないの――』
突然、彼女は首を振った。長い髪が春風に揺れるカーテンのように波打つ。
『私はあなたから、一方的に愛され、守ってもらいたかったわけじゃないの――』
その顔がゆっくりとこちらを向く。
『私はあなたと、愛し合いたかった。あなたが愛してくれるのと同じくらい、私だってあなたを愛し、守ってあげたかった――』
テレビの明かりが彼女の顔を照らす。
彼女の目に、この映画はどう映ったのだろうか。一方的な自己犠牲の愛で恋人をパッケージングし、後生大事に抱え込んでいる、歪んだ男の物語に見えたのだろうか。
『それなのに、あなたは――』
その顔は、あの日別れた彼女の顔に変わっていた。
僕は飛び退き、ベッドの角に頭をぶつける。
そして、目が覚めた――
* * *
ベッドから上半身を起こして、荒れた息を整える。枕元のスマホを見ると、時刻は深夜2時を回っていた。
頭上では、オレンジ色の常夜灯が寂しげに灯っている。
『ごめん、驚かせちゃったよね――』
ロッキングチェアの方から声がした。
夜の静寂を傷付けないように配慮した、微風のような声だった。
「今まで、どこに行ってたんだよ……」
『ごめん、魂だけで旅をしてた。初めての事だから、めちゃくちゃ疲れたよ』
照れたような笑い声が続く。
「どういう事だよ。君がなんでそんな事をしたのか、わからない……」
『そうだよね。他人の心の中なんて、きっと誰もわからないよ』暗闇の中で、僕が着せた白い服が彼女の存在を際立たせる。『あの映画を観て、あなたがいつも悲しそうな顔をしてる……。私がその事に胸を痛めてたのだって、あなた知らないでしょ?』
「知らないけど……」
僕は言葉に詰まった。
『私だってね、あなたのために何かしてあげたかった。でもそれが出来なくて、私、イライラしてた。それは……ごめんね』
「僕は何も欲しくない。ただ、そばにいてくれれば、それだけで――」
『ありがとう。でも、そうじゃないの。人と人との交わりって、きっとそうじゃないの……』
彼女は僕の言葉を否定した。でも不思議と嫌な気持ちはしなかった。
『私はね、あなたから繋がる沢山の縁の糸を順に辿って、元カノを探してたの。そして、夢の中で彼女に会ってきた』
それは大変な旅だったはずだ。
しかし、彼女の言葉は穏やかだった。
『彼女言ってたよ。あなたは恋人の事を人形みたいに、大事に大事に扱ってくれた。でも、それが辛かったって。もっともっと、互いに寄り添い合いたかったって。それって――私も同じだよ』
言葉の間に生まれる静寂に、時計の音が刺さる。
『元カノとの事で苦しんでるあなたの代わりに、答えを見つけてあげたかった。私だって、あなたの助けになりたかったんだ』
そんなの、僕には想定できない。
わからないものは怖い。
でも想定を超えた彼女の行動が、僕の心をわだかまりを少しだけ解いてくれたのは、紛れもない事実だった。
人と人が完全にわかり合う事なんて、きっと一生無いのだろう。
わかったつもりになっていても、それは自分の中に作り上げた、ガワだけ模した人形の細部にすぎないのかもしれない。
でも、わかり合えない恐怖や寂しさは、時に予想もしなかった喜びをもたらす事もある。
相手の悪意が未知から生まれるのと同じように、相手の善意もまた、未知から生まれるのだから。
『こういうの、なんていうか知ってる?』
僕は首を傾げる。
『サプライズプレゼント――』
どうだった? と彼女ははにかみながら笑う。
悪くないかもしれない、と僕は返す。
ベッドから立ち上がり、彼女の頬に触れる。シリコンの肌が、少しだけ温かく感じた。
心の中の神は、見えないからこそ尊いのかもしれない。
お読み頂きありがとうございます。
ネットで『ラブドールを恋人にする男』みたいな書籍の紹介動画を見て、「もしそのドールが付喪神になって意思を持ったら、持ち主は嬉しいのかなぁ?」というとっかかりから広げたお話です。
幕田は若い頃『この愛用の自転車が女の子になったらなあ――』『この机が女の子に――』『このギターが――』などとヤバい妄想をしてました。でも実際にそうなったら、反応に困っていたともいます。意思を持った時点で、それは愛玩の対象ではなく尊重すべき人格になるのですから。
幕田は人を怖がるタイプの人間です。
その理由のひとつに、相手が何を考えているのかわからないから、ってのがあります(そりゃ当然なのですが)。どうすれば喜び、どうすれば怒るか、本当の答えなんてわかるはずもありません。それは幕田の共感力の無さ故かとも思いますが、誰だって多かれ少なかれそういうふしはあるんじゃ無いでしょうか。
ただ、わからないからこそ、予期せぬ喜びが生まれたりします。一瞬でもわかり合えたと感じられた時、それが人生を変えるほどの転機になったりもします。
そんな事を書きたかったです。
書けてたら嬉しいです。
異常に長いあとがきまでお読み頂き、本当にありがとうございました(*´Д`*)




